従来生物学においては 遺伝的進化に対して「意図」や「戦略」や「考え」や「工夫」といった目的に基づいて主体的・能動的に進化を選択できているかのような「説明」をしてきたが
これらは全て遠藤秀紀が言う「典型的な間違い」である
生物とは 環境と適応調和し繁殖を継続できた個体種だけが現存生物種として存在しているという結果であって
生物に目的などない
遺伝的進化というものは あくまで生息環境への適応を繰り返した果てに生じた「自然現象」であって 意図や目的や考えや工夫が介在する余地は全くないのである
衆愚やマスコミの多くは自然現象に過ぎない遺伝的進化任せにしておけば 自動的自然に全てがうまくゆくかのような妄想を抱き
人智を超越した実証不能の謎の「目的意識」によって自動的自然にヒトが進化するかのような妄想を抱く傾向が見られるが そんなものは論理的に存在せず 科学を逸脱したファンタジーに他ならない
現存生物は 環境に適応調和して繁殖を継続することが出来ているが これは意図的に合理的形質や行動習性や本能を主体的に選択したわけではなく あくまで「繁殖を継続できた」個体種以外が全て死滅した結果に過ぎない
遺伝的進化というものは あくまで偶発的に環境に適応調和して繁殖を継続できた個体種以外が全て死滅し 残った現存種だけを抽出してきて「遺伝的進化を意図的に考え合理的に選択した」わけではない
遺伝的進化に「考え」だの「思いつき」だの「工夫」が介在する余地は論理的に全く存在しないのである
にも関わらず生物学権威の多くやマスコミ衆愚は論理的理解を全くせずに 「進化を選んだ」といった話を何の疑いも持たずに鵜呑みにし 「自然ってすばらしいわ」などといった主観的形容に酔いしれるだけである
自然環境の保全というのは 主観的に「自然は素晴らしい」かどうかで行うものではなく 論理客観的に自然環境なくしてヒトの存続も不可能であるから必要性があるわけで 「素晴らしい」と称して自動的自然に何でも自然現象に過ぎぬ遺伝的進化任せにでもしておけば全てが解決するかのような妄想を抱くことによって 主体的に自然環境を保全しようとする「意識」が薄れてしまうのである
遺伝的進化などによって人智を超越した謎の目的意識が働き ヒトが能動的に自然環境を保全なんぞしなくても「素晴らしい自然環境」や「遺伝的進化」によって必ず「正しい結果」が得られるかのような都合の良い妄想を抱くことによって 衆愚は安心満足し 従来の生活様式を変容させようという主体的選択への意欲を喪失し 目先の金儲けを「頭が良い」などと形容し 持続可能性のない環境資源の浪費を継続して自滅への道を変えることをしなくなるのである
地球という自然環境において ヒトは特別に必要な存在ではない
地球環境にとってはむしろヒトは暴走的に異常繁殖している「赤潮のようなもの」に過ぎない
だからこそのパンデミックである
自然環境におけるウイルスの「役割」とは 異常増殖した個体種の数を抑制する働きがあり 赤潮などの環境破壊を復元させる「役割」を持っているのである
ウイルスのよる特定種の異常増殖が抑えられなかった場合には 特定種のみの異常増殖による環境破壊によって持続可能性を失い 結果的にウイルスのいない生態系は破滅したという結果 存続出来た生態系においてのウイルスの「役割」として遺ったのであり 別にウイルスが「生態系を存続させよう」として自らの形質を選択したわけではない
ウイルスが生物の範疇に含めるかどうかの議論があるが ウイルス以外の「生物」であっても地球環境という宿主なくして存続は不可能であり ウイルスにとっての生息環境としてのヒトなどの生物なくして存続できないウイルスもまた同じことであり さしたる違いはない
現存する生物種による生態系バランスというものは あくまで膨大な「失敗」の果てに偶発的に遺った奇跡的な結果であって 一旦環境破壊によって失われた生態系というのは取り戻すのに再び膨大な「失敗」を繰り返す必要性が出てくるのである
それは安定性や持続可能性や恒常性を失ったカオスの世界である
ゴキブリだらけになったかと思えば そのゴキブリを捕食するネズミなどが異常増殖し そのネズミを捕食する生物が異常繁殖しては再び生態系がリセットされるような異常な世界に陥る危険性も考えられる
それはヒトにとっては感染症まみれの地獄でしかない
気候変動の観点からも 現在の温暖な気候というのは地球史上では非常に稀な状況であって だからこそ巨大文明社会を築いて異常繁殖の原因にもなったと言える
動物は 主観的に「怖い」ものを避けようとはするが 主観的に「安心満足」なものはむしろ積極的に求めようとするものである
鹿が列車の前照灯を見つめて動かなくなることで轢き殺されることや
蛾が炎に飛び込み焼け死ぬことや
ネコが自動車の直前を横切って轢かれることがある
ネコにとっては自動車が近づいてからでなければ恐怖を抱かず 直前になってから発作的に自動車の前を横切るものなのである
このように先天的行動バイアスというのは急激な環境変化に対して適応することはできずに情動のままに生存にとって適さない行動に陥ることも珍しくはない
ネコが先天的に自動車の直前を横切らないように「進化」するためには 自動車の直前を横切る習性を持ったネコが全て轢き殺されて死滅する必要がある
「収斂」進化とは そういうものだからだ
若しくは 自動車の直前を横切る習性を持ったネコの断種をすれば自動車の直前を横切らないネコへの品種改良も可能であろう
遺伝的進化の全ては淘汰圧力による「収斂」なくして起こらないものであって 目的にとって都合よく合理的に全ての進化が「成功」すると思うのは「典型的な間違い」である
ヒトは バクテリアから進化はしたものの 別にヒトという種の生物そのものには何の目的もなく あくまで「人間」として次世代へと社会を引き継ぐ持続可能性や安全性や公平性を目的として行動選択すること「も」可能なだけであって ヒトという種の生物種自体には目的などないのである
だからこそテロや通り魔や独裁による民衆弾圧などの非合理な行動を採るバカも後を絶たないのである
ヒトは先天的に認知的欠陥が存在するため 権威の命令に盲目的に唯々諾々と服従することを人間としての「社会性」だと勘違いし 懲罰などの暴力で何かが「解決した」ような錯覚に溺れて合理性のない因習に囚われ自浄効果を失うのである
ヒトの先天的な認知的欠陥というものを 遺伝的進化のメカニズムを応用して「品種改良」することは可能かも知れないが 当然ながら人道には反する卑劣で人間性を欠いた行動であることは言うまでもない
そもそもヒトは 文明社会を構築することで自然環境における過酷な生存競争から逃れたことで ここ数万年は外見や性格のバリエーションは拡大したものの 淘汰収斂が起きなくなったことによって遺伝的な進化はしなくなったのである
遺伝的進化というのは自然現象であり 単に「繁殖を継続」したという結果以上の何ももたらすことはない
だからこそ ヒトは本能欲望のままに異常増殖して地球環境資源を喰い尽くして絶滅しようとしているのである
自分の本能欲望を制御してこその人間性であり 欲望を主体的に「選択」しないことには人間性も知性もヘッタクレもなく 到底「知的生命体」とは言えないのである
無責任な社会心理学者は生物学者は特定環境実験下における利他的行動だけを根拠に人間性の立証だと言い張るが 腐敗した組織内部において「組織の利益を優先する」こともまた利他的行動であって 自律的な社会的責任判断選択なしに人間性を立証したことにはならない
自律的な社会的責任判断というものは 腐敗した組織の中では排除の対象にしかならない
本当の人間としての社会的責任判断というものは 決して本能的に気分が良くなる行動だけではなく 本能欲望に抗う主体的選択 自己客観性や論理検証性なくして発揮されることはない
日本大学の内部では 理事に逆らうことで左遷されることを怖れて唯々諾々と服従し 組織腐敗を放置されたのであり 先天的本能習性のままに組織腐敗を傍観放置し温存させたのである
現代のように情報化が進んでいなかった時代には 嘘は生存にとって有利に働き 嘘つきや不公正な集団に迎合同調忖度服従するような卑劣な奴ほど生き残りには有利だったのである
生き残り有利であれば 必然的に卑怯者への収斂進化が促されることはあっても 正直者への収斂は起きないのである
そもそも 何が嘘やデマで 何が真実なのかも見分けがつかないバカの多数決では 正直者は排除の対象にしかならない
卑怯な嘘つきに騙されていることもまた 結局は同罪なのである
荒唐無稽なデマかどうかを見分ける上においては 複数の信用できるメディアも読んでみることは有効だが 生物学界や哲学界全体がバカが牛耳っている場合には この限りではない
科学的真理とは 多数決で決定するものではなく 論理客観的根拠に基づいて判断されるべきものであり 衆愚人気は根拠にはならない
実際に松沢哲郎は「チンパンジーの行動習性から人間としての社会性を立証できるかも知れない」という論理客観的根拠のない荒唐無稽な予測で衆愚人気を集め マスコミもこぞって「立証できたら素晴らしいですね」などと評価したのである
その実態はと言えば チンパンジーの利他的行動実験を継続すると「自分には利益にならない」と知った途端に利他的行動は採らなくなり 結局何も立証できていないのである
結局松沢は ヒト以外は「目先の利益以外には興味がない」という結論を導き出しており 「行動習性から人間としての社会性」は何一つ立証どころか むしろ反証にしかなっていないのである
松沢は更にはぐらかそうとして「想像力があるから人間だ」などと言い出したが 振り込め詐欺師が被害者を騙す上においても「想像力」は働いているのであり 想像さえすれば人間性の論証にならないのは当たり前の話である
チンパンジーというのは子供のうちは従順で凶暴性が出ないが 成体になれば鋼鉄製のケージに入れておかなければならない危険な野獣であり いかなる断片的行動結果を都合よく集めてきても人間性の立証など原理的に不可能である
たとえヒトであっても 特定環境下で利他的行動を抽出してきたこところで 既にヒトが行ったナチスやポルポトによる大量虐殺の反証になど一切ならないのである
ヒトが衆人環視下で嘘をつかないのは 衆人からの同調圧力によるものであって 決して自律的な責任判断選択によるものであることの論証にはならない
たとえ衆人環視下であっても アイヒマン実験では他人に危害を加えてしまうのが「ヒト」という種の生物である
スタンフォード監獄実験でも同様である *:後述
腐敗した組織の内部では 組織に迎合同調しておいた方が気分的・本能的に安心満足だからである
こうした先天的な「社会性(封建的統率協調性)」というものが 「人間としての社会性」の論証にならないことは ちょっと考えれば誰でもわかる簡単な話である
本能習性というのは それに従っていることが安心満足なのであり 主観的に安心満足だからこそ組織腐敗は放置され 個人の自律的な社会的責任判断選択が放棄されてしまうのである
学術権威という肩書に同調迎合し 唯々諾々と盲目的に服従し 忖度していたほうが主観的には安心満足であろう
自律的に物事の真偽を検証判断しない方が責任逃れができるものだと「思って」いた方が楽であろう
ヒトとは先天的に そういう無能なバカになる習性が存在しているためである
*:スタンフォード監獄実験には疑惑が生じていた だが 逆に言えば権威の命令に唯々諾々と服従して不誠実な嘘を演じたことの立証にはなる
Ende;