一部の科学者は、オミクロン株が南アで、エイズウイルス(HIV)患者など免疫不全のある個人の中で数カ月かけて進化してきた、との仮説を立てている。そうだとすれば「ウイルスはこの宿主を殺さないように順応してきたことになる」と、フェリー氏は言う。
出典:https://jp.reuters.com/article/explainer-omicron-idJPKBN2IL08D
⇨免疫不全症候群の患者に感染しても 宿主を殺さない程度の毒性しか持っていなかった変異株種が 長期間一人の体内に居座った結果として感染力の高い変異への収斂を促したのではないかとの見解があるらしい
「宿主を殺さないように」といった意図目的戦略があったわけではなく あくまで偶発的に宿主を殺す程の毒性を持たなかった変異株種が長期間一人の宿主の体内で何らかの淘汰圧力による収斂進化した結果 オミクロン株になった可能性は言える
免疫能力が充分なヒトなら 新型コロナウイルスが体内に入り込んだ場合には徹底的に排除されてしまうのだが
HIVなどで免疫が充分に働かない患者に感染した場合には 完全には駆逐できない状態でコロナウイルスの一部が体内で生き残り その体内環境に適応した変異株種への淘汰収斂によって特殊な「進化」が促された可能性がある
抗生物質を患者が勝手に途中でやめてしまったりすると耐性菌が生じてしまうような状態と同じで 免疫が不十分であったために感染力の強い株種への収斂進化を促してしまったのかも知れない
軽症や無症状が多いのは ワクチン接種済みであったり 2度目の感染だったりするケースが多く 症例も少ないので まだ毒性が低いのかどうかは判断がつかない
HIV患者を殺さない程度に免疫をすり抜けられていたとすれば 毒性はそんなに高くはない可能性はあるが 下手するとヒトの免疫をすり抜ける能力が洗練されてしまっている可能性もある
既に一部の治療薬に対する耐性を獲得している可能性もあり あんまり楽観はできない
後遺症がどう出るのかもこれからの臨床研究を待つ必要があり「数週間は必要」だという
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客観的根拠が示されていない「決めつけ」に対しては 即座には反論のしようがないので これを「論破」だと形容するのは論理思考の出来ないバカの勝手な判定である
そもそもフリードリヒ:ニーチェなんぞを哲学だと勘違いし 遺伝的進化に意図目的戦略が介在していると勘違いしているようなバカであれば 何が論理客観的根拠に基づいた「論破」なのかすらマトモには判別はできないものである
テレビ朝日の玉川徹の意見が「個人の見解」だと言うのであれば 国立感染症研究所も厚労省も「現段階では弱毒化の兆候は見られない」と言っているのに日医大特任教授の北村義浩や一部の医師が「弱毒化する」と断言していることもまた「個人の見解」であることに違いはない
物事を深く検証したこともなく衆愚迎合に徹している衆愚迎合雑誌記者風情が偉そうに他人の「勝ち負け」を判定する立場にはない
臨床というのは必ずしも科学ではないので あらゆる治療は「つなぎ」と言っても構わない
どんなに治療してもヒトは必ず最後には死ぬのであって ヒトの死亡率は100%なのである
どんな薬であってもヒトの体内における作用機序の全てが解明されているわけではなく どのような副作用があるかも実際に臨床治験を集めるまでは何も言うことはできない
ヒトの生体で何が起きているのかを全て解明出来ているわけではなく100万人に投与して重篤な副反応がなかったとしても 100万1人目で何が起きるのかは 本当は何とも断言できない
ただ 1/100万の確率で重篤な副作用が出るとしても 1/100の確率で起こる死亡重症化が抑えられるのであれば それは「有効」な薬だとみなしても構わない
それが「臨床(現場の正義)」における倫理というものである
1万人を救えるなら 1人くらいの犠牲はやむを得ない
相手はウイルス性疾患という「天災」に対する対処であり ヒトが作り出したシステムにおける「人災」を扱う「トロッコ問題」とは本質的に異なるものである
「人災」に「死んだ人数」で正当化はできない
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遺伝的進化の系統樹において 私達はその末端の「結果」である現存種しか見ることができない
化石など稀に過去の系統樹の断片を見ることはできるが そのほとんどは過去に絶滅(進化に失敗)した個体種である
過去に一体どれだけの「失敗」があったのかは 私達は見ることができないし これからどのような「失敗」が起きるのかもわからないのである
変異がランダムである以上 そのほとんどは「失敗」に終わっていると考える方が自然である
現存生物種は進化の過程で生存に対する高度な恒常安定性を獲得しているので ヒトの先天性疾患が出る確率は比較的低いものの 決して意図目的戦略に則って都合良く変異が促進されるわけではない
ヒトは文明社会を構築したことで過酷な自然淘汰圧力から逃れ 多少身体が虚弱でも死なずに済むが これはバリエーション拡大にはなっても収斂進化には結びつかない だからヒトはここ数万年遺伝的にはほとんど進化していないのである 先天的に虚弱体質のヒトが後天的に身体を鍛えても 遺伝要素には影響を及ぼすことはない
現存生物という「結果」だけから遺伝的進化のほとんど全てが意図目的戦略に基づいて「成功」しているかのような主張は科学的には間違いである
自然界の生物の全ては 繁殖能力と淘汰圧力とのバランスの上に成り立っているのであって 一方的にどちらかが優位になれば環境との調和を失い 生態系を破壊して結局は自滅することになる
生態系という環境なくして個体も「繁殖を継続」することは出来ないからである
現存生物というのは 特定環境下において偶発的に生態系全体との調和に「成功」した個体種への収斂進化の結果であり 個体の意図目的戦略は遺伝的進化には影響を及ぼすことはできない
地球上には多種多様な生物が現存してはいるが 実質的には無限にあるはずのゲノム配列のパターンに対しては極めて限られた生物種しか現存しないのであって 現存していないゲノム配列を持ったあらゆる生物は全て死滅しているのであり それだけでも遺伝的進化というのは膨大な絶滅(失敗)を伴うものであることの「証拠」になる
現存するウイルスの大半は宿主との共生に「成功」しているが 過去にどのような「失敗」が どれだけ起きていたかは誰も知らないのである
「一般的にウイルスは弱毒化する傾向がある」とは言われているものの それなら鳥インフルエンザも感染拡大させておいて弱毒化を待てば良いことになるが それが実際には行われないのは 弱毒化が期待できないからである
もし弱毒化が期待できるのであれば 閉鎖した密閉空間で大量の鳥類にインフルエンザを感染させておけば自動的自然に弱毒株ができることになるが 実際にはそれが「成功」する確証がないから実行されないのであり ウイルス弱毒化説には論理的には確証がないのである
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