自分以外の大多数と同じでないと不安になる
ヒトとは そういうものである
その不安には 実は根拠がない
同じヒトなんて本当はいないので 同じである必要性は何もない
「隣の芝生は蒼く見える」ものであり 他人は幸福そうに見えるものなのである
自分は幸福か?
原発事故帰還困難区域の酪農家と比べて自分は幸福なのか
家も息子も漁船も全て津波に流され たった一人で残された年老いた母親と比べて自分の方が不幸なのか
一族全員虐殺され 乳飲み子の妹を連れて逃げてきたロヒンギャの難民の娘と比べて 自分は恵まれていないのか
ナチス政権に反対してスイス山中で自決を余儀なくされた哲学者程の絶望が 本当に自分にはあるのか
ヒトは多数で同じ観念を共有しておけば安心する先天的習性がある
イジメというのは特定の標的を協調的に攻撃することで仲間意識を満足させられ 嗜虐性も満足させることができるので「楽しい」のである
多数で一人を攻撃することは卑劣であり とても悪趣味で非人道的な享楽だが 仲間同士で同じ観念を共有しておけば安心して楽しむことができる
その一時的な満足感のためにイジメは実行される
だが 残念ながら イジメというのは誰を標的にしても「楽しい」ので イジメ集団から仲間外れにされると自分が標的にされかねないので 誰彼構わずとにかくイジメ続けていなければならない
イジメ集団の内部には相互信頼関係など本当はなく その場限りの虚構の仲間意識を満足させることだけが「目的」となる
自分が被害者にならない最も簡単安易な方法は 自分が加害者に回ることである
自分から率先して酷いイジメをする者こそが 仲間内での高い順位序列を得られる競争が始まる
歯止めは効かない
誰も止めてはくれない
誰もが自分の生活で手一杯で 他人の行動のいちいちを全て把握することなど到底不可能である
児童相談所の職員も人員は限られている
優先順位が高いのは 乳幼児の虐待であって 学生のイジメの優先順位は決して高くはない
イジメをしている者というのは 暇なのである
本当に自分がやりたいことがわからないため 虚しい暇を仲間同士で悪趣味な享楽に溺れ それ以外の選択肢が何もないのだ
選ぶことができないという地獄
純粋に個人的な楽しみなんぞを持てば 仲間内からバカにされ イジメの標的にされるだけである
相互に仲間の個人的な楽しみをバカにされるので 誰も純粋に楽しめることを選べなくなる
そもそもイジメをするような者というのは 親から主体的選択を一切させてもらえない不満を 自分以外の他人にも八つ当たりする形でストレスを解消しようとしているのである
親本人には逆らえない
家庭内ヒエラルキーを受け入れている現実を 学級内でもヒエラルキーをでっち上げておくことで 自分だけが不理不尽な封建的独裁に服従している事実が正当化できると思っているのである
自分が抑圧されていることを正当化するために 他人を抑圧する快楽で補おうとしているのである
他人をイジメて抑圧しておけば 自分の方が優位に立ったような感覚が得られるが イジメをしているような奴のことを尊敬できるわけもなく 結局自己自身は肯定感が削がれるばかりである
親ガチャに大ハズレしている以上 イジメ以外には何の楽しみも感じられないので 逃げ場がないのである
「逃げられない」のはイジメられている被害者ではなく 本当は加害者の方である
自分が逃げ場所がないことを 他人に八つ当たりする形で「逃げたつもり」になっている
世の中には 本当はいろいろな楽しみがあるのだが 他人との比較競争でしか物事の価値を「感じ」られない者にとっては 他人の楽しみを奪うこと以外には何も「選ぶ」ことはできなくなっているのである
それはとても虚しい人生である
その虚しさを直視しないためには 他人を貶め続けることだけしか選択することができない地獄
自己肯定感の低い者が暴力的なイジメや差別に邁進するのは それ以外に何も選べないからである
大多数の衆愚の価値観を鵜呑みにし 他人との比較による優位性以外には何も感じられない虚しい人生を 自分ではどうすることもできない憐れな者が 他人を攻撃して 他人を従わせれば「自由」だと思っている
他人をどんなに暴力で服従させても 「他人を暴力で服従させている自分」以外は何も選べない
選択不可能とは 「自由ではない」という意味である
選べないものに自由はない
当たり前の話である
Ende;