書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

萱野 稔人(かやの としひと) 津田塾大学総合政策学部長

2022年04月09日 02時00分29秒 | 意識論関連

萱野 稔人はカントが「難しく」難解だというのだが 実際には論理的根拠をすっ飛ばした「悟性」だの「純粋統覚」だの「絶対に知覚することのできない叡智界」などというファンタジー妄想であって 論理的理解なんぞできるわけがないのである

つまり イマヌエル:カントは「難しい」のではなく 単に「理解不能」なだけに過ぎない

 


カントはヒトの性悪説に基づいているが 現実には自律的な社会的責任判断を行えるものと 行えないもの両方が存在しており その違いの原因を解明し より多くの人が自律的な社会的責任判断を行えるようにすることで社会安全性を高めることが可能となるのである

自律的な社会的責任判断を行うといっても その動機は「自分が安全で公平な社会を求めている」からであって利己的であると同時に社会的でもあり 決して社会的公益性だけを優先しているわけではなく 理性に基づいて統合的目的意識の有無が人間性や倫理として働くのである

カントは理性を批判し 代替として「悟性」だの「叡智界」といった実証不能の謎の観念を持ち出してくるバカであり 論理的根拠の甚だしい飛躍の存在を現状の「哲学者」達は全く自覚していない

 

「国家間で暴力が起きないようにすることが目的」

戦争という国家単位の殺し合いであろうとも テロリストや通り魔などの犯罪も ヘイトスピーチも学生のイジメも 主観的な好き嫌いが優先して合理性を欠いた差別が根源にあることに違いはなく 単に国家間の戦争だけをなくすことなどできず 戦争という重大事象の陰にある膨大な小さな事象を丹念に撲滅する必要性がある

 

 ◇

 

Nature:自然 本能的習性

「ヒトは先天的に邪悪である」

「自然の摂理が平和をもたらしている」

「自然の目的」などというものはない

○人間があらゆる地方で生活できるように配慮

○戦争によって人間をへき地にまで移動させ居住させた

○戦争によって人間が法的な状況に入らざるをえないようにした

実際には自然というものは過酷なものであり 決して常に安定的恒常性が保証されているようなものではなく 遺伝的進化の生物史の中では幾度もの大絶滅(破綻)が起きているのであり 「自然の摂理」や「自然の目的」任せにしておいて恒久平和になどならない

カントの時代には天体というものは永久不変の絶対的秩序が保たれているものだと錯覚されていたのであり 勘違いも甚だしい

 

 ◇

 

道徳

「誰がどんな状態でも従うべきもの」

「嘘をついてはいけない」

「内容ではなく 形式で考える」

内容:規則を守ること

形式:誰もが行うべきだと考えられること

「汝の主観的な原則が 普遍的な法則となることを 求める意志にしたがって行動せよ」

「誰もが行うべきだと考えられること」などというのは個人的なものであって 自律的な社会的責任を負わない者と そうでない者と同じにはならない

カントというのは性悪説に立脚していながら 「誰もが行うべきだと考えられること」などという根拠のない理想を基準にしており 意味がない

公開性によって「多くの人」の目にさらされることで公平性が担保されるというのだが

「多数」を基準にすれば少数派の権利は失われることになる

大多数がバカなら バカの論理が通用してしまうことになる危険性が避けられない

透明性や公開性は重要ではあるが それだけで正しい行動選択だけが促されるわけではない

大衆の多くは犯罪に対して 司法による刑法判決こそが唯一絶対的な「解決」だと錯覚し それ以上の社会制度への興味や関心は持たないが 社会安全性において最適なのは再発防止のための合理性ある徹底的な原因究明や周知徹底であり 「厳罰こそが解決だ」という衆愚の観念は社会安全性の向上に対する大きな阻害要因となっているのである

 

松永莉子パパが求めているのは「再発防止の優先」であって むしろ加害者とは「共に考えていきたい」と述べているのである

加害者の家に落書きやいたずら電話をするような「私刑」執行官共というのは利己的正義感を満足させることだけが目的であって 社会安全性や再発防止については何も興味がない無責任な者達である

オウム真理教の暴走のメカニズム過程を論理客観的に分析し 身勝手な妄想に基づいた暴力的最終解決に至る根源的原因まで究明していたのであれば プーチン政権の暴走も予防できた可能性もある

失敗から学ぶという謙虚さを持たずに 身勝手な「正義」ばかりを振り回しているからこそ 何度も同じような「失敗」を繰り返す羽目に陥るのである

刑法罰は大多数の大衆にとって「汝の主観的な原則」であり これこそが主観に混入している錯覚を自覚させなくさせる根源的原因である

 

フリードリヒ:ニーチェやイマヌエル:カントのみならず 養老孟司もマルクス:ガブリエルもマイケル:サンデルも 多数大衆の主観においては「哲学者」として扱われているのであり 生物学における遺伝的進化に対する「典型的な間違い」についても誰も本質的には理解していないのである

こういった「バカの論理」が通用しているのも 「多数」という数の論理に頼っているからであり だからこそヒトはバカが治らないのである

 

 

 

Ende;

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