動物というのは 恐怖に駆られると暴力を振るう性質が普遍的にある
これはヒトも例外ではない
弱肉強食の自然環境下においては 危険な状況においては暴力によって「解決」する方がその場における生存や配偶相手の独占などによって「繁殖の継続」においては有利に働くものであり 結果的に暴力性を持った個体種への収斂進化が促されることになる
凶暴性の高い変異個体と 凶暴性の低い個体とのどちらが過酷な自然環境下における弱肉強食で生き残れるのは後者である
生物は 別に「持続可能な生存」を目的として進化を選ぶことなどできず あくまで特定環境に適応する形での「繁殖の継続」が可能だった個体種への収斂進化の結果以上の何ももたらされることはない
イワシやネズミの大量繁殖能力は 個体が「生きるため」のものではなく 大量繁殖することで喰い尽くされずに「繁殖の継続」が出来ているという結果でしかなく 個体が「天敵に喰われたくない」という目的や都合とは無関係に逃げ足の遅い個体から淘汰されるだけである
遺伝的進化というものは 個体の都合や意図目的に則ってもたらされるものではなく あくまで結果的に「繁殖の継続」が出来ている現存生物種を「生物」と分類しているに過ぎない
生物や その遺伝的進化というものは チャールズ:ダーウィンの進化論に拠れば勝手に生ずる自然現象の結果であって そこに「目的」だの「戦略」だのといった個体の主体的選択可能性が介在する余地はない
生物は 遺伝的変異が起きやすい種と 起きにくい種がいる
変異が起きにくいように進化が促されたのは 変異が「繁殖の継続」において不利に働いた結果であり 変異が起きやすい個体種は環境との調和が採れずに生態系も含めた安定性や恒常性が得られなかった結果として 変異が起きにくい個体種への収斂進化が促された結果であり 別に個体やそれ以外の謎の何者か(?)の意図目的によって進化が促されたわけではない
ウイルスは生物学上は「生物」として分類できるかどうかはまだ明確な基準はないが 遺伝的進化のメカニズム自体は他の生物と同じものであり ウイルス以外の生物であっても所詮は「生息環境への寄生」に過ぎない以上はこうした分類には意味がない
ヒトコロナウイルスは変異が起きにくい性質があり ヒトに感染しても鼻風邪程度の軽い症状しか起きず 宿主のヒトを殺すことはほとんどなく ヒトの体内という生息環境に適応的進化をしている
こうした生息環境への適応進化というものは 過去に起きた淘汰圧力による大量死滅の結果であり 変異自体がランダムである以上「生息環境に適応しよう」などといった意図目的戦略に基づいて都合良く変異が生じたわけではなく 幾度もの大量死滅という「失敗」を重ねた挙げ句に偶発的に環境調和などの適応に「成功」した個体種への収斂進化が促されたに過ぎない
生息環境との調和による安定性や恒常性が得られなかった個体種の全てが絶滅した結果である
繁殖と淘汰圧力とのバランスによって個体数が安定せず 繁殖数が足りなければ単純に絶滅し 多すぎれば環境資源を喰い尽くして大量死滅をもたらしてしまうため 繁殖能力と淘汰圧力とのバランスが生息環境と調和できた個体種以外の全てが絶滅することで 生態系バランスに調和できた個体への収斂進化が促されたという結果である
ネズミがどんなに「喰われたくない」と思っても 繁殖した数の大半は天敵に喰われるという生態系環境下において生息数の恒常安定性が得られさえすれば「繁殖の継続」に適することになり 個体の都合は遺伝的進化には全く影響を及ぼすことはない
先天的な本能や欲望といったものは あくまで祖先の生息環境において「繁殖の継続」に適した行動バイアスとして組み込まれた結果であって 本能や欲望それ自体は個体や個人の選択可能性の範疇にはない
「欲望そのものを欲することはできない」のが原理であり 欲望のままに行動しても何一つ「自由」でも「意思」でもないのである
ヒトは塩分や糖質や脂質を過剰に摂取したがる習性があるが これは祖先の生息環境下において欠乏しがちな食物成分を積極的に摂る習性を持った個体種への収斂進化の結果である
ヒトはシーケンシャル(自動的)に生活習慣病に陥るように出来上がっているのであり 現代社会においてそれは欠陥として作用する
祖先の生息環境に適応した本能習性を持った個体種以外が全て死滅する収斂進化によって ヒトを含めた動物の先天的形質や行動習性は決定しており 決して個体や実証不能の謎の誰かや遺伝子に意図目的や戦略といったものが介在する余地はなく 本能習性や欲望というものはそれ自体を都合良く合理的に選択することなどできない
ヒトという種の生物における幼形成熟進化が促されたのは 年齢に関わらず見た目が幼い個体との配偶者選択をする本能的習性が働いた種への収斂進化の結果である
しかし 「見た目が幼い」個体を配偶対象としたがる習性は 実年齢とは関係なく それこそ繁殖能力すらない幼女に対してまで繁殖行動バイアスが働いてしまうこともある
「繁殖行動」とは言っても これはあくまで結果的に繁殖につながる行動が促されているに過ぎず 繁殖を目的とした合理性があるわけではない
幼形成熟進化というもの自体もまた 別に「見た目が幼い個体への進化をしよう」といった意図目的に基づいたものですらなく ただの結果に過ぎない
「繁栄」と称して個体数が生息環境資源を喰い尽くす程の異常繁殖によって絶滅への一途を辿っていることを正当化することはできない
「殖えりゃ良い」ってもんじゃねぇんだ 農作物じゃあるまいし
祖先の生息環境においては 一定数が部族間紛争や天敵に喰われるなどの淘汰圧力によって生息数が制限されていたが ヒトは現代文明を築くことによって自然界における淘汰圧力を逃れてしまい 結果的に生態系との調和を崩す結果になっているのである
とは言っても 現代文明自体の全てが問題なわけではなく むしろ合理性のない先天的な本能習性や繁殖能力が現代社会に適応できていないことが問題なのである
ヒトという種の生物の先天的本能習性が現代文明社会に適応できないのは 誰のせいでもなく あくまで「結果」である
生活習慣病に陥りやすいのも 幼女強姦が起きるのも 温室効果ガスを過剰排出してしまっているのも 戦争や銃乱射事件などの殺し合いがなくならないのも あくまでヒトの先天的本能習性が根本原因であり 「欲してもいない欲望」に踊らされることによってヒトは自滅への行動バイアスを促されてしまっているのである
だが ヒトは純粋な好奇心によって「本当のこと(真理)」を知りたいという知的欲求もあり これによって脳内麻薬を自給自足することによって無駄な欲望に踊らされることなく合理的な行動選択をすること「も」できるようになる
しかし 先天的な社会形成習性によって多数他人との同調迎合忖度や比較競争にばかり意識を奪われることにによって ヒトは簡単にバカに「も」なる
イマヌエル:カントの言うような理性を超越した悟性による実証不能の謎の「叡智界」だの マルティン:ハイデガーの言うような主観に過ぎぬ「先駆的良心」といったものを鵜呑みにし 論理客観的な根拠に基づいた検証をしないから人類はバカが治らず 未だに殺し合いなどというバカ丸出しな行動を止めることができないのである
ヒトは多数派でありさえすれば「正常」だと思い込み 少数異端であれば短絡的に「異常」だというレッテル貼りをして思考停止に陥る習性があり 権威を批判することは衆愚の「良心」に基づけば罪悪だからこそ ヒトは批判精神を簡単に喪失するのである
「滅私奉公」という言葉があるが なにがしかに対して忠誠忠実に服従することに対する美徳(主観)を感じる習性があるのも ヒトの先天的な「社会性(社会形成習性)」として組み込まれたものであって こうした習性こそが独裁的な腐敗組織体制を作り出す盲目性の大きな要因ともなっているのである
盲目であれば真実は見えない
見ようとしないから盲目なのであって 見ようとする主体的な「意思」があれば盲目から脱することは可能である
見ようとする「自己(私)」を滅しているからこそ 自律的な社会的責任判断選択もしなくなるのである
Ende;