書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

意識のないバカでは知能は働かない

2019年08月28日 23時23分01秒 | 意識論関連

ビル・ゲイツは別に天才ではないけどな

IQ基準というのも結局は学力偏差値と一緒で 認知科学的な知能の論拠にはならない

特定能力が高くても 例えば計算能力であれば機械の方が圧倒的に高いのであって それが「人間としての知能」の論証には何ら該当しない

どんなに学力偏差値が高くても 誰も気づかない発見や発明や指摘ができなければ本質的な知能の論証にはならない

オイラは中学2年の時の幾何数学だけは何の予習復習もしてないのに異常に成績が良かったが それ以外は全部苦手だったな

 

「君は一人じゃない」という話は嫌いだな 誰もが世界で一人なのに 何で他の人と共通点を持たなければならないのかと言えば 主観的感覚としての孤独感が作り出す錯覚に過ぎない

誰もが死ぬときゃ一人なんだよ

人生の最後に最も求めるものとは何かといえば 安心して死ねる社会への希望だけである

何の希望も持てない殺し合いや潰し合いや奪い合いの社会では 何を「勝ち取って」も意味がない

人は何かを競うことを目的にする必要はないのだが 先天的な順位序列への意識(無意識な行動バイアス)が無駄なチキンレースへの強迫観念を生み出しているに過ぎない

その競争には勝者はいないのだが 競争の全てには勝者がいるはずだという錯覚妄想によって ありもしない勝利へと突き動かされているだけなのである

 

ヒトの多くは他人との比較にばかり執着する習性があり 何が何でも他人よりも何かが優れていなければならないかのような強迫観念に苛(さいな)まされているが こうした他人との比較に依存した価値観というのは環境依存であって本質的には主体性がないため 自律的な判断力が働かなくなる性質がある

文化だの社会だのと称して環境依存性を主張したがる時点で本質的主体性の欠如を事後正当化することで認知的不協和を解消したつもりになっているのだけなのである

人間性の本質というのは 「自律的な社会的責任判断選択」が絶対条件であり 自律というのは環境依存性からの脱却なくしてあり得ないものである

アルベルト:アインシュタインが相対性理論を書いたのは 大学での職を得られず特許局勤めをしていた時期であり 社会環境だの文化だのに依存しないことこそが本質的な人間としての知能なのである

東電社内における「文化」だの「体質」だのといった環境に迎合したからこそ 原発の津波に対する脆弱性は放置されたのであって 文化だの社会だのといった環境なくして何も出来ないかのように言い出すダニエル:デネットのように自分からは何も気づかないバカの発想というのは 自身の頭の悪さを事後正当化するための言い訳言い逃れ取り繕いはぐらかしに過ぎない

誰からも教えられていない事柄に気付くためには 環境に依存しない自発的発想が必要不可欠であり 文明だの環境だのに依存しなければ何も気付くことが出来ないデクノボウには どう逆立ちしても不可能なのである

 

Ende;

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