書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○名称未設定。

2018年10月15日 13時01分23秒 | 写真

荒川ロックゲートのすぐ下流側の堤の上から砂町方面


見ての通りに荒川ロックゲートの貼り紙


近所に咲いてた花 淡い色が素敵

 ◇追記:ホソバアキノノゲシらしい



Ende;
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○AI。

2018年10月14日 22時13分02秒 | 意識論関連
AIの怖いところは AIというのは与えられた命題について有効な答えは出せるのだが その「有効な答え」というのはあくまでも「与えられた命題」についてしかAIは答えを出していないという点にある

例えば AIに「日大アメフト部が試合での成績を上げるためにはどうしたら良いのか」という命題について出してきた答えというものは 「成績を上げる」という目的のために有効な答えは出してくるのかも知れないが それ以外のファクター要素についてAIは一切「考え」てはいないということである

AIが導き出した答えに則って行動を実行した場合に「成績は上がったが犯罪者は増えた」のでは話にならない

だがAIからしてみれば「聞かれたことには最善の答えを出したが、聞かれていない要素については聞かれていないので答えようがない。」のである

これは日大アメフト部内田正人元監督が「勝ちゃ良いんだろマシン。」に陥ったのと同じようなものです

AIというのは所詮は機械なので 与えた命題以外にまで考慮するという人間性は特に組み込まれていないのです

何を目的として優先的に答えを導き出すべきなのかは AI自身は自ら自律的に責任を持つ構造がない

人間としての本質的意識を持たない無責任なアメフト監督や 機械に過ぎないAIというのは与えられた命題以外を一切考慮に入れない「それだけやっときゃ良いんだろマシン」としてしか機能しないということです

もし 利己的利益だけを追求するために超高性能量子コンピューター上のAIを用いて金融取引をさせた場合には 富の独占をさらに暴走させることにもなり得る

ですから超高性能AIには 社会持続可能性と安全性にとって最も有効な答えを導き出し 金融政策などに反映させることが必要になるでしょう

AIなんてのは所詮機械でバカに過ぎませんから 「バカとハサミは使いよう」なので使い道については人間性を追求する必要がある バカは暴走しかしませんから ブレーキは「人間」がかけないといけない



また AIは錯覚を再現させることも可能なのだそうなので ヒトの多数派同調性や迎合性も再現されている可能性が非常に高い

実際 優生学に対する論理反証については 少数異端であるという判断をするだけで科学論理的に正しいかどうかを理解判断することは出来ず 恐らく同時に養老孟司や多くの生物学者や哲学者の言っている内容が論理的根拠に基づいた有効な理論ではないことも認識は出来ない



 ◇追記:

命題に対する暴走という点においては 経済学における「株主の利益を最大に」という話も暴走に過ぎない

株主の利益を最大にすることだけを目的に暴走していれば 従業員が自殺しようと環境破壊になろうと「知ったこっちゃない」ということになる

本来経済というのは「世を経って民を救済する」のが目的であって 株主の利益だけのためにあるわけではない

自然淘汰の構造原理を経済に持ち込むのがそもそもの間違いであり 遺伝的進化というのはバカ丸出しで同じことだけを繰り返し 膨大な屍の上に成り立つ淘汰圧力の結果でしかない

アダム:スミスの言う「見えざる神の手」などというものは理論的にも存在しないのである

もし存在しているとしても その「神」というのは株主にとってだけの「神」であって 人類全体にとっては「神」でも何でもない「無能の神」でしかあるまい

教えられた内容の中で一体何が間違いなのかを自律的に判別出来ないバカが どんなに大量の知識をひけらかして自慢しても それは「誰からも教えられていないことに気付く」能力とは全く別次元なのである



Ende;
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○荒川ロックゲート屋上一般開放

2018年10月14日 15時42分52秒 | 日記
荒川ロックゲートって日中屋上を一般開放していた

 8:45〜16:30まで閘室解放されています

このリンク先のタイトルでは「閘室解放」ってあるんだけど

オイラが現地で見たのは「屋上の一般開放」だった

丁度通りかかった時間が終了時間だったので登ってないんだけど

今度暇な時に登って写真撮ってこようかなと思っているよ

東の方角が開けているので満月撮るのにも良さそう

今月の満月は10月24日(水曜日) 前日の23日前後が狙い目かな

23日の日の入りが4時56分で 月の出が4時29分

あ ダメだ閉められちゃう orz…

11月22日の月の出が4時8分 こっちならギリなんとかなりそうだけど

船堀タワーも無料開放されてはいるんだけど 一眼禁止なのよね

あとは若洲海浜公園とか

行ったこたないけどテレコムセンター展望台

もっと近所に良いとこないかなぁ



Ende;
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○メモ34。

2018年10月14日 14時05分15秒 | 日記
メモ34

普通一般的な店舗の多くは店内写真撮影禁止な場合が多いと思うんだけど

百円均一のダイソーは撮影OKだった

多分一円単位の価格競走にはならないことと 「インスタバエ」を期待してのことだろうと思う

他の百円均一もやっぱ撮影OKなのかな?

たまにレジの女子がかわいいことがあるんだけど

それは多分撮影NGだと思う

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

オオスカシバっていうスズメガの一種を時折見るんだけど

昆虫にしては巨大なのと 透明な羽を蜂みたいに動かして飛ぶので一瞬ビビる

通りすがりの小学生の女子が恐る恐る近付いて行ったら

彼女を一周ぐるりと回って遠くへ逃げていった

どうやら天敵の視界を撹乱する習性があるらしい

見失った女子はビビっておったが

噛まれたり刺されたりすることはないので大丈夫

不思議とオイラが触っても逃げなかった

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

チリ産のレモン買ったら「防ばい剤:TBZ、イマザリル、フルジオキソニル」だとか書いてあった

ググってみたら殺菌防カビ剤のことらしい

TBZはチアベンダゾールの略だとか

エニルコナゾール(Enilconazole)はイミダゾール系防かび剤の一つ。ヤンセン社の商品名がイマザリル(Imazalil)

フルジオキソニルってのは殺菌剤としては新しいので毒性がまだハッキリしないらしい

厚生労働省によれば奇形を促す性質とか人体への蓄積は今のところ認められないそうな

基本的には収穫後に使われるものらしいので皮を剥けば影響はないらしい

 古塩木曽煮る

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

「がんばろう日本」っていうフレーズを良く見るんだけど

心が折れかかっている欝病の人に「がんばろう」ってのは症状を悪化させるだけなので

「そんなに頑張らないで助け合おう日本」にして欲しい

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

ウヒャー Yahoo!検索が開かなくなったー (10月9日)

逆にGoogleは開いた なんだこれ

昔Gmailのアカウント取ったことがあったような気がするんだけど もう全部忘れちゃったよ

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

ニューコンミートって昔ゃ100円くらいで売ってたんだけど

最近200円近くするので手が出しづらい

たまにゃ贅沢しようかな

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

大塚製薬 ボディメンテのCMにキムタクの娘さんが出ているそうな



おあ 何だろう キムタクの娘さんは文字化けしとるのか?



「Kōki,」いやまさか名前にセミコロン(;)入れないだろうw

ググってみたら「Koki,」だった

末尾のカンマ(,)は本当だった 「ō」部分が化けたらしい

「o」って化けんのか?

他は化けてないから 謎の文字コードが使われているらしい

ってな風にいじられることを前提に謎の文字コードを使っているのだとしたら所属事務所は狡猾だな

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

田辺誠一って絵がうまい


「犬種がわかったら教えて」って わかるかぁ!  そんな犬おるかぁ!

こいつ絶対わざと言ってるぞ

あざといわー

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

築地市場の解体に伴ってネズミが拡散するのを軽減するために事前から捕獲を行っているそうなんだが

既に1700匹も捕れているそうで

まだ数千匹から一万匹はいる可能性があるという

場外市場でも既に被害が拡がり始めているとか

一番恐いのは屋内電気配線をかじられて出火する危険だという

壁の中に電線隠しているからかじられてもわからないので

配電盤から室内側に配線を設置し直してもらえば安全性が高まるんじゃないかな

若干見映えは悪くなるけど 出火しちまったら見映えもへったくれもないからねぇ

野良猫ちゃん達を築地に大量召喚するとか出来ないのかしら あ でも変な病気になったらかわいそうだな

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

GoogleがSIMフリースマホ出すっつうからググってみたら13万円だとか

………

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

一時期女子の水着って露出が減る傾向があったけど

最近またグラビアアイドルみたいに股上の短いビキニが流行っているらしい


これは藤田にこるんかな

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

珍しくソユーズが打ち上げ失敗

二人の乗員は脱出に成功 無事救出された

とは言うもののISSに向かえる唯一の手段でトラブルが起きたため原因究明されるまで凍結されることに

確かISS(宇宙ステーション)には脱出用ソユーズはドッキングされていたと思う

今いるISSのクルーは帰ってこれるらしい

ソユーズは技術者が高齢化していて若い技術者が育っていないという話も出ているそうな

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

NHKの坂本沙織アナウンサーって元アイドルだったそうな

で ググってみたら卓球選手にも坂本沙織って娘がおって ちょっとかわいい

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

そろそろ来年のカレンダー

 ちびむすカレンダー

欲しいカレンダーをダウンロードしてコンビニで出力すると100均よか廉価

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

海洋プラスチック汚染を調査している企業さんがあって

海浜から採取したプラスチックゴミのうち最も多かったのは

人工芝のちぎれた破片で調査したサンプルの23%を占めていたという

次に多かったのは農業用の肥料カプセルだとか

問題にされていたストローは検出されなかったという

一般社団法人ピリカ

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

志布志市にある志布志市役所志布志支所

さすがだな デイリーポータルZ

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

TBS「ニュースキャスター」ではビートたけしはフリージャーナリストっていう肩書になってた

ジャーナリストか? ビートたけしって

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

スバルのコンパニオンちゃんがレベル高かったらしい



左側の娘は小笠原美穂っていうらしい

 ◇追記:小笠原くんってヘソピアス開けているのかしら

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

2年ほど前にソニーの廉価なヘッドフォン買ってみたんだけど

 以前の記事

最近パッドの革(ビニール?)が破けて中のスポンジが丸出しになってしまった

確か2000円くらいだったので2年もてば充分ではあるんだけど

何か補修出来ないものかしら

音には何の問題もないので 棄てるにもったいない

パッド補修用のシールみたいの商品化したらいろいろ応用も効きそうではある

破けた写真は汚らしいので載せないよ



Ende;
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○イタいヒト達。

2018年10月12日 14時09分38秒 | 意識論関連
無意識が促す「うっかり」行動というのは 意識的に「こうしよう」って考える前に身体が勝手に動いてしまうことで起きる現象なわけよ

だから脳内に「意識を介さずに先に手が出たりするショートカット回路」があっても そんなに不思議なことじゃない

昔 「十回クイズ」ってのがあったじゃん 「みりん」って十回言わせておいてから「鼻の長い動物は?」って問うやつ

「みりん」って十回言わされたことで 反射的に何か関連があんじゃねぇのかと錯覚させることで「キリン」ってうっかり言わされちゃうわけよ

これも脳内における言語関係のショートカット回路が関係しているんだと思うよ

言語機能ってのはパソコンで言えばI/O(入出力回路)みたいなものなので 日常的に習熟している「手を動かす」的な行動と似たようなものなので こうしたうっかりが発生する

論理的に物事を考える時には言語が必要だと「思われ」ているんだけど 実は何かに気付く時っていうのは先に言語があるわけではない

「あれ、何かおかしくね?」という感覚的違和感が先に来て その後から言語で論理的に説明することが出来るようになる

物事に気付くことに馴れてない場合 この感覚って多分わかんないんじゃないかな

「ヒトの99.8%は戦争をしていない、このことに気づけば戦争はなくなる。」なんて話を聞いて鵜呑みに出来るのは 十回クイズで「キリン」と反射的に答えているのと同じようなものなのね

そこに自発的論理検証は介在していなくて 「京都大学学長という権威が言っていることは常に正しいはずだ」という脳内のショートカット回路によって 自発的論理検証性がスルーされちゃう

スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験において 被験者が権威の命令に無為に服従して他人に危害を加えてしまうのも 脳内にこうした無意識ショートカット回路があるからだと言える

ユダヤ人の大量虐殺計画を立案しても それが自分の住む社会にとって莫大な害を及ぼすとしても 身体の方にはその害を感じる「味覚」のような本能的に拒絶反応を促す感覚器がないもんだから 「俺の身体は痛くねぇ。」とばかりに平気で むしろ率先してユダヤ人殺害計画に邁進する

ナチス政権下においてはユダヤ人を淘汰することは正義だったからね



自律のない者の場合 無責任な行動を多数派から咎(とが)められるまでは自律的に自分の行動を反省することがない

マスコミやネット上などで世間の多数派にバッシングされてから 初めて「取り返しのつかないことをしてしまいました、反省しています。」では遅いのよね その場限りには反省したような気分にはなっているものの本当は気分観念的なものでしかないので治りはしない

多数派から咎められることで初めて恐怖を「感じる」ようになるから それで気分観念的に反省をしているだけであって 自律のないバカは実は多数派からのバッシングが収まれば平気でまた同じような悪いことをするようになる

「怖いことや痛いこと」=「悪いこと」っていう無意識条件反射だけが判断基準なもんだから 自律がない

感覚的に「嫌」だと感じないことは平気で実行出来る だからヘイトスピーチ

ユダヤ人殺害計画と一緒



 ◇追記:

例えばさ

机の上にあるものを持ち上げようとした場合にね

机の上に手を伸ばし始める段階では意識は特に必要なくてさ

机の上に手を伸ばしてから「持つ」っていう意識が働いてもおかしくはないわけさ

それなら意識する前に手を動かそうとする電位が発生しても不思議はない

机の上に手を伸ばすまでは特に意識が働かなくてもいいので無意識的条件反射で動いても不思議はない

机の上の「何を取るのか」を意識するまでの動作には意識は特に必要ないわけよ

だったら「机の上に手を伸ばす」段階というのは日常的に習熟しているので無意識条件反射で動き始めても不思議はない

身体動作というのは習熟することによって 意識的に選択しなければならない段階までは意識は働かないことがあっても不思議ではないのよ

「意識する前に手が動いた」という現象だけを根拠に「自由意思などない」などと決め付けるのは短絡的過ぎて科学でも何でもないからね





Ende;
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○臨界暴走。

2018年10月12日 11時40分12秒 | 意識論関連
家を留守にする時に鍵をかける 余程犯罪の少ない地域でなければ普通はそうだろう

家に鍵をかけるという動作は日常的に習熟しているので 玄関を出たら反射的にかけていることが多い

そのため 外出した先で「あれ? 家の鍵締めたかな…」と思い出せないことが時折ある

習熟した動作というのは意識的に「こうしよう」などと考えなくても動作が生じているものなのである

意識の上にないことは ほとんど記憶に残らないからだ



歩くという動作は 十数年程前まではロボットにやらせるのは至難の技だった 今でこそ当たり前のように2脚歩行ロボットが増えたものの やっぱり価格は高いのでPepperのような陳腐なロボットでは採用出来ないらしい

それはさておき

ヒトが歩く時に たくさんある足のどの筋肉を どの程度動かせば倒れずに前に進むことが出来るのかをいちいち意識しながら歩いているわけではない

「歩く」などという極めて複雑な動作であっても 習熟することによって無意識に行うことは可能なのである

意識をスルーして無意識に動作を行う仕組みが出来ているからである

そのため ヒトは「スマホを操作しながら歩く」という芸当も可能なのである ダメだけどね

こうした仕組みというのは いわばAIの機械学習そのものだと言える

AIは論理的に物事を考えてなどいない にも関わらず反射的に答を導き出すことが出来る

それは 反復学習をすることで 正解に最も近いものを反射的無意識に導き出しているからである

そういえば 最近の研究ではAIで錯覚を再現させた実験があるのだが AIなどの機械学習であるからこそ錯覚というのが生じてくる証拠だと言える

無意識な機械学習による反射的動作や感覚だからこそ 錯覚が生ずるのである

紙に印刷された図像を見て 動いているかのような錯覚が生じても 大抵のヒトは「本当に紙に印刷された図像が動いている。」という認識はしないだろう

紙に印刷されたものは動くことはないことを知識として知っている上に 視点の移動と図像の動きに連動のようなものが認識出来ることもあって これは錯覚だと何とか理解できるものである

錯覚を錯覚だと認識できるのは 意識的に頭の中で論理的に判断しているからである

たとえ論理的に判断しても 錯覚それ自体は消えずに 動いて見える図像ならどんなに凝視しても動いて見えてしまうものでもある



「親しく付き合いのある人なら 自分を騙したりはしないだろう。」という感覚的な信頼感は 大抵の人が抱く観念だが

嘘つきというのは むしろこうした感覚的な信頼感を利用して相手を騙すのである

しかし こうした「感覚」というものは視覚による錯視図像認識とは異なり 感情気分が促す心理的バイアスの方が正しいものであるという「知識の間違いが常識になっている」こともあり 多くの人は論理的に検証することなく感覚の方を信じ込んでしまうのである



安心感というのは あくまで主観的な感覚であって 客観的な論理的証明にはならないのだが ヒトの多くはこうした感覚が促す気分感情を短絡的に意識の本質だと「思って」いるのである

「ヒトの99.8%は戦争をしていない、そのことに気付けば戦争はなくなる。」という山際の話を聞いて 大衆マスコミの大多数は盲目的に信じ込み 誰も論理的に検証することなく鵜呑みにする

「京都大学学長」という肩書さえあれば ヒトは「権威」と見なして盲目的に信頼してしまうためである

いやもう この時点で一種の「公開アイヒマン実験」とも言える状態だと言える

「どれだけ大衆の多くが権威と見なした相手の言っている内容を鵜呑みに出来るのか。」 その公開実験みたいなものである

京都大学の学長というのは 何となくノーベル賞受賞者のような有能な科学者の多数決みたいなもので決定しているものだと思ってしまうのだが どうもそうではなくて 一種の「政治」みたいなもので決定しているらしいのだ

ノーベル賞受賞者達の多くは自分の研究で頭がいっぱいで 学内の政治とか権力闘争みたいなものには関心もなく 関わっていないようである

生物学者の大半は 進化的に獲得した性質の全ては目的のために意識的に「進化した」などという言い回しを平気でするが これが根本的に科学理論的には大嘘だということは彼らも大衆マスコミも誰も認識していない

哲学者に至っては クソの役にも立たない観念的決め付けを鵜呑みにして誰も論理検証などせず 単なる主観的な好き嫌いだけで「素晴らしい」だの「カッコイイ」だのという基準だけで 社会的には意味のないお伽話を並べているだけで 社会安全性や持続可能性にとって有効な話は全く出てこない

従って生物学者達や哲学者達によって学内政治が牛耳られていれば山際寿一のようなオカルト生物学者が京大学長に就任することもあるのだ

日本というのは年功序列という努力辛抱根性的精神論による評価が「好き」なので 実際には何の業績がなくとも長年勤めてさえいれば養老孟司が名誉教授という肩書を得ることも可能なのである



多数の学力偏差値の高い学生達であっても 彼らは就職にとって有利になるために学位学歴が欲しくて大学に行っているだけなので 教授達の言っている内容が科学論理的に間違っていようが関心はない

むしろ 生物学の間違いを鵜呑みにして 教わったことを教わった通りに覚えるバカでないと 生物学者として承認されることがないため 生物学というのはオカルト観念が一向に治らないというスパイラルにも陥っている



「感覚」という無意識が促すものの大半は 日常生活において便利ではあるのだが 時折うっかり「飲んではいけないものを口に含んでしまう」ような失敗をすることもある

口に含んだ瞬間に味が異常であることから本能的に飲み込むことを避けることも出来るのだが

先天的な権威服従性に関しては こうした拒絶反応はあまり働くことはなく 簡単に猛毒でも鵜呑みにしてしまう性質がある

スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験 通称「アイヒマン実験」の内容を読んだ一般人の感想の中に 「それでも、権威に服従しない社会は崩壊する。」などという結論で終わっているものがあった

あのね アイヒマン実験っていうのはね 権威の命令に盲目的に服従していると重大な過失に加担してしまうことがあるから ちゃんと自分自身で権威がマトモなのかを自律的に検証しないと危ないよって話なのよ

ところが大衆観念的には 権威に服従していることが気分(感覚)的に安心であるため 感覚的な「安心」が優先して「権威に服従しない社会は崩壊する。」なんていう訳のわからぬ身勝手な決め付けが結論になってしまう



気分感情が促す感覚こそが意識の本質だという錯覚は 気分感情の程度強度によって意識が支配されてしまっているのが原因で これは先天的な欠陥なので意識的(論理検証的)に修正しないと錯覚が促す間違った行動選択は治らない

ヒトという種の生物は 別に人間としての行動を促すように先天的に出来上がっているわけではないのよ

遺伝的な進化というものは あくまで淘汰圧力の結果に過ぎないので 人間性だけが先天的に残される構造があるわけではなく 暴力的殺人者達による虐殺が進化の過程で絶対に存在しない証明なんて出来ないでしょ だって未だにあるんだから

遺伝的な進化というものは 結果的に死ななかった個体種の性質に残された性質によって より死なない傾向は組み込まれており 生存にとって有利な性質は非常に高度に進化しているものの だからといって意識的(論理検証的)な目的行動選択までもが進化の過程で組み込まれているわけではない

理性というものは それが生存にとって有利に働くために進化的に発達したとは言えるのだが これは個体の生存にとって有利に働くようにはなっているとは言えるが 人間性を発揮するために有利に働くようにはなる進化過程の力学だけが働く保障なぞないのである

振り込め詐欺師が他人を騙すことも 「生存にとっては有利な行動」ではある しかし こうした利己的行動こそが個体の生存価にとって有利に働くことからも 進化的に人間性だけが先天的に残る科学論理的証明は不可能である

リチャード:ドーキンスによる「利己的な遺伝子」のようなお伽話を信じて ヒトには先天的に人間性が組み込まれた優秀なものであると思っておけば 何も考えなくとも誰もが自動的に人間性を発揮できると勝手に勘違い錯覚して気分的に安心満足することで その感覚が促す錯覚を錯覚として認識しないようにもなるのである

脳のバカな性質が バカを加速度的に臨界状態に陥らせる性質が 先天的にヒトの脳にはあるのだ

この事実を認識し 「感覚が促す観念」と「自発的に検証する理性」との分別をキチンとつけておけば 多数派や権威に無意識に流されることなく 自律的に物事を判断することもできるようになるのである

あらゆる「人災」を避けるための これが最も根源的な対策なのである



Ende;
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○おっとっとっと(ズ…)。

2018年10月11日 23時27分51秒 | 意識論関連
アメリカの生理学者ベンジャミン・リベット(1916 – 2007)は、われわれがとある動作をしようとする「意識的な意思決定」以前に、「準備電位(Rediness Potential)」と呼ばれる 無意識的な電気信号が立ち上がるのを、脳科学的実験により確認



手を動かそうと意識する前に脳から手を動かそうとする電気信号が生じている

この現象だけを根拠に「自由意思などない」などと短絡的に決め付けるのは乱暴な論理的飛躍である

「手を動かす」という動作は 日常的に習熟した動作であるため 意識的に動かそうとする直前に反射的に脳が先回りして手を動かす信号を送り出していると考えられる

しかし こうした日常的に習熟した動作だけでは「自由意思などない」ことの論証には全くならない

「手を動かす」という動作は 日常的に習熟しているが故に機械条件反射的無意識に動作していても 概ね問題がないのだが 時折「うっかり」間違った行動を引き起こす原因となることもある

「ねとらぼ」で最近読んだ記事に 漫画家が墨汁をインク容器に必要量を移すために注いでいたところ 容器の口いっぱいまで墨汁を注いでしまった際に うっかり口ですすってしまったというトピックがあった

ヒトが液体を取り扱う時の大半は飲み物であることであるため こうした間違い行動が反射的無意識に生じてしまうのであろう

こうした「うっかり」行動というのは 日常意識的に物事を判断選択を必要としない行動において生ずるのである

スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験において 権威の命令に服従することが優先して自律的に行動選択をすることが難しいことも 普段日常的には権威の命令を疑う場面が非常に稀であるためだ

あらゆる行動の全てが無意識的条件反射であるならば ヒトは自律的な社会的責任判断力など存在していないことになるわけで それなら刑事責任能力など最初から誰にも存在していないことになってしまう

そんなバカげた話があるわけなかろう

原発が暴走した「人災」までをも「無意識だから仕方ない」などと言い出したら脳が壊れているとしか言いようがない

ヒトの多くがバカで サンデルだの養老だの山際に洗脳されて言っている内容に意味がないことすら気付かないとしても それを論拠に「全てのヒトは無意識条件反射的に行動しているだけで、自由意思など存在しない。」ことの科学論理的証明には全くならない それこそ科学哲学者カール:ライムンド:ポパーの言う「白いスワン」の例え話を挙げる必要性があろう

ポパーの言う「白いスワン」の例え話とは どんなにたくさんの白いスワンを集めてきても「この世のスワンの全ては白い」ことの科学的証明には全くならないという話である

この世の無意識なバカをどんなに大量に抽出サンプリングしてきても この世のヒトの全てが無意識なバカであることの論理科学的証明には全くならない

何にも気づくことの出来ないバカが圧倒的多数派だとしても 多数派であることが短絡的に「人間として正常」であることの論証にも全くならない

そして どんなに大量の無意識なバカを大量に抽出サンプリングしてきても バカが絶対に治らないことの論証にもならない

「ヒトには自由意思などない」などという科学的根拠のない勝手な決め付けを鵜呑みにしているバカが圧倒的に多いからこそ 様々な「人災」に対する合理的で有効な対策が遅々として進まないのである



-ねとらぼ



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○オチ。

2018年10月10日 23時27分56秒 | 意識論関連
養老孟司の言っている内容がオカルトだっていう件なんだけど

最近の若い人は養老孟司自体ほとんど知らなくて「東大で教授やってた」程度の認識しかないらしい

養老の著作って昭和脳なバカヲヤヂ共には人気があって 本気で意味があると思われていたのよ

昭和世代が「養老孟司を読め」とか言い出したら そいつ頭おかしいから注意してね

時折「何でも良いから本を読め」だとか言い出す昭和脳もいるんだけど

知識の「量」ばっか追求して「知能だ」とか思っているからそんなこと言い出すのよね

そ う い う こ と で は な い か ら ね

「これさえやっときゃ頭が良くなる」的な短絡安易な発想自体がバカの発想なので

疑うことも論理的に検証する気持ちもないバカの言うこと信じても同じバカになるのがオチです



Ende;
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○欠陥。

2018年10月10日 15時41分10秒 | 意識論関連
ヒトという種の生物は 物事を論理的に検証することが先天的に嫌う習性があります

なぜ嫌うのかというと それが主観的な好き嫌いとの相性が悪いからです

NHK解説委員の室山哲也が「人類は絶対に絶滅します。」などという科学的論証のない勝手な決め付けを行うのは それによって論理的思考を停止させることで主観的な感覚にとって満足感が得られるからです

養老がむやみやたらと勝手な決め付けをするのも それが気分的に満足感や安心感を与えてしまうことによって 読者も気分的に安心感を得て その安心感によって簡単に洗脳されてしまうことで人気が得られ 金儲けが出来たからです

学力や学歴を短絡的に「頭が良い」ことの論理証明か何かと勘違いするのも 「多数派がそう思っているから」安心して鵜呑みに出来るわけです

養老の論法には「安心して同じを追求すれば良い」という気分的安心を論拠にした結論が出てきます これは読者が気分的に安心さえすれば安全性か何かと勘違い錯覚してくれるという ヒトの普遍的習性を利用したペテンの手口の一つです

ヒトという種の生物は 気分的に安心したり満足すると 短絡的に論理検証を停止する習性があります

振り込め詐欺も実は同じ手法を用いているのです

振り込め詐欺では 一度「犯罪になる」だとか「還付が受けられなくなる」などと言って被害者を怖がらせ その後「お金さえ振り込めば大丈夫」という安心感を提供することによって被害者を誘導する

養老の著作においても似たような論法があり 社会的に問題になっている話題を取り上げてから どうにも理解不能な訳のわからぬ屁理屈で思考を撹乱した後 「これさえやっときゃ大丈夫」であるかのような結論で読者を気分的に安心させ 内容が実際には「何も言ってない」ことを誰も論理的に検証しないようにさせているわけです

「脳は同じを追求する。」という件では 本能習性としての多数派同調性が促す共感や共鳴という観念的な習性と 論理的な安全性の知識共有をゴチャマゼにすることで あたかも「気分的な共感共鳴さえしておけば大丈夫なんだ」という錯覚を促します

集団的にヘイトスピーチとかやっているバカ共って もしかしたら養老に洗脳されているのかも知れません

脳というのは 本能習性が促す気分感情による行動バイアスと 自発的な論理検証に基づいた目的意識的な行動選択の二つがあります

前者は無意識であり 後者が人間としての本質的な意識です

前者は進化の過程で残された「結果」であって 後者は人間としての「目的」の源です

ヒトの大半は 気分感情が促す行動バイアスこそが本質的な意識であると 何となく錯覚しています それは気分感情というものが「実感」という感覚的な強度や程度を持っているからですが これこそがむしろ無意識な条件反射的なバイアスに過ぎないことの証明でもあるのです

ヒトは条件反射的行動バイアスによって 振り込め詐欺師の誘導に簡単に引っ掛かってしまいます

ちょっと冷静に考えれば嘘だと見抜くことが可能であるにも関わらず 反射的に無意識に感情が促す強度程度に引きずられる形で詐欺師の言っていることに疑いを持たなくなるのです

気分的な安心感を安全性の論証か何かだと錯覚することで 本当は安全性にとって重要な論理検証能力が麻痺させられてしまうのです

マイケル:サンデルに答の出しようもない制限だらけの問題を提示され 本来答なんぞ出しようもないことは明らかなのに その問題に対して気分的に「悩ましい」気分になったことを あたかも論理的に「考えた」考えたかのように錯覚し 更には「自分は頭を使ったので、頭が良くなった。」かのように錯覚して 「自分の頭を良くしてくれたサンデル先生は素晴らしい」などと思い込み その主観的感覚に過ぎない「素晴らしい」という感想を根拠に「好き」になり その主観的「好き」によって疑うことを一切しなくなる

サンデルが「倫理だ正義だ」と言ってさえいれば 本当はその話の中には倫理も正義も存在していないことには誰も気付くことはありません

ヒトは好きな人が言っている内容を安心して信じたい習性があり 逆に嫌いな人が言っている内容はどんなに論理的根拠が伴っても信じようとはしない傾向性があるのです

洗脳されたカルト教団教徒が教団内部の話しか耳を貸さなくなるのと一緒です

ですから 振り込め詐欺師というのは 言葉巧みに「好きになってもらう」ことで詐欺が成立しているとも言えるのです

要は言葉の「マッチポンプ」みたいな仕組みです

散々原発の津波に対する脆弱性をほったらかしにしておいて いざ原発が暴走したら命懸けで対処に当たれば人気が出た発電所の所長と一緒です



個人的に好きな人だからといって常に正しいことを言っているとは限らないし 同時に嫌いだからといって常に間違ったことしか言わないとも限らない

また 多数派や 多数派によって承認された権威であれば常に正しいことを言っているとも限らない

重要なのは 個人が自律的に論理検証判断することであって それによって初めて責任ある一人の人間としての行動選択が可能となるのです



権威とは何かというと 結論から言えば服従対象になります

盲目的に信用できる誰か 親以上に信頼できる対象として 権威という順位序列を決めているに過ぎません

決めておくと気分的に安心するからです

決めておけば自分でいちいち考えたり疑ったり論理検証したりといった面倒臭くて嫌なことはしなくて済む だから権威というものを多数派で共有しておけば気分的に安心する

ヒトの脳というのは目先の安心感ばかりを追求しがちな傾向があり 論理的に安全性を深く検証することを後回しにする傾向があるのです

権威というものの絶対的抽象化したものが「神」です 言うなれば「超親」であって 盲目的に信頼服従出来る絶対的存在として「神」という概念を作り出すことで 気分的に安心する

やっぱり「安心」が根拠です

「神がいないなら、何をしても許される。」などという訳の判らぬ話が出てくるのも「社会の安全性や持続可能性ですら神が担保してくれるはずだ」という勝手な妄想に起因するのです

社会安全性とか持続可能性っていうのは ヒトが求めているものであって ヒトじゃない誰かが求めているわけではありません

権威という 自分よりも上と見なした相手の言うことを盲目的に信用信頼しておけば 自分で判断選択して行動する責任も放棄することが出来ると錯覚することも 権威服従の一つの動機となります

権威というのは科学的には証明出来ません 「科学的権威」とは言っても そもそも科学というのは宗教みたいに絶対的なものではありませんし 実際現在の生物学界や哲学界のようにオカルトジジイ達が牛耳っていることも珍しいことではありません

権威というのは 多数派から承認されて「権力を持って威張っている。」だけであって 科学的論証というのはこうした多数決で決定出来るようなものではないのです



「利己」というと 金儲けの話だけだと思われがちですが 主観的な好き嫌いだけを追求すること全般の話でもあります

オウム真理教において教祖の命令に従っておくことは 個人の金儲けにはなりませんが集団組織にとっての利益にはなりますから これもまた利己性の一つの形になります

東電福島第一原発における津波に対する脆弱性放置も 「組織の利益を優先し、個人が自律的な社会的責任を負わなかった」という集団的利己性が促した無責任行動選択です

そしてこれらに共通する「個人の自律的な社会的責任判断力の欠如」の原因は 権威服従という盲目性が最大要因だと言えるでしょう

こうした権威服従による自律の欠落は 自律よりも権威服従の方が優先しがちな脳の先天的な傾向性に原因があります

ヒトは先天的に人間としては欠陥品だと言うことです だから様々な「人災」が後を絶たない



科学的真理の追求というのは それによって安心とか満足といった快楽が得られるわけではなく 客観的な事実認識というものが安全性にとって必要なものだから社会人の義務として追求「しなくてはならない」のであって 観念的な共感や共鳴のような先天的行動バイアスを追求「したい」こととは正反対のものなのです

こうした分別(ふんべつ)を蔑(ないがし)ろにし 単なる個人の主観的好き嫌いの共鳴共感を安全性の論証とゴチャマゼにしてしまうから 差別スピーチのような意味のわからない暴走「人災」が起きることになる



Ende;
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○日暮れ。

2018年10月10日 10時34分35秒 | 写真






荒川の岩淵水門(赤門)の辺りから 新荒川大橋方向

この日は雲が多くて夕焼けなんかならないだろうと思ってたら日没直前に急に真っ赤に染まった

いや 予測はつかないね なるたけカメラ持ち歩かないと



Ende;
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○実証不能の刑法。

2018年10月09日 16時33分19秒 | 意識論関連
「ヒトとは、実証不能の観念にすがらなければ生きられない程弱いものであることを、私は知っているつもりである。」

ヒトって弱いんですかね?

それじゃ「強いヒト」っているんですかね?

「強いヒト」がいないんなら「弱いもの」であることの基準はどこにあるんでしょうかね?

宗教家は弱いから宗教をやってるんですかね?

誰か養老の言っている内容を論理的に説明出来る人っているんですかね?

ヒトの全てが実証不能の観念にすがらなければ生きられないことの論拠って何ですかね?

養老って 結局一体何を「知っているつもり」なんでしょうかね?



「ヒトの多くが宗教にすがりたがる」ことを どんなに多く陳列枚挙したところで 「ヒトから宗教を切り離すことは出来ない」ことの論理的証明にはならないですよね

要するに養老の観念的な決め付けでしかないでしょ



ヒトの多くは論理的安全性の論証よりも 観念的な安心や満足を優先してしまう習性が 先天的にあります

「殺人犯なんぞ 死刑にしちまえ!」と短絡的に乱暴な結論や判決を あたかも唯一絶対的な解決であるかのように錯覚するのも一つの例です

本当は犯罪被害者や遺族の中には「再発防止を優先して頂きたい」という意見もあるのですが それは法制度上存在しない上に無責任な大衆観念の多数決によって「なかったこと」にされてしまっているのですが

それを多くのヒトは残酷なことだとは誰も認識していません

「殺人犯なんぞ 死刑にしちまえ!」と怒鳴り散らして 合理的安全性の根拠もなく実証不能の観念に過ぎない暴言で満足していることは 果たして「弱い」のでしょうか

それとも「強い」んでしょうか

その違いは「強い」か「弱い」かではなく 感情気分が優先して論理的安全性の追求を放棄しているかどうかの違いであって 「ヒトとは弱いものである」という前提からそもそも養老個人の観念的決め付けに過ぎないのです

前提から支離滅裂なのに 正しい結論なんぞ出てくるわけがありません



科学的立証というのは 論理的に安全性を高めるためのものであって 気分的に安心満足するためのものではありません

アフリカの原住民達が行うおまじないの類で航空機の安全性が高まると思っている人などいないでしょう

いやまあアフリカの原住民ならそう思うのかも知れませんけどね

宗教というのは気分的な安心や満足を得るためのものであって 宗教さえやっときゃ安全性が確保されるというようなものではありません

莫大な資金を投入しているJAXAの探査機「はやぶさ2」の運用担当者であっても最後は神頼みになったりするんですが それは可能な限りに論理的な検証を行った後の話であって 神頼みが先に立つわけではありません

自動車に成田山のお守りをぶら下げるよりも 自動ブレーキを装備している方がはるかに追突事故は減りました そこに今更疑問を差し挟む余地はほとんどないでしょう



養老は「実証と観念を結合する。」などと 訳の判らぬことを言っていますが

徹頭徹尾主観的な観念と 論理的に検証可能な実証の区別をあやふやにしているだけであって これは「分別のつかないバカになる」だけの話に過ぎません

「客観的事実」であっても 所詮は個人の脳が認識可能な範囲での話である以上 それは個人の「主観」の範疇であることに違いはありませんが だからといって「主観の中には客観的に検証可能な事実認識など存在しない。」などというバカげた支離滅裂な話はオカルトでしかなく 分別(ふんべつ)のつかない幼稚な妄想でしかありません



個人の意識の中には 感情的なバイアス(無意識)と 論理検証的な人間としての本質的意識があります

立場によっては 例えば山口県光市母子殺人事件の被害者本村洋さんのように 残虐な殺人事件の被害者遺族であれば「無罪で釈放してください、俺が殺します」という感情が優先してしまうこともあるでしょう これは流石に致し方ないと思います もし自分も同じ状況になれば そう言い出すかも知れません

でも 客観的に見て それが社会安全性にとって最適な判断選択であるとは言えません

「なぜ残虐な殺人をするような奴になったのか」それを徹底的に原因究明して 再発防止のために知識共有することの方が社会防衛の観点からはより有効だと言えます

もし 本当に殺人犯が自分の犯した罪を認識すれば それだけで充分な「罰」になるはずです

自分の愚かさを根本から認識し いかに無駄で損害の大きな取り返しのつかないことをしてしまったのかを自覚すれば それはむしろ生き続けるほうが辛いことになるでしょう そうでなければ本当に「更正した」とは言えないからです

しかし 現実の死刑囚にはそれがありません 死刑囚にはそれ以上の懲役罰はないので ノホホンと死刑執行を待つだけで何の反省も罪の自覚もない奴ばっかりです

「どうせ誰もが一度は死ぬんだから 別に何とも思ってねぇよ」ってことです

それこそ「俺のような奴は死刑になれば良いんだ」などと言っている通り魔を死刑にしても むしろ「望みを叶えてやった」だけに過ぎません

どんなに警察による科学的捜査で精密検証しても 司法による刑法罰というものは所詮実証不能の観念にしかなっていないのです

実際に 通り魔を何人死刑にしても その原因究明や再発防止にとって有効な情報や知見は全く出てきません

ですから何度も再発する

実際に通り魔を実行する以前の「予備軍」に対して 全く防止策が立てられないのが現状の司法制度なのです

それは一体誰が無責任だからでしょうね



Ende;
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○恐怖。

2018年10月09日 11時26分08秒 | 意識論関連
競争心の弊害というのは 他人との比較でしか幸福を感じなくなってしまうことにあります

幸福の基準が他人との比較だけだと いくら競っても欲望に際限がなくなって無限地獄に堕ちることになるのです

特定の基準 特定の物差しでしか自分の幸福が測れなくなってしまうと 他の人の基準を全て蔑ろにするようにもなります

日大アメフト部の監督のように 選手を犯罪者にしてでも「勝ちゃ良いんだろ」という暴走を引き起こす原因となるのです

「はれのひ」の社長のように 顧客に商品が届かなくなろうが 社員の給料を未払いにしようが 自分の報酬だけは必要以上に貰おうとするようになります

原発が津波によって暴走する可能性があったとしても 社内での出世競争のためには簡単に無視するようにもなります

電通の過労死の問題も同じことです



競争というのは 特定の価値観やルールという一次元上の話ですから 他の基準への配慮は一切行わなくなるからです

AIやロボットが普及するこれからの社会において必要なのは 創造力であって これは多次元な価値観に基づかないと発揮されることはありません

「命令されたことだけやっときゃ良いんだろ」というのは ナチスのユダヤ人絶滅収容所の管理官の価値観と一緒です

だから他人の迷惑に配慮が効かなくなる

養老孟司は「ヒトは今まで実証不能の観念を振り回し、他人に多大な迷惑をかけてきた。ヒトとはそういうものであると私は考える。」と述べましたが これは単なるニヒリズムであり 論理的根拠のない勝手な決めつけにしかなっていません

中野信子の「不倫はなくならない」と同じです

「従来今までずっとそうだった」ことをどんなに大量に陳列枚挙したところで 「これからも永遠にそうだ」ということの論理的証明には一切なりません

養老の促す訳の判らぬ話を鵜呑みにしていれば そりゃ何にも解決策が思いつかなくなるのは当たり前でしょう

思考停止に陥れて人気取りをする これはマイケル:サンデルの講義と同じペテン師の手口です

ヒトという種の生物の先天的習性である「論理的思考よりも主観的好き嫌いを優先する習性」を利用することによって 人々から物事を慎重に「考え」る能力を奪ってしまえば サンデルや養老は金儲けができる

サンデルや養老の目的は それだけです

「人気が出て、著作が売れて、世間的に成功すりゃ良いんだろ」ってことです

その結果誰がどうなろうが彼らには「知ったことではない。」んですよ

程度の差こそあれ「教祖のお伽話を真に受けて地下鉄に毒ガスを撒いてくる。」ようなことを あなたがたはしてるんです

電通の過労死も 毎日のように通勤電車に人が飛び込むのも さぞかし「数としては少ない」ことなんでしょうけどね

自覚がないことの恐ろしさを知らなければいけません



価値観が多次元になると 社会から無駄が大幅に減りますから 社会効率の観点からも有効だと言えます

無駄なチキンレースに興じていることに気付けば 誰かの娘さんや息子さんを自殺に追い込むことも減るでしょう

その一点だけを見ても 社会的大損害を減らせることになるのです



Ende;
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○愛着。

2018年10月08日 23時29分57秒 | 意識論関連
承認欲求は幼児期には必要なのか

結論から言うと必要はありません

必要なのは自主性を重んじることであって 褒めて伸ばすことではないのです

褒めて伸ばしてしまうと 褒められることばかりを追求するようになって 一種の中毒に陥ってしまうので良くありません

親大人達が子供に対してやらなければならないのは 子供が自主的主体的に行おうとしていることを後押しサポートしてあげることです 決して褒めることではありませんし ましてや思い通りにならないからと頭ごなしに怒ることでもありません

頭ごなしに「勉強をしろ」だの「部屋を片付けろ」などと命令し 親の思ったように服従させておくことは健全な精神や人格を破壊してしまいます

学校から与えられた課題云々よりも 子供が何に興味を持っているのかを真摯に分析し それを行うには何が必要なのかを一緒になって考え 支援してあげることだけです

目標が見えるようになれば 子供は自ずから積極的に学ぼうとするようになります



部屋を片付けられないのは 部屋に対して子供が愛着を持っていないからであって どのような部屋にしたいのかを尊重し目標を明確にすれば支援の方法も自ずと見えてきますし 愛着を持った部屋なら自分で片付けるようにもなります

何でもかんでも親から与えられてしまうだけだと 子供本人の主体的意向が尊重されず 「与えてやったんだから片付けろ」という頭ごなしな命令にしかなりません

どんなにお金のかかった物を与えられても 本人の納得がいっていない物にどうして愛着が持てるでしょうか そりゃ片付けなんかしませんよ

逆に どんなに安価なものであっても 子供本人が主体的に好きになったものは たとえ公園で作った泥ダンゴであっても大切にするようになります

親の勝手な思い込みで「子供に良かれという思い込み」で与えるだけだと 子供にはそれが反って精神的な負担にしかならなくなります

親が子供の主体性を重要視出来ないのは おそらく親自身が子供の時に主体性を蔑ろにされて育ったからかも知れません

それは一種の軽い「虐待の連鎖」みたいなものでもあるのです

親が子供に要求するべきなのは「命令に服従すること」ではなく 何の命令もしなくても自律的に能動的に物事を行える一人の人格者になってもらうことでなければなりません

子供の自律を育てるためには まず親自身が自律とは何かを理解していないことにはどうにもなりません



褒めて伸ばした子供は 競争心が強くなります そのため社会的「自立」への意欲は確かにつくのですが これは同時に他人を蹴落とすようにもなってしまい 他人への思いやりが働かない人になってしまいます

これは 自分の本当の主観的な「好き」がわからなくなってしまっているのが原因であり 同時に他人の主観的な「好き嫌い」にも配慮が働かなくなります

これは 育てている親にも当てはまる「連鎖」の一つの現れでもあるのです

自分の主観的な「好き」がわからない親なら 子供の主観的な「好き」も尊重しなくなってしまうからです

それは 本当に子供にとって「幸福」だと言えるでしょうか

自分の本当の幸福がわからない人が どうして社会全体の安全性や持続可能性に配慮が働くようになると言えるのでしょうか

東京電力の社内で 「競走に勝った」からといって 原発の津波に対する脆弱性を放置してしまっていたのでは 一体誰が幸福だと言えるでしょうか

人間の社会は本来自然環境の過酷さから逃れるために構築されたものであって 個人が競走に勝って利己的に金持ちになるためにあるわけではありません

「何の為に」という「目的」を もっと根源的な部分から見直さないと 電通のような過酷な競争で自殺者を生み出してしまうことにもなるのです

「弱者は死ねば良い」というのであれば もし癌になって働けなくなったら もし他人の過失事故で身体に障害を負ってしまったら それでも「死ねば良い」というのでしょうか

人間の社会に自然淘汰圧力を導入する必要はありません なぜならヒトはもう遺伝的進化という「バカの競争」からは逃れることに成功しているのですから



Ende;
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○勝ち負け。

2018年10月08日 14時05分00秒 | 意識論関連
「論理整合性がないだけ開かれている。」

養老孟司の言っている内容には論理整合性がない

その場限りに相手に合わせて話を「丸めて」いるだけであって そもそも論理的根拠に基づいた主体的な「考え」すらも持ち合わせていない

養老にとっての「意味」とは 大多数の大衆が望むことに過ぎない「世間的成功」だけであって 人間性や倫理などはどうでも良いことなので「それは○○の問題である。」などという他人任せにして話をはぐらかすだけである

養老の話の中には社会安全性や持続可能性にとって重要なトピックや論理的「考え」など一切出てこない

畑村洋太郎に養老孟司の著作や山極壽一の言っている内容が社会安全性にどのように応用可能なのかを聞いてみれば良い

畑村はおそらく「意味がわからない。」と答えるであろう

多くのノーベル賞受賞者も同様のはずである

そもそも養老らの言っている話には社会的にも科学的にも意味がないからである

ただし 養老の場合は相手を見て話の内容をコロコロ変えて「話を丸めて」くるので マトモな学者と「対話」をさせても養老の異常性は出てこないであろう

養老は天才的なペテン師なのである

養老がなぜ論理整合性を「開こう」とする(その場限りに話がコロコロ変わる)のかと言えば それは自分の主観的観念を「閉じる」ためには他に手段がないからである

論理整合性のない話は客観的でもなければ科学でもない そんな極めて基本的なことすら大衆マスコミの多くは認識していないのであろう

養老は自分のことを「客観的」だと言い張るが たとえ本人がそう「思って」いるとしても実際には全く客観性などなく 個人の主観的観念を正当化するためのはぐらかしの羅列に過ぎない



「論理には勝てない」

論理は「勝ち負け」の問題ではなく 真理追求 事実解明のために必要なものであって 論理的に間違ったことを言っていたからといって「負け」たことにはならないし 正しいことを言っていたからといって「勝った」ことにはならない

科学理論的議論というのは「勝ち負け」を目的としたものではない

論理的に正しいことを述べていれば マトモな学界であれば評価が得られるのかも知れないが 学界が異常ならどんなに正しいことを述べても認められることはない

刑事裁判であれば制度的に検察と弁護側の「勝ち負け」にすり替えられてしまうのだが これが社会安全性の観点からは必ずしも最適な手法ではないことは何度も述べてきたつもりである

大衆マスコミが安易に「勝ち負け」にこだわるのは 「どっちが上なのか」という序列順位を観念的に判定したいだけであって その判定基準は「社会安全性の論理的根拠を追求する」ことが目的ではなく 単に「多数派に人気があって金儲けが出来た」かどうかという観念的基準がほとんどである

ヒトという種の生物が「論理的に正しいかどうか」よりも多数決や世間的成功で「勝ち負け」という観念的基準を優先してしまうのは ヒトという種の生物には先天的に「順位序列を決定しておきたい」という外見的で上っ面な多数決に同調してしまう習性が 自律的な論理検証性よりも優先してしまうからである

科学的に「正しい」ことを述べていたからといって必ずしも社会的な成功や「勝ち」が得られるとは限らない

遺伝子の研究で有名なメンデルも生前は誰からも評価されることはなかったという

当時から天才と評されていたガリレオですら地動説では火炙りにされかかった

科学的に正しいことや 社会安全性や持続可能性にとって重要な話など 一般大衆は興味がなく 必然的にマスコミも金にならないので取り上げることもない

多数のバカな大衆の観念的「勝ち負け」論などというのは 社会安全性にとっては何の意味も為さないのである

科学は多数決ではないし 大衆の多くが物事を深く検証しないバカなら民主主義制度はバカ主義にしかならない

だから重要なのは「大多数の大衆がバカのままでは危険」なので改善しなければならないのである

本気で紛争や殺人などの犯罪を減らそうという「考え」があれば 安易に「死刑にしちまえ。」などという短絡的で乱暴な結論を鵜呑みにはしないはずである

社会がなぜ科学的真理を要求するのかと言えば それによって社会安全性が高まるからであって「中東由来の一神教がどうのこうの」といった訳のわからぬ屁理屈が根拠ではない



Ende;
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○メモ33。

2018年10月08日 12時07分15秒 | 日記
メモ33

青森大学 新体操部(男子)の演技が凄過ぎて何度見ても目が釘付けになる

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ドスト:エフスキーはエクレアが好きだったそうな

別に良いんだけど

ちょっと意外

ああいう陰惨な話とエクレアが結びつかないw

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

荒川河川敷の鹿浜橋近くの高圧電線から「ビリビリビリ」っていう変な音がしていた

「ブーン」っていう音は聴いたことあるんだけど、それとはちょっと違う音だった

塩害っていうのが関係しているのかしら

でも鹿浜橋って海岸からは遠いからなぁ

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

ガリガリ君ナポリタン味は3億円近い赤字だったそうだ

単価の安い商品でも量が多いとリスクも凄いのね

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

島田拓っていうアリを飼育したり販売したりしている人がいるんだけど

南米 中央アメリカ原産のパラポネラっていうスズメバチ級の猛毒アリも飼育している

地震とか水害で飼育箱が壊れて逃げ出したりしないよう充分に対策しといて欲しい

もしかしてパラポネラも一般販売しているのかしら

狂暴な外来種を買った人にも地震や水害で逃げ出さないように対策を徹底してもらわないとシャレならん

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

タイのマヨネーズにゃ砂糖が23%も入っていてクソ甘いんだそうな

身体に悪いにも程があるだろ

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Chromebookって単体でのリカバリーができないらしい

http://offthehook888.net/gadget-kaden/chromebook/recovery-media

正常に動くWindwsPC(そもそもWindwsは正常に動くOSじゃねぇけどな!)を使ってリカバリーするそうな

そうなるとますます日本メーカー製じゃないとサポートが不安

Androidの方が安心かなぁ…

NECだとAndroid7.1で2万円くらい

Bluedootは11月中旬にならんと発売しないし

どうせなら10インチモデルが欲しいけどいつ発売になるやら…

関係ないけど女の子の写真は8インチ型の方が好き





モデル紹介のページとかあんねや

やるなBluedoot

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なんか最近コバエが更に小型化してないかな

あまりに小さくて網戸をすり抜けてくるサイズ

進化したのか それとも以前からいたのか 外来種なのか

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ナナホシテントウがアスファルトの上をヨチヨチ歩いてたので

つまんだりしたら簡単に死んじゃいそうなので

指で包囲したら手に登ってきてくれた

写真に撮りたいとか思ったんだけど

マクロレンズにエクステンションチューブ噛まさないと撮れないので

モタモタしている間に飛んでって隣の家の窓にぶつかって落っこった

かわいすぎて萌へ死にしそう…

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

はいだしょうこの母親がはいだしょうこ本人と同一人物(?)

 -ねとらぼ

やっぱ金田朋子(おしりかじり虫)みたいな鼻声だったのかしら

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「ゆっくり私時間」がリニューアルしてKikiさんじゃなくなった

サブタイトルの「My Weekend house」が「My quality life」になっておった



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スタジオマリオのCMの女の子が妙に大人っぽくて演技もこなれているなと思ったら

子役に前田敦子の顔を合成してた



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胆振

一回「たんしん」って読んじゃった後に「いや、イブリだよ」っていう脳内一人ボケツッコミをどうしても繰り返してしまう #難読地名あるある

胆振にある学校は全て胆振学校(違うよ)

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MX-2のケータイ刑事銭形零(夏帆ちゃん)って土曜日の17時30分に移動した

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

スーパーで牛乳買ったんだけど

「青山修子選手を応援しています!」とか書いてあった

そんなことよか

「売上の○%を北海道胆振地震で被災した酪農家を支援します。」

って書いてあった方が皆買うんじゃないかと思う

普段は1円でも安いものを選ぼうっていう心理が働いているけど

社会持続可能性に関わることなら多少値上げされていても積極的に選ぼうと思うんじゃないかな

安倍政権なんてどうせ大企業にしか興味ないんだろうから

個人経営者は民間で支援しないと本当に酪農家が破綻しちゃうと思う

単に「困っている人を助ける」っていう意味だけじゃなくて

長期的に見たら今支援しておいた方が価格は安定するんだろうし



Ende;
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