書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○教訓。

2018年10月07日 23時48分44秒 | 意識論関連
イデア論というのは「頭の中に先天的に分類が予め組み込まれている。」とするプラトンの妄想である

「男とはこういうものだ。」と先天的に脳内に分類が組み込まれていると錯覚していて「男は女を好きになるものである。」という方程式が出来上がる

LGBTの問題もヒトというもののイデアが予め先天的に組み込まれた完全なものであると見なしていることから生ずるのであり そんなもんが先天的にないことは近年のAIの研究によって明らかになっている

「○○とは、こういうものだ。」という思い込みの類いというものは 先天的に組み込まれているものではなく 後天的な機械学習によって分類されるものである

大衆の多くは 学習の全ては常に頭が良くなるものであると勘違いしているフシがあるのだが 機械学習というのは観念的な「思い込み」も作り出すものであって それによってむしろ頭が悪くなることも充分にある

マイクロソフトのAIがヘイトスピーチを始めたのも AIが「学習」した一つの結果でもある

産まれたばかりの鳥類の脳に見られるインプリンティング(刷り込み学習)というのは、最初に見たものを盲目的に親か何かと勘違いする性質のことである

こうした刷り込み学習において 鳥のヒナが最初に見た相手を親的なものと「学習」する際に 「親とは、こういうものだ。」というイデアが先天的にあるわけではないからこそ 相手がヒトだろうがネコだろうが親的なものだと「学習」してしまうのである

脳内では ある程度多少のハードウェア的な認識区別のメカニズムが先天的にあるらしいことは言われているものの 大半の区別は産まれた後になってから「学習」することで作り出されるものである



カルト宗教を信じ込んで疑うことをしなくなるのも 脳が機械学習することによって「教祖様の言うことは常に正しい。」という盲目性が生じてしまうからである

ヒトという種の生物は 哺乳類である

哺乳類というは産まれてくると初期的には全て子供であるため 親の養育を必要とする

そして親の養育を受けるためには親に盲目的に服従することが先天的な習性として組み込まれてもいる

この先天的に組み込まれた盲目的な服従の習性が 続柄としての親を超えて集団組織の内部における統率者へと転移が生ずることによって 封建的な統率協調行動が採れるようにもなる

これが ヒトに限らずイヌなどの哺乳類全般に見られる生物学上の「社会性」なのだが

従来の生物学においては 封建的であろうと暴力威圧的であろうと「統率的に協調行動が採れる。」という事柄だけを論拠に あたかも「人間としての社会性」の論証でもあるかのように述べてきた

これが まず 大間違いなのである

統率的な協調行動を採れることによって これが生存価において有利に働くことで 結果的に自然環境から受ける過酷な淘汰圧力を免れ「進化(変異)」してきたとは言えるのだが

言っておくが進化というのは 個体が何か目的意識に基づいた考えや願いや呪いに従って起こせるものではなく あくまで「生存にとって有利に働いた」という結果でしか遺伝的進化は促進されることはない

草食動物が足の遅い個体から天敵に襲われることによって 結果的に足の速い個体への進化が促されたのと同様

統率的協調性であっても それを発揮した個体が「生存にとって有利に働いた」結果以上に意味はない

暴力的であろうと非人道的であろうと とにかく統率的協調行動さえ採れれば生き残ることは出来るのであって ISILのような暴力集団が他の集団を淘汰することによって 暴力集団だけが生き残った可能性もある

実際中世の戦乱は暴力こそが絶対的正義だったことからも 生き残った個体に人間性が組み込まれている保障は何もない

イジメにおいても差別や暴力に反対するとイジメ排除の標的にされてしまう事実からも イジメ差別は「やった者勝ち」であって 自律的に学級内における安全性や暴力的独裁を止めることは生存価にとって不利に働くことはあっても有利に働くことはない

「結果的に生存していた」からといって 自動的に人間性が組み込まれる構造など存在しないのである

断片的な論証として 集団内部での利他的行動習性傾向を抽出することは可能であるが 仲間内で仲間内にとって有利になるだけの行動が人間性であるとは言えないのである

何度でも取り上げるが国会原発事故調査委員会報告書にあるように「組織の利益を優先し、個人が自律的に社会的責任を負わなかった。」ことが 最も根源的な事故の原因であり 同時にこれこそが本質的な人間性の有無を指し示す基準でもある

「組織の利益を優先」することというのは 断片的には「集団組織にとって利他的行動」でもある

自分が所属する集団組織にとって有利な行動であるが故に 社会全体にとっては無責任な行動を促すことは珍しいことではない

軍隊というものは その内部において上官の命令に絶対的に服従することによって統率的協調性を発揮することが出来るのだが それが大量殺人であろうとも何の疑いも持たずに実行出来るという点においては 個人の自律的な判断力は不具にさせるものでもある

アブグレイブ政治犯収容所における虐待が生じたのも 兵隊というものは自律的に責任ある判断選択を最初からするつもりがないからである

こうした無責任な虐待行動というのは 学生を使った社会心理学実験においても再現可能なものであり 米国などで複数回行われた監獄実験においても簡単に虐待は生じるものだったのである

ヒトという種の生物は先天的には差別や虐待をする先天的習性がある だから子供達だけで放置するとイジメは簡単に始まるのである

子供は年齢が低い程 自律的判断力が低いからでもある

ヒトという種の生物は 哺乳類であるため親と子の関係性において上下の順位序列がどうしても生じてしまう

生存能力の低い子供に対して 親は服従を強要しなければ子供の生存すらも維持出来ないこともあるからだ

子供は見通しの悪い交差点を左右確認せずに飛び出すことがあるが これがどれだけ危険かを親大人がどれだけ説明しても理解できない場合がある そういう時は「道路に飛び出したらきつく叱る。」ことによって 論理的説明を後回しにしてとりあえず「叱られる恐怖」と引き換えに行動抑制を行わなければならないこともある

しかし 子供が成長する過程において「叱られる恐怖」ではなく子供自身が自律的に問題意識を持つよう根気強く説明を繰り返す必要性が 本当はある

ところが である 親がそういった根気強く問題意識を持つよう説明をされて育てられていない場合 子供に対しても同じように根気強い説明をしなくなる性質というものがある

いわゆる「連鎖」である

虐待が「連鎖」するのと同様に ネグレクト(育児放棄)も連鎖をする

そして ネグレクトというものも程度問題であって 軽いものから重篤なものまで様々あるが 連鎖するという点においては同じなのである

こうした「連鎖」がどうして生ずるのかと言うと これらの行動は全て無意識に行動学習した結果だからである

鳥のヒナのインプリンティングと同様 自分の成育環境において行われた(または 行われなかった)行為というものは 機械学習的に刷り込まれたものであるため 無意識的に「連鎖」してしまいがちなのである

子供が自律的に社会的責任判断力を身につけるためには 子供の主体的意思を尊重することによって 子供自身が主観的で個人的な好き嫌いと 客観的な論理検証を区別できるようにしなければならない

養老孟司の母親は 養老の意思をあまり尊重せずに何かと強要させられたらしいのだ それが原因で支離滅裂な話で大衆人気を得て世間的成功ばかりを基準にするようになったのではなかろうか

まあ 良いや 養老みたいなオカルトジジイは他にも無数にいるし あくまでオカルトジジイが科学的権威として扱われ続けることが社会的に危険で問題だから取り扱っているだけなので 養老の個人攻撃が目的ではない

むしろもっと問題なのは オカルトジジイをそれと認識せずに多数大衆人気を根拠に科学的権威として持ち上げてしまってる大多数の大衆マスコミの無責任さの方にある

オウム真理教事件においては教祖こそが最も悪人であるかのように取り扱われているが 教祖は眼も見えない障害者であり その視覚障害者の言っていることを鵜呑みにして実行したバカな多数の幹部達がいたからこそ大規模なテロにまで発展したのである

それなら見方によっては教祖はお伽話をしていただけであって そのお伽話を鵜呑みにして勝手にテロを実行した多数のバカ幹部にこそが最大の原因であると言えるのである

「お伽話をしていた」だけなら「言論の自由」の範疇ではないか それなら教祖は無罪であり 養老もまた無罪である

オイラはむしろ 教祖がどのように幹部達をテロに導くことが出来たのかを理論的に分析し 具体的な再発防止策として洗脳の具体的手口について知識を社会的に共有することを優先すべきだったと考えている

そうでないと同じような洗脳が再発する可能性を潰したことにはならないからだ

養老による大衆洗脳手法も論理的に分析すれば再発防止においては有効だと言えるだろう それなら養老を殴ることよりも養老の著作を大衆がどのようなメカニズム構造によって科学的理論だと錯覚したのかを徹底分析することの方が社会的には価値があるはずである

言っておくがオイラは刑法廃止論者である 罰ではあらゆる事象の合理的な再発防止策にはつながらないからである



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○手口。

2018年10月07日 16時02分56秒 | 意識論関連
かつては「ヒトが人である所以はシンボル機能にある。」と 長く信じ込まれていた

そして養老孟司もこれに基づいて「唯脳論」を説いている

言語によって抽象化された分類が ヒトという種の生物において特異に複雑で大量に行われているからであろう

しかし 言語を用いて情報を交換するという性質がヒトという種において特異に多いからとって それが短絡的に「人間としての性質」とか「人間性や倫理」の論証には一切ならない

ヒトという種の生物でありさえすれば必ず人間性が発揮されるという保障は一切ないからだ

言語というシンボル機能を用いて詐欺を巧妙に行ったら人間性の論証になるであろうか 議論の余地もあるまい

言語を用いさえすれば論理的に内容が伝わるはずだ、というのも錯覚である

詐欺師の言っている嘘が見抜けないのは 被害者が論理的に内容を把握していないからである

振り込め詐欺師は電話で 占い師は面と向かって口頭で相手を丸め込む 会話というのは記録に残らないので聴いた内容の論理的整合性を時間をかけてじっくり検証することが出来ないためである それを山極壽一は「対話」と称して宗教家とも話を丸めて「エリート扱い」する

山極は理詰めでの議論をされると都合が悪い上に 「勝てない」ことで主観的に気分が悪くなるので「エリート扱い」しないのである

客観性の欠けた山極個人の主観的な好き嫌いを どうして他人の評価基準にして良いのであろうか

山極は自分のことを主観的感覚が絶対的な神か何かと勘違いしているのであろう

養老の場合は著作として残っているが その内容は無駄に長文で理解に苦しむよう書かれているため 大抵の読者は内容を論理的には理解しないまま 大量の知識の「量」だけに圧倒されてひれ伏して検証をやめてしまうのである



「ヒトとは実証不能な観念にすら頼りたくなるほどに、弱いものであることを知っているつもりである。だから、ヒトからシンボルの一つである宗教を切り離すことは出来ない。」

これは論理的な根拠に基づいた立証ではなく あくまで養老個人の主観的な観念にしかなっていない

「弱いものであることを知っているつもり」だからといって どうしていきなり「宗教を切り離すことは出来ない」と決め付けるのであろうか

完全に論理が飛躍している

そもそもシンボル機能が人間性の論証とは無関係である以上 養老の唯脳論はトンチンカンな的外れである



「実証主義者の神は実証である。」

実証は科学的立証の方法論であって宗教ではない 科学的立証の手法を宗教と混同するのはオカルト以外の何物でもない

養老が「客観的事実などない。」などと称して科学的論理検証を無効にしたがるのは 養老本人の言っている内容を論理的に精査されては困るからである



「解剖学はつねに形を扱う。だから、わたしはじつは、形しか扱えないのである。形とはすなはち形式のことである。ヒトの脳というコップに、赤い酒を入れようが、白い酒を入れようが、コップはコップである。」

これは 要するに上っ面で表面的な話しかしていないことの言い訳でもある

形式という外見しか扱わない以上 中身の具体的話は最初からするつもりもないのである

警察官が警察官の制服を来ていれば 一応とりあえずは誰もが警察官であると認識する しかし実際の警察官個人は職務に熱心な人もいれば テキトーに評価点数になりそうなことしかやらないバカもいる

死体になってしまえば凶悪犯罪者も一般人も区別は特につかないものであり 人間性や倫理について養老は「倫理、倫理の大合唱。ヒトはいつからスズムシになったんだ。」などとはぐらかすだけである

養老の著作においては「約束事を守ること」は「脳化」に過ぎないと称してハナからマトモに取り扱わない

「約束事を守る」という個人の人格についての話は ヒトの内実に関わることなので 最初から取り扱うつもりすらないからである だから「形しか扱えない」という言い逃れをする

養老は文面においても極めて表面的な「形」しか扱わず 「共通了解」という分類だけで多数派同調性バイアスという無意識な感情と 科学論理的な安全性の情報共有をゴチャマゼにして読者の論理検証性を撹乱する



養老はニューヨークの9.11テロを「さざ波」だと形容する

長い歴史の中ではヒトの大量殺戮など何度も起こっているものであって 映像が衝撃的だからといって大したことではないと言うのである

殺人が稀な事柄だから無視して構わないという話にはならない 数字上少数だからという論拠で殺人を無視するバカはいないであろう それならどうして「戦争をしているのは人類の0.2%であることに気付けば、戦争はなくなる。」などという訳のわからぬ話を鵜呑みにするのであろうか

航空機事故が自動車事故よりも少ないからといって精密な検証や対策をしなくて良いとでも言うのであろうか

冤罪が少ないからといって何の対策もしなくて良いというのであろうか

そんな無責任でバカげた話は誰も許さないはずなのだが どういうわけか養老や山極の言っている内容は多くの大衆マスコミは鵜呑みにしてしまう

それは まるで 連日のように「振り込め詐欺の被害が出た」と報道されているにも関わらず 相変わらず騙される被害者が後を絶たない構図と良く似ている



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○無責任。

2018年10月07日 12時10分37秒 | 意識論関連
「意識というのは共通性を徹底的に追求するものなのです。その共通性を確保するために言語の論理と文化、伝統がある。」

養老孟司は先天的本能習性として「同調や共感に安心や満足を感じる。」ことを述べているのであって

この文脈における「意識」とは無意識な先天的行動バイアスのことで だからこそ養老の結論は「安心して同じを求めれば良い」などという主観的気分の問題に話がすりかわるのである

東電社内において「同じ」を追求した結果 揃いも揃って津波に対する脆弱性を放置したことは「意識の問題」ではなく 気分感情が促す同調迎合性バイアスに「無意識に流された結果」に他ならない

学級内でイジメが発生していても「皆と同じように傍観放置しておけば安心」なのと同様に安心であることは安全性の論証とは何の関係もないばかりか むしろ安全性を阻害する大きな要因になるのである

「意識」というものの本質を論理的に認識していないからこそ養老の口車に乗せられてしまうのであって 養老の著作は科学論理的な根拠に基づいた理論ではなく 大衆迎合的な詐欺ペテンにしかなっていない

養老がやたらと言いたがる「脳化社会」云々の話も これは理論ではなくて養老の主観的な実証不能の観念でしかないのだが 養老の著作を読んだ大多数の大衆マスコミはこれを論理的根拠に基づいた理論か何かだと勝手に錯覚妄想して信じ込む

養老は相手がバカだとみなせば「禁煙と書かれた看板の前でタバコを吸う、ほら俺は脳化されていない。」などという支離滅裂な事を平気で言い出す そして相手はバカなので「なるほど、そうですね。」などと短絡安易に同調する

「電車やバスばかりを利用しているから脳化する」とも言っているが 養老自身は電車もバスも利用するのであって徒歩や自転車を多用しているわけではない

具体的に脳化がどのようなものであるのかを理論的に説明している件はなく それがどのような害をもたらすのかも説明せず どのように回避するのかも一切説明などしていない

にも関わらず 大衆やマスコミの大多数は脳化の観念を鵜呑みにして何の疑問も持つことはない

養老の「脳化」の観念が実際に何かの役に立つかと言えば 何の応用性も存在していない

養老の著作を読んだ者は 論理的理解をすっ飛ばして観念的に「丸め込まれ」ることで気分的に満足安心しているだけなのである

「わからないなら、わからないなりに、わかったとする。そういうわかりかたもあるのかと思ってもらえれば幸です。」

論理的理解とは別に ヒトという種の生物は観念的に満足安心したことを「わかった」と形容することがある

ヒステリックに怒鳴り散らしている相手に対して「わかった、わかった、そんなに言うなら謝るよ。」などと丸め込まれる時に言う「わかった」というのは観念的に迎合しているだけで論理的理解とは全く別のものである

養老が促しているのは論理科学的な理解ではなく 観念的な同調迎合であって 科学を逸脱して論理的根拠のない実証不能の観念の世界へと誘っているのである

養老が「客観的事実などない。」と説明している内容は 個人の主観的好き嫌いと客観的論証をすり替えているだけであって 科学的客観性を無視したオカルト観念でしかない

個人の主観的好き嫌いは「主観的な現実」でこそあれ 客観的な論理証明とは関係のない話であるのだが 大多数の大衆マスコミはこれが区別できずに養老の論法を漫然と無意識に鵜呑みにしてしまう

そして「日本人の住むのは本来、八百万(やおよろず)の神の世界です。ここには、本質的に真実は何か、事実は何か、と追求する癖がない。それは当然のことで、「絶対的真実」が存在していないのですから。これは、一神教の世界と自然宗教の世界、すなはち世界の大多数である欧米やイスラム社会と日本との大きな違いです。」などと称して あたかも論理的な真理の追求が間違いで それをしない癖がある日本人こそが正しく優秀であるかのように誘導するわけです

こうした論法によって大多数の大衆マスコミは気分的に安心満足することによって 科学的論理検証を簡単に放棄するようになる

刑事事件の捜査や検察の検証において絶対的真実を追求しないから冤罪が起きるのであり 原発が暴走した原因を究明できなければ有効な再発防止策は構築できない 養老の論法を鵜呑みにすれば「科学捜査は要らない。」という話になってしまうのである

そもそも客観的事実を否定しておいて科学的客観性もへったくれもあったものではないし 科学者としてデクノボウにも程がある

養老は「昨日の自分は、今日の自分ではない。」と称して言っている内容をその場限りにコロコロと変えてきます

「万物は流転する。」などという屁理屈を持ち出して言っている内容の論理整合性は一切責任を持たない

嘘つきというのは言っている内容の全てが嘘なわけではなく 他人を騙す時には最初は本当のことを述べておいて肝心な部分だけ嘘を混入させて騙すのであって 言っている内容が全て事実と異なる話であれば嘘であることは誰にでもわかるはずである

例えば「純粋嘘つき」という人物がいると仮定します この「純粋嘘つき」は嘘しか絶対に言わないので たとえ自分にとって損になるとしても命に関わることであっても常に嘘しか言わないので 彼の言っている内容が全て嘘であることは簡単に判明するし 彼に何かを質問したら「常に嘘である」と判っていれば騙されることもない

現実の詐欺師ペテン師というのは他人を騙すために嘘と真実をないまぜにし「もっともらしい嘘」でなければ他人は騙せない

 ◇追記:養老は「イスラム社会と日本との違い」とは言っているが どちらが正しいなどといった結論や判断は一切していない そもそもが論理的根拠に基づいた分析ではないので結論も判断も最初からないし 出来もしないのだが 読者は自分に都合の良いように観念的な「解釈」をすることで気分的に安心満足しているだけで 誰一人として論理的に理解も分析もしていないのである



「意識は同じを求める。」のはなぜか

それは「皆同じだと安心。」だからである

こうした安心というものは先天的バイアスが作り出すものであり欲求欲望という先天的に決定している自己選択不可能な無意識に過ぎない

先天的に同じものを求める性質は 同調性や多数派迎合性によって「同じではない者」を差別排除する原因でもある

逆に 多数派がバカなら自分もバカでも「恥ずかしくはない」とも思うことで気分的に安心することも出来る

それに対して論理科学的な真理の追求による論理的安全性というものは これらの気分的バイアスに左右されることなく構築されるべきものであり 安全性に関わる知識の共有と多数派同調バイアスが促す観念的共感共鳴とは全く異なるものである

養老は自分にとって都合良く観念的な共感や共鳴をするよう誘導するために 科学論理的な安全性に関わる知識共有と話をすり替えているのである



「型、形式」「カッコイイには普遍性があります。」といった話も 実際には論理的普遍性の証明ではなく 「個人が主観的にカッコイイと思うもの」自体は全然普遍性がない

そもそも「カッコイイ」というのは主観であって 客観的普遍性を証明出来ない

ヒトには普遍的に「個人的な好き嫌い(カッコイイと思うもの)が存在している」ということを指して「普遍性があります」と言っているに過ぎないのである

ヒトという種の生物が普遍的に何かを「カッコイイ」と思う現象は普遍的に見られるものだが 何に対して「カッコイイ」と思うのかには普遍性がない上に そもそも主観的な好き嫌いに過ぎない「カッコイイ」をどんなに集めてきても客観的な普遍性の論証にはならない

これ むづかしいかしら?

学校みたいに金を支払って学位学歴という抽象化された「脳への報酬」なしに理解しようと思う奴はいないのかしら

主観的に好きであることを どんなに多数派と共有したところで 主観的な好き嫌いが客観的論理証明にすり替えられるわけではないでしょ

「生駒ちゃんがかわいい」という主観的な好きをどんなに多数派で共有したところで 「生駒ちゃんは普遍的にかわいい」ことの論理的証明にはならないでしょうが

「型、形式」や「カッコイイ」といいう主観的観念というものは 客観性を持った論理的証明には最初から使えないものであって 山極壽一京大学長が「ゴリラの威嚇が相撲の型と似ている」ことをどう主観的に思っても科学的に何かを証明したことには全くならないのである

それを どんなに多数のバカなマスコミ関係者と共有しても同じことである



養老に限らず個性批判論者に共通する論法があって それは「個性=身体=世間的成功」だけを議論の俎上に乗せてくる

個性というものがどうして世間的成功に結びつかなくてはならないのであろうか

世間的成功を「多くの人」が望んでいるからといって 世間的成功に結びつかないものは個性としては意味がないとでも言うのだろうか

世間的成功というのは そもそも他人との比較における結果であって 主観的に好きな純粋行為とは関係がなく 個性尊重において最も重要なのは主体的意思を認識し 自ら尊重することによって自律的な社会安全性にも配慮が働くようになることである

世間的成功というのは あくまで「その社会における結果」に過ぎないので 成功するかどうかは何の保証もない

たとえ先天的に何かの能力に突出していたとしても それが評価報酬などの世間的成功に結びつかない場合もある

たとえ大多数の観念に迎合していても世間的に成功する保証など何もないのである

人間性にとって最も重要なのは「自律的な社会的責任判断選択」が出来ることであって どんなに多数派から評価されていても やっている本人が主観的に純粋に好きなことでなければ評価が失われたり 思ったように得られなかったりした場合に無責任な行動に走ってしまったのではどうにもならない

世間的な成功だけを求めるのであれば 養老のように無責任にオカルト観念で大衆を丸め込んでおいても構わないことになる だが それによって論理的な安全性の追求がおろそかになってしまったのでは話にならない

目先の気分的安心満足によって自律的な論理検証性を失っておいて 他人にだけ社会的責任を追求するのは無責任にも程がある



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○スキル。

2018年10月06日 11時44分10秒 | 意識論関連
ネアンデルタール人は絶滅したと言われているんだけど

それが「ホモサピエンスの方が生存に適していたから全ての面において優秀だ。」という論証にはならない

生きていさえすれば全てが正当化出来るというのであれば「戦争で勝ち残りさえすれば人間性まで保証された」ことには全くならないからだ

実際野生動物というのは一定の凶暴さを持つことによって捕食や繁殖が成功するのであって、野生環境下においては凶暴さを抜きにして生存が成立しない以上 生存さえしていれば自動的に人間性が先天的に組み込まれるメカニズム構造など存在しない

先天的に仲間内だけに利他的行動を採る習性があったとしても それこそが社会的責任判断を不具にする原因にもなることは今まで何度も述べてきたはずである

人類の絶滅可能性の原因とは 主にヒトの先天的欲望の暴走に因るものであり ヒトという種の生物の「個体にとって有利な行動」だけを求めているからこそ地球環境を破壊してしまう程の繁殖や資源の喰い尽くしを招いてしまう

「現代文明社会を築いて繁栄した」ことが全面的に正しいとは言うことは出来ず むしろ過剰な異常繁殖によって地球環境を食い尽くしてしまったのでは大局的には生存には適さないのである

野生環境下においては 食物連鎖という弱い生物に対する危害によってのみ成立しているのであって ヒトがこうした野生環境から逃れて人工的に生存環境を構築することによって自然淘汰圧力を免れた結果 地球環境まで喰い尽くす程の異常繁殖を招いた

もちろん だからといって「現代文明の全てを放棄して野生の食物連鎖を受け入れろ」と言うわけではなく 地球環境との調和構造を人工環境の中に新たに構築することによって持続可能性を維持しなければ「種の存続」にすら適さないのである

ジャレド:ダイアモンドは「これからも人類は進化する。」と述べたが 残念ながらヒトは人工環境を構築することによって自然淘汰圧力を免れた以上、遺伝的進化を促すことはない

遺伝的な進化というものは、例えば草食動物の足が速くなったのは 天敵から逃げ出し続けた結果足の遅い個体が淘汰された結果であり どんなに仲間が天敵に喰われようとも何の工夫も対策もしない頭の悪さによって淘汰圧力を数万年以上にも渡って受け続けなければ遺伝的には進化を促すことはない

要約すれば 「バカじゃないと遺伝的には進化しない」のである

ヒトの知能が発達したのは あくまで生存にとって有利に働いた「結果」であって 決して「知能を高めよう」といった「目的」に則って遺伝的進化を能動積極的に「した」わけではない 

遺伝的進化というのは個体の意図目的とは無関係に起きるものだからである

人間性を欠いた嘘や集団組織的暴力を用いても 人工環境下において「生存」に有利に働く

それなら結果的「生存」さえしていれば人間性が先天的に組み込まれる保証は何もない

ヒトには利他的行動習性が見られるのだが それゆえ自分が所属する集団組織にとってのみ有利で利己的な行動を採ることによって 非人道的かつ安全性の低い持続可能性のない行動選択をしてしまう原因ともなる

イジメにおいて大多数が傍観放置したり 暴力的で差別的な統率者に服従迎合するのは それが先天的本能習性だからであり それが進化過程において生存にとって有利に働いた「結果」であろう

戦争は人類全体の0.2%かも知れないが イジメの発生率はおそらく圧倒的多数であろう

SNS上においてもヘイトスピーチは非常に多く 政府に対する意見にまで差別促進が非常に多いのだという

これで本当にヒトという種の生物が知的生命体だと言えるであろうか

「戦争は人類の0.2%しかしていないことに気づけば戦争はなくなる」などという何の論理的根拠もない話で気分的に安心満足し その上「楽観的」かどうかなどという主観を持ち出し何の問題意識も持たずに権威や多数の意見を漫然と鵜呑みにしていて どうして知的生命体だと言えるのであろうか

誰も何にも「考え」てねぇじゃねぇか

そこにあるのは単なる「思い」込みだけだろ

ヒトという種の生物は 先天的には認知機能に問題がある痴的生命体である だが先天的な欠陥に起因する錯覚妄想は論理検証によって錯覚妄想であると自覚認識出来れば人間としての知能を獲得することは可能である

ところが現状の教育制度というのは 単なる世間的な成功ばかりを目的とした学力偏差値競争にしかなっておらず そもそも学力偏差値や学位学歴といったものが人間としての本質的知能とは無関係であることすら認識していない

認知科学的にも学力成績は知能の本質とは無関係であることが証明されており 学力成績がどんなに高くても その学力成績の大半は学力成績という抽象化されたエサ(脳への報酬)欲しさの条件反射的な鵜呑みばかりを促すため 教えられた内容が本当に正しいのかどうかを自律的に論理検証する者はほぼ皆無である

哲学界や生物学界における論理検証性の著しい欠落の原因は バカ教師に成績と引き換えに教えられた内容をバカみたいに鵜呑みにして教えられた通りに答えることでしか成績として認めてもらえないからであり 何も自律的には論理検証しないバカでないと哲学界や生物学界では権威として認められないからである

更に言えば 論理的思考の苦手な文科系大衆観念に染まったマスコミ報道が バカ大学教授の言っている内容を何の論理検証もせずに「素晴らしい」などという主観的形容詞によって持ち上げるだけで 何の批判精神も働かずに傍観放置することによって 教育機関におけるバカ体制が維持され続けてしまっているのである

生物学者や社会心理学者が「ヒトという種の生物には、先天的に人間性が組み込まれている。」などと言い出せば 大衆マスコミは「素晴らしい」などという主観的形容詞でもてはやし 何の疑問も持たずに鵜呑みにして安心満足する

その主観的安心満足こそがヒトの先天的な欠陥である「論理検証性の欠落」の最大要因であることは オイラ以外ほとんど誰も指摘しない

松沢哲郎の文化功労賞だとか ジャレド:ダイアモンドのピュリッツア賞などというものは 論理科学的に内容を精査して与えられたものではなく むしろ大衆迎合的人気を評価基準にしたものに過ぎない

理詰めで徹底的に論理検証することを避け 「楽観的」などという主観を科学に持ち込むように誘導することによって 科学を逸脱していることを撹乱しているのである

もちろん 単なる論理武装によって「俺様の方が知的に優位に立っている」かのような気分的満足で思考停止しているのでは話にならないが だからといって誰彼構わず「対話」によって大衆迎合的に話を丸めていたのでは科学を逸脱してしまう

これは決して「バランス」の問題ではなく 意識の問題である

大衆迎合であれ論理武装であれ 目的が主観的満足だから意味がなくなるのであって 主観を排除した客観的論理検証にのみ科学的価値が存在するのである

オイラは別に頭が良いわけではない むしろ哲学界や生物学界の痴呆状態を指摘しているだけであって 決して知能的に優位なわけではない 決して論理的に理解することがむづかしいことを述べているわけではないからだ

過去に天才として扱われた人達であっても その業績を大多数の人が理解できたからこそ業績として認められたのであり それなら理解可能な誰が気付いてもおかしくはなかったのである

しかし 大多数の人は「言われてみれば理解することが可能」であるにも関わらず 自ら気付くことが出来ないから気付いた者を天才だと見なして扱うのであろう それは単に珍品希少価値に過ぎない



歴史教育においても戦国時代の為政者を歴史の主役「英雄」扱いするのはおかしな話である

近代においては戦争暴力によって侵略することや封建的独裁は悪として扱っているにも関わらず 時代が戦国時代なら暴力的為政者だけを歴史の主役扱いするのは支離滅裂である

暴力的独裁為政者という点においてのみ評価するのであれば ナチス政権にも功績を認めることは可能である 高速道路の整備や工業の発展という「結果」だけを取り上げて功績だと言い張るのはあまりにも無責任な話であろう

しかし戦国時代の武将の場合 仲間内だけに有利な行動を採りさえすれば人格者であるかのように取り扱うことがしばしばある

これは文科系大衆観念的妄想錯覚以外の何物でもない

主観的に戦国武将などの中世の為政者を好きになっても構わないというのであれば ナチス独裁者のアドルフ:ヒトラーを好きになっても構わないという話になってしまうのである そんな話要らん

2018年ノーベル賞受賞者も「教科書を信じるな」と述べているように 教えられたことや多数派の意見を漫然と鵜呑みにせず 冷静に論理検証する気持ちを忘れるべきではない

これは 決して奇をてらった発想ではなく むしろ科学的論理検証においては普遍的に言えることなのである

科学的思考というのは社会安全性にとって重要な基礎であり 観念的妄想錯覚に起因する意味のない因習や危険行為を避けるために必要なスキルなのである



Ende;
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○楽観的。

2018年10月05日 22時25分14秒 | 意識論関連
「楽観的であることが大事だと思います。」

そもそも楽観的か悲観的かってのは気分の問題であって問題解決とは関係がない

「楽観的でないと希望がなく問題解決の意欲を失う」なんていうのは そもそも問題意識や意欲がないから言い出すことであって 楽観的であるが故に権威や多数の意見に間違いがあっても気づかないのでは話にならない



危険学や失敗学において 楽観だの悲観だのといった気分の問題は全く意味を成さない

問題の徹底的な原因究明において重要なのは論理的客観性であって 観念的主観を徹底排除することが重要なのである

楽観だの悲観だのという話は主観的観念(気分感情)を述べているに過ぎず そんなことを述べている時点で問題解決能力の欠如を意味するのである

原発が暴走して放射能がぶちまけられた状態で楽観的になられても意味がわからない

問題解決において最も重要なのは楽観だの悲観だのといた気分感情に左右されない徹底的な論理的客観性であって

「ヒトの99.8%は戦争をしていないことに気づけば戦争はなくなる。」などという 論理的根拠もすったくれもない与太話に同調して満足している頭の悪さを認識すべきである

山極京大学長の言っていることを鵜呑みにしていたら認知機能に重大な問題があるぞ



Ende;
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○不完全な安全装置。

2018年10月05日 13時14分22秒 | 日記
認可外保育施設のうつぶせ寝で生後6ヶ月の子供が死亡

以前に保育園のプールで溺死とかもあるけど

そういうのこそAIに見張らせようよ

もはや公的に整備しても良いんじゃないかと思う

人力だけでは見落としは無くせないもの

自動車の追突防止システムによって8割以上追突事故が減ったらしいじゃん

決して完全じゃなくてもとりあえず減らすことだけでも進めた方が良いと思う

努力辛抱根性ではヒトのポカミスは減らないよ

そんなの生産現場じゃ常識だよ



Ende;
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○自覚のない洗脳。

2018年10月03日 14時07分14秒 | 意識論関連


ヒトという種の生物は、決して先天的に人間性が組み込まれているわけではない。だからこそ犯罪や紛争や差別イジメが起きるのであって、ヒトでさえあれば人間性が発揮出来るわけではない。

大人からは純真無垢なように見える子供であっても、子供達だけで放置しておくとイジメが生ずることは珍しいことではない。ヒトという種の生物は先天的に差別迫害を行う行動バイアスが存在しているからであり、先天的な本能が促す行動バイアスというものは無意識な「結果」に過ぎないことを、従来哲学も生物学も一切指摘してこなかった。

どんなに行動バイアスが促す感情が「強い」としても、その強度程度こそが自律的論理検証性という人間としての意識を阻害する最大の要因なのである。振り込め詐欺師にカモられる被害者が増える一方なのは、「気分感情の強度程度こそが意識である。」という論理的根拠のない大衆観念を鵜呑みにしているからである。恐怖心を煽られ興奮状態の時こそ冷静になって確認していれば振り込め詐欺にカモられることはない。

「ゴリラに学べば戦争はなくなる。」などという論理的根拠も何もなく、具体的方法論も導き出せない山極学長の実証不能の観念を、大多数の大衆マスコミは鵜呑みにして気分的に満足し、誰も論理検証することはない。これはもう詐欺に騙されている状況と何ら変わりはない。

ヒトという種の生物でありさえすれば、人間としての知能が常に働くものであるという錯覚(正常性バイアス)が先天的にあるため、ヒトは自らの頭の悪さが認識出来ずバカが治らないのである。

「ヒトの99.8%は戦争をしていないことに気付けば戦争はなくなる。」などという、論理的根拠の全くない実証不能の京大山極学長の観念を、大多数の大衆マスコミは鵜呑みにして気分的に安心するだけで。それが何の役にも立たない嘘であることは誰も指摘することはないばかりか、むしろ同調して「素晴らしい」だのという主観的感覚だけで科学的業績か何かであるかのように持ち上げてしまうのである。

危険学や失敗学では、「ハインリッヒの法則」に基づいて検証が行われるのが常識である。「一つの大きな事象の影には、無数の小さな事象が隠れている。」という統計的事実に基づいて徹底した原因究明が行われなければ、本当の再発防止策にはつながらないからである。そこに「少数だから、安全だ。」などというわけのわからぬ屁理屈が混入してはならない。

ヒトの大多数は殺人などという面倒臭いことはしないが、その多数という論拠だけで「ヒトは殺人をしない。」ことの科学論理的根拠には一切ならないし、それを「気づいた」だけで殺人がなくなる論理的証明になるわけでも対策にもつながることはない。

電通社内で自殺した割合だけを述べれば、さぞかし小さな値にしかならないであろう。人口に占める通り魔やテロリストの割合だけを述べれば、やはり圧倒的少数派に違いない。では、「少数派であることに気付いたら自殺も殺人もなくなる。」という話になるであろうか?

いやもう説明するのも嫌になる程くだらない問いである。一体どんなバカが山極の言っていることを鵜呑みにしているのか、わけがわからない。

「少数であれば、無視して構わない。」というのであれば、ごく稀に「カップ麺にゴキブリが混入していても構わない。」とでも言うのであろうか。若しくは「カップ麺にゴキブリは入っていることはないことの論証。」になると言うのであろうか。

こういうわけのわからない話で、どうやったら「わかったような気分。」に陥って満足出来るのか、オイラにゃさっぱり理解できない。

文科系大衆観念に染まったマスコミは、こうした論理的根拠のない実証不能の観念で気分的満足をすることによって、簡単に論理検証性を失い鵜呑みにしてしまい。わけのわからぬ嘘を漫然と垂れ流し続けるのである。

一方では「不倫はなくならない。」などという論理的根拠のないデマも鵜呑みにする。

これらのデマや嘘が生物学において通用してしまうのは、そもそも生物の遺伝的進化というものが何らかの目的に基づいて起きているものだという錯覚妄想観念に基づいているからである。

目的というものが、先天的に予め組み込まれていて、大脳辺縁系が促す先天的に組み込まれた行動バイアスに従っておきさえすれば、自動的に全て正しい「目的」に向かって結果が導かれるものであるという、ある種の宗教的妄想錯覚が大衆や進化生物学者や哲学者にはあるからだ。

自分の主観的気分感情が、常に正しい結果をもたらしてくれる万能な意識であると錯覚しているからこそ、電話だけで詐欺ることが可能なのである。

山極京大学長や、マイケル:サンデルや養老孟司の言っている内容を哲学や科学的根拠に基づいた意味のある理論か何かと勘違いするのも、気分的満足が促す安心と、論理的根拠に基づいた安全性の論証を履き違えているからである。

ヒトの大多数は、普段物事をそれ程厳密には検証していない。

「こんな奴(殺人犯)は、死刑にしちまえ!。」と怒鳴り散らして共感しておけば、全てが解決すると錯覚する。

しかし、殺人犯を死刑にしたからといって殺人が起きるメカニズム構造などの原因が究明され、再発防止につながる対策になるわけではない。

被害者や遺族の中には「こんなことで苦しむのは自分達だけで終わりにしたいので、再発防止を優先して頂きたい。」と要望されていることがあるが。大多数の無責任な「死刑にしちまえ」といった乱暴な結論の圧倒的多数と、現状制度上において再発防止が優先されていないことを理由に少数派の声は潰されており。現在の司法制度による刑罰だけで「解決」であると規定されている現状に異を唱えるものも極めて少数派である。

ヒトという種の生物でありさえすれば、先天的(自動的)に人間性を常に発揮出来るようになっている優秀な生物であるという妄想錯覚に基づいているからこそ、「物事を厳密に検証しよう。」という意識が働かないのである。

ヒトのことを「知的生命体」などと形容することがあるが、大多数の大衆は過去の知能の集積を利用しているだけであって、自発的に物事を検証するといった本質的知能はほとんど働いていない。

だからこそフランシス:ゴルトンの優生学に対する論理反証を130年以上も誰もしてこなかったのである。

生物の遺伝的進化には目的がないことに基づけば、優生学も含めて多くの生物学上の理論は科学的に間違いであることの立証になるのだが。生物学者の大多数はこのことに自発的に気づくことが出来なかったという頭の悪さを認めることにもなり、権威性を失うことを恐れて黙殺しているのである。

もし優生学の論理反証が周知されていれば、相模原障害者施設で植松聖による虐殺事件は起きなかった可能性もある。少なくとも殺害の動機理屈には使えない。



もしもヒトという種の生物に先天的に人間としての社会性や倫理が組み込まれているとするのであれば、冷静に厳密に物事を判断して行動選択をするという理性なんぞ必要がなく。気分感情が促すままに行動していれば自動的に人間性が発揮されることを意味する。

それは、つまり、「何も考えなくても常に人間性は発揮される。」という妄想である。

京大霊長類研究所の松沢哲郎は、「先天的な行動習性から、人間としての社会性が立証出来るかも知れない。」と述べ。これをマスコミは何の疑問も持たずに垂れ流し、「出来たら素晴らしいですね。」などと形容した。

しかし、先天的行動習性である以上、特定環境下においての断片的「結果」以上の意味はなく。これだけでは「人間としての社会性の立証。」には構造的にならないのであり。松沢の予測は最初から立証不可能な妄想観念(オカルト)に過ぎないのである。

こうした妄想観念の素となっているのがリチャード:ドーキンス著「利己的な遺伝子」であり。要約すれば「遺伝的進化によってヒトには先天的に人間性が組み込まれている可能性がある。」という話である。

特定環境条件下において、利他的行動を促す習性が存在するとしても。それが短絡的に「先天的に人間性が組み込まれていることの論証」には全くならない。先天的行動習性である限り「特定環境条件下」という縛りがある以上、人間性や倫理の素となる「自律的な社会的責任判断選択」という条件から逸脱するからである。

例えば、振り込め詐欺師が仲間内で飯をおごったからといって、振り込め詐欺師の人間性を立証したことには全くならないからだ。

東京電力福島第一原発において、「組織の利益を優先して、自律的な社会的責任を負わなかった。」ことこそが、人間性や倫理の欠如を招いたのであり。「組織の利益。」という利他的行動が人間性を欠いた行動を促すことも珍しいことではない。



Ende;
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○メモ32。

2018年10月02日 23時48分38秒 | 日記
メモ32

フォカッチャってなんすか



敷島製パン(パスコ)のサイトも全部見れないわ

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

近頃Android2.2の標準ブラウザがURL探すのに迷子になるらしくて

プログレスバーが途中でデッドロックしたままOSごとNO感じで凍る

こうなると再起動しないと何にも出来なくなるので早く新しい端末が欲しい

Chromebookにしようかなぁ…

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

つよそうw



着地する時、土煙をドーンと巻き上げ登場したい(小堀友樹)
 -デイリーポータルZ

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

人工知能は錯覚も再現されるんだそうな

人工知能にレオナルドダビンチのモナリザを解析させると目許が動く予測をするという

となると人工知能による様々な予測にも錯覚が再現されてしまう可能性がある

概ね正しい予測をしているからといって完璧だと勘違いするのは危険だね

言っとくけど人工知能ってのは生物の脳をコンピューター上で真似たものであって理論的に何かを「考え」ている保証はないからね だからどんなに金のかかったAIでも優生学に対する論理反証は出来ないし また理解もしやしない

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

一般向け光造形3Dプリンター何てもんがあったんか

6万5千円だとか

UV硬化レジンって安くなったんだろうか

記事を読んでたら「イソプロピルアルコールが有害」って書いてあったんだけど

水性アクリル塗料の溶剤ってイソプロピルアルコールだと思ったんだが

エナメル塗料のテレピン油的なものとどっちが有害なんだろうか

そういえば子供向け3Dペンが紫外線硬化樹脂を用いているんだけど

硬化用紫外線LEDが眼に悪影響があるのではなかろうかと心配している

紫外線カットゴーグルも用意すべきではないか

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

かつて九重橋の下まであった水路の写真


今は埋め立てられちゃった


季節によっては橋の下に小さな魚が大量に産卵しにきてたこともある

九重橋

まだあるんかしら 水路が埋め立てられちゃったからトマソニカルな状態なんだが

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

森永のチョコフレークが生産終了らしいんだが

日清シスコとの価格競争に負けただけだと思う

久々にピルクル味が食べたいなぁ

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

フジフイルムがレンジファインダースタイルのGFX出してきた

GFX 50R


センサーサイズ43.8×32.9[mm]

対角線長54.78[mm]

アスペクト比 4:3

レンズのラインナップが35㎜判換算で36㎜とか50㎜とか87㎜なんだけど

オルソメター型55㎜ F4(43㎜相当)とかガウス型95㎜ F2.8(75㎜相当)だったら渋くていいなぁと思ってみたりする

出したところで買えないけど

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

写真スタジオ的なお店で化粧品を使いまわしているんだけど

インフルエンザなどのウイルス感染源にならんかと心配

試供品みたいな使い捨ての口紅とかにしといた方が安全じゃないかな

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

小惑星探査機はやぶさ2に搭載されていた地表探査ロボットから送られてくる画像がこんなんばっか





ゴーストは激しいはブレるわでよくわからん

JAXAは何がしたかったんだろう



Ende;
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○全滅。

2018年10月02日 21時47分55秒 | 日記
台風24号で金木犀の花が全滅

まだ咲くかなぁ



コオロギが鳴いている

そういやコオロギは牛肉の何倍もの蛋白質があって脂肪もほとんどなくヘルシーなので食料危機対策に有効なんだとか

いや カワイイんだけど 口に入れるのはちょっと

粉末にして揚げ物に混ぜるとかなら同じ甲殻類の海老とさしたる違いはないかな

まあ慣れの問題なのかも知れないけど

東南アジアの方では普通にカラアゲにして日常的に食べているとか聞いたことある

な 慣れるのかなぁ

与える餌によっては風味が良くなったりするそうな

コオロギの風味ねぇ…



 ◇追記:そういえば読売新聞の勧誘が来たんだけど

新聞って売れないんだろうな

でも同じ配達業でも宅配屋さんは人手不足なんだから協力すやりゃ良いんじゃねぇかな

そういうアプリってないのかな

新聞配達はしてても情報弱者だったりするのかしら

まあ記者じゃないからな



Ende;
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○お伽話。

2018年10月02日 21時37分32秒 | 意識論関連
詐欺師が電話とか口頭でしか話さないのは何でか知ってるかい

電話とか口頭なら証拠が残らず丸め込むことが出来るからだよ

文章に残すと論理検証されちゃうから電話とか口頭で嘘をつく

山極壽一が「対話」を求めるのは口頭で話をすることで証拠が残らず丸め込むことが出来るから



「書籍が出ているよ」って思ったかも知れないけど

金出して買った奴というのは 「金を出した分の価値があるはずだ」というバイアスがかかっているので

認知的不協和理論的にも「無料のものよりは価値があるはずだ」という錯覚を促し易く内容を鵜呑みにしがちな傾向があり

結果的に反論を回避することが出来る

こういう「本を買ってね」的な手法というのはエセ哲学者の常套手段で Web上の不特定多数の論理検証を避け 金を出してまで求めるバカから金をまきあげるためのもの

講演会的なものも怪しいと思った方が良い どうせ講義を聴いたところで内容を全部理解して論理検証出来るわけでもなくて 「何やら有名なお方のご講義が聴けるなんて素晴らしいわ」的な盲目的バカが有り難がって金出してまで聴きに行くだけなので 誰も論理的反証が出来るわけでもなし する気もない



「ヒトの大半は戦争をしていない」ことに気付いたら戦争がなくなるだとか言っているけど

具体的にISILに対してどう対処すれば良いのかとか 実質的には何にも述べてないのよね

ハイデガーがナチスと話丸めたからといって 全然ナチスの野蛮行為を止めることにはならなかったでしょ

ナチズムに反対して処刑された教育者がいたそうだけど ナチスのような封建的独裁政権下において「淘汰」されて残るのは善人なんでしょうか?

違 う で し ょ

独裁政権下で生き残れるのは独裁政権に同調迎合するクソ野郎だけなのよ

こういう淘汰圧力によって人間性が進化的に遺るとお思いか?

イジメで自殺した子がいたら 生き残るのはどんな奴だろうね

大多数の傍観者と 同調した暴力者だけだよね

それでどうやって人間性が進化するって言えるんだろうね

リチャード:ドーキンスのお伽話っていうのは 「遺伝的に集団内部における利他的行動習性が残る」という可能性を述べたわけだけど

それなら振り込め詐欺師が仲間内で飯おごったら人間性なのかしら?

ヤクザの鉄砲玉が組織にとって利益になる行動を命懸けで行ったら人間性の論証になるのかしら?

東電社内で原発の津波に対する脆弱性を放置したのだって「組織の利益を優先」したからでしょ?

そんな行動習性が先天的に組み込まれているとしても人間性の論証になんか一切ならないでしょ

京都大学霊長類研究所を筆頭に 進化生物学者のほとんどはドーキンスのお伽話を鵜呑みにして満足しているオカルト野郎ばっかなのよ

それは科学じゃありませんよ



Ende;
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○被害者の努力。

2018年10月02日 19時26分57秒 | 意識論関連
京大の山極学長がゴリラと仲良くなれたからといって それを短絡的に「戦争をしなくて済む」ことの論理的根拠にゃ一切ならんだろ

ヤクザと話を丸めて仲良くしとけば「殺されずに済む」からといって それでヤクザの社会的害がなくなったことにはならんぞ

どんなに狂暴な相手と仲良くなれても それで相手の狂暴性がなくなるわけではない

ゴリラやヤクザに「認められた」からといって それが短絡的に「平和にとって有効」という話にはならんだろうが

狂暴で暴力的な相手に「認められる」ようになれば それは狂暴で暴力的な相手に服従迎合することにならざるを得ない

それは封建的独裁にしかならんだろ



志茂田景樹が「変な格好をして笑われるようになったらイジメられなくなった」なんて話に「いいね」が集まったりするのだが

そもそもイジメってのは被害者の方の問題ではなく加害者の方に問題があるのに 結果的に「イジメられなくなった」ことだけを根拠に志茂田景樹の行動を正当化することはできない

それとも何すか 「イジメられている被害者は全員頑張ってイジメられないよう努力しなきゃいけない」とでも言うんでしょうかね

バカなの?

そんな話を鵜呑みにしているから原発の津波に対する脆弱性が放置されたんじゃねぇのか?

迎合性や同調性といったものが生存価にとって有利だからといって それが短絡的に人間性や倫理や「戦争対策」になるわけでも何でもなく

むしろ多数派同調性こそがISILのような暴力集団を作り出す原因ともなるのであって 凶悪な相手と仲良く話を丸められても暴力性の解決には全くならず 助長にしかならんだろ

しょうもない



何の批判精神も一切発揮せず 権威に服従迎合して話を丸める「対話」なんぞ独裁組織腐敗しか促さない

山極学長の方針というのは組織腐敗の助長にしかならないだろ

とっととクビにしろよ

京大のノーベル賞受賞者もバカしかおらんのか?

「論文の引用数」なんつう多数決で決定しているノーベル賞なら科学的根拠も権威性もすったくれもねぇぞ



Ende;
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○ご安全に。

2018年10月02日 15時54分42秒 | 意識論関連
意識の本質というものが前頭前野にあるという説が一時期ありましたが

どうもデフォルトモードネットワークによる気付きの方にあるんじゃなかろうかと

そうなると脳の特定部位の発火興奮では意識を捉えることにはならないのではないかと

「論理的思考が成立しないことを説明せよ」っていうコメントもあったんだけど

観念が論理的思考を阻害することは今まで何度も述べてきたつもりなんだけどなぁ

そもそも何がおかしくて「w」とか付けてきているのか自分で考えたりしないのかしらw



共感によって安心満足することが論理的安全性か何かと錯覚するから危険性が放置されたりすることがあるので

何にせよ前頭葉の特定部位だけが本質的意識(自発的論理検証性や気付き)の働きではないんじゃないかと思う

脳マッピングっていうのはまだ未知の部分が圧倒的に多いので「ここさえ働けば論理検証」みたいな短絡的結論を盲目的に信用しない方が良いと思う

茂木健一郎とかすぐに「脳に良い」って言いたがるけど これも大衆ウケ狙いのデマにしかなってないのでご注意



Ende;
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○シグマの執念。

2018年10月02日 15時11分37秒 | 日記
シグマが40㎜ F1.4っての出してきたんだけど



前群の凹レンズ系に屈折率の低いフッ素化合物ガラスが多用されているのは倍率の色収差対策だとは思うけど

直径に対して全長が長く見える

仕様書見ると35㎜が全長94㎜ 50㎜が全長99.9㎜ で 40㎜は全長131㎜なのでやっぱ長い

35㎜も50㎜も絞りの前後でガウス型なのに40㎜は絞りの後ろ側が凹凸反転していたり

何かシグマの画質に対する異常な執念みたいなものを感じる

MTFで比べてみよう

35㎜


40㎜


50㎜


うわまじか全然違うやん

F1.4でこんな数値見たことないわ

いやF2.8クラスでもなかなかないよ

本当かね

にわかには信じ難い

 ◇追記:公式サイトのサンプル画像をダウンロードしてみた


いやこりゃ凄い

言っとくけど下の写真のピクセル等倍拡大画像だかんね




Ende;
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○山極壽一。

2018年10月02日 14時28分01秒 | 意識論関連
「IT社会がね、学問の性質を変えてしまったんです。知識は、人から人へと伝えられるものでしたが、今の若い人たちは、知識はインターネットの中にあると思い込んでいて、人から学ぶものじゃないと思っているんですよ。」

 山極壽一 京都大学総長の名言bot -on twitter

「人から学ぶ」って言ったって単位学位との引き換えだから疑うことや精密検証をしなくなるんであって

ネット上の情報なら利害関係がないからこそ自由



山極はゴリラと仲良くなったら人間性だとでも思っているんだろう

それならヤクザと話丸めて仲良くなってりゃ人間性だとでも言いたいんだろうな

それは「キチガイのご機嫌取り」であって科学じゃねぇぞ

ゴリラに対して主観的に威厳を「感じ」たからと言って、それが何で「ゴリラの人間性」みたいな話になっちゃうんだろうな

ヒトも含めて霊長類は権威に対する威厳を「感じ」ることによって服従迎合性が統率的協調性を発揮されるんであって、こうした先天的な社会形成習性というものは方向性がないのでイジメ差別の原因になることもある

軍隊というのはヒトの先天的な社会形成習性を利用した絶対的服従統率集団であり、封建的ヒエラルキーによって個人の自律的な社会的判断選択をも不具にするものでもある

戦争のようなくだらないことを遂行するには便利かも知れないが、原発の運転に便利だからといって津波に対する脆弱性を放棄されたらどうなったのか 誰もが知っているはずである

山極はゴリラと仲良くしたことを事後正当化するために科学的分析を逸脱した主観を科学的業績であるかのようにでっちあげているだけであって

こんな話に乗っかってくるのは科学的論理検証性のない文科系大衆観念者だけであり

科学的には何の業績にもなってはいない

何で誰も気づかねぇんだろうな

京大ってバカしかいねぇんじゃねぇのかな



「戦争は、人類の進化の歴史のなかで非常に新しい出来事です。武器を 使い始めたのは、せいぜい数千年前。人類の歴史は700万年ですから、 99.8%は集団の争いや戦争のない社会です。それに早く気付かないと いけません。」


気付いたら戦争がなくなるとでも言うのかしら

0.2%の少数アクシデントは無視しても構わないとでも言うのかしら

大多数が自殺していないから電通はブラック企業じゃないと言うのかしら

大多数の鉄道運転士はマンションに列車を激突させたりしないからJR西日本は安全だとでも言うのかしら

それはもう社会全体からすれば小数点以下ゼロがいっぱいつく程の少数事案だけど、それを根拠に「安全だ」って論理的に証明されたわけでも何でもないだろうよ

こんな話で何かを「理解」したような錯覚に陥っているバカがいっぱいいることこそが最大の危険だわ



「昔は人間が立ち向かわなくてはならないことがたくさんあり過ぎた。 肉食獣が襲ってくるとか、災害が起こるとか、それらにいつも対処す るために、もともと弱い存在である人間は固く団結して、協力し合っ て乗り切る必要があった。そしてそのために共感力が大いに発揮され てきた。」

進化の過程で共感力を発揮する個体への淘汰圧力が働いた結果 イジメなどの差別行為においても団結して統率協調性を発揮するようにもなった

そして こうした統率協調性というものは「恐い相手への服従迎合」バイアスとして働くことの方が圧倒的に多い

それがもたらすのは封建的独裁ばかりである

イジメというのは誰もが学生時代に経験しているはずなのに 学級内カーストを受け入れて「そういうものだ」と諦め対策することを「考え」なくなるようになる




「私は大学で京都に来ていろいろな人と付き合いながら、ちょっと違う 雰囲気を感じたんですよね。必ず「お前どう思ってんねん」が出てく る。自分が読んだ本の中から、マルクスはこんなことを言っていたと か言っても、「それはお前が考えたこととちゃうやろ。で、お前はど う思ってんねん」と必ず聞かれる。」

そりゃお前が自分で何も「考え」てないバカだからだよ

知識のひけらかしを知能だと「思って」いるからバカなんだよ





「ゴリラの学校に留学して、人間社会に戻ってくると、生物学的におか しいことがたくさんあります。ゴリラに学べば、戦争をしない社会が つくれますよ。」

それはさぞかし封建的な独裁社会であろう

ゴリラと仲良くなれたからといってゴリラが狂暴な野生生物ではないことの論拠にはならんだろ

具体的に「どう学んだ」のかは一切理論的には説明してないしな



「仲間に自分の時間を差し出し、仲間からも時間をもらいながら、互酬 性にもとづいた暮らしを営んできた。幸福は仲間とともに感じるもの で、信頼はお金や言葉ではなく、ともに生きた時間によって強められ るものだからである。」

ヤクザとかクソDQNが集団から抜けられないのはそれが原因だよ




「学問には新しい発想が必要なのです。異分野の人たちと話をし、触れ 合うことで新しい発想が生まれます。」

それがないからお前はバカなんだよ



「アメリカの大学は膨大な自己資金を持っていますよね。それは基本的 に税率控除の問題なんです。企業が大学に投資するお金に対する税金 控除の措置が日本はまだまだ遅れているんですよ。だから各大学とも なかなか自己資金を集められないでいる。」

霊長類研究所の無駄な研究費を削減すんのが先だろ



「僕は、「大学は窓です」とも言っています。これまで大学は「門」で 語られてきましたが、寺社仏閣の門のように俗世間と聖域を分けるの ではなく、窓を開いて、相互の風通しをよくしたいんです。」

なるほどね だから世俗の文科系大衆観念と話丸めて科学的論理検証を逸脱すんだな




「少なくとも京都大学では、ディベートで相手を打ち負かすだけの人物 をエリートなどとは呼びません。エリートに求められるのは、ディ ベートではなくダイアローグ、すなわち対話です。」

なるほどな 理詰めの議論よりも仲良く話丸める奴の方が京大ではエリート扱いされるんだな



「ゴリラのように泰然自若がモットー。人間より広く深い自然の視点で 見れば、人間が抱える問題を越える工夫も得られるのではないか。」

「のではないか。」とか言ってるけど論理的根拠があるのかしら

「自然の視点で見れば、人間が抱える問題を越える工夫も得られる」んだったら危険学も失敗学も要らんわな

畑村洋太郎の全否定かよ



「今の日本に必要なのは、人間の安全を保障するのは機械でも技術でも なく人間の心だという事実に立ち返ることである。いくら予算をつぎ 込んでも、法や規則を整備しても、自分以外の人々に気を配る心がな ければ、安全は保障されない。」

人間性や本質的意識や心のなんたるかを理解していないバカが何知ったようなこと言ってんだろうな

「先天的な気分感情こそが人間性や心だ」と勘違いしているから安全が保障されないんだろうが





Ende
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○分別。

2018年10月02日 11時56分01秒 | 意識論関連
ストーカーとかやっている奴ってのは 自分の行動を自発的には選択出来ないのよね

自分自身で「これをやっていると楽しい」っていう行動を主体的に選択することができないので

環境から与えられる快楽の中から 快楽の強度程度だけで行動が決定してしまう

だからストーカー行為に簡単に中毒になっちゃう

もう自分では止めることも出来ない

ストーカーってのは「相手の気持ちがわからない」んだけども そもそも「自分の気持ち」すらも本当はわかってないので必然的に相手の気持ちもわからない

自分が本当には何が好きなのか 純粋に何をしている時が一番楽しいのかがわからないし 自律的な選択も出来ない

何かに熱中して夢中になって楽しむ純粋行為がわからないので 環境から与えられる快楽の中から快楽の強度程度だけで簡単に中毒症状を引き起こす

理性が働けば 環境の中から主体的に「選択」することが可能なんだけど その理性が働かないから簡単に持続可能性がない行為に中毒症状に陥る

ヒトの脳っていうのは そもそも何かに中毒になる性質があるものなので 純粋に自己完結している行為を認識して持っていれば 環境に左右されずに熱中出来るようになる

千住真理子がバイオリンに異常なまでに熱中しても 誰にも迷惑かからないでしょ まあ若干かかっているみたいだけど

尾畠春夫さんがボランティアに熱中しても 有り難いと思う人はいても迷惑にはならない ご家族は大変らしいのだけど

多少の迷惑ってのは誰でもあるものなので 重要なのは熱中出来ることがあれば それを続けられる社会の安定性や安全性もセットで求められるってこと

自分の中毒性を自己完結出来ていれば 他人に迷惑をかけずに むしろ他人の中毒(楽しみ)にも配慮出来るようにもなる

自分の主観的な好き嫌いを明確に認識出来ていれば 必然的に客観性も働くようになる

それが出来ていないと他人の迷惑に配慮することも出来なくなる

これはストーカーに限らずあらゆる犯罪者やクソDQNヘイトスピーチに共通する病理

「自分が不幸なのは誰か他人に原因があるはずだ」という観念が犯罪者には共通して見られる

仏教ではこれを「外道」と言う

釈迦って人は極論ばっかり説くので 「そんなことしたら死んじゃうよ」って話が多いため 「仏様=お亡くなりになったお方」に例えられることが多い

大衆観念的には「死んだら終わり」だと言うんだけど それを根拠に「生きるためなら何でも許される」とでも解釈するのはバカの発想にしか辿りつかない

「死んだら終わり」って言ったって 死なない奴なんかいないよ ヒトの死亡率は100%だからね

だから生物学的な生存自体は人間としての尊厳とは無関係で 生存自体は自然環境から与えられた「結果」でしかない

その「結果」に過ぎない生存というもの 「どう生きるのか」というのは「どう死ぬか、何のために命をかけるのか」という意味でもあるので そこで初めて「目的」行動選択というものが介在するようになる

結果的にわいてくる欲望のままに行動していて「自由」なんかないのよ

欲望ってのは先天的に組み込まれた行動バイアスの結果でしかないので そこに主体的選択が介在しなきゃ「自由」もへったくれもない

先天的に生じる様々な欲望というのは 社会的に利己的なものもあれば そうでないものもある

「女の子のパンツが見たい」という欲望を美術的動機に昇華させられればダイスケ・リチャードみたいに素敵なイラストを制作することに没頭出来る

たとえ背徳的で猟奇的な行動に魅力を感じても 江戸川乱歩みたいに小説なら迷惑(実害)はかからない

美術芸術というのは主観だから 好き嫌いがあって当然で 人気があっても個人的には苦手なものがあっても当然で あって良いものでもある

だけど哲学ってのは本来真理を追求するための学問なので 主観的好き嫌いは持ち込んではいけない

ところが「哲学」と世間では呼ばれている書物の大部分は 読んだ奴が主観的に満足したことを短絡的に真理か何かだと勝手に錯覚して思考停止に陥っているだけであって 本来の哲学としての社会的役割を逸脱したオカルトにしかなっていない

哲学というのは科学的探求の基礎なので 徹頭徹尾客観的論理性が必要な領域

その区別 分別が出来ていないから 科学にオカルトが混入しちゃう

優生学への論理反証も誰も出来ず ドーキンスのお伽話で満足して思考停止しちゃう

自分の主観的「感じ」が絶対的で完全なものか何かと錯覚しているから こうしたバカげたスパイラルに簡単に陥ってしまう

主観的な「感じ」とか「思い」というものが 意識の本質だと思われているのがそもそもの大間違いの素

客観的論理性に基づいた「考え」こそが人間性としての意識の本質であって 主観的「感覚」との明確な区別によってこそ論理的「考え」が成立する

例えばフェミ系クラスタの人が主観的に「気持ち悪い」ことを根拠にフェミ系クラスタ内部でそれを共有して満足したところで問題解決には一切ならない

もっと大局的な視点から分析して徹底した原因究明をしないと再発防止という問題解決には辿りつかないのよ

「満足」とか「安心」といった主観的感覚というものこそが 客観的論理性を持った「考え」を阻害してしまう要因

だからマイケル:サンデルの講義を聴いて「素晴らしい」と満足して洗脳される

哲学っていうのは科学的思考だから 文芸的な多数大衆の人気取りとは関係がない

「科学は多数決ではない。」のと同時に「哲学は人気取りではない。」のよ



Ende;
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