NHK解説員の室山哲也が言ってた「人類は絶滅します。」とか、脳科学者中野信子が言ってた「不倫はなくならない。」っていう論理的根拠のない勝手な決めつけというのをしたがるバカが後を絶たない
これらの勝手な決めつけというのは無差別殺人犯の動機と同じ構造なんだよね
「○○は絶対になくならない。」とか決めつけることで思考を停止させて暴力などの短絡的行動を正当化するための屁理屈なのよ
通り魔とかクソDQNが良く言うでしょ「社会が悪い」って
「社会が悪い」からといって、あたかも論理的に改善不可能であるかのような決めつけをすることによって、無差別的に不毛な報復暴力行動だけに邁進するようになる
どこがどのように間違っていて、どのようにすれば改善するのかといった具体的理論なんか一切抜きにして一方的な決めつけによって思考を停止させ満足する
そして恐ろしいことに、こうした非合理で勝手な決めつけに対して文科系大衆マスコミは誰も論理的に反証もせずに非科学的嘘を平気で垂れ流す
いや 同罪だかんなお前ら
こういうことを言うと、バカは必ず偉そうにこう言い返してくる
「だって、わからなかったんだもん。」
えなに自分の頭の悪さを自慢してんの?
わからなかったことは偉いの?
何で偉そうなの?
わからなかったのが多数派だから正当化できるとでも思ってんの?
もうね 頭の悪い奴って自分の頭の悪さをどうにかはぐらかして正当化しようとするのよね
「ああ、皆一緒だった。」で安心することだけで何も考えない
多数派同調バイアスってのは気分的安心満足を促しているだけであって、別に論理的正当性にはならんからな
気づいた奴が少数異端だったからってバカが正当化できるわけじゃねぇぞ
虚無主義(ニヒリズム)ってのは思考停止の現実逃避であって、どんなに偉そうに断言していても科学的根拠や論理的証明無しに正当化は出来ないからな
「出来そうにないことは、やらない方が良い。」ってニーチェだっけか?
出来るか出来ないかは、やってみなけりゃわからないんであって。観念的に「出来そうにない」と「思った」からといって不可能性の証明にも何にもならんだろうが
「やってみなけりゃ、わからない」だから大「科学」実験なんだよ
観念的に「出来そうにない」と「思った」からといって、そのお前さんの観念(思い込み)に一体どんだけの論理的根拠や社会的価値が存在すると思ってんだろうね
お前さん一体何様なんだよ
お前さんは自分のことを絶対的に間違えない神か何かと勘違いしてんじゃねぇのか?
ニーチェとか読んで満足しているバカってのは基本的に何も考えていないからバカげた話を鵜呑みにして満足している
現状「哲学」と分類されている話の大半は、こうした「勝手な決めつけで満足」しているに過ぎない
どれがそうかって?
そんくらい自分で考えろよ
多過ぎてキリがないわ
本来哲学っていうのは「科学の帝王」であって、文学的満足で思考停止による非科学的嘘を見抜くためのものなのに
現状「哲学」と分類されている話のほとんどは、読んだバカが満足して思考停止のオカルト観念に陥るためのものにしかなってねぇんだよ
ハイデガーなんてナチスにケツ振ったバカの著作なんか鵜呑みにしてっから包丁とモデルガンで交番を襲撃するようになるんだ
読んだって良いよ、大事なのは論理検証性に基づく科学的批判精神がないから気分的満足によって思考停止のオカルト(バカ)に陥る
まあ 自分で「考え」ることをしないバカに何言っても無駄なんだろうけどな
それとも何か?
亀山郁夫の「ドスト:エフスキーの感想文」が何かの役に立ったことあんのか?
リチャード:ドーキンスのお伽話が何かの役に立ったことあんのかよ
発刊から40年経っても何の科学的応用にもならんだろうが
もう季節外れの暑さでイライラするわ
◇追記:
東京電力社内において、福島第一原発の津波に対する脆弱性を上司にいくら訴えても耳を貸してくれそうにないと「思った」ら
やらなくて良いんか?
ニーチェだか誰だか忘れたが「出来そうにないことはやらない方が良い。」なら原発の危険性を放置しても良いことになるんか?
現状「哲学」と分類されている著作のほとんどは、自律的な社会的責任判断選択を放棄して思考停止の満足に陥るためのオカルトに過ぎない
それ 哲学じゃないですよ
Ende;
これらの勝手な決めつけというのは無差別殺人犯の動機と同じ構造なんだよね
「○○は絶対になくならない。」とか決めつけることで思考を停止させて暴力などの短絡的行動を正当化するための屁理屈なのよ
通り魔とかクソDQNが良く言うでしょ「社会が悪い」って
「社会が悪い」からといって、あたかも論理的に改善不可能であるかのような決めつけをすることによって、無差別的に不毛な報復暴力行動だけに邁進するようになる
どこがどのように間違っていて、どのようにすれば改善するのかといった具体的理論なんか一切抜きにして一方的な決めつけによって思考を停止させ満足する
そして恐ろしいことに、こうした非合理で勝手な決めつけに対して文科系大衆マスコミは誰も論理的に反証もせずに非科学的嘘を平気で垂れ流す
いや 同罪だかんなお前ら
こういうことを言うと、バカは必ず偉そうにこう言い返してくる
「だって、わからなかったんだもん。」
えなに自分の頭の悪さを自慢してんの?
わからなかったことは偉いの?
何で偉そうなの?
わからなかったのが多数派だから正当化できるとでも思ってんの?
もうね 頭の悪い奴って自分の頭の悪さをどうにかはぐらかして正当化しようとするのよね
「ああ、皆一緒だった。」で安心することだけで何も考えない
多数派同調バイアスってのは気分的安心満足を促しているだけであって、別に論理的正当性にはならんからな
気づいた奴が少数異端だったからってバカが正当化できるわけじゃねぇぞ
虚無主義(ニヒリズム)ってのは思考停止の現実逃避であって、どんなに偉そうに断言していても科学的根拠や論理的証明無しに正当化は出来ないからな
「出来そうにないことは、やらない方が良い。」ってニーチェだっけか?
出来るか出来ないかは、やってみなけりゃわからないんであって。観念的に「出来そうにない」と「思った」からといって不可能性の証明にも何にもならんだろうが
「やってみなけりゃ、わからない」だから大「科学」実験なんだよ
観念的に「出来そうにない」と「思った」からといって、そのお前さんの観念(思い込み)に一体どんだけの論理的根拠や社会的価値が存在すると思ってんだろうね
お前さん一体何様なんだよ
お前さんは自分のことを絶対的に間違えない神か何かと勘違いしてんじゃねぇのか?
ニーチェとか読んで満足しているバカってのは基本的に何も考えていないからバカげた話を鵜呑みにして満足している
現状「哲学」と分類されている話の大半は、こうした「勝手な決めつけで満足」しているに過ぎない
どれがそうかって?
そんくらい自分で考えろよ
多過ぎてキリがないわ
本来哲学っていうのは「科学の帝王」であって、文学的満足で思考停止による非科学的嘘を見抜くためのものなのに
現状「哲学」と分類されている話のほとんどは、読んだバカが満足して思考停止のオカルト観念に陥るためのものにしかなってねぇんだよ
ハイデガーなんてナチスにケツ振ったバカの著作なんか鵜呑みにしてっから包丁とモデルガンで交番を襲撃するようになるんだ
読んだって良いよ、大事なのは論理検証性に基づく科学的批判精神がないから気分的満足によって思考停止のオカルト(バカ)に陥る
まあ 自分で「考え」ることをしないバカに何言っても無駄なんだろうけどな
それとも何か?
亀山郁夫の「ドスト:エフスキーの感想文」が何かの役に立ったことあんのか?
リチャード:ドーキンスのお伽話が何かの役に立ったことあんのかよ
発刊から40年経っても何の科学的応用にもならんだろうが
もう季節外れの暑さでイライラするわ
◇追記:
東京電力社内において、福島第一原発の津波に対する脆弱性を上司にいくら訴えても耳を貸してくれそうにないと「思った」ら
やらなくて良いんか?
ニーチェだか誰だか忘れたが「出来そうにないことはやらない方が良い。」なら原発の危険性を放置しても良いことになるんか?
現状「哲学」と分類されている著作のほとんどは、自律的な社会的責任判断選択を放棄して思考停止の満足に陥るためのオカルトに過ぎない
それ 哲学じゃないですよ
Ende;