書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

回りくどい

2020年03月26日 21時03分53秒 | 日記

小池都知事が「夜間の外出を控えて」とか言っているんだけど

一体何で夜に外出しちゃアカンのかようわからんかったんだが

どうも居酒屋での感染例とおぼしき事例が多いもんだから「夜中に酔っ払ってフラフラ歩いてんじゃねぇ!」っていうのが本音らしい

ただ 居酒屋って名指しで何か言うと炎上しそうなので 遠回しに「夜間の外出を控えて」などという 意味のわからんことを言っているらしいのだ

今は時期が時期だけにそういう回りくどい言い回しせんと ハッキリ言ったら良かろうと思うが

夜中に河川敷散歩すんのも悪いみたいに錯覚するわ

 

Ende;

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郵便物は大丈夫

2020年03月26日 17時21分32秒 | 日記

今日スーパーに行ったらレジ前が大行列

しかも一人が買う量が凄い多い

どうやら東京都による外出自粛要請の影響らしいんだが

この外出自粛ってのを皆さん勘違いしていらっしゃるのではないだろうか

別に屋外に出ること自体がリスクなのではなくて

公共交通機関を利用して移動したり 不特定多数の人が出入りする屋内に集まって一定時間とどまることを自粛して欲しいという主旨なので

外出って言っても徒歩や自転車で移動する分には自粛の必要性はないと思う

家の中に籠もったからと言っても 買ってきたものを除染せずに触った手で 家中のアチコチにウイルスを塗り拡げちゃってたら元も子もないし

特に冷凍食品に付着したウイルスは おそらく何ヶ月経っても活性を失わずに保存され続けてしまう可能性がある

そもそもスーパーに殺到してレジ前の行列に長時間待機することもリスクだと認識してほしいので

あまりにも混雑していたら時間をずらすとか 他のお店を探すとか 分散すること考えようよ

別に今のところは食品の供給態勢自体にはほとんど影響ないはずなので 購入出来なくなる恐怖に駆られて殺到することの方がリスクだかんね

「外出自粛要請」という言葉の意味をちゃんと理解して行動しないと意味がなくなる

あと 宅配食材サービスであっても 食材のパッケージは汚染の可能性は否定できない

ウチの親父はポンコツなので 「郵便物は大丈夫」だとか言い出しやがってビックリする

サンドウィッチマンのギャグ「油で揚げているから0キロカロリー」みたいな論理だぜ

 

Ende;

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冷凍保存

2020年03月25日 18時10分42秒 | 日記

家の外から持ち込んだものは とりあえず全部除染しているんだが

味の素冷凍餃子で脳がフリーズした

短時間なら洗剤で除染して すかさず冷凍庫に入れても良いかなとも思ったんだが

悩んでいると溶けちゃいそうなのでとりあえず除染せずに冷凍庫に放り込んでしまった

調理するときに除染すりゃいいんだろうけど

忘れないかと不安

研究機関ではウイルスは冷凍保存するわけで

冷凍しといたらいつまでもウイルスの活性がなくならないと思う

 

 ◇追記:結局再度冷凍庫から取り出して次亜塩素酸水吹付けて拭って冷凍庫に放り込んでやったぜ 毎日除染ばっかやってるのでエタノールと次亜塩素酸水で指の皮がボロボロだぜ

 

Ende;

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主体性

2020年03月25日 13時24分32秒 | 意識論関連

今の哲学界の現状というのは 言葉の定義も曖昧なままに雰囲気ものだけで議論しているだけであるため 合理的で実効性のある具体的解答が全く出てこないのである

意識とは 精神とは 心とは 人間性とは 倫理とは 道徳とは

それらの定義が明確にされていないまま主観的感覚だけを頼りに文学的雰囲気だけで満足しているに過ぎないため 何の役にも立たないのである

 ◇

マルクス:ガブリエルなど 現状「哲学者」として扱われている奴らは誰一人として「サンデル命題」には倫理の本質が含まれていないことを指摘していない

また 進化生物学における遺伝的進化には目的や戦略が存在していないことにも一切言及していないのである

これは 要するにデクノボウの集まりに過ぎないことを意味する

本来 哲学というのは科学の帝王であり 科学を司る社会的役目を担わなければならない

進化生物学上の著しい誤謬すら 誰も指摘しないし 出来ないデクノボウばかりが「哲学者」として扱われているのである

役立たずのデクノボウを デクノボウと認識出来ない大衆やマスコミにも問題はあり 同罪である

「罪には罰」という短絡的指向自体も間違いで 間違いを犯したら なぜ「間違ったのか」についての合理的原因究明を行い 再発防止のための教訓として活かすことの方が優先されなければならないのだが

大衆の多く 文系のマスコミ関係者共によって刑法罰の無意味さが一向に周知されないのである

ヒトという種の生物がなぜバカになるのかと言えば

ヒトという種の生物は自分がバカに陥っていることを認識したがらない先天的習性(本能)があるからだ

「自分は間違っているかも知れない」という自己客観性を発揮するために必要なのは 主体的論理検証性であり これこそが人間としての意識の本質であり 論理検証性なくして倫理も人間性も発揮されることはないのである

 

科学とは 「本当のこととはなんだろう」そして「何が間違いなんだろう」という分別をすることを意味する

社会安全性にとって最も合理的で有効な選択が刑罰ではないことを「理解」するのは主観的感覚ではなく 客観的論理検証性である

中国では麻薬取り締まり法違反は死刑だが それで麻薬犯罪がなくなるわけではないことからも 厳罰化というのは一定の抑止効果を持っているものの根絶には全くならないことは明らかである

ましてや過失となれば ヒトは誰しもが間違えるものであって 被害者感情(本能)を満たすために罰を与えても間違いが減るわけではなく 同じような間違いが何度も繰り返されてしまうのである

危険学や失敗学のメソッドというのは 刑法罰を一旦停止して徹底した論理的原因究明を行うことによって 再発防止を優先するものである

そして これこそが社会安全性において最も合理的で有効な選択であることは 論理客観的に見れば明らかなことである

意識とは 動物的な「ヒトという種の生物」としての意識である主観的感覚と 論理的根拠に基づいた客観的検証を行う「人間」としての意識に分けられる

この区別をするのは客観的論理検証性の方であって 主観的感覚の方ではない

主観的感覚というものは こうした区別が曖昧で 区別が出来ないからである

野生動物に倫理や人間性を説いても無駄なのは いちいち説明せんでもわかるやろ

バカか

主観的感覚というものは 先天的に組み込まれた遺伝的行動バイアスによるものであり 自然選択によって偶発的に「死ななかった」個体に存在していたものに過ぎず これに目的だの戦略が介在する余地はなく よって人間性や倫理が自動的に発揮されるなどというリチャード:ドーキンスのお伽話が文系大衆人気をいくら集めても 頭の悪いバカが主観的に満足安心するだけで具体的効用は一切存在しないのである

 

ヒトが客観的論理検証性を発揮するために必要なのは 先ず主観的な好き嫌いを知ることである

それなら野依良治の言っていることは正解かと言えば それは違う

重要なのは客観的論理検証性を発揮することであって その前提の教育段階において主観的な好き嫌いを知ることが必要なのである

何事においても順序というものがある いきなりヒトという種の生物が自動的自然に客観性を発揮できる構造を持ち合わせていないために 生育段階において自己の主観的な好き嫌いを知ることによって 結果的に客観的論理検証性を発揮することが可能となるのである

自律とは 自発性の中にあり 他にはない

これは定理である

自律とは環境依存性の対極にあるものであり 環境依存性に流されないためには自発性が不可欠だからである

自律なくして人間性を語ることは出来ない

畑村洋太郎による国会原発事故調査委員会報告書にもあるように 「組織の利益を優先し、個人が自律的な社会的責任を負わなかったこと」が最も根源的な原因なのである

これは原発だけの話ではなく あらゆる過失や犯罪や紛争までをも含んだ「人災」に共通する「人間性」の根源でもある

自律的に社会的責任判断を行えば 「正直者がバカを見る」ことは珍しいことではない

単なる自己の利己的生存価を優先してしまえば環境に迎合し 自律などしない方が破綻に至るまでの間はかりそめには「賢い」選択にも外見上は「見える」のだろうが

その「賢さ」とは「ずる賢い」だけの「愚か者の賢さ」に過ぎない

ナチスに反対して自決を余儀なくされたヴァルター:ベンヤミンを「愚か者」と形容し ナチスに迎合したマルティン:ハイデガーを「賢い」と形容したとしても それがハイデガーの人間性の立証には全くならないのである

 

遺伝的進化万能を鵜呑みにするのであれば 死にさえしなければ あらゆる行動は事後正当化出来ることになる

そこに人間性や倫理以外が先天的習性として組み込まれることがないことの論理的証明など一切存在しないのである

たとえバカな生物学者や社会心理学者共が「人間には先天的に人間性が組み込まれていることを立証した」と言い張っても それによって詐欺や暴力が根絶される合理的根拠は何もない

こうした大嘘をマスコミや大衆が鵜呑みにするのは 「自分には先天的に人間性が組み込まれた優秀な存在なんだ」という勝手な妄想によって満足する錯覚が得られるからに過ぎない

そこに生物学や哲学は一切踏み込んでいないのは それが多数人気を得られないことがわかっているからである

要するに日和っているのである

多数派という環境に迎合し 自律的な社会的責任判断選択を放棄しているのである

科学は多数決ではない

どんなに多数の大衆や文系マスコミの人気を得ていても それが科学的な論証になるわけではない

大衆の多くは自己の主観的な感覚を満足させてくれる気分の良い話ばかりを信用したがるが

主観的に信用したい話を短絡的に客観的な論理的真理か何かと勘違いしているためである

すなはち 自己の先天的な主観的感覚が絶対的なものであると 「思って」おけば安心で満足だからである

これがヒトがバカに陥る最も根源的原因である

 

他人に評価されるかどうかに関わらず 主体的に物事を追求する自発性によって 客観的論理検証性は発揮され得る

頭が良くなるというのは 「自分の頭がどのように悪いのか」を知ることであって テストやクイズの高得点で「俺様は頭が良いんだ」と勝手に勘違いすることではない

自己の頭の悪さを認識していれば 環境に左右されずに自律的な判断も出来るが

テストの高得点で「俺様は頭が良いんだ」と勝手に満足していれば 間違ったことを教えられても疑うことなく鵜呑みにし 簡単に原発の津波に対する脆弱性指摘すら放棄するようになるのである

自分の頭の悪さを認識していれば 自ずから謙虚になる傾向があるのだが 頭の悪くない奴に限って謙虚になりすぎてバカを傍観放置する原因ともなる

あらゆる「人災」の暴走破綻というのは こうした先天的なヒトの習性に起因するブレーキの効かなさが大きな要因となっている

 

説明するのがバカらしくなってきたので今日は終わりだ

 

Ende;

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マルクス:ガブリエル(4)

2020年03月24日 23時23分23秒 | 意識論関連
マルクス:ガブリエルと斎藤幸平(さいとう こうへい)の対話には中身が何もなかった

よくもまあ何の意味もない会話を延々と続けられるもんだと関心しちゃうね



Ende;
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ダークスプレッダー

2020年03月24日 17時45分35秒 | 日記

クルーズ船で陽性判定されて隔離治療されていた人の4割以上が無症状だったそうな

つまり 何の症状もない感染者がそこらへんほっつき歩いている可能性がある

無症状なので咳やクシャミはあんまりしないんだろうけど 密閉閉鎖空間では普通に話すだけでも目に見えないおつゆ(マイクロ飛沫)が空気中に舞い散って他人に感染させちまう可能性がある

あくまで可能性だけど

感染者の4割が無症状ということは 現在症状が出ている人の数の8割くらいの数の無症状の人が市中に潜在していてもおかしくはない

今 陽性判定者数は1,100人くらいだっけか? ってこた880人くらいの無症状スプレッダーが存在する可能性があると考えた方が良いのかな

 ◇追記:あれ 6:4だろ 感染確認が1200だから えっと 潜在的感染者は800か 相変わらず数扱うの苦手だな

確率としては低いんだけど 誰がそうなのか全くわからないというのが恐いところ



海外では屋外を除染している映像があるけど 屋外は直射日光の紫外線で滅菌されちまうのであんま意味が無さそうで 物的にも人的にも資源の無駄遣いにしか思えない

ペストみたいにネズミを媒介するような感染症なら屋外除染も意味があるんだろうけど

コロナウイルスは基本的にヒトからヒトへしか感染しないので ヒトが触るところを重点的に滅菌するべきじゃねぇのかね

海外では外出禁止措置が採れられている国も多いんだけど

外出禁止措置よりも不特定多数が集まる密閉閉鎖空間を避けることの方が有効性が高いと思う

実際日本じゃ外出規制は何もないのに感染拡大を一定程度抑えられているわけだし

ちゃんと論理的に考えて合理的方法を選択しないと意味がないと思うぞ



Ende;

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効きそうな感

2020年03月23日 23時46分35秒 | 日記

アビガンの有効成分ファビピラビル

言いづらいな…

きゃろらいんちゃろんぷろっぷきゃりーふぁびぴらびる

 

ぴぴるまぴぴるまふぁびぴらびる

 

呪文みたいな名前だと効きそうな感ある

 

Ende;

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象避け

2020年03月21日 15時51分57秒 | 日記

タンザニアでは野生象の被害が多いんだそうで

マッチの火薬を集めて手製の爆竹こさえて追い払ったりしているそうだが

象って体重が大きいので 足の裏を怪我すると致命的なので 尖ったものを踏むことを非常に嫌がるって話を聞いたことあるんだが

砕石のような尖ったものを敷き詰めておけば良いんじゃないのかな

 

Ende;

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Flash Player

2020年03月21日 15時06分10秒 | 日記

給水塔の写真で有名な比留間幹さんのサイトを開こうとしたら

Flash Playerの更新を促されたのだけれど

Android8.1はFlash Playerに対応してないので見れなかった

哀しい…

 

Ende;

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統計的「証拠」

2020年03月20日 13時05分48秒 | 日記
マスクをしていても感染率は下がらないという統計的「証拠」が出ているそうな

ただ この統計的「証拠」ってのは鵜呑みにはできなくて

それじゃ医療関係者がなぜマスクをしているんだって話になる

なぜマスクをしても感染率が下がらないのか 原因の一つに一般的なマスクの多くは密閉性が低いことがある

鼻の部分のワイヤーを鼻の形に沿わせて整えていても マスクをしない時に比べて6~7割くらいしか粉塵を除去出来ないと言われている

マスクの両サイド 頬の部分の隙間から空気がダダ漏れしているので スプレッダーが撒き散らした飛沫を完全に除去出来ていないため 結局は密閉閉鎖空間ではほとんど効果が出ないのではないか

さらに ウイルスは呼吸器以外の眼からも感染する可能性がある

眼って鼻とつながっていて 余剰分の涙は再び消化器官に戻して水分を再利用する仕組みになっているため 医療機関での防護では顔全面を覆う透明なカバーも併用している

ダイアモンドプリンセス号では 完全防護して検査や治療にあたっていた医師は感染せずに 少し離れた場所でマスクだけしていた研修医が感染している例がある

基本的にコロナウイルスは気道に感染するものなので 呼吸する空気を濾過するマスクには一定の効果はあるはずなんだけど

ただ統計的にはあまり効果が出ていないそうな

それこそ 汚染されたマスクを顔に装着しちまったら逆効果なんだけど キチンとした衛生管理が充分出来ていない人も多いのではなかろうか



Ende;
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紅白桜

2020年03月20日 10時24分15秒 | 写真

八重の桜だと思うんだけど

赤と白が混在している

一輪のなかでも差し色みたいになっとる

ツツジだとよく見るけど桜でもなるらしい

 

 

真っ赤な桜

 

Ende;

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srand4000 カメラ

2020年03月18日 12時35分58秒 | 写真

「srand4000」でエゴサーチかけたら

「srand4000 カメラ」で検索かけている人が多いらしくてドロップダウンリストに出てきた

オイラが使てるのはCanon EOS M10で レンズはNew FD 35mm F2.0だお

ピクチャースタイルは「F(忠実設定)」で コントラストは概ね「-4」にして 「D+(高輝度階調優先)」でISO200

シャッタースピードが1/10以下になったらマルチショットNRとセルフタイマーかカメラリモートアプリを併用している

有線式のリモートレリーズは 意外と電線を通じて振動が伝わってしまったり 電線が風に煽られてブレの原因になることがあるので あんま推奨しない

あ あとカメラストラップも風に煽られるので 落とす危険性がない場所ならレンズにでも巻き付けておいた方が良い

 

一般的にシャッタースピードが「1/焦点距離」以下になると手ブレしやすいと言われているんだけど

昨今のデジカメは画素数がトンデモナイことになっているので この「常識」は通用しないと思った方が良い

2400万画素のカメラの場合 長辺側で6000ピクセルもあるので 6倍に拡大しても1000ピクセルもあることになる

ってこた50ミリ相当のレンズを使っていても 1/300秒以上にしないと充分に画質が出ないと思った方が良い

手ブレっていうのは実際には手で持って撮影している限り どんなに高速シャッターを用いても常につきまとうものなのよ

シャッタースピードを10倍にしたとしても それは「ブレが1/10」になるだけなので 完全にブレを止めることにはならない

本当にカメラの画質性能を引き出したいのであれば 三脚を使うとか どっかに置くとかしてカメラが動かないようにする必要がある

それでも強風や走行している自動車の振動などの外乱要因によってブレが生じることもある

橋梁の上などは たとえ橋脚部分(路面上に鋼鉄の継ぎがある)であっても大体常に揺れまくっているので どうしても手持ちで撮影しなければならない状況というのはあるわけで

そうなるとブレが収まる一瞬を狙ってシャッターを落とすという精密ライフル射撃のようなスキルが必要になる

よく「脇を締めろ」なんつう話もあるんだけど これはあまり意識し過ぎても良くなくて 軽く脇を身体につける程度にして むしろ無駄な力が入らないようにし 姿勢良く自然な態勢を心がけるとブレにくくなる

一眼レフなどのファインダーつきのカメラの場合 どうしてもファインダーを覗き込む形で首が前にでて猫背になりがちなんだけど 背筋は伸ばしてカメラの方を顔に持ってくるようにしたほうが無駄な力が入らずブレにくい

オイラのM10は液晶パネルが上だけには跳ね上げられるので 45度くらい引き起こしてウエストレベルファインダーカメラ的に胸元で持つようにして撮影すると安定すると思う

ただ この態勢だとカメラの水平がとりにくいという欠点はある

 

あと 前から気になっているんだけど 一眼カメラとセット販売されている安物のズームレンズっていうのは実際の運用上では画質が低くて話にならない

メーカーサイトの作例写真だと結構良く写っているんだけど この画質が常に出るわけではない

ズームレンズってのは広角側で画面周辺の画質が悪くて 望遠側で画面全体の画質が低下する性質があるので ズームの中間領域でf11くらいまで絞って撮るとメーカーの作例みたいにソコソコ鮮明に写るわけよ

でも実際の撮影では絞りはf5.6以下でも撮ることが多いわけで そんなに光が潤沢な条件だけで撮るわけではないので 実用上セット販売されている安物のズームレンズではカメラの性能は出ないと思った方が良い

特定の焦点距離でf11くらいまで絞って使わないと画質が出ないんだったら 開放付近から画質の高い小口径の単焦点レンズを使った方が安定して高画質を得られる

値段の高いレンズなら画質が良いわけでもなくて

メーカー純正レンズなら標準系マクロレンズとか

シグマのF2.8 DNシリーズなんかは安くても高画質が得られるのでオススメだお

60mm F2.8 DNのEF-Mマウント版があれば即買いだったんだが 今はディスコン(ディスコンティニュー:販売中止)になっている

 

オイラの常用しているNew FD35mm F2.0って 実は画面周辺で色収差が結構派手に出るので 晴天順光などの被写体コントラストの高い条件だと絞っても画質が出ないのでオススメは出来ない

曇天とか日没直後とか 被写体コントラストの低い条件下なら 妙に高解像度を発揮することはある

このレンズ特有のふんわりしたボケ方が気に入って常用しているんだけどね

ボケ味を語る上においてはカメラのシャープ設定はオフにしておくのが前提で たとえ「1」でもシャープ処理しちまえばボケ味もすったくれもありゃしないからね

そもそもシャープ処理なんぞフォトショップ的なものであとからどうにでもなるものなんだからオフにして撮っときゃ良いと思うぞ

ズームレンズだとかなり高価なものでもボケ方はガサガサで見るに耐えないものも多い

そもそもNew FD35mm F2.0なんぞ売ってねぇけどな

 

あと GANREFのプロフィール画像に載っているカメラはCanon T70っつうフィルムカメラだよ

 

Ende;

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マルクス:ガブリエル(3)

2020年03月17日 23時51分10秒 | 意識論関連

 「知能とは 限られた時間で問題を解くことである」

→これは他人が作成した試験における成績を基準としたものであり 自発的思考に基づく発想力を含まない

そもそも知能の本質とは自発的思考に基づく発想力であって 試験の成績だのクイズの正解率だのといった予め答えが用意された問題を解く能力ではない

 

 「思考は感覚」

→単に「本を本と認識できること」が思考ではない 大衆の多くは知識の量だけを知能だと勘違いするが これは主観的「感覚」であって 知識の「質」を検証するのが「思考」である

従って思考は感覚ではない

オウム真理教幹部達にとってはテロこそが「人類の救済」だと感覚的に感じたのであって それが間違いであることを思考検証しなくなったことこそが原因である

 

 「美と善には相関がある」

→ナチス政権の制服は当時の服飾デザイナーによる美的感覚によって制作されたものであり 美的感覚というものは善悪とは相関はない

強姦犯が被害者を選ぶ基準も当人の美的感覚だが それが善悪と相関などあるわけなかろう

主観的感覚として「美しい」と思うものには普遍性はなく 人それぞれの好き嫌いの範疇でしかなく 客観的な善悪や倫理の論証には全くならない

 

マルクス:ガブリエルだの養老孟司というのは人々から客観的な論理思考を撹乱して思考停止に陥れる危険なものである

だが現状の「哲学者」達のほぼ全員はその危険性を全く認識していない烏合の衆に過ぎない

哲学というものは「闇もこちらを見ている」だの「世界は存在しない」だのといった荒唐無稽なオカルト話で脳を酔わせることではなく 真実を見極めることが主旨である

様々なオカルト話に対して「美しい」と主観的に感じたとしても それが真実であることの論証には一切ならないばかりか むしろそうした主観的感覚によってこそ嘘や誤謬を鵜呑みにし 多くのヒトから真実を見失わせる原因なのである

 

Ende;

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進化万能論

2020年03月14日 15時37分52秒 | 意識論関連
遺伝的な進化というものは あくまでランダムな変異と淘汰圧力によって偶発的に「死なずに済んだ」という結果だけであって 絶対的最適化であることの証明は何もない

結果的に「死なずに済んだ」だけなので 「その変異よりも更に最適な変異は存在しない」ことを証明できない

淘汰圧力においても同様のことが言え 配偶者選択によって天敵に見つかりやすくなる「進化」などは最適化に対しては逆行するものですらある

遺伝的な進化というものには目的意図や戦略といったものが介在する余地はないので あくまで偶発的に「死なずに済んだ」種においての変異でしか実現されることはなく こうした「死なずに済んだ」という結果の全てに合理性が存在するわけですらない

たとえば ウイルスに対する耐性を持っていないとしても たまたまウイルスに冒されなければ「死なずに済む」わけで 結果の全てに必然性が存在するわけではない

突然変異も淘汰圧力にも偶発的要因が非常に高いため たとえ現在残っている生物種よりも生存などにとって最適化された遺伝要因を持った種が偶発的要因によって淘汰されていないことも証明できないのである

 ◇

誰が言ったか忘れたが「進化は人間よりも賢い」などという話は遺伝的進化の結果だけから導き出した妄想に過ぎない

 ◇追記:フランシス:クリックだった

例えて言えば 20億発の弾丸を狙いもせずに乱射して2,000メートル先の的に一発だけ当たったことに対して「精密狙撃能力に優れている」と形容しているのと同じである

もしかすると 一発も当たらないかも知れないが それは証拠として残らず「死人に口なし」である

何せ遺伝的進化というものは数十億年に渡る膨大な失敗の果ての結果であるため ヒトが思いもよらない「手法」で生存競争をくぐり抜けてきていてもおかしくはない

AIが将棋のあらゆる指し手をのべつまくなし検索することで ヒトの誰も勝てない程に強くなるのと同様 遺伝的進化の過程によってヒトには思いつかない「手法」が組み込まれているとしてもおかしくはないのである

将棋AIの場合は指し手の全てを検索することができるが 遺伝的進化の場合には偶発的要素も多く含まれることになり 決して絶対的最適解以外が成立しないことを証明できないのである

遺伝的進化というものは あくまでシーケンシャル(機械的)に生じた自然現象の結果であって そこに目的意図だの戦略という概念が入り込む余地は理論的に存在しない

松沢哲郎が述べた「チンパンジーの行動習性から人間としての社会性が立証できるかも知れない」などという話は 「進化さえすれば人間性に基づいた行動習性が自動的(自然)に組み込まれる可能性がある」というリチャード:ドーキンスの非科学的妄想に基づいたお伽話でしかない

リチャード:ドーキンスは大衆やマスコミには人気があるが 具体的に何かに応用性があるわけではないので どんなに大衆から人気を得ていても 何十年経っても何の役にも立たないのである

チンパンジーの実験のように 特定環境下において利他的行動のようなものが観測されたとしても その環境下でなければ発揮されない習性であるかぎり そこに「個人の自律的な社会的責任判断」の立証には全くならず それは「人間としての社会性や倫理」の証明には全くならないのである

チンパンジーの代わりにヒトのテロリストや通り魔無差別殺人犯を用いても 結果は同じである

倫理というものは環境依存的にコロコロ結果が変わってしまったのでは話にならない

「社風が悪いから原発の津波に対する脆弱性を無視せざるを得なかった」などと言うのであれば もはや無差別殺人犯の主張する「社会が悪い」という話も鵜呑みにせねばならなくなる

「京都大学では生物学者が学長であるために生物学界の著しい誤謬であっても指摘すると自分の地位権益が失われかねないから言わない」というのであれば もはや科学哲学としての社会的責任放棄であり 無責任という他ない



Ende;
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伊勢田哲治

2020年03月14日 12時55分17秒 | 意識論関連
伊勢田哲治っていう科学哲学の准教授がおるそうなんだが

これがまた無能でビックリする

遺伝的進化というものは構造的に「偶発的な結果」以上の何物でもないにも関わらず そのことを生物学者に対して全く批判しないという 科学哲学者としての怠慢を平気でやらかしているバカである

上司である山際寿一学長に忖度していて科学哲学もヘッタクレもあったものではない



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