書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

ためしうんころがし

2022年04月19日 14時28分16秒 | 日記

人型重機(本物)

 ↗架線作業などに人型重機ロボット JR西日本が開発 -FNN

消防救助にも導入した方が良いと思う

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タミヤのウォーターラインシリーズに 自衛隊の輸送艦のオマケで米粒みたいな軽装甲機動車とかついてくるのがあるんだけど

そういうのだけをピットロードが商品化しとった

 ↗1/700ScaleAFV -ピットロード

 ↗輸送艦 しもきた -タミヤ

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バレンティナ:アクソノバさんかわいい(現実逃避)

ググっても写真出てこない

藤田にこるん似

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千葉県山武市松尾町引越 -googleMap

何もないよ

クリックしてグーグルマップを表示させても何もないよ

畑しかないよ

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にゃー

 ↗猫グラフィー -Adobe

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 ↗ムジナ(貉、狢)とは、主にアナグマのことを指す。時代や地方によってはタヌキやハクビシンを指したり、これらの種をはっきり区別することなくまとめて指している場合もある。 -Wikipedia

ムジナってタヌキのことだと思ってた

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「冷やし中華はじめました」感ある

個人的には60mm F2.8 DC DNとかのF2.8シリーズの方が欲しいんだが

EF-Mマウントでね

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ためしうんころがし

って何だ?

 

 

Ende;


真実を見極めるのは自分である

2022年04月19日 13時33分38秒 | 意識論関連

動物というのは 恐怖に駆られると暴力を振るう性質が普遍的にある

これはヒトも例外ではない

弱肉強食の自然環境下においては 危険な状況においては暴力によって「解決」する方がその場における生存や配偶相手の独占などによって「繁殖の継続」においては有利に働くものであり 結果的に暴力性を持った個体種への収斂進化が促されることになる

凶暴性の高い変異個体と 凶暴性の低い個体とのどちらが過酷な自然環境下における弱肉強食で生き残れるのは後者である

生物は 別に「持続可能な生存」を目的として進化を選ぶことなどできず あくまで特定環境に適応する形での「繁殖の継続」が可能だった個体種への収斂進化の結果以上の何ももたらされることはない

イワシやネズミの大量繁殖能力は 個体が「生きるため」のものではなく 大量繁殖することで喰い尽くされずに「繁殖の継続」が出来ているという結果でしかなく 個体が「天敵に喰われたくない」という目的や都合とは無関係に逃げ足の遅い個体から淘汰されるだけである

遺伝的進化というものは 個体の都合や意図目的に則ってもたらされるものではなく あくまで結果的に「繁殖の継続」が出来ている現存生物種を「生物」と分類しているに過ぎない

生物や その遺伝的進化というものは チャールズ:ダーウィンの進化論に拠れば勝手に生ずる自然現象の結果であって そこに「目的」だの「戦略」だのといった個体の主体的選択可能性が介在する余地はない

 

生物は 遺伝的変異が起きやすい種と 起きにくい種がいる

変異が起きにくいように進化が促されたのは 変異が「繁殖の継続」において不利に働いた結果であり 変異が起きやすい個体種は環境との調和が採れずに生態系も含めた安定性や恒常性が得られなかった結果として 変異が起きにくい個体種への収斂進化が促された結果であり 別に個体やそれ以外の謎の何者か(?)の意図目的によって進化が促されたわけではない

ウイルスは生物学上は「生物」として分類できるかどうかはまだ明確な基準はないが 遺伝的進化のメカニズム自体は他の生物と同じものであり ウイルス以外の生物であっても所詮は「生息環境への寄生」に過ぎない以上はこうした分類には意味がない

ヒトコロナウイルスは変異が起きにくい性質があり ヒトに感染しても鼻風邪程度の軽い症状しか起きず 宿主のヒトを殺すことはほとんどなく ヒトの体内という生息環境に適応的進化をしている

こうした生息環境への適応進化というものは 過去に起きた淘汰圧力による大量死滅の結果であり 変異自体がランダムである以上「生息環境に適応しよう」などといった意図目的戦略に基づいて都合良く変異が生じたわけではなく 幾度もの大量死滅という「失敗」を重ねた挙げ句に偶発的に環境調和などの適応に「成功」した個体種への収斂進化が促されたに過ぎない

生息環境との調和による安定性や恒常性が得られなかった個体種の全てが絶滅した結果である

繁殖と淘汰圧力とのバランスによって個体数が安定せず 繁殖数が足りなければ単純に絶滅し 多すぎれば環境資源を喰い尽くして大量死滅をもたらしてしまうため 繁殖能力と淘汰圧力とのバランスが生息環境と調和できた個体種以外の全てが絶滅することで 生態系バランスに調和できた個体への収斂進化が促されたという結果である

ネズミがどんなに「喰われたくない」と思っても 繁殖した数の大半は天敵に喰われるという生態系環境下において生息数の恒常安定性が得られさえすれば「繁殖の継続」に適することになり 個体の都合は遺伝的進化には全く影響を及ぼすことはない

先天的な本能や欲望といったものは あくまで祖先の生息環境において「繁殖の継続」に適した行動バイアスとして組み込まれた結果であって 本能や欲望それ自体は個体や個人の選択可能性の範疇にはない

「欲望そのものを欲することはできない」のが原理であり 欲望のままに行動しても何一つ「自由」でも「意思」でもないのである

ヒトは塩分や糖質や脂質を過剰に摂取したがる習性があるが これは祖先の生息環境下において欠乏しがちな食物成分を積極的に摂る習性を持った個体種への収斂進化の結果である

ヒトはシーケンシャル(自動的)に生活習慣病に陥るように出来上がっているのであり 現代社会においてそれは欠陥として作用する

祖先の生息環境に適応した本能習性を持った個体種以外が全て死滅する収斂進化によって ヒトを含めた動物の先天的形質や行動習性は決定しており 決して個体や実証不能の謎の誰かや遺伝子に意図目的や戦略といったものが介在する余地はなく 本能習性や欲望というものはそれ自体を都合良く合理的に選択することなどできない

 

ヒトという種の生物における幼形成熟進化が促されたのは 年齢に関わらず見た目が幼い個体との配偶者選択をする本能的習性が働いた種への収斂進化の結果である

しかし 「見た目が幼い」個体を配偶対象としたがる習性は 実年齢とは関係なく それこそ繁殖能力すらない幼女に対してまで繁殖行動バイアスが働いてしまうこともある

「繁殖行動」とは言っても これはあくまで結果的に繁殖につながる行動が促されているに過ぎず 繁殖を目的とした合理性があるわけではない

幼形成熟進化というもの自体もまた 別に「見た目が幼い個体への進化をしよう」といった意図目的に基づいたものですらなく ただの結果に過ぎない

「繁栄」と称して個体数が生息環境資源を喰い尽くす程の異常繁殖によって絶滅への一途を辿っていることを正当化することはできない

「殖えりゃ良い」ってもんじゃねぇんだ 農作物じゃあるまいし

祖先の生息環境においては 一定数が部族間紛争や天敵に喰われるなどの淘汰圧力によって生息数が制限されていたが ヒトは現代文明を築くことによって自然界における淘汰圧力を逃れてしまい 結果的に生態系との調和を崩す結果になっているのである

とは言っても 現代文明自体の全てが問題なわけではなく むしろ合理性のない先天的な本能習性や繁殖能力が現代社会に適応できていないことが問題なのである

ヒトという種の生物の先天的本能習性が現代文明社会に適応できないのは 誰のせいでもなく あくまで「結果」である

生活習慣病に陥りやすいのも 幼女強姦が起きるのも 温室効果ガスを過剰排出してしまっているのも 戦争や銃乱射事件などの殺し合いがなくならないのも あくまでヒトの先天的本能習性が根本原因であり 「欲してもいない欲望」に踊らされることによってヒトは自滅への行動バイアスを促されてしまっているのである

だが ヒトは純粋な好奇心によって「本当のこと(真理)」を知りたいという知的欲求もあり これによって脳内麻薬を自給自足することによって無駄な欲望に踊らされることなく合理的な行動選択をすること「も」できるようになる

しかし 先天的な社会形成習性によって多数他人との同調迎合忖度や比較競争にばかり意識を奪われることにによって ヒトは簡単にバカに「も」なる

イマヌエル:カントの言うような理性を超越した悟性による実証不能の謎の「叡智界」だの マルティン:ハイデガーの言うような主観に過ぎぬ「先駆的良心」といったものを鵜呑みにし 論理客観的な根拠に基づいた検証をしないから人類はバカが治らず 未だに殺し合いなどというバカ丸出しな行動を止めることができないのである

ヒトは多数派でありさえすれば「正常」だと思い込み 少数異端であれば短絡的に「異常」だというレッテル貼りをして思考停止に陥る習性があり 権威を批判することは衆愚の「良心」に基づけば罪悪だからこそ ヒトは批判精神を簡単に喪失するのである

「滅私奉公」という言葉があるが なにがしかに対して忠誠忠実に服従することに対する美徳(主観)を感じる習性があるのも ヒトの先天的な「社会性(社会形成習性)」として組み込まれたものであって こうした習性こそが独裁的な腐敗組織体制を作り出す盲目性の大きな要因ともなっているのである

盲目であれば真実は見えない

見ようとしないから盲目なのであって 見ようとする主体的な「意思」があれば盲目から脱することは可能である

見ようとする「自己(私)」を滅しているからこそ 自律的な社会的責任判断選択もしなくなるのである

 

 

 

Ende;


痴的生命体

2022年04月19日 00時47分38秒 | 日記

SETI(地球外知的生命体探査)において もし地球外からの信号が来た場合には 勝手に返信してはいけない決まりになっているという

その理由が「攻めてくるかも知れないから」というものだった

ちょっと笑ってしまった

そもそもそんなテクノロジーを持っていたら返信なんぞしなくても地球のヒトの存在なんぞ既に知っているはずであり

地球まで来れる程のテクノロジーを持った相手だとしたら わざわざ地球にまで来てヒトなどという下等な生物相手に侵略する必要性が考えつかない

「侵略されるかも知れない」などという恐怖心そのものがヒト特有の暴力性に因るものであり 

原始的な道具で殺し合いをするようなバカな下等生物相手に侵略戦争なんぞ仕掛けてくる合理的理由が全く思いつかない

現在のヒトを超える程のテクノロジーを獲得するためには 社会持続可能性も獲得している必要であり 奪い合い戦争なんぞをやってたら絶滅するのがオチである

従って 地球外にとんでもないテクノロジーを獲得した生命体が存在するとすれば 「彼ら」は既にエネルギーや資源の全てが自給自足できているエコで平和な存在である必要性がある

ヒトはバカなので 人類全体の持続可能性よりも利己的利益の追求によって環境資源や縄張りの奪い合い競争のために人殺しをするのであって

資源やエネルギーが自給自足できている「彼ら」がわざわざ膨大な労力と時間をかけてまで地球を侵略する必要性なんぞあるわけがないのである

 

「地球外知的生命体」だとか言っているが そもそもヒトは何ら「知的生命体」でも何でもないのである

自惚れるのもいい加減にしていただきたいものである

 

 


Ende;


戸谷 洋志(とや ひろし)

2022年04月18日 23時36分27秒 | 意識論関連

先に言っておくが ハイデガーはナチス政権に迎合した男である

「自分の死と向き合うことで世人に惑わされず他の人生も選択可能」だと言っておきながらナチス政権という「世人」に同調したのである

ハイデガーの「良心」とは その程度のものに過ぎない

「良心の呼び声」という概念の中にはサバイバーズギルドのような根拠のない罪悪感(錯覚)も含まれる

ハイデガーの主観的な「良心の呼び声」は 「ナチスに迎合する」ことを選択したのである

オウム真理教の幹部達は 自分達の「良心の呼び声」に呼応する形で毒ガステロを「鎖を断ち切る」ように「決意」したのである

オウム真理教幹部の「先駆的決意」とは 社会に対する錯覚に基づいたものであったが故の結末である

 

主観的な「良心」というものに頼ってしまうことによって 論理客観性を欠いた錯覚(間違った認識)に基づいた選択に陥ってしまうのである

養老孟司は大多数の大衆にとって学術権威である

著書「バカの壁」などの内容が論理整合性や客観的根拠を著しく欠いた支離滅裂な嘘やデマに過ぎないにも関わらず 大衆は多数が養老を信じていることに安心し その内容に中身がないことには誰も気づかず 「客観的事実などない」などというオカルト話であっても大衆やマスコミは問題だとすら主観的には「思って」いないのである

大多数の大衆やマスコミにとっての「良心」とは 養老孟司のような権威肩書を盲目的に信頼し内容を鵜呑みにすることである

ヒトという種の生物は サバイバーズギルドのような根拠のない罪悪感という錯覚に悩まされることもあれば 逆に根拠のない支離滅裂なオカルト話に何の罪悪感も持たずに鵜呑みにすることもある

こうした盲目性こそが プーチン政権のプロパガンダであっても信用するロシア人民の「良心」というものである

こうした主観的「良心」というものは ハイデガーに限らずドイツ人の大半もナチス政権に賛同することを「良心」だと信じ

日本人も太平洋戦争の際には政府のプロパガンダを鵜呑みにし 東京電力福島第一原子力発電所の所員達が原発の津波に対する脆弱性を放置した無責任性も 「組織の利益を優先」することこそが「良心」であると「思って」いたからである

オウム真理教幹部達にとっての「世人」とは オウム真理教教祖を信じていない一般人のことだけであって 教団内部の多数は「世人」とは思っていなかった

こうしたエコーチェンバーによる洗脳状態というのはプーチン政権内部でも同じであり 独裁というのはプーチン一人で構築できるようなものではなく むしろ独裁者に同調忖度迎合し唯々諾々と服従する大多数の服従者の存在によって作り出されるのであって 独裁者の認識だけが異常なのではなく 集団ヒステリー的に政権内部全体の認識が異常になることで生ずるものである

 

重要なのは主観的な「良心」ではなく あくまで論理客観的根拠に基づいた真理(本当のこと)を見極める能力であり 「哲学」の役割とはそこにある

哲学というものは「名言」と称して断片的な文章を 気分が良くなり主観的な悩みを解消するために都合良く勝手な解釈をして安心満足するためのものではない

現状の「哲学者」の多くは主観的な気分が良くなるような都合の良い「こじつけ」によって大衆迎合にいそしんでいるが こうした大衆迎合を「哲学」だと主張するというのは哲学に対する冒涜(ぼうとく)である

 

 

 

Ende;


ヒョッコリ

2022年04月16日 20時23分24秒 | 写真

地平線付近は雲が出てしまって月の出は見れなかった

ので 南の空を

 

と 思ってたら 雲の切れ間にヒョッコリ

 

画像のURLから「?」以降を削除すれば1920サイズが見れまする

 

ちなみに明日の関東地方は雨だそうです

 


Ende;


つい

2022年04月12日 15時35分10秒 | 日記

 ↗子どもを叱るときについ母親が使う「NGワード」 -東洋経済

「つい」っていう時点で無意識なのよね

日頃から物事を深く考えていれば「つい」変なことを言っちゃったりせずに済む

親が物事を深く考えていないのなら 子供も同じようにしか育たないのは必然

恐怖心を利用した行動抑圧は自律判断能力を喪失させ 主観的に怖いか安心かだけでしか物事の判断をしなくなり 自分の頭で論理客観的に物事を考えなくなる

するとプーチンとかへずまりゅうみたいなバカが出来上がる

 

 

Ende;


令和島

2022年04月11日 00時51分30秒 | 日記

ホンダが昔「ソロ」っていう原付バイクを販売していたらしい

クソかわいいじゃねぇか

果たして国内でも販売していたのかは不明だが

50ccじゃさすがに街乗りにはキツそうだが 160ccくらいのエンジンだったら玄関にスロープ作って家の中に飼いたい

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日本製鉄の専用鉄道「くろがね線」(北九州市)85ED-1形

プラレール向きな車両だな

2軸だし

 ↗ドイツのメーカー Schalke Locomotives GmbH(シャルケ・ロコモティブズ)の電気式ディーゼル機関車が納入されるらしい

プレハブ小屋みたいだな

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 ↗令和島 Uターン 昭和からある中央防波堤は既に令和島って名前が決まっているらしい

 ↗大井貨物駅 歩道のすぐ横にコキが見れることがある

 ↗千鳥運河 ボラードに足のせて黄昏れたいわ(ボラードはない)

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高速道路のETCのバーは一本7万円もするんだという

どう考えてもボッタクリだろ

折れたバーの中身を見るとカーボンFRPらしいのだが そんな高価なもの使う必要性あるか?

 

 

 

Ende;


依存症

2022年04月11日 00時39分58秒 | 意識論関連

ネットゲーム依存の話で 川島隆太があたかも依存性の全てが悪いかのような説明をしていたのだが

加藤英明なら爬虫類依存だし

香川照之なら昆虫依存で

千住真理子ならストラディヴァリウスに呪われているようなものであり

決して依存性の全てが悪いわけではない

 

その一方で依存性というのは アルコールやニコチンや薬物依存のような悪い面もある

良い依存とは 主体的で純粋な好奇心によるものであり

悪い依存とは 薬物による直接的快楽や 他人との比較による競争や他人からの評価に囚われた行動である

悪い依存症というのは 要するに強迫観念的な恐怖心が動機であり 逃避行動としての依存症であるため いくら熱中しても満たされることがなく まるで能動的に行動しているようでありながら 実質的には環境によって促されているだけであって 本質的には主体性がないために脳の発達を阻害することになってしまうのである

本質的な主体性というものは 強迫観念的な恐怖心による動機ではなく 純粋な楽しみによる意欲や好奇心による積極的動機であるため 試行錯誤による脳の発達を促すのである

 

川島隆太は脳トレを推奨していた男であり 既に脳トレは科学的に脳の認知機能の向上には役立たないことが立証されているものであり 川島の言っていることはアテにならない

川島は「強いて勉めるのが勉強だ」などという大衆迎合的観念を強弁しており 近年の学習心理学の知見とは全く真逆なこと言っている大バカ者である

 

 ◇

バカNHKは未だに「竹の生存戦略」だとか言っている

植物が能動的に「戦略」を立てることなどできるわけがないのであり

説明として科学論理的に大間違いである

科学というのは多数決ではない 生物学者の大多数が遺伝的進化に「目的」や「戦略」が存在しているかのような説明をしているとしても その多数決は科学的根拠にはならない

チャールズ:ダーウィンの進化説明に基づけば遺伝的進化の構造や過程に「目的」や「戦略」といった概念が介在する余地はない

いくら説明しても理解できないバカしかいないのか NHKは

 

Ende;


萱野 稔人(かやの としひと) 津田塾大学総合政策学部長

2022年04月09日 02時00分29秒 | 意識論関連

萱野 稔人はカントが「難しく」難解だというのだが 実際には論理的根拠をすっ飛ばした「悟性」だの「純粋統覚」だの「絶対に知覚することのできない叡智界」などというファンタジー妄想であって 論理的理解なんぞできるわけがないのである

つまり イマヌエル:カントは「難しい」のではなく 単に「理解不能」なだけに過ぎない

 


カントはヒトの性悪説に基づいているが 現実には自律的な社会的責任判断を行えるものと 行えないもの両方が存在しており その違いの原因を解明し より多くの人が自律的な社会的責任判断を行えるようにすることで社会安全性を高めることが可能となるのである

自律的な社会的責任判断を行うといっても その動機は「自分が安全で公平な社会を求めている」からであって利己的であると同時に社会的でもあり 決して社会的公益性だけを優先しているわけではなく 理性に基づいて統合的目的意識の有無が人間性や倫理として働くのである

カントは理性を批判し 代替として「悟性」だの「叡智界」といった実証不能の謎の観念を持ち出してくるバカであり 論理的根拠の甚だしい飛躍の存在を現状の「哲学者」達は全く自覚していない

 

「国家間で暴力が起きないようにすることが目的」

戦争という国家単位の殺し合いであろうとも テロリストや通り魔などの犯罪も ヘイトスピーチも学生のイジメも 主観的な好き嫌いが優先して合理性を欠いた差別が根源にあることに違いはなく 単に国家間の戦争だけをなくすことなどできず 戦争という重大事象の陰にある膨大な小さな事象を丹念に撲滅する必要性がある

 

 ◇

 

Nature:自然 本能的習性

「ヒトは先天的に邪悪である」

「自然の摂理が平和をもたらしている」

「自然の目的」などというものはない

○人間があらゆる地方で生活できるように配慮

○戦争によって人間をへき地にまで移動させ居住させた

○戦争によって人間が法的な状況に入らざるをえないようにした

実際には自然というものは過酷なものであり 決して常に安定的恒常性が保証されているようなものではなく 遺伝的進化の生物史の中では幾度もの大絶滅(破綻)が起きているのであり 「自然の摂理」や「自然の目的」任せにしておいて恒久平和になどならない

カントの時代には天体というものは永久不変の絶対的秩序が保たれているものだと錯覚されていたのであり 勘違いも甚だしい

 

 ◇

 

道徳

「誰がどんな状態でも従うべきもの」

「嘘をついてはいけない」

「内容ではなく 形式で考える」

内容:規則を守ること

形式:誰もが行うべきだと考えられること

「汝の主観的な原則が 普遍的な法則となることを 求める意志にしたがって行動せよ」

「誰もが行うべきだと考えられること」などというのは個人的なものであって 自律的な社会的責任を負わない者と そうでない者と同じにはならない

カントというのは性悪説に立脚していながら 「誰もが行うべきだと考えられること」などという根拠のない理想を基準にしており 意味がない

公開性によって「多くの人」の目にさらされることで公平性が担保されるというのだが

「多数」を基準にすれば少数派の権利は失われることになる

大多数がバカなら バカの論理が通用してしまうことになる危険性が避けられない

透明性や公開性は重要ではあるが それだけで正しい行動選択だけが促されるわけではない

大衆の多くは犯罪に対して 司法による刑法判決こそが唯一絶対的な「解決」だと錯覚し それ以上の社会制度への興味や関心は持たないが 社会安全性において最適なのは再発防止のための合理性ある徹底的な原因究明や周知徹底であり 「厳罰こそが解決だ」という衆愚の観念は社会安全性の向上に対する大きな阻害要因となっているのである

 

松永莉子パパが求めているのは「再発防止の優先」であって むしろ加害者とは「共に考えていきたい」と述べているのである

加害者の家に落書きやいたずら電話をするような「私刑」執行官共というのは利己的正義感を満足させることだけが目的であって 社会安全性や再発防止については何も興味がない無責任な者達である

オウム真理教の暴走のメカニズム過程を論理客観的に分析し 身勝手な妄想に基づいた暴力的最終解決に至る根源的原因まで究明していたのであれば プーチン政権の暴走も予防できた可能性もある

失敗から学ぶという謙虚さを持たずに 身勝手な「正義」ばかりを振り回しているからこそ 何度も同じような「失敗」を繰り返す羽目に陥るのである

刑法罰は大多数の大衆にとって「汝の主観的な原則」であり これこそが主観に混入している錯覚を自覚させなくさせる根源的原因である

 

フリードリヒ:ニーチェやイマヌエル:カントのみならず 養老孟司もマルクス:ガブリエルもマイケル:サンデルも 多数大衆の主観においては「哲学者」として扱われているのであり 生物学における遺伝的進化に対する「典型的な間違い」についても誰も本質的には理解していないのである

こういった「バカの論理」が通用しているのも 「多数」という数の論理に頼っているからであり だからこそヒトはバカが治らないのである

 

 

 

Ende;


闖入者

2022年04月08日 17時56分28秒 | 意識論関連

ワクチンに反対する集団がクリニックに闖入して接種が一時間程できなくなったという事件があったそうな

ワクチンには確かにリスクはあるのだが それは100万人に数人の心筋炎症であって 基礎疾患のある人の場合は重症化を抑えるベネフィットの方が圧倒的に上回る

1/100万のリスクだとすれば1億人の中で100件という話であり 交通事故による死亡率の方が圧倒的に高い

10歳以下の子供へのワクチンの副作用はまだはっきりとはわかってはいないものの 今のところは重篤な副作用の報告は出ていない

 *追記:その後10歳以下で2件の重篤な副作用が報告され うち1件は心筋炎症に因るもので 既に二人とも回復しているという

喘息とか先天性の糖尿病といった基礎疾患を持った子供の場合には 打たない危険性の方が圧倒的に高い場合もあり リスクとベネフィットを秤にかける判断しかできない

それは親やかかりつけの医者の判断に任せるしかないものであって 他人にとやかく言われるべきものではない

ワクチンに反対するのは言論の自由なので「どうぞご自由に」なのだが だからといって無断侵入や妨害行為までして良いわけではない

根拠の乏しいデマを鵜呑みにしているバカ程ヒステリックな行動に出るものである

ヒステリックだからこそデマや嘘と真実の区別がつかなくなる

自己過信が酷い奴には客観的理屈が「見えて」いないのであり それは「Qアノン」のようなオカルト信者や独裁者や 振り込め詐欺師に騙されている老人の盲目性と同じものである

 

Ende;


味の素冷凍ギョーザ

2022年04月08日 17時08分28秒 | 日記

味の素冷凍ギョーザにQUOカードが当たるキャンペーンの告知が書いてあったんだけど

QRコードしかなくてURLが載ってない

まあ ググったら出てきたんだけどね

祝ギョーザ50周年 感謝感激ありがとうキャンペーン

購入レシートで応募するので 買った時のレシートは棄てないようにしないと応募できない

一度に購入した数に応じて当選するカードの絵柄が違う


だけど10個も買ったら冷凍庫が餃子で満杯になっちゃうので

毎日餃子というローテーションを強要されることになる

 

 

Ende;


「どうでも良くない」かどうか

2022年04月07日 15時36分29秒 | 意識論関連

「老化がなぜ起こるのか」についての番組がNHKで放送されていました

おそらく生物進化の初期には老化せずに増殖や繁殖だけをする生物もいたと考えられます

番組内では 「進化をするために老化をするようになった」という説明をしていましたが

「進化するため」とか「変異を促すため」といった説明は間違いで

「○○のため」といった目的に則って遺伝子を選ぶことなど構造原理的に不可能です

これもまた遠藤秀紀らが言う遺伝的進化に対する「典型的な間違い」の一つです

 

もし 老化しない生物がいた場合 天敵に喰われるとか老化以外の他の要因で数が減って 増殖する数とのバランスをどこかで取らないと 環境資源を喰い尽くして生態系とのバランスが崩れて絶滅します

絶滅まで至らないとしても 生態系の安定的恒常性が保てないので 種としての存続が難しいことにはなります

天敵のいない生態系の頂点を構成する生物が永遠に死なずに繁殖だけしていったら どう考えても環境資源を喰い尽くして生態系ごと崩壊絶滅することになるのです

バカな生物学者は「生態系とのバランスを取るために老化するよう進化した」といった説明をしたがりますが さっき言った通りに「〇〇のために進化する」ことなどできないんですね

遺伝的進化というものは 環境に適応して繁殖を継続することができている生態系やそれを構成する個体種以外が全て絶滅することで 結果的に死なずに生態系の安定的恒常性が維持できているに過ぎず

断じて「〇〇のため」に自分の遺伝子を都合よく選んで目的のために進化をすることなどできないわけです

進化の全ては「結果」であって 遺伝的進化には「目的」など介在する余地は一切ないのです

ヒトという種の生物が 死刑だの紛争などといった「解決」策で満足してしまう先天的習性があるのも あくまで「結果」であって そこに「目的」をこじつけるから優生学のような科学的に根拠の乏しいデマを信じ込んでしまったりする

優生学はごく近年に至るまで誰も論理反証してきませんでした その原因は遺伝的進化というものが万能で 遺伝的に進化さえ起これば全ての問題が解決するかのような「遺伝的進化万能妄想」による都合の良い「こじつけ」が繰り返されてきたからです

更科功はチャールズ:ダーウィンの進化論についての間違った解釈について説明したことがありましたが 更科もまたバカなので「生きることだけが目的」だの「生きているだけでも立派なものなのだ」などという支離滅裂な説明をし始めました

長谷川眞理子は「チャールズ:ダーウィンは人道主義者だった」ことを述べて「優生学への反証」のように言っていましたが 人道主義者だったかどうかは優生学への反証にはなっておらず 結局「はぐらかし」しかしていないのです

 

進化生物学の書籍のほとんど全てには 「〇〇のために進化した」といった説明が書かれていますが これが全部「典型的な間違い」なのであって これらを全て訂正しなければ科学としておかしいのであって これを放置したまま都合よくダーウィンの進化論を正しく説明しても論理整合性が崩壊したままであって「はぐらかし」にしかなりません

だからこそ更科は「生きているだけでも立派」などという「主観的感想」を科学に持ち出してきたのです

 

 ◇

記憶力の良い人というのは 一度教え込まれて信じた内容を 自発的には間違いだと気づく能力が低い傾向があるようです

これは 鳥類において 産まれたてのヒナが最初に見たものを「親」だと刷り込み学習するのと良く似ており 自己客観性の欠落と記憶能力の高さには相関があるようなのです

私は記憶力が悪いので あまり刷り込み学習的に鵜呑みにすることができず 仕事を覚えるのも遅いために雇われ仕事が苦手です

その代わりに一つの事柄を徹底的に追求する性格なので これはアスペルガー傾向の一つなんだそうです

アスペルガーの人って窓ガラスを拭かせると見えなくなるまで拭き続けるんだそうで 言われてみたら私も一旦窓ガラスを拭き始めると徹底的に拭かないと気が済まないんです

アスペルガーではない大多数の人の場合 物事を深く考えようとはしない傾向が強くて ちょっと難しい話をすると面倒臭くなって拒絶するか放棄して思考停止に陥る場合が非常に多いです

その上厄介なのが 「多数」であることを短絡的に「正常」だと安心して鵜呑みにする傾向があるため 少数意見を平気で無視黙殺する習性もあります

「多数」に属していれば主観的に「安心」なようで 「普通」でさえいれば何でも「大丈夫」だと「思って」いる

「振り込め詐欺に騙されるなんてバカだからであって 私なら絶対に騙されたりはしないわ」なんて「思って」いる人ほど騙される

それが「普通」なんですよ

言い換えれば「凡人」なんです

仏教なら「凡夫」で ヒトは「大衆」とか「衆愚」が大半なのです

平凡なバカにならないためにどうしたら良いのかと言えば 「自分は騙されるかも知れないし 既に間違った話を鵜呑みにしているのかも知れない」と自分の「常識」を疑う論理客観性が必要なのです

アスペルガーのように一つの事柄に執着して徹底的に追求する性格が「天才」なのかと言えば そんなことはありません 執着する方向性が変な方向に偏れば 社会的に迷惑な事柄に執着してしまう場合もあるからです

アスペかどうかが問題なのではなくて 重要なのは自己客観的論理検証性という「自分の頭で考えること」によってバカにならずに済むわけです

「自分の頭で考える」ことをしなくなってしまう大きな要因として 承認欲求中毒が挙げられます

承認欲求中毒だと 自分の判断よりも他人からの評価の方が優先してしまいますから 「自分の頭で考え」判断することをしなくなってしまいます

「他人からの評価」の方が脳への報酬になるために 気分が良くなる話ばかりを信じ込み 自分の頭の悪さを自覚する客観性が失われてしまうことになるのです

「自分の頭で考え」て論理客観的に判断するのではなくて 主観的に気分が良くなる話だけが「正しい」という錯覚以外を認識できなくなる

「発信力」などと称して大衆人気を集めることは 金儲けなどには有利ではありますが 一方ではデマや嘘やオカルトを蔓延させてしまう危険性も含んでおり 断じて「メディアリテラシー」にはなりません

虐待を連鎖する親にとってはスピリチュアルだのオカルトの方が主観的気分が良くなるので人気があります これもまた「発信力」ではありますが デマや嘘であることに違いはありません

「メディアリテラシー」というのは 嘘やデマを見抜き 真理(本当の話)かどうかを見極める能力を言うのであって 金儲けなどの世間的成功につながる「発信力」までをも「メディアリテラシー」として含めるというのは その時点でデマや嘘にしかなっていないのです

 

 ◇

 

「死にたくない」と個人や個体がどんなに強く「思って」も そういう「個体の都合」は遺伝的進化には影響を及ぼすことはありません

遺伝的進化や遺伝子変異というものは「選ぶ」ことなどできないのです

タレントの「You」が「進化で月経の痛みがなくならないのかしら」なんて言ってましたが 遺伝的進化というものは個体の都合は影響を及ぼすことはなくて それこそ月経の痛みが重たい女性を全員断種政策をとることで月経の痛みが少ない女性だけに「品種改良」でもしなければ月経の痛みがなくなるようには「進化」なんか起きないわけです

遺伝的進化というものは 要は「天然の断種政策」みたいなものであって 過酷な弱肉強食の自然環境下における残酷な「結果」でしかないのです

大衆やマスコミは遺伝的進化さえ起きれば全ての問題が解決するかのような幻想を遺伝的進化に期待しているようですが 科学的には何の根拠もない勝手な妄想でしかありません

「死にたくない」と思うのは 「死にたくない」と思うように先天的に出来ている個体への収斂進化の結果であって 「死にたくない」と特に思わない個体の全てが死滅することで結果的に組み込まれた情動バイアスに過ぎず 意味もなく永遠に生き続ける合理的根拠なんぞも本当はありません

「恐怖心」がより強い個体の方が結果的に危険から逃れやすいため 必要以上に怖がる性格の個体への収斂進化の結果として 特に合理的根拠もないのに「死にたくない」と永遠の存命を求めてしまう傾向が強いだけであって ヒトは必ず死にますし 永遠に生き続ける合理的な必要性もないのです

 


独裁者が戦争や虐殺をするのは 恐怖心による衝動が働くからであって 独裁政権体制の内部における評価承認を絶対的なものとすることが「目的」になり 主観的な恐怖を取り除くためなら大衆を騙し 恐怖によって抑圧して得られる「虚構の評価」であっても構わなくなってしまうからです

自分が死ぬのは「世の理」であって 受け入れるしかないものであり 死ぬまでの間にいかに人生を豊かに楽しむかが本当の「豊かさ」というものです

他人を騙すと利己的な利益になることはあります

他人よりは利益になれば 「他人との比較」において「優位に立った」ことにはなりますが 「他人を騙す」ような自分を尊敬することはできず 結果的に自己肯定感は失われしてまいます

卑怯で卑劣な行為によって 他人から物質的な「富」を獲得しても 本質的な自己の満足や充足にはならないために 際限なく他人から物質的「冨」を奪い続けなければならなくなる

そういうスパイラルがヒトの脳には普遍的 且つ先天的に存在しています

ヤクザとか日大の理事長みたいな独裁者というのは 別にロシアやナチス政権下のドイツだけの特異なものではなく 「ブラック企業」などに普遍的に見られるあらゆる組織腐敗の原因であって 独裁体制が出来上がるのは独裁者に服従し 媚へつらい忖度する体制に同調し 恐怖心によって組織腐敗を傍観放置する大多数の迎合者によって腐敗した独裁体制は作り出されるのです

よって 独裁者のトップだけが悪いのではなくて 独裁体制を構成する多数の同調迎合者の服従性こそが 組織腐敗の根源的原因なのです

ロシアでは「皇帝」に従うことが社会の「常識」なっています

逆らうことは「怖い」ことであり 同時に「悪い」ことであり 社会(多数)に対する反逆でもあります

そうした「常識」が働くことによって ヒトは批判精神を喪失し 唯々諾々と多数派に服従し 腐敗した組織体制であっても同調していることこそが「正しい(常識)」になってしまっていると言えるのです

 

 ◇

欲望というものには際限がありません だからこそ独裁政権は世界を滅ぼしてでも独裁を続けなけなければいられなくなる

しかし加藤英明のように爬虫類の研究においても欲望に際限はありません

でもね 爬虫類の研究をするためには社会が安全であることが前提ですから 他人への迷惑にも配慮が働くようになる

千住真理子はヴァイオリンを練習することで欲望を満たせるので 多少の迷惑はかかるようですけど 社会が破壊されることは全く望まず むしろ社会が安全で安定していることが前提になる

純粋に個人的に楽しめることがあれば たとえ誰からも評価されずに「有能感」が得られないとしても それは決して絶対条件ではない

自律的な社会的責任として 他人に迷惑をかけないために必要な条件とは 自分が純粋に楽しめる安全で持続可能な社会であることを 自発的に求めることによって 自律的な社会的責任判断選択もできるようになる

「自律とは 自発性の中にあり 他にはない」というのが「定理」なのは そういう原理です

ところが 他人からの評価が優先してしまうと 主体性がなくなりますから 欲望のままに際限なく他人からの評価を求めるようになり 最終的には社会的迷惑行為にまで発展することになる

嘘とか暴力を振り回してでも他人との比較に執着し 嘘や暴力を振り回している自分に対する肯定感の喪失よりも 目先の物質的欲望に意識を奪われ人間性を喪失することに至る

自分を褒めて評価してくれる相手だけを信用し 批判を全く受け入れることができなくなることで 自らエコーチェンバーの中に頭を突っ込み その穴の中から頭を抜く「自由意志」を喪失するようになる

自分に忖度し 媚びへつらう従順なイエスマンによって構築された腐敗組織の「穴」の甘美な幻想に浸ることだけが「正義」となり 逆らったり批判したりする相手の全てを排除してくれるイエスマンの群れこそが「正しい」という虚構の「正義」に酔いしれ 自分に都合の良い体制こそが絶対的なものとして「感じ(主観)」られることによって 独裁的腐敗組織は温存維持されるようになる

 

「暴力破壊で解決」という発想は 「罰で解決」という大衆観念と同根であり 武力暴力による抑圧的統制こそが「治安」維持にとって唯一絶対的な解決策だという「感覚(錯覚)」によって 死刑を含む刑罰制度が維持されているのだが

客観的に見て 統計的に罰を与えない方が再犯率は劇的に下がり 懲罰が激しい程再犯率は高いことは明らかであり 理論的にも主体性を重んじた方が自律的な社会的責任判断能力は高まることは 教育心理学においても明らかである

 

イジメにおいても被害者を自殺に追い込むまで過激化してしまうのも 加害者側の同調性(社会性)が働くことによって暴走的にイジメが過激化するのであって 加害者側の個人に本質的な主体的な意志 目的意識が働いていないからこそ イジメなどという意味のない行動へと無意識に駆り立てられてしまうのである

規模の違いこそあれ 独裁体制というのはイジメをしている子供の心理と構造的には同じものである

ヒトはどうしても規模の違う話はメカニズムまで違うものだと「思って」しまいがちだが ハインリッヒの法則のように「大きな事象の陰には 無数の小さな事象が隠れている」のが真実である

イジメであれ独裁体制であれ ヒトが引き起こしている「人災」であることに違いなどなく ヒトという種の生物が持つ先天的な認知上の欠陥というものを論理客観的に自覚していれば 戦争のような重大事象には発展を許さずに済む可能性を高めることができる

 


不安があると「悩む」人は多く 「哲学者の名言」的なものを都合よくこじつけて観念的不安を解消して「悩み」を解決するために哲学があると「思って」いるバカは多いものです

わからないことがあるとヒトは不安に「感じ」ます

不安のない人なんていないのですが 熱中できる好きなことがあれば不安を忘れて没頭することで観念的不安は紛らわすことができます

それはあくまで一時的に「紛らわして」いるに過ぎないのですが そもそもが根拠のない観念的不安ですから 紛らわしておけば良いのであって 非合理なこじつけによって紛らわしているのと違いなどなく むしろ楽しめている点において建設的なだけ「得」なのです

不安かどうかは所詮主観的観念であり 先天的に組み込まれた情動バイアスに過ぎません

ヒトも含めて動物は 不安だからこそ行動意欲が働くのであって 不安を何も「感じ」なければ何もしませんよ

何に不安を「感じる」か それも合理的選択が必要であり 本当に求めるものは社会「安全」性の方であって 安心して死ねるためには 安心して生きていられることと同義であって 安心して死ねるためには社会が安全で持続可能で公平で平等で平穏であることこそが 最も合理的な人間としての「目的」だと言えるのです

社会が破綻して人々が不理不尽な苦しみに苛まされるような社会にしかならないというのであれば それはもう生き続ける必要性なんてどこにもないのであって だったら安全で公平な社会を求めるというのは 生き続ける上において必然的な合理的帰結なのです

他人と比較して自分の方が優位に立つよりも そうした優劣にこだわらずに皆が安全で平穏な社会を求めることの方が 人間として合理的で正しい人生だと言えます

際限の無い欲望というものを 純粋行為によって自給自足することによって ヒトは人間としての自律的な社会的責任判断選択が可能となるのです

ハードウェア的(先天的)には加藤英明もプーチンも麻原彰晃も ヒトであることに違いなんかありません

ただ 養育(生育)環境における影響は非常に強いため 育った家庭とか「社会の文化」によって人間性というものは大きく左右されがちではあります

しかし 環境の影響が大きいということを客観的に自覚していれば 環境の影響に依存せずに自分で行動を「自由」に選択することも可能となるのです

「意識」の本質とは 既存の自分の「常識」に左右されずに「本当の目的」とは何かを見極めるための論理客観的検証性という合理的な「考え」であって 自分で主体的に選択していない「常識」に囚われていては「自由」でも何でもないのです

世間的成功やお金がないと 他人と比べて自由になる材料や原料が入手しづらいのですが それはあくまで「他人と比べて」の話であって 個人的な楽しみを他人と比較する必要性なんかありません

無料のダンボールとカッターナイフと木工用ボンドさえあればダンボールで様々なものを作り出すことができます

写真を趣味にするなら何万円かのカメラが必要になりますけど 24,000円のカメラでも楽しむことは出来ますが(今はマトモな新品でそんなのないですけど) 何十万円もする高級カメラを買ったからといって写真の楽しさにさしたる違いなどありません

デジカメなんてのは数年で陳腐化するものですから 別に最新の高級機種を買ったからといって写真を撮る楽しさ自体が増すわけではありません

そもそも2400万画素を有効に使えるレンズも技術も普通の人は持っていませんから 無駄なんですね

最近の若者は出来上がりのわからないフィルムカメラの方を求める傾向があるそうで 高性能で便利であることが写真の楽しみには必ずしもならないからでしょう

「楽しい」というのは 他人との比較によるものではなく あくまで「自分が楽しいと感じられるかどうか」が基準になるのであって 他の人が楽しいと「思って」いることと 自分が楽しいと「思って」いることが同じである必要性も 優劣をつける必要性もないわけです

 ◇

元乃木坂46の生駒里奈ちゃんは 「遠くに山並みが見えるとホッとする」んだそうです

郷里の秋田の風景がそうだったからでしょう

私の場合 幼少期に準工業地帯で育ったために 川崎の京浜工業地帯の風景に郷愁を感じてしまいます

工場だらけの殺風景な景色で育ったために 否応なく殺風景な工場地帯に行くと妙に落ち着くんです

「どうでも良い」って思ったでしょ

そう どうでも良い話なんですよ 主観的感覚なんて

主観的に何に郷愁を感じるかなんて他人との比較に意味なんかない

加藤英明が爬虫類が大好きなのも 加藤の勝手というものです

千住真理子の演奏は多くの人から人気がありますけど 個人的には華やかさと同時にトゲトゲしさもあるのでちょっと疲れるのであまり好きではありません

辻井伸行さんのピアノは好きです ピアノってあんなに優しい音が出るもんなんだとビックリしました

個人的な好き嫌いが多数と同じであることが 別に「正常」であることの論拠にはなりません

廃墟マニアだからといっても マリウポリの残虐行為は誰も望まないでしょう

サバゲーやフォートナイトが大好きでも 実際に人を射殺することなんか誰も望みませんよ

銃乱射事件なんぞ引き起こす奴は 多分サバゲーなんぞやらないです 多分 実際にサバゲーやっている人って別に暴力的ではありませんし

ロリコンだって同じで 相川愛花のプラモデルで萌へているとしても 大半の人は実際の女子小中学生に何かをしようとは思わない

プラモデルって最低数十万個単位で生産されているものが品薄になっているわけであって 数十万 数百万の人がコトブキヤのプラモデルを買っているわけですよ

逆にコトブキヤのプラモデルで楽しめないからこそ 暇を持て余して満員電車で痴漢なんかし始める

コトブキヤのプラモデルを持っている人に対して 「気持ち悪い」と思っている人もいるかも知れませんけど それもまたただの主観的感覚であって どうでも良い話なんですよ

どんなに多数が「気持ち悪い」と主観的に思っていても実害がないならどうでも良い話です

実害という客観的結果さえなければ 主観的には会田誠でも構わない

多数が「気持ち悪い」と思うのであれば それはコソ~リと内緒で楽しんでいても構わない

他人がどう主観的に「思う」かは人格とは無関係ですから

有吉弘行もなかなかの変態ぶりですが ネタとして笑いにしているとは言え 実害がないですから「どうでも良い」話でもあるわけですよ

ヒトは基本的に変態で 女子の股間にポコチン挿入して何かを出すのが気持ちいい生物なんですよ

ヒトに限らず動物のほとんど全てにはそういう繁殖行動バイアスがある

サケのオスがメスの産卵で放精するのも それが気持ちいいからなんでしょう 私はサケじゃないのでサケの気持ち(情動)はわからないですけど

それは祖先の繁殖において有利に働いたという「結果」であって 別に合理的な「目的」があるわけではない

そういう本能習性を持った個体以外が全て死滅した「結果」として現存しているだけの話

だから先天的本能習性によって形作られる個人的な情動(好き嫌い)というものはカオスであって それだけでは自由意志でも何でもない

自分の頭で物事を考え 検証し 「自分が本当に望んでいるものって何だろう」と「選択」することによって 望まない行動結果に陥らないようにできる

それが人間としての「意識」の役割になる

情動の大きさ任せにどんなに物欲を満たして人気を集めても 独裁者くらいにしかなれませんよ

それは客観的には憐れな「欲望の奴隷」に過ぎず 歴史上数多くいる「凡人(バカ)の末路」の一つでしかありません

だから凡人のままでいることは迷惑であり バカでいることは罪なんですよ

大規模なバカが出てくるのは 無数の小さなバカが傍観放置されているからであって 凡人のままでいることは社会的迷惑の温床となる

他人から迷惑をかけられたくないでしょ

だったら自分から先ず迷惑にならないようにしないといけない

私が言っているのはそういう「当たり前の話」なんですよ

イマヌエル:カントの論理的根拠を「超越」しちまった実証不能の謎の「叡智界」なんぞを鵜呑みにしているのは 社会的に無責任なことであり バカの温床になっている

プーチンとかヒトラーというのは 「自分は叡智界に属している」とでも思っているから過信に陥っているんでしょうよ

マルクス:ガブリエルだのフリードリヒ:ニーチェによる論理的根拠の乏しい「決めつけ」を 「哲学」だと鵜呑みにしているのも同様に無責任です 「世界は存在しない」だの「時間は無限に分割すればなくなる」だのといったオカルト話を鵜呑みにしているのは頭がおかしい

養老孟司なんぞ論外です 「客観的事実など存在しない」なんていう荒唐無稽なデマを鵜呑みにしているのは「頭がおかしい」としか言いようがありません

山極寿一による「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」なんて話も 一方では「安倍政権はゴリラと一緒で忖度だらけ」だとか言い出しており 論理整合性が崩壊している

「忖度」って先天的な本能習性ですからね それが既に「先天的な人間性の反証」になっているんですよ 言われなきゃわからない時点で相当バカですけどね

バカが酷いと言ってもわからない

 

凄く面倒臭い

 

 


Ende;


陰謀論

2022年04月06日 01時33分38秒 | 意識論関連

2001年9月11日のテロは 計画解体だったという陰謀論がある

実際に炎上している貿易センタービルから熔けた鉄が流れ出ている映像が残っており これは衝突した航空機燃料のケロシンで鉄骨が熔ける程の高温にはならないというので「謎」とされている

もし計画解体だとするのであれば 一体誰が 何の目的で どのようにテロに便乗して計画解体を施工したのかは現状では情報がなく 陰謀なのかどうかも真偽は不明である

 

世の中に何らかの陰謀があったとしてもおかしくはないのだが 客観的証拠や根拠がないのに荒唐無稽な陰謀論が信じ込まれてしまう原因は 気分的な「納得感」欲しさが原因だそうだ

それこそ「野生の鳩のほとんどがサイボーグ化されていて 電線に止まっていると充電中だ」とかいう今どき小学生でも信じないようなトンデモナイ話が信じ込まれたことがあったという

そんなハイテクがあったらもっと凄いことできるだろw

「わからないこと」があったとしても 判断できるだけの情報がないのなら「わからない」と判断を保留するのが論理客観性というものだが 

それが主観的・感情的な「納得感」が得られないことから 何でも良いので「わかった」ような感覚による主観的「納得感」欲しさに論理客観的判断を放棄してしまう習性がヒトにはあるため 根拠の乏しい荒唐無稽なデマや嘘でも鵜呑みにしてしまうのである

ヒトが本能的に求めているのは 主観的な安心満足感(納得感)という主観的印象であって 論理客観的根拠に基づいた「真理」ではない

ヒトという種の生物は 先天的に「錯覚」という認知上の欠陥が存在しているのである

「現代人の大半が科学を信じている」と言われていながらも 実際には権威の肩書を盲目的に信じ込んでいるだけであって 内容に論理客観的根拠が伴っているかどうかは誰も考えたりはしないものである

マルクス:ガブリエルによる「摩天楼は空と見分けがつかない だから 真実が見えなくなる」などという論理客観的には何の根拠もない印象論だけで マスコミや大衆の大半はそれを「哲学」だと信じて疑わない

哲学というのは 「真理」を見極めるためのものであって 主観的印象論で納得や満足や人生相談で「お悩み解決」をするためのものではない

イマヌエル:カントの「純粋理性批判」における論理的根拠を「超越」した実証不能の謎の「叡智界」などという話を鵜呑みにし それを「近代哲学の最高峰」などと称して「哲学」だと信じ込み 誰も疑わない

しかも 100年以上 ほとんど誰も である

「人間は叡智界に属しているのだ」などという論理客観的根拠のない「決めつけ」であっても それが主観的な「納得感」さえ印象として得られれば 多くのヒトは自分の頭で論理客観的には検証しなくなるものなのである

生物学における遺伝的進化に合理的な意図目的や戦略が介在しているかのような説明についても マスコミも含めて大衆の大半は鵜呑みにし 論理科学的に根拠が伴っていないことには誰も関心を持たない

こうした哲学界や生物学界の「典型的な間違い(誤謬)」が一向に改善しないのは 別に誰かの巧妙な陰謀が働いているわけではなく 単に学術権威達が自分達の間違いを認めてしまうと権威性に傷がつくことから黙殺し マスコミや大衆の方は無為に学術権威という「肩書」を盲目的に信頼していた既成事実を事後正当化する形での「傍観放置」であり 単なる集団無責任に過ぎない

ヒトというのは多数こそが「正常」だという感覚(錯覚)が働くことによって 論理的に間違った話であっても科学的哲学的な「真理(本当の話)」だと 気分的に安心して信じ込み 全く疑わなくなるのである

 

刑法懲罰を優先するのではなく 犯罪者の無責任性の原因を徹底究明することで犯罪の根源的撲滅のための分析を優先することの方が社会防衛や安全性の観点からは実効性が高いにも関わらず 「犯罪者には懲罰」を与えておくことの方が満足感や納得感が安易に得られやすいために 司法裁判による「判決で解決」という非合理な社会制度だけが唯一絶対的な対策として扱われ続けているのである

何人の通り魔を死刑にしても 通り魔事件の根源的原因究明にも再発防止にもつながることはなく 結果的に通り魔事件は何度も繰り返し 理不尽な被害もなくならないのである

これはあらゆる犯罪においても言えることであり むしろ罰を与えない北欧での「リゾート刑務所」の方が圧倒的に再犯率が低下するのである

被害者感情としては 加害者に罰が与えられないことは主観的「納得感」が得られ難いことはわかっているが それは逆にいえば加害者側の養育環境や精神状態を知らないことによる一方的な主観的感情論に過ぎない

被害者側であろうとも主観的感情論に基づいて社会安全性を優先しなくても良いという理屈は客観的におかしな話なのである

カナダでは加害者と被害者による話し合いによって 被害者は加害者側の生い立ちを知ることによって「赦し」 加害者は被害者や遺族の悲しみを知ることで自らの行為の重大さを自覚させる取り組みがされているという

客観的には「赦す」かどうかは主観に過ぎないので社会安全の観点からは意味がないのだが 加害者側がどのような生い立ち・養育環境によって無責任な行動をするようになってしまったのかを科学的知見として蓄積できることは有効である

その意味において 現状の司法制度というのは実効性の乏しい感情論に基づいた非合理なものであって 非合理なもので主観的に「納得」しているだけの「虚構の解決」に他ならない

これもまた別に何らかの目的に則った巧妙な陰謀が働いているわけではなく 単なる怠慢による組織体制の温存に過ぎない

独裁政権や日大や東京電力福島第一原子力発電所もそうだが 腐敗した組織というのは体制維持だけが目的であって 別に陰謀論的な巧妙な「目的」があるわけではなく 既存の組織体制のぬるま湯から出るだけの「意思」がないだけの話に過ぎない

 

小説に出てくる殺人犯というのは 深い悲しみや憎しみに基づき 非常に複雑で巧妙なトリックや技術を用いるような賢い人物が描かれることが多いが 実際の殺人犯というのは非常にバカで 下らない理由で幼稚な行動しかしないものである

もし深い悲しみや憎しみがあるとしても 複雑で巧妙なトリックを思いつくような賢い人物なら 殺人などという短絡的報復に時間や労力を費やすことなどしないものであり 小説に登場するような殺人犯というのは読者の満足感を提供するためのファンタジー妄想に過ぎない

日大の理事長なども 別に複雑で巧妙な陰謀を仕掛けたわけではなく 単に恐怖政治によって盲目的で批判精神のない無為な職員達を服従させていたに過ぎず 蓋を開けてみれば単純な封建的ヒエラルキー体制に過ぎない

それはオウム真理教でも同じことであって 教祖麻原彰晃には何の目的もなく ただバカな信者達から人気を集めてチヤホヤされたかっただけであって 評価承認欲求中毒の暴走の結果がテロに至っただけであり 独裁的洗脳というのは 独裁者が意図目的に則ってテロや戦争を仕掛けているわけではなく 実際には仲間内の中で「信じたい話」だけを信じることによるエコーチェンバーによって洗脳状態に陥り 非合理で無謀な殺戮へと陥っているに過ぎない

独裁者というのは 自分にとって都合の悪いことを言う奴の全てを「陰謀」だと信じ込み 不必要な猜疑心や恐怖心に苛まされることによって 非合理で短絡的な暴力による解決を図ろうとするのである

 

「Qアノン」を信じ込んでいるようなバカだからこそ 連邦議会に乱入するような暴力破壊を「解決」だと
錯覚しているのであって

「暴力で解決だ」という短絡的判断しかできないバカほど 観念的猜疑心による陰謀を信じ込むことでヒトは暴力破壊へと暴走することに陥るのである

 

 

 

Ende;