「老化がなぜ起こるのか」についての番組がNHKで放送されていました
おそらく生物進化の初期には老化せずに増殖や繁殖だけをする生物もいたと考えられます
番組内では 「進化をするために老化をするようになった」という説明をしていましたが
「進化するため」とか「変異を促すため」といった説明は間違いで
「○○のため」といった目的に則って遺伝子を選ぶことなど構造原理的に不可能です
これもまた遠藤秀紀らが言う遺伝的進化に対する「典型的な間違い」の一つです
もし 老化しない生物がいた場合 天敵に喰われるとか老化以外の他の要因で数が減って 増殖する数とのバランスをどこかで取らないと 環境資源を喰い尽くして生態系とのバランスが崩れて絶滅します
絶滅まで至らないとしても 生態系の安定的恒常性が保てないので 種としての存続が難しいことにはなります
天敵のいない生態系の頂点を構成する生物が永遠に死なずに繁殖だけしていったら どう考えても環境資源を喰い尽くして生態系ごと崩壊絶滅することになるのです
バカな生物学者は「生態系とのバランスを取るために老化するよう進化した」といった説明をしたがりますが さっき言った通りに「〇〇のために進化する」ことなどできないんですね
遺伝的進化というものは 環境に適応して繁殖を継続することができている生態系やそれを構成する個体種以外が全て絶滅することで 結果的に死なずに生態系の安定的恒常性が維持できているに過ぎず
断じて「〇〇のため」に自分の遺伝子を都合よく選んで目的のために進化をすることなどできないわけです
進化の全ては「結果」であって 遺伝的進化には「目的」など介在する余地は一切ないのです
ヒトという種の生物が 死刑だの紛争などといった「解決」策で満足してしまう先天的習性があるのも あくまで「結果」であって そこに「目的」をこじつけるから優生学のような科学的に根拠の乏しいデマを信じ込んでしまったりする
優生学はごく近年に至るまで誰も論理反証してきませんでした その原因は遺伝的進化というものが万能で 遺伝的に進化さえ起これば全ての問題が解決するかのような「遺伝的進化万能妄想」による都合の良い「こじつけ」が繰り返されてきたからです
更科功はチャールズ:ダーウィンの進化論についての間違った解釈について説明したことがありましたが 更科もまたバカなので「生きることだけが目的」だの「生きているだけでも立派なものなのだ」などという支離滅裂な説明をし始めました
長谷川眞理子は「チャールズ:ダーウィンは人道主義者だった」ことを述べて「優生学への反証」のように言っていましたが 人道主義者だったかどうかは優生学への反証にはなっておらず 結局「はぐらかし」しかしていないのです
進化生物学の書籍のほとんど全てには 「〇〇のために進化した」といった説明が書かれていますが これが全部「典型的な間違い」なのであって これらを全て訂正しなければ科学としておかしいのであって これを放置したまま都合よくダーウィンの進化論を正しく説明しても論理整合性が崩壊したままであって「はぐらかし」にしかなりません
だからこそ更科は「生きているだけでも立派」などという「主観的感想」を科学に持ち出してきたのです
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記憶力の良い人というのは 一度教え込まれて信じた内容を 自発的には間違いだと気づく能力が低い傾向があるようです
これは 鳥類において 産まれたてのヒナが最初に見たものを「親」だと刷り込み学習するのと良く似ており 自己客観性の欠落と記憶能力の高さには相関があるようなのです
私は記憶力が悪いので あまり刷り込み学習的に鵜呑みにすることができず 仕事を覚えるのも遅いために雇われ仕事が苦手です
その代わりに一つの事柄を徹底的に追求する性格なので これはアスペルガー傾向の一つなんだそうです
アスペルガーの人って窓ガラスを拭かせると見えなくなるまで拭き続けるんだそうで 言われてみたら私も一旦窓ガラスを拭き始めると徹底的に拭かないと気が済まないんです
アスペルガーではない大多数の人の場合 物事を深く考えようとはしない傾向が強くて ちょっと難しい話をすると面倒臭くなって拒絶するか放棄して思考停止に陥る場合が非常に多いです
その上厄介なのが 「多数」であることを短絡的に「正常」だと安心して鵜呑みにする傾向があるため 少数意見を平気で無視黙殺する習性もあります
「多数」に属していれば主観的に「安心」なようで 「普通」でさえいれば何でも「大丈夫」だと「思って」いる
「振り込め詐欺に騙されるなんてバカだからであって 私なら絶対に騙されたりはしないわ」なんて「思って」いる人ほど騙される
それが「普通」なんですよ
言い換えれば「凡人」なんです
仏教なら「凡夫」で ヒトは「大衆」とか「衆愚」が大半なのです
平凡なバカにならないためにどうしたら良いのかと言えば 「自分は騙されるかも知れないし 既に間違った話を鵜呑みにしているのかも知れない」と自分の「常識」を疑う論理客観性が必要なのです
アスペルガーのように一つの事柄に執着して徹底的に追求する性格が「天才」なのかと言えば そんなことはありません 執着する方向性が変な方向に偏れば 社会的に迷惑な事柄に執着してしまう場合もあるからです
アスペかどうかが問題なのではなくて 重要なのは自己客観的論理検証性という「自分の頭で考えること」によってバカにならずに済むわけです
「自分の頭で考える」ことをしなくなってしまう大きな要因として 承認欲求中毒が挙げられます
承認欲求中毒だと 自分の判断よりも他人からの評価の方が優先してしまいますから 「自分の頭で考え」判断することをしなくなってしまいます
「他人からの評価」の方が脳への報酬になるために 気分が良くなる話ばかりを信じ込み 自分の頭の悪さを自覚する客観性が失われてしまうことになるのです
「自分の頭で考え」て論理客観的に判断するのではなくて 主観的に気分が良くなる話だけが「正しい」という錯覚以外を認識できなくなる
「発信力」などと称して大衆人気を集めることは 金儲けなどには有利ではありますが 一方ではデマや嘘やオカルトを蔓延させてしまう危険性も含んでおり 断じて「メディアリテラシー」にはなりません
虐待を連鎖する親にとってはスピリチュアルだのオカルトの方が主観的気分が良くなるので人気があります これもまた「発信力」ではありますが デマや嘘であることに違いはありません
「メディアリテラシー」というのは 嘘やデマを見抜き 真理(本当の話)かどうかを見極める能力を言うのであって 金儲けなどの世間的成功につながる「発信力」までをも「メディアリテラシー」として含めるというのは その時点でデマや嘘にしかなっていないのです
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「死にたくない」と個人や個体がどんなに強く「思って」も そういう「個体の都合」は遺伝的進化には影響を及ぼすことはありません
遺伝的進化や遺伝子変異というものは「選ぶ」ことなどできないのです
タレントの「You」が「進化で月経の痛みがなくならないのかしら」なんて言ってましたが 遺伝的進化というものは個体の都合は影響を及ぼすことはなくて それこそ月経の痛みが重たい女性を全員断種政策をとることで月経の痛みが少ない女性だけに「品種改良」でもしなければ月経の痛みがなくなるようには「進化」なんか起きないわけです
遺伝的進化というものは 要は「天然の断種政策」みたいなものであって 過酷な弱肉強食の自然環境下における残酷な「結果」でしかないのです
大衆やマスコミは遺伝的進化さえ起きれば全ての問題が解決するかのような幻想を遺伝的進化に期待しているようですが 科学的には何の根拠もない勝手な妄想でしかありません
「死にたくない」と思うのは 「死にたくない」と思うように先天的に出来ている個体への収斂進化の結果であって 「死にたくない」と特に思わない個体の全てが死滅することで結果的に組み込まれた情動バイアスに過ぎず 意味もなく永遠に生き続ける合理的根拠なんぞも本当はありません
「恐怖心」がより強い個体の方が結果的に危険から逃れやすいため 必要以上に怖がる性格の個体への収斂進化の結果として 特に合理的根拠もないのに「死にたくない」と永遠の存命を求めてしまう傾向が強いだけであって ヒトは必ず死にますし 永遠に生き続ける合理的な必要性もないのです
独裁者が戦争や虐殺をするのは 恐怖心による衝動が働くからであって 独裁政権体制の内部における評価承認を絶対的なものとすることが「目的」になり 主観的な恐怖を取り除くためなら大衆を騙し 恐怖によって抑圧して得られる「虚構の評価」であっても構わなくなってしまうからです
自分が死ぬのは「世の理」であって 受け入れるしかないものであり 死ぬまでの間にいかに人生を豊かに楽しむかが本当の「豊かさ」というものです
他人を騙すと利己的な利益になることはあります
他人よりは利益になれば 「他人との比較」において「優位に立った」ことにはなりますが 「他人を騙す」ような自分を尊敬することはできず 結果的に自己肯定感は失われしてまいます
卑怯で卑劣な行為によって 他人から物質的な「富」を獲得しても 本質的な自己の満足や充足にはならないために 際限なく他人から物質的「冨」を奪い続けなければならなくなる
そういうスパイラルがヒトの脳には普遍的 且つ先天的に存在しています
ヤクザとか日大の理事長みたいな独裁者というのは 別にロシアやナチス政権下のドイツだけの特異なものではなく 「ブラック企業」などに普遍的に見られるあらゆる組織腐敗の原因であって 独裁体制が出来上がるのは独裁者に服従し 媚へつらい忖度する体制に同調し 恐怖心によって組織腐敗を傍観放置する大多数の迎合者によって腐敗した独裁体制は作り出されるのです
よって 独裁者のトップだけが悪いのではなくて 独裁体制を構成する多数の同調迎合者の服従性こそが 組織腐敗の根源的原因なのです
ロシアでは「皇帝」に従うことが社会の「常識」なっています
逆らうことは「怖い」ことであり 同時に「悪い」ことであり 社会(多数)に対する反逆でもあります
そうした「常識」が働くことによって ヒトは批判精神を喪失し 唯々諾々と多数派に服従し 腐敗した組織体制であっても同調していることこそが「正しい(常識)」になってしまっていると言えるのです
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欲望というものには際限がありません だからこそ独裁政権は世界を滅ぼしてでも独裁を続けなけなければいられなくなる
しかし加藤英明のように爬虫類の研究においても欲望に際限はありません
でもね 爬虫類の研究をするためには社会が安全であることが前提ですから 他人への迷惑にも配慮が働くようになる
千住真理子はヴァイオリンを練習することで欲望を満たせるので 多少の迷惑はかかるようですけど 社会が破壊されることは全く望まず むしろ社会が安全で安定していることが前提になる
純粋に個人的に楽しめることがあれば たとえ誰からも評価されずに「有能感」が得られないとしても それは決して絶対条件ではない
自律的な社会的責任として 他人に迷惑をかけないために必要な条件とは 自分が純粋に楽しめる安全で持続可能な社会であることを 自発的に求めることによって 自律的な社会的責任判断選択もできるようになる
「自律とは 自発性の中にあり 他にはない」というのが「定理」なのは そういう原理です
ところが 他人からの評価が優先してしまうと 主体性がなくなりますから 欲望のままに際限なく他人からの評価を求めるようになり 最終的には社会的迷惑行為にまで発展することになる
嘘とか暴力を振り回してでも他人との比較に執着し 嘘や暴力を振り回している自分に対する肯定感の喪失よりも 目先の物質的欲望に意識を奪われ人間性を喪失することに至る
自分を褒めて評価してくれる相手だけを信用し 批判を全く受け入れることができなくなることで 自らエコーチェンバーの中に頭を突っ込み その穴の中から頭を抜く「自由意志」を喪失するようになる
自分に忖度し 媚びへつらう従順なイエスマンによって構築された腐敗組織の「穴」の甘美な幻想に浸ることだけが「正義」となり 逆らったり批判したりする相手の全てを排除してくれるイエスマンの群れこそが「正しい」という虚構の「正義」に酔いしれ 自分に都合の良い体制こそが絶対的なものとして「感じ(主観)」られることによって 独裁的腐敗組織は温存維持されるようになる
「暴力破壊で解決」という発想は 「罰で解決」という大衆観念と同根であり 武力暴力による抑圧的統制こそが「治安」維持にとって唯一絶対的な解決策だという「感覚(錯覚)」によって 死刑を含む刑罰制度が維持されているのだが
客観的に見て 統計的に罰を与えない方が再犯率は劇的に下がり 懲罰が激しい程再犯率は高いことは明らかであり 理論的にも主体性を重んじた方が自律的な社会的責任判断能力は高まることは 教育心理学においても明らかである
イジメにおいても被害者を自殺に追い込むまで過激化してしまうのも 加害者側の同調性(社会性)が働くことによって暴走的にイジメが過激化するのであって 加害者側の個人に本質的な主体的な意志 目的意識が働いていないからこそ イジメなどという意味のない行動へと無意識に駆り立てられてしまうのである
規模の違いこそあれ 独裁体制というのはイジメをしている子供の心理と構造的には同じものである
ヒトはどうしても規模の違う話はメカニズムまで違うものだと「思って」しまいがちだが ハインリッヒの法則のように「大きな事象の陰には 無数の小さな事象が隠れている」のが真実である
イジメであれ独裁体制であれ ヒトが引き起こしている「人災」であることに違いなどなく ヒトという種の生物が持つ先天的な認知上の欠陥というものを論理客観的に自覚していれば 戦争のような重大事象には発展を許さずに済む可能性を高めることができる
不安があると「悩む」人は多く 「哲学者の名言」的なものを都合よくこじつけて観念的不安を解消して「悩み」を解決するために哲学があると「思って」いるバカは多いものです
わからないことがあるとヒトは不安に「感じ」ます
不安のない人なんていないのですが 熱中できる好きなことがあれば不安を忘れて没頭することで観念的不安は紛らわすことができます
それはあくまで一時的に「紛らわして」いるに過ぎないのですが そもそもが根拠のない観念的不安ですから 紛らわしておけば良いのであって 非合理なこじつけによって紛らわしているのと違いなどなく むしろ楽しめている点において建設的なだけ「得」なのです
不安かどうかは所詮主観的観念であり 先天的に組み込まれた情動バイアスに過ぎません
ヒトも含めて動物は 不安だからこそ行動意欲が働くのであって 不安を何も「感じ」なければ何もしませんよ
何に不安を「感じる」か それも合理的選択が必要であり 本当に求めるものは社会「安全」性の方であって 安心して死ねるためには 安心して生きていられることと同義であって 安心して死ねるためには社会が安全で持続可能で公平で平等で平穏であることこそが 最も合理的な人間としての「目的」だと言えるのです
社会が破綻して人々が不理不尽な苦しみに苛まされるような社会にしかならないというのであれば それはもう生き続ける必要性なんてどこにもないのであって だったら安全で公平な社会を求めるというのは 生き続ける上において必然的な合理的帰結なのです
他人と比較して自分の方が優位に立つよりも そうした優劣にこだわらずに皆が安全で平穏な社会を求めることの方が 人間として合理的で正しい人生だと言えます
際限の無い欲望というものを 純粋行為によって自給自足することによって ヒトは人間としての自律的な社会的責任判断選択が可能となるのです
ハードウェア的(先天的)には加藤英明もプーチンも麻原彰晃も ヒトであることに違いなんかありません
ただ 養育(生育)環境における影響は非常に強いため 育った家庭とか「社会の文化」によって人間性というものは大きく左右されがちではあります
しかし 環境の影響が大きいということを客観的に自覚していれば 環境の影響に依存せずに自分で行動を「自由」に選択することも可能となるのです
「意識」の本質とは 既存の自分の「常識」に左右されずに「本当の目的」とは何かを見極めるための論理客観的検証性という合理的な「考え」であって 自分で主体的に選択していない「常識」に囚われていては「自由」でも何でもないのです
世間的成功やお金がないと 他人と比べて自由になる材料や原料が入手しづらいのですが それはあくまで「他人と比べて」の話であって 個人的な楽しみを他人と比較する必要性なんかありません
無料のダンボールとカッターナイフと木工用ボンドさえあればダンボールで様々なものを作り出すことができます
写真を趣味にするなら何万円かのカメラが必要になりますけど 24,000円のカメラでも楽しむことは出来ますが(今はマトモな新品でそんなのないですけど) 何十万円もする高級カメラを買ったからといって写真の楽しさにさしたる違いなどありません
デジカメなんてのは数年で陳腐化するものですから 別に最新の高級機種を買ったからといって写真を撮る楽しさ自体が増すわけではありません
そもそも2400万画素を有効に使えるレンズも技術も普通の人は持っていませんから 無駄なんですね
最近の若者は出来上がりのわからないフィルムカメラの方を求める傾向があるそうで 高性能で便利であることが写真の楽しみには必ずしもならないからでしょう
「楽しい」というのは 他人との比較によるものではなく あくまで「自分が楽しいと感じられるかどうか」が基準になるのであって 他の人が楽しいと「思って」いることと 自分が楽しいと「思って」いることが同じである必要性も 優劣をつける必要性もないわけです
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元乃木坂46の生駒里奈ちゃんは 「遠くに山並みが見えるとホッとする」んだそうです
郷里の秋田の風景がそうだったからでしょう
私の場合 幼少期に準工業地帯で育ったために 川崎の京浜工業地帯の風景に郷愁を感じてしまいます
工場だらけの殺風景な景色で育ったために 否応なく殺風景な工場地帯に行くと妙に落ち着くんです
「どうでも良い」って思ったでしょ
そう どうでも良い話なんですよ 主観的感覚なんて
主観的に何に郷愁を感じるかなんて他人との比較に意味なんかない
加藤英明が爬虫類が大好きなのも 加藤の勝手というものです
千住真理子の演奏は多くの人から人気がありますけど 個人的には華やかさと同時にトゲトゲしさもあるのでちょっと疲れるのであまり好きではありません
辻井伸行さんのピアノは好きです ピアノってあんなに優しい音が出るもんなんだとビックリしました
個人的な好き嫌いが多数と同じであることが 別に「正常」であることの論拠にはなりません
廃墟マニアだからといっても マリウポリの残虐行為は誰も望まないでしょう
サバゲーやフォートナイトが大好きでも 実際に人を射殺することなんか誰も望みませんよ
銃乱射事件なんぞ引き起こす奴は 多分サバゲーなんぞやらないです 多分 実際にサバゲーやっている人って別に暴力的ではありませんし
ロリコンだって同じで 相川愛花のプラモデルで萌へているとしても 大半の人は実際の女子小中学生に何かをしようとは思わない
プラモデルって最低数十万個単位で生産されているものが品薄になっているわけであって 数十万 数百万の人がコトブキヤのプラモデルを買っているわけですよ
逆にコトブキヤのプラモデルで楽しめないからこそ 暇を持て余して満員電車で痴漢なんかし始める
コトブキヤのプラモデルを持っている人に対して 「気持ち悪い」と思っている人もいるかも知れませんけど それもまたただの主観的感覚であって どうでも良い話なんですよ
どんなに多数が「気持ち悪い」と主観的に思っていても実害がないならどうでも良い話です
実害という客観的結果さえなければ 主観的には会田誠でも構わない
多数が「気持ち悪い」と思うのであれば それはコソ~リと内緒で楽しんでいても構わない
他人がどう主観的に「思う」かは人格とは無関係ですから
有吉弘行もなかなかの変態ぶりですが ネタとして笑いにしているとは言え 実害がないですから「どうでも良い」話でもあるわけですよ
ヒトは基本的に変態で 女子の股間にポコチン挿入して何かを出すのが気持ちいい生物なんですよ
ヒトに限らず動物のほとんど全てにはそういう繁殖行動バイアスがある
サケのオスがメスの産卵で放精するのも それが気持ちいいからなんでしょう 私はサケじゃないのでサケの気持ち(情動)はわからないですけど
それは祖先の繁殖において有利に働いたという「結果」であって 別に合理的な「目的」があるわけではない
そういう本能習性を持った個体以外が全て死滅した「結果」として現存しているだけの話
だから先天的本能習性によって形作られる個人的な情動(好き嫌い)というものはカオスであって それだけでは自由意志でも何でもない
自分の頭で物事を考え 検証し 「自分が本当に望んでいるものって何だろう」と「選択」することによって 望まない行動結果に陥らないようにできる
それが人間としての「意識」の役割になる
情動の大きさ任せにどんなに物欲を満たして人気を集めても 独裁者くらいにしかなれませんよ
それは客観的には憐れな「欲望の奴隷」に過ぎず 歴史上数多くいる「凡人(バカ)の末路」の一つでしかありません
だから凡人のままでいることは迷惑であり バカでいることは罪なんですよ
大規模なバカが出てくるのは 無数の小さなバカが傍観放置されているからであって 凡人のままでいることは社会的迷惑の温床となる
他人から迷惑をかけられたくないでしょ
だったら自分から先ず迷惑にならないようにしないといけない
私が言っているのはそういう「当たり前の話」なんですよ
イマヌエル:カントの論理的根拠を「超越」しちまった実証不能の謎の「叡智界」なんぞを鵜呑みにしているのは 社会的に無責任なことであり バカの温床になっている
プーチンとかヒトラーというのは 「自分は叡智界に属している」とでも思っているから過信に陥っているんでしょうよ
マルクス:ガブリエルだのフリードリヒ:ニーチェによる論理的根拠の乏しい「決めつけ」を 「哲学」だと鵜呑みにしているのも同様に無責任です 「世界は存在しない」だの「時間は無限に分割すればなくなる」だのといったオカルト話を鵜呑みにしているのは頭がおかしい
養老孟司なんぞ論外です 「客観的事実など存在しない」なんていう荒唐無稽なデマを鵜呑みにしているのは「頭がおかしい」としか言いようがありません
山極寿一による「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」なんて話も 一方では「安倍政権はゴリラと一緒で忖度だらけ」だとか言い出しており 論理整合性が崩壊している
「忖度」って先天的な本能習性ですからね それが既に「先天的な人間性の反証」になっているんですよ 言われなきゃわからない時点で相当バカですけどね
バカが酷いと言ってもわからない
凄く面倒臭い
Ende;