コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

祐泉寺(岐阜県美濃加茂市)

2013-03-14 19:05:30 | 神社・仏閣・教会

2013年3月9日 岐阜県

祐泉寺

岐阜県美濃加茂市太田本町

祐泉寺は臨済宗妙心守派の寺で、寺伝によれば文明6年(1474年)に大道真源が湧泉庵という寺を建立したことに始まるといわれている。16世紀の初め、八百津の大仙寺の末寺として祐川庵と称し、後の17世紀後半(寛文年間)に現在の祐泉寺と改称している。 祐泉寺ホームページより

 

 龍興山祐泉寺は臨済宗妙心寺派の寺院で、寺伝によれば文明6年(1474)、土岐源氏・土岐頼政の次男、東陽英朝禅師(大道真源)が湧泉庵という庵をむすんだことにはじまるといわれています。 永正年間(1504~1521)には八百津の大仙寺の末寺となり、祐川庵といいました。寛文年間(1661~1673)には、関の梅龍寺末寺の祐泉寺となり。明治になって妙心寺本山の直末となりました。 また、火難水難から守るとの言い伝えが残る龍場観音があり、美濃四国27番目の札所となっています。境内には坪内逍遥や北原白秋といった文人が詠んだ歌碑、槍ヶ岳を開山した播隆上人、「日本ライン」の命名者、志賀重昴の墓碑などが残されています。

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祐泉寺(岐阜県美濃加茂市)~旧中山道を歩く(17回目)

2013-03-14 19:05:28 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<御嵩宿~鵜沼宿
2013年3月9日 17回目

 祐泉寺

岐阜県美濃加茂市太田本町

祐泉寺は臨済宗妙心守派の寺で、寺伝によれば文明6年(1474年)に大道真源が湧泉庵という寺を建立したことに始まるといわれている。16世紀の初め、八百津の大仙寺の末寺として祐川庵と称し、後の17世紀後半(寛文年間)に現在の祐泉寺と改称している。 祐泉寺ホームページより

 

 龍興山祐泉寺は臨済宗妙心寺派の寺院で、寺伝によれば文明6年(1474)、土岐源氏・土岐頼政の次男、東陽英朝禅師(大道真源)が湧泉庵という庵をむすんだことにはじまるといわれています。 永正年間(1504~1521)には八百津の大仙寺の末寺となり、祐川庵といいました。寛文年間(1661~1673)には、関の梅龍寺末寺の祐泉寺となり。明治になって妙心寺本山の直末となりました。 また、火難水難から守るとの言い伝えが残る龍場観音があり、美濃四国27番目の札所となっています。境内には坪内逍遥や北原白秋といった文人が詠んだ歌碑、槍ヶ岳を開山した播隆上人、「日本ライン」の命名者、志賀重昴の墓碑などが残されています。

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法華経塚と飛騨街道追分~旧中山道を歩く(17回目)

2013-03-14 05:17:07 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<御嵩宿~鵜沼宿
2013年3月9日 17回目

法華経塚と飛騨街道追分

法華経塚は、埋葬地(墓地)の入口に建てられた石碑だったと言われています。ここから少し東に行くと、飛騨高山へ向う飛騨街道の追分があります。
現在、ここから東に進んだ神明堂の交差点付近には、明治時代に伊藤萬蔵により建立された中山道と飛騨街道の道標が残っています。美濃加茂市商工観光課

 

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