街道ウォーク<旧中山道<鵜沼宿(各務ヶ原駅)~加納宿(岐阜駅)
2013年4月19日 18回目
加納宿石碑
cosmophantom
街道ウォーク<旧中山道<鵜沼宿(各務ヶ原駅)~加納宿(岐阜駅)
2013年4月19日 18回目
加納宿石碑
cosmophantom
街道ウォーク<旧中山道<鵜沼宿(各務ヶ原駅)~加納宿(岐阜駅)
2013年4月19日 18回目
茶所駅 名古屋鉄道名古屋本線
岐阜県岐阜市加納八幡町
cosmophantom
街道ウォーク<旧中山道<鵜沼宿(各務ヶ原駅)~加納宿(岐阜駅)
2013年4月19日 18回目
茶所(ちゃじょ)の町並み
▲茶所バス停
▲都市景観重要建築物 岐阜市
cosmophantom
街道ウォーク<旧中山道<鵜沼宿(各務ヶ原駅)~加納宿(岐阜駅)
2013年4月19日 18回目
岐阜城が見えた!
cosmophantom
街道ウォーク<旧中山道<鵜沼宿(各務ヶ原駅)~加納宿(岐阜駅)
2013年4月19日 18回目
領下の町並み
cosmophantom
街道ウォーク<旧中山道<鵜沼宿(各務ヶ原駅)~加納宿(岐阜駅)
2013年4月19日 18回目
細畑の一里塚
岐阜県岐阜市長森細畑
▲左塚
▲右塚
中山道は江戸時代の五街道の一つで、江戸と京都を結んでいた。一里塚は一里(約三、九キロメートル)ごとに設置され、旅人に安らぎを与えると共にみちのりの目安となるように置かれたものである。街道の両側に五間(約九、一メートル)四方に土を盛って築かれ、多くはその上にエノキが植えられた。
細畑の一里塚は慶長九年(一六〇四)、中山道の他の一里塚とともにつくられた。東方の鵜沼宿から三里一四町(約一三、三キロメートル)西方の加納宿まで三〇町(約三、三キロメートル)の位置二あり、中山道の風情を今に伝えている。
☆cosmophantom
街道ウォーク<旧中山道<鵜沼宿(各務ヶ原駅)~加納宿(岐阜駅)
2013年4月19日 18回目
長森細畑の様子
岐阜県岐阜市長森細畑
cosmophantom
街道ウォーク<旧中山道<鵜沼宿(各務ヶ原駅)~加納宿(岐阜駅)
2013年4月19日 18回目
切通の由来
切通は境川北岸に位置し地名の由来は岩戸南方一帯の滞溜水を境川に落していたことによると言う。 文治年間(一一八五)渋谷金王丸が長森庄の
地頭に任ぜられこの地に長森城を築いた。延元二年(一三三七)美濃国守護二代土岐頼遠が土岐郡大富より長森に居を移し長森城を改修し美濃国を治め天下にその名を知らしめた。江戸時代に入るやこの地は加納藩領となり以後幕府領・大垣藩預り地と変わり享保三年(一八〇二)磐城平藩の所領となるに及びこの地に陣屋が設けられ幕末までこの地を治めた。切通は古来東西交通の要路にあたり江戸初期中山道が開通されるや手力雄神社前から浄慶寺付近までは立場(休憩所)として茶屋・菓子屋・履物屋等が設けられ旅人の通行で賑いを見せ各地の文物が伝来し文化の向上に大きく寄与した。
cosmophantom
街道ウォーク<旧中山道<鵜沼宿(各務ヶ原駅)~加納宿(岐阜駅)
2013年4月19日 18回目
切通の町並みとマンホール
cosmophantom
街道ウォーク<旧中山道<鵜沼宿(各務ヶ原駅)~加納宿(岐阜駅)
2013年4月19日 18回目
手力雄神社鳥居と道標
▲左木曽路
cosmophantom
街道ウォーク<旧中山道<鵜沼宿(各務ヶ原駅)~加納宿(岐阜駅)
2013年4月19日 18回目
高田橋駅 名古屋鉄道各務原線
cosmophantom
街道ウォーク<旧中山道<鵜沼宿(各務ヶ原駅)~加納宿(岐阜駅)
2013年4月19日 18回目
高田橋
cosmophantom
街道ウォーク<旧中山道<鵜沼宿(各務ヶ原駅)~加納宿(岐阜駅)
2013年4月19日 18回目
新加納の旧道
▲軒下の箱のようなもの、さてなんでしょう?
▲西坂下の松並木の説明板とか細い松一本は見当たらない。
cosmophantom
街道ウォーク<旧中山道<鵜沼宿(各務ヶ原駅)~加納宿(岐阜駅)
2013年4月19日 18回目
道標
▲「右 京屋?」読めません。京都は右ですが・・・
▲「南・・・・」???
cosmophantom
街道ウォーク<旧中山道<鵜沼宿(各務ヶ原駅)~加納宿(岐阜駅)
2013年4月19日 18回目
新加納立場
慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いに勝利を収めた徳川家康は、全国的な封建支配体制の確立を目指し、主要な街道整備事業を行なった。中山道は東海道の裏街道として京都と江戸を結ぶ幹線道路となり、全長百三十四里(約536km)の間に六十七の宿場が設けられた。各務原市内には鵜沼宿が置かれていたが、鵜沼宿と加納宿の間は四里十町(約17km)と距離が長いため立場(たてば)〔建場茶屋〕と呼ばれる小休所が、ここ新加納に設けられていた。皇女和宮の降嫁の際にも休息所とされた新加納は、正規の宿場ではないとは言え、長すぎる鵜沼宿と加納宿の、ちょうど中間に位置することや、小規模ながらも旗本・坪内氏の城下町的な意義を持つことなどからも、中山道の「間の宿」として栄えていたのである。平成元年度 各務原市
cosmophantom