街道ウォーク<リベンジ編<旧東海道<箱根関所~三島駅
2013年5月3日
三島大社までの様子
▲東海道本線
▲新町橋 箱根方向を撮影
▲県道21号 この先が三島大社
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街道ウォーク<リベンジ編<旧東海道<箱根関所~三島駅
2013年5月3日
三島大社までの様子
▲東海道本線
▲新町橋 箱根方向を撮影
▲県道21号 この先が三島大社
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街道ウォーク<リベンジ編<旧東海道<箱根関所~三島駅
2013年5月3日
箱根旧街道と愛宕坂
箱根旧街道は、1601年から江戸幕府により江戸から京都まで整備された東海道の一部です。両側には松や杉が並木として植えられ通行の人や馬を保護し、また一里塚を築いて旅人の目安としていたようです。この旧街道は急な坂道なので、人も馬もすべって大変なところでした。そこで幕府は、1680年に、それまでの竹を敷いてあったものから、石を敷き詰めて「石畳の道」に改修したものです。その石畳を1769年に修理した記録によると、「愛宕坂では、長さ140メートル、幅3.6メートルを修理した」とあり、当時の道幅がわかります。現在、この道は石畳風に整備されているところと、その下には往時(昔)の石畳が埋まっているところとがあります。ここでは、両側の松並木敷のうち、南側の並木敷だけを復元したもので、この先の初音ヶ原の松並木に続いています。江戸時代には、現在の東海病院の敷地には愛宕社ほかの社寺がありましたが、現在は「愛宕山」と刻んだ碑だけが頭上のこんもりとした小山に残っています。 平成五年五月 三島市教育委員会
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街道ウォーク<リベンジ編<旧東海道<箱根関所~三島駅
2013年5月3日
松並木
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街道ウォーク<リベンジ編<旧東海道<箱根関所~三島駅
2013年5月3日
錦田一里塚 (国指定史跡)
江戸幕府は慶長9年、東海道をはじめ主要街道に並木を植えるなどして街道を整備した。その一環として一里ごとに街道の両側に直径約10メートルの円形の塚を築き、その上に風雨に強いエノキや松を植え、これを一里塚と称した。一里塚は大名の参勤交代や旅人の道程の目安、馬や籠の賃金の目安、旅人の憩いの場等、多方面に活用されていた。錦田一里塚は江戸日本橋より始まる東海道の28里の地点にあり、松並木の間に道路をはさんで向かい合って一対残っており、旧態を保っていて貴重であるので国指定史跡となっている。 平成八年二月 三島市教育委員会
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2013年5月3日
初音ヶ原石畳遊歩道
江戸時代の東海道は、徳川家康により慶長9年に整備され、道の両側には松や杉の並木が植えられ一里ごとに塚がつくられました。しかし箱根路は急坂のため道が荒れ、しかも滑りやすいのでその対策としてやがて石が敷かれたもので、この初音ヶ原付近では現在の国道一号上り線に街道がありました。この歩道は、松並木や一里塚など、箱根旧街道の面影を色濃く残すここ初音ヶ原に、石畳遊歩道として整備されたもので、天下の険、箱根八里を徒歩や駕籠で往来した旅人の姿がしのばれます。平成二年三月 三島市教育委員会
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