2014年10月23日 岐阜県
※職場の先輩2人のお供の旅も今回で6回目になります。歴史好きの先輩達はお城が大好き!しかもマイナーなお城がお好みのようです。
岩村城 (別名・霧ヶ城) 100名城
岐阜県恵那市岩村町
(財)日本城郭協会が認定する「日本百名城」に選定された山城。(岐阜県内では岐阜城と岩村城跡の2ヶ所のみが選定)。本丸周辺の石垣は“東洋のマチュピチュ”と呼んでも相応しいほど、遺跡をもイメージさせる壮大なつくりで、城マニアが感嘆のため息をもらすほどの石垣が、今も、当時の面影を偲ばせています。
“岩村城は、大和の高取城(奈良県)備中の松山城(岡山県)と並ぶ日本三大山城の一つに数えられる名城。城は江戸諸藩の府城の中でも最も高い所(標高717m)に築かれ、高低差180mの天嶮の地形を巧みに利用した要害堅固な山城で、霧の湧き易い気象までも城造りに活かされており、別名「霧ケ城」とも呼ばれています。この城が名城と言われる由縁は、単にその規模と大きさだけでなく、その永い歴史に由来しています。1185年(文治元年)源頼朝の重臣「加藤景廉(かとうかげかど)」がこの地の地頭に補せられ創築されてから、鎌倉・室町の300年間、戦国の100年間、更に江戸期の300年間に亙り城と城主が連綿と続き、明治に至り廃城令で廃城されるまで、連綿と存続しました。700年間に及ぶ城の歴史は、日本の城史にも例を見ないものなのです。 ホットいわむらより
▲藩主邸太鼓櫓▼
▲岩村藩藩校知新館▼元禄15年(1702年)に、岩村藩の松平乗紀(のりただ)によって創設された美濃地域で最初の藩校です。
※天守閣跡までは坂道を800m程登ります。
別名・霧ヶ城のとおり霧が出てきました
▲菱櫓址▼石垣も建物も菱形でその名がある。
この城の石垣の最大の見所六段壁(本丸虎口の石垣):石垣が階段状に6段となっている
▲天守閣跡
※天守閣跡から眼下に霧に包まれた建物が見えるが詳細は不明
2014-11-01 07:18:44
cosmophantom