2015年9月22日 長野県
稲荷山① 重要伝統的建造物群保存地区
長野県千曲市稲荷山
稲荷山は、天正10年(1582)頃に稲荷山城築城に伴って形成されました。慶長3年(1598)の廃城後は、北国西往還(通称:善光寺街道)の宿場町として賑わいました。19世紀以降になると、稲荷山は徐々に商家町として発展しましたが、弘化4年(1847)の善光寺地震とそれに伴う火災により、町は壊滅的な被害を受けました。震災復興後の近世末期から近代にかけ、生糸や繊維製品の集散地として、長野県北部(北信)地方有数の商業地として繁栄しました。 千曲市ホームページより
▲旧料亭「松葉屋」
白壁造りで四段蛇腹の重厚な建物。昭和一四年まで料理店を営み繁盛していた。当時は常に三味線の音が聞こえていた様に今でも聞こえてきそうな佇まいである。角の辺りに明治二七年姨捨山冠着宮遥拝所の碑があった。この地より眺める冠着山の姿は抜群です。
現地説明版
▲義仲 鞍掛石
養和元年(1,181年)6月木曾義仲横田河原で越後住人 城 長茂との戦いの際この石に鞍を掛け休憩したと云う。 稲荷山町づくり推進委員会
長雲寺
▼高村別邸
高村国策氏別邸。同氏の長男高村象平氏は慶応義塾の塾長歴任。国道四〇三号新設の際、道路が南側の塀の部分に七メートル程かかり現在の形となる。昭和二十年七月二七日慶応大学の図書館蔵書が大量に疎開した。 現地説明版
▲右 西京街道
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2015-10-03 05:54:18
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