2015年9月23日 長野県
上田城2015 100名城
長野県上田市
1583年、甲斐武田氏の旧臣・真田昌幸が築いた平城である。上田盆地北部、千曲川の分流である尼ヶ淵に面していたことから「尼ヶ淵城」と呼ばれることもあった。 北に太郎山、南に千曲川といった自然の要塞を持ち、さらに城の北と西に矢出沢川を引き込んで総構えとしている。唯一の攻め口である東側にも蛭沢川や湿地帯がある。 第二次上田合戦後、関ヶ原の戦いで真田昌幸、信繁(幸村)が属した西軍が敗れたため、上田城は徳川軍に徹底的に破却された。現在の遺構は、真田氏が信濃国松代に転封されたのちに入城した仙石氏によって再建されたものである。
二の丸橋から入城
▼上田城東虎口櫓門へ
▲ 上田城東虎口櫓門 右:北櫓 左:南櫓 ・・・これらは平成6年3月に復元
▲上田城東虎口櫓門と南櫓
▲南櫓
▲真田石:真田昌幸(幸村の父)が上田城築城の際、太郎山から掘り出したこの大石を「真田石」と名付けた。その子信之は松代へ移封のときこの石を家宝として持っていこうとしたが微動だにしなかったと、伝えられる。以来、文字通り上田城にそなわった礎石である。 説明板より
▲上田城東虎口櫓門
▲上田城東虎口櫓門と南櫓
▼南櫓
南櫓内部
▲▼北櫓
▲南櫓
▲真田神社:上田城本丸跡にある神社で、真田・仙石・松平の歴代上田藩主を祀っており、開祖の名をとって真田神社としました。
▼上田藩主屋敷門と堀跡
現在の上田高校の敷地は、そっくりかつての藩主(城主)屋敷の跡にあたります。同校東側の表門と、その両脇につづく土塀・濠・土塁は、昔の面影をよくとどめていて、上田市の文化財に指定されています。 上田市文化財マップより
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