2017年8月22日 【ぐるり東北2017】 岩手県
盛岡城 100名城
岩手県盛岡市内丸
盛岡城は,三戸から不来方(こずかた)に居城の移転を決定した南部信直(なんぶのぶなお:盛岡藩初代藩主)が,1597年(慶長2年)に嫡子利直(としなお:2代藩主)を総奉行(そうぶぎょう)として築城を始めたと伝えられ,翌1598年(慶長3年)の正式許可の後,築城工事が本格的に進められました。
城の縄張りは豊臣家重臣の浅野長政の助言によるものといわれ,北上川と中津川の合流点に突き出した丘陵に本丸・二ノ丸・三ノ丸・腰曲輪などを配し,それぞれに雄大な石垣を構築して内曲輪(御城内)としています。
石垣が見所だ~
▲腰曲輪
▼烏帽子岩
盛岡城築城時、この地を掘り下げたときに、大きさ二丈ばかり突出した大石が出てきました。この場所が、場内の祖神さまの神域にあったために、宝大石とされ、以後吉兆のシンボルとして広く信仰され災害や疫病があった時など、この岩の前で、平安祈願の神事が行われ、南部藩盛岡の「お守り岩」として、今日まで崇拝されています。
▲三ノ丸
▲本丸
▼彦御蔵 盛岡市指定有形文化財
当建物は,江戸時代に「彦御蔵」と呼ばれた,旧盛岡城の土蔵である。
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