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浦賀(神奈川県横須賀市)の町並み

2015-12-21 06:09:26 | 町並み

2015年5月2日 神奈川県

浦賀の町並み

神奈川県横須賀市

三浦半島の中では比較的早くから発展した地域であり、戦国時代には浦賀城が築城されて後北条氏の水軍の拠点の1つになっていた。江戸時代には江戸湾の入り口に位置することから廻船問屋や干鰯問屋が軒を連ねた。さらに1720年には江戸湾の警備の為に浦賀奉行が置かれ、万が一の事態に備えて砲台(浦賀砲台)も整備された。浦賀は、湾に出入りする船が必ず寄港する要衝となり隆盛を極めた。1853年には沖合にマシュー・ペリー率いるアメリカ海軍艦隊が来航し(黒船来航)、浦賀奉行が応対に当たった末に近隣の久里浜(現横須賀市。当時は小さな漁村)に上陸することとなった。このためペリー上陸の記念碑や記念館は久里浜にあるが、一般に来航地は浦賀とされる。その後1860年には咸臨丸が浦賀港より出港して、太平洋を横断した。

浦賀の渡し

浦賀港の東西の町を結ぶ渡し船の東渡船場です。ポンポン船の愛称で親しまれ、浦賀のシンボルになっている浦賀の渡船。港に隔てられた東西の浦賀の町を行き来する人にとって、大切な交通手段です。時刻表は無く、渡船が対岸にいるときは、呼び出しボタンを押すと、すぐに来てくれます。約3分ほどの船旅ですが、浦賀造船所跡地に建つクレーンやドックを海から眺めることができます。<料金>大人200円.子供100円.その他(自転車等)50円 横須賀市ホームページより

 

渡船の歴史は古く、享保18年(1733)の「東浦賀明細帳」 には、渡船を修復する際、周辺の村も東西浦賀村と応分の協力をすることとあり、操業が確認されています。当時の船頭の生活は、東西浦賀村の一軒あたり米六合で支えられていました。
平成10年8月に就航した現在の 「愛宕丸」 は御座船風のデザインとなっています。この航路は 「浦賀海道」 と名付けられ、横須賀市道2073号となっており、東西浦賀を結ぶ渡船は、シンボルの一つです。

自転車もOK!

▲ 叶神社

 

▲屯営跡の碑

▼ 浦賀駅(京浜急行電鉄)

 cosmophantom

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