2018年6月26日 埼玉県
尾高惇忠生家
埼玉県深谷市下手計
江戸時代後期の建築と伝わっており、この地方の商家建物の趣を残す貴重な建造物です。幕末には、この家の2階で、尾高惇忠や従兄の渋沢栄一など、若き憂国の志士たちが、挙兵・倒幕の密議を行ったと伝わります。その後、惇忠は、明治政府のもとで富岡製糸場初代場長を務めました。惇忠の妹、千代は渋沢栄一の妻となり、惇忠の妹ゆうは、富岡製糸場伝習工女第一号となりました。
▲ 煉瓦には数字が刻まれている
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深谷駅
▲青淵 渋沢栄一像
青淵(あおぶち): 栄一自身が、1929 (昭和4)年12月24日に、こう語っています。「青淵と云ふ私の号は、私が十八歳頃、藍香先生 [編者注:渋沢栄一の従兄・学問の師の尾高惇忠] から附けて貰った。当時私の家の下に淵があって、その関係から私の家を淵上小屋と名附けていた。それから青淵と云ふ号が出来たのである」。なお、栄一がこのように語った当時、すでに「淵」は無く、淵の跡に清水が沸いていたそうです。
▼深谷駅
2018-09-25 05:47:33
cosmophantom
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