2021年12月13日 奈良県
興福寺2021 世界遺産
奈良県奈良市登大路町
669年に前身寺院が創立されたのがはじまりです。遷都にともなって平城京に移され、興福寺となりました。藤原氏の氏寺ですが、主要堂塔の建立の発願は天皇や皇后によるものが多く、造営工事も政府直営ですすめられました。平安時代以降、たびたび火災にあいましたが、藤原氏の力を背景にそのつど再建されてきました。
五重塔は奈良のまちのシンボルとなっており、猿沢池からのながめは多くの観光客に親しまれています。
北円堂(鎌倉時代)・三重塔(鎌倉時代)・五重塔(室町時代)・東金堂(室町時代)の4棟が国宝建造物に指定されています。
▼三重塔 国宝
康治2年(1143)に崇徳天皇の中宮の皇嘉門院聖子が建て、治承4年(1180)に焼失し、間もなく再建されたと言われています。北円堂と共に興福寺で最古の建物。木割が細く軽やかで優美な線を醸し出し、平安時代の建築様式を伝えます。鎌倉時代
▼南円堂 重要文化財
南円堂は江戸時代後半の建築としては正統的な和様を基調とし、古様を保ち、平安時代初期以来の伝統を持つ。高い立面、通肘木の多用などは近世的特色を示している。同じ八角円堂である北円堂との対比が面白い。
▼北円堂(国宝)
元4年(1210)頃に再建されました。華麗で力強く、組物に三手先斗栱(みてさきときょう)が使われるなど、創建当初の姿をよく残しており、内陣の天井には中央の大蓮華より光を放つ天蓋が輝き、組物間の小壁ある彩色された笈形(おいがた)が特徴的です。
▼東金堂(国宝)
東金堂と呼ばれる西向きのお堂です。神亀3年(726)聖武天皇が叔母の元正太上天皇の病気全快を願って建立されました。創建当初は床や須弥壇などに緑色のタイル(緑釉塼/りょくゆうせん)が敷きつめられ、薬師如来の東方瑠璃光浄土(とうほうるりこうじょうど)の世界が表されていたと言われています。
▼東金堂と五重塔
▼五重塔(国宝)
▼中金堂
中金堂は興福寺伽藍の中心になる最も重要な建物で、寺伝では創建者を当時の日本の律令制度をまとめ、藤原氏の栄光の基礎を築いた藤原不比等(ふひと)とします。創建当初の中金堂の規模は当時の奈良朝寺院の中でも第1級でした。
創建より6回の焼失・再建を繰り返し、平成30年(2018)に再建落慶を迎え復元されました。
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