街道ウォーク>旧中山道>大井宿(恵那駅)~御嵩宿(駅)
2012年11月16日 16回目
姫御殿跡
ここを祝峠といい、周囲の展望がよいので、中仙道を通る旅人にとってはかっこうの休憩地だった。この近くに松の大木があり、松かさ(松の子)が多くつき、子持松といった。この子持松の枝越しに馬籠(孫目)が見えるため、子と孫が続いて縁起がよい場所といわれていた。 そのためお姫様の通行のときなどに、ここに仮御殿を建てて休憩されることが多かった。文化元年(1804)十二代将軍家慶のもとへ下向した楽宮(さぎのみや)のご通行ときは、六帖と八帖二間の仮御殿を建てた。文久元年(1861)十四代将軍徳川家茂のもとへ下向した和宮のご一向は、岩村藩の御用蔵から運んだ桧の無節の柱や板と白綾の畳を敷いた御殿を建てて御休みになった。地元の人たちは、この御殿は漆塗りであったといい伝え、ここを姫御殿と呼んでいる。
本文 cosmophantom
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