街道ウォーク<旧東海道<府中宿(静岡駅)~金谷宿(金谷駅)
2011年6月5日 7回目
大井川川越遺跡
静岡県島田市河原
島田市博物館から北へ続くルートは、昭和41(1966)年に国指定の史跡となった「島田宿大井川川越遺跡」。江戸時代、幕府により架橋、通船を禁じられていた東海道最大の難所、大井川では旅人たちは川越人足たちの手を借りなければ渡ることができず、川越遺跡周辺は大変賑わっていました。島田宿の川越しの拠点となったこの地は、現在も当時の町並みが復元・保存されている、江戸時代の情緒を残す空間です。
▲仲間の井戸 ▼
六番宿の横道を入ると井戸があります。いつ頃掘られたか定かではありませんが、明治30(1897)年に改修され、現在の形となりました。このつるべ井戸は水道が敷かれる昭和29(1954)年頃まで実際に使用されており、井桁にはその頃の利用者の名前が刻まれています。
▼川合所
my旅しずおかより
▲川合所(大井川越えの料金所)のお役人(?)
▲白っぽい屋根は川合所
▲こんな駕籠を利用できるのは身分の高い人(?)
▲川札のねだん(水位によって違っている) 庶民は肩車で川越したんだね。
天正の瀬替え以降、島田宿の大井川沿いに築かれていた川除堤が、慶長の大洪水(一六〇四~一六〇五年)で決壊し、建設まもない島田宿のすべてが押し流されました。その後、大堤完成までの確かな記録は不明ですが、島田代官長谷川藤兵衛長勝の頃、向谷水門を掘抜き、宿内に三本の灌漑用水を完成させて、復興が本格化しています。恐らくこの頃(天保元年・一六四四年)までには完全な大堤が完成していたことと思われます。これらの治水・灌漑工事により、島田宿の米の生産高は以前の二十倍にも増えています。大堤の規模は高さ二間(約三.六m)で向谷水門下から道悦島村境までの長さ三一五〇間(五.七三三m)と記録されています。今は切れ切れとなって忘れられていますが、長い間島田宿及び下流の村々の生活を守ってきた大変重要な大堤だったのです。後世に伝えていきましょう。 島田宿史跡保存会
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