2017年8月2日 【明石・赤穂・姫路2017】 兵庫県
明石城 100名城
兵庫県明石市明石公園
明石城は信濃の松本から入部した小笠原忠政(豊前小倉時代に忠真に改名。以降忠真と記載)によって築城されました。忠真は最初船上城に入り、元和五年から明石城の築城を着工しました。本丸・二の丸の石垣は幕府直轄で、三の丸は幕府と明石藩との共同で工事が行われるなど、新城建設を禁止するなかで幕府が西国の押さえとして明石を重要視していたことがわかります。城の資材には付近の廃城となった三木城、高砂城、船上城、枝吉城などが解体されて運び込まれました。
本丸の西南寄りには建築されることはなかったものの五層の天守が載せられる天守台が築かれたほか、本丸の四隅には三層構造の乾・艮・巽・坤の四隅櫓が築かれ、二の丸、三の丸、西曲輪、帯曲輪には六棟二層の櫓があり、本三の丸には十棟の平櫓がありました。
小笠原氏の後に入部してきたのは、松平(戸田)光重、大久保忠職、松平(藤井)忠国・信之、本田政利と城主交替はめまぐるしく行われていきました。そしてその後に入った松平(越前)直明の松平氏がそのまま明治まで十代続くことになります。
▲向かって右 巽櫓、 向かって左 坤(ひつじさる)櫓
▼巽櫓
▼坤(ひつじさる)櫓
▼坤(ひつじさる)櫓
▼本丸跡
▼坤(ひつじさる)櫓
▼巽櫓
▼本丸跡
▼艮櫓跡
▼薬研堀
2017-08-17 05:47:17
☆cosmophantom
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます