2022年9月28日 福島県
鶴ヶ城
福島県会津若松市追手町1-1
会津若松市のシンボルである鶴ヶ城は室町時代の初め、今から約630年前の至徳元年(1384)に葦名直盛が東黒川館として造営したのが始まりとされています。お城といっても当時は天守はなく、館程度でした。その後、伊達政宗が城主となったあとは、蒲生氏郷が豊臣秀吉の命令で会津を治め、七層の天守を築きました。
江戸時代に入り、会津で大地震が発生。被害を受けた天守は大改修され、現在と同じ五層の天守となりました。幕末の戊辰戦争では新政府軍の猛攻に耐え難攻不落の名城と称えられましたが明治7年、政府の命令により取り壊され、現在の天守は昭和40年(1965)に再建されました。
▼表門(鉄門)
扉や柱が鉄で覆われていることから別名鉄門(くろがねもん)とも言われています。
▼武者走り
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「会津武徳殿」
1934年(昭和9)武道を愛する市内の篤志家たちの寄付により北出丸に建てられました。
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