2017年4月9日【CTで行く福岡・長崎・佐賀2017】 長崎県
長崎市南山手町2017 重要伝統的構造物群保存地区
長崎市南山手地区は、 東山手と同じ居留地であって、主として住宅地として使われていた区域であり、 長崎湾を見下ろす眺望の良い丘の上に位置している。保存地区の範囲は、丘陵の南山手町の大部分と、海岸寄りの小曽根、松が枝町を一部含む区域である。南山手の北寄りには、大浦天主堂、旧羅典(らてん)神学校があり、その南には、幕末から明治にかけての洋風住宅として、 旧グラバー住宅をはじめ、旧リンガー(弟)住宅、旧オルト住宅が現存しており、 松が枝町では、旧香港上海銀行長崎支店や旧長崎税関下り松派出所などが港に面して建ち、いずれも国宝や重要文化財に指定されている。地区の中心から南側は、現在でも静かな住宅地で、 明治時代初期から中期にかけての洋風住宅建築が比較的良好に残っている。長崎市南山手の町並みは、 居留地の地割を示す歴史的風致とともに、初期の洋風住宅群などをよく残しており、価値が高い。 長崎市ホームページより
※前回ここを訪れたのは2015年12月
▼わが国ボウリング発祥の地
1861年(文久元年)6月22日、これもまた日本初の英字新聞といわれている「ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アドバタイザー(The Nagasaki Shipping List and Advertiser)」の創刊号に「インターナショナル・ボウリング・サロンがオープン」との広告が掲載された。そこで、日本ボウリング場協会は、毎年6月22日を「ボウリングの日」と定めた。
▼信徒発見のレリーフ(2015年12月13日撮影)
▼大浦天主堂
大浦天主堂2015 参照
▼旧長崎大司教館
大浦天主堂に先立って建設された初代の司祭館を建て替えたのが現存遺構である。設計は晩年のド・ロ神父、施工は教会建設で有名な鉄川与助が担当した。大正4年(1915)の竣工。当時は司教館であったが、昭和35年(1959)に長崎司教が大司教に任じられたことに伴い大司教館となった。しかし昭和37年からは長崎大司教座聖堂浦上天主堂に移されたため、大浦教会の主任司祭館となり、旧長崎大司教館と称されるようになった。建物は、傾斜地を巧みに利用した一部地下1階を持つ地上3階建てで、構造は煉瓦造を主体に木造を加味している。道路側の北面は地上から屋根上まで達する煉瓦壁を立ち上げ、他の3面には外周に幅広のヴェランダを巡らす。屋根は大屋根・下屋とも北側は切妻造、南側は奇棟造の浅瓦葺きとする。中廊下型の明快な平面と質実だが古典様式にもとづく端正な造形が特徴的で、ド・ロ神父の最初期作・旧羅典神学校と並ぶのも貴重である。
▼自働電話
この公衆電話ボックスは、明治33年東京・京橋のたもとにわが国最初に設置したものを復元したもの。
▼旧三菱第2ドックハウス
▼ 旧長崎高商表門衛所
▼旧長崎地方裁判所長官舎
▼旧リンガー住宅
▼旧オルト住宅(重要文化財)
▼旧グラバー住宅
▼歴史資料館(16番館)~長崎市南山手町
十六番館は、1860年(万延元年)に初代アメリカ領事館員の宿泊所として開館しました。現在の活水学院の前身でもあるこの建物は、英国商人グラバー氏が所有する山手町の土地に建てられました。
日本で最も古い木造の洋館であると言われています。ここ南山手町に移築された現在も当時を偲ばせる佇まいは変わることなく、歴史資料館としてグラバー氏やシーボルト氏の愛用品、キリシタン資料、南蛮貿易のギヤマン、ビードロなど19世紀の長崎を今に伝えています。
cosmophantom
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