続いて「真ゲッターロボ」です。マンガとして描かれたのは號編よりもあとになりますが、
時系列的にはG編と號編の間に位置される作品です。同じ真~という名前のOVAも
存在するようなので(私は見たことありませんが)ややこしく、漫画版はそれとは直接関係
ない設定、ストーリー展開ということです。G編終了後、様々な経緯で複数のゲッターロボが
異なったメディアで描かれるなどしたこともあり、ひとくくりにするのは難しいようです。
エッセイ「ゲッターと私」に従うと、G編から號編へ話が飛んだ際、その間早乙女研究所を
襲ったとされる重大事件、悲劇が描かれていないということで、後付でその顛末が語られるのが
真~ということになります。號編が描かれた際、のちに真~として発表される部分については、
大まかな取り決めしかされていなかったとみられ、できるだけ物語の整合性がとられるよう
最大限配慮はされたのでしょうけど、どうしてもいくつか矛盾が生じているようです。
また、今放映中のアニメ版アーク編の中で、マンガでは號編で語られ描かれる真~での出来事が
再現されるなどするために、混乱し、余計頭の中がゴチャゴチャになりそうです。これは、
アーク編だけ視聴することになる新しいファン向けに、この一本だけ見ても過去のいきさつが
おおまかに把握でき、独立した作品として楽しめるようにとの配慮だと思われます。
何もかも滅ぼしかねないような、あまりに強大な力を秘めた真ゲッターを恐れるあまり、この物語の
最後、凍結、封印してしまいますが、眠りから目覚め號編で復活、地球規模のピンチを救う流れです。
同じロボットもののエヴァンゲリオンや「蒼穹のファフナー」では、謎が謎のまま、視聴者を置き去りにして
物語が進行することが多いのに対し、ゲッターロボ・サーガでは、理由や理屈を一々解き明かし、説明しようと
する方向性で、このあたり、原作者の永井豪さんや石川賢さんの完全主義者ぶり、生真面目さ、読者への
サービス精神の旺盛さがうかがい知れるというものです。
ゲッターロボの場合、新たな物語が付け足されるにつけ、出だしのコンセプトとずいぶん異なったテイスト
となり、まさにつぎはぎだらけ、プロットに破綻が生じるのはある程度致し方ない気はします。それぞれ
独立したお話だと割り切って楽しむのも一つの手でしょうが、それでも私は、初代ゲットマシン操縦者としては
ただ一人生き延び、科学者、指揮官としてゲッターチームを鼓舞する神隼人の生きざま、活躍に心躍らせるし、
また、滅び去ったかのように思えた恐竜帝国復活の行く末を、大河ロマンととらえ、見届けたいと思うのです。