広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

市営バス方向幕・前編

2012-09-24 22:46:04 | 秋田市営バス
先日の記事で、秋田市営バスの液晶式の行き先表示器の話が出たので、関連して市営バスの行き先表示(方向幕)について。
前置きしますが、とてもマニアックです。しかも何度かに分けてアップしますので、物好きな方だけ、どうぞお付き合いください。
今回は車両正面上部の表示について。※タイトルの「前編」は「ぜん編」ではなく「(車両の)まえ編」という意味です。

最初に、行き先表示の変遷。
市営バスに限らず、大昔のバスの行き先表示は、紙や布などに行き先を書いたものを掲出していたようで、大昔の秋田市営バスの写真を見ても、毛筆で「新屋行」などとなっているのが確認できる。
その後、経由地がカッコ書きされた看板屋さんが書くような手書き文字になるなど変遷したようだ。

僕が記憶にある、昭和50年代中頃には、フイルムに印字したものをモーターで回転させて、目的のコマで止めるもの(方向幕としては完成型)が市営バスのすべての車両に設置されていたかと思う。夜間は内側(フイルムの裏側)から蛍光灯が点灯する。
しかし、昭和50年代中頃の車両は、表示スペース自体は現在のLEDより狭く(小型で)、こんな感じの表示だった。
イメージです ※書体は異なります
細身で扁平な書体、秋田駅前(当時は西口しかなかった)行きは「秋田駅前」と表示、経由地は下段にカッコ書きで緑色文字で表示、といった特徴があった。

その後、1981年からの冷房車導入と前後して、新車の行き先表示器に現在のLEDと同じサイズの大型のものが採用された。
(たしか1980年の一部車両あたりから大型化されたので「行き先表示は大きいけれど、冷房がない」という車両が何台か存在したはず)
大型表示器の車両では、太めの丸ゴシック体、秋田駅前行きを「秋田駅」と表示、経由地は青文字で左側に表示、というスタイルになった。
ただし、その内容は「山王・交通局」「新国道 飯 島」など、末期に見慣れた表示とは異なるものも少なくなかった。
さらに、旧来の小型表示器の車両はそのままだったので、新旧2種類の表示が混在していた。※書体についてはこちらにて。

その後、おそらく1988年頃だと思うが、全車両の幕の内容が統一された。この表示が交通局最後まで使われ、記憶に残る方も多いだろう。
この時は、「山王・交通局」→「県庁 市役所 八橋球場・交通局」と内容が大きく変わったコマも一部にあるが、「新国道 飯 島」→「新国道 土崎・飯島」、「通町 市民生協」→「通町 寺内 将軍野・市民生協」といったように、従来の大型幕の内容をベースに、黒文字で主要経由地や路線名を表示するようになった。
より具体的に分かりやすくなったわけだが、文字数が増えて縦長の文字になって、雰囲気が変わった系統もあった。

この時、旧来の表示が残っていた小型幕の車両でも、大きい幕と同じものに差し替えられた。もちろんスペースは狭いので文字は小さく、文字は細身の丸ゴシック体だった(今、中央交通に残る幕車の書体に似ている)。【2021年10月2日追記・小型幕交換後の書体は、写研「ナール」で、1987~1988年度のどこかで交換されたと思われる。】
なお、この時、ドアの側面の行き先表示も改められ、経由地を枠で囲って表示するようになった。(側面幕については別記事にて)

そして、前回紹介した1996年に登場した液晶表示器でも、基本的にこの内容を踏襲しており、文字の配置を崩さないよう配慮されていたように見えた。(モノクロなので青文字も黒で表示。後部の「天徳寺・秋田駅」など1行に収まらず、2行に分けて表示したものもあった)
市営バスでは、現在主流のLED式表示器が設置されることはなかった。



では、ここから本題。
市営バス末期に残っていた大型の行き先表示は、内容は統一されていたものの、微妙な違いがあったという話。

ここで、2つの写真をご覧いただく。
どちらも、1996年に市営バス最後の新車として導入され、2006年の最終日まで走り続けた日産ディーゼル製中型車の1台「135」号車が、外旭川市営住宅(旭野団地)行き神田線の表示を出しているところ。※この車両の導入当初は液晶式で、数年経ってから幕式に変わった。
 2002年5月/2004年7月撮影
2つの写真の行き先表示の違いがお分かりだろうか?
2002年は「神田・旭野団地」、2004年は「神田.旭野団地」。つまり、区切りが中黒(・)とピリオド(.)で違っている。中黒のほうが幅を取っている。
さらに撮影角度が違って分かりにくいかと思うが、2002年のほうが文字がやや縦長で、その配置にすき間があるのに対し、2004年では文字が正方形に近く、密に配置されている。

蓬田上丁行き添川線でも、
 270号車(2002年7月)/291号車(2004年5月)
「添川・蓬田」と「添川.蓬田」が存在。文字数が少ないためか、文字幅は同じか。

このように、秋田市営バスの行き先表示の文字とその配置には、2種類が存在していたのだ。
どちらの幕がセットされるか、車両の新旧やメーカーなどによる法則はないようだ。135号車のように途中で入れ替わったケースもある。これは経費節減のために新車に廃車から外した幕を再利用したり、幕が破損(巻き取り時に絡んで破れるなど)して予備の幕を再利用していたことなどによると考えられる。
また、詳しく取り上げないが、前と同じ内容が表示されていた後部の行き先表示(サイズ自体は前より小型)でも、同様の違いがあるが、上記の理由から、同じ車両の前と後ろで違う種類の幕がセットされていた場合もあると考えられる。


神田線、添川線は黒文字だけだったけれど、青文字の経由地入りのコマにも違いがある。
代表的な県庁経由交通局線で比較。
130号車(2005年11月)

121号車(2003年2月)
同様に黒文字では中黒とピリオドの違いがある。ピリオドのほうは「八橋球場」と「交通局」で文字の幅が異なる。

そして、「県庁」と「市役所」が上下に2行で並ぶ青文字。
中黒のほうでは、県庁も市役所も、文字が正方形で同じ幅。
ピリオドのほうは、「県庁」の文字幅が広く、横長になっている。「市役所」のほうは若干文字が太くて縦に長い感じもする。

新屋西線でも同様
280号車(2002年5月=中央交通へ譲渡直後で塗装変更されていない)

229号車(2002年3月)

ここまでを踏まえると、市営バスの方向幕には[中黒区切り、青文字2文字も正方形][ピリオド区切り、青文字2文字が横長]の2種類が存在したと言えそうだ。
[ピリオド区切り、青文字2文字が横長]のほうが、より見やすくしようと努力したように伺える。
また、1992年に運行を開始した泉秋操線の青文字「通町 泉道田」のうち2文字の「通町」は横長のものしか見たことがない。
したがって、おそらく、[中黒区切り、青文字2文字も正方形]のほうが先に作られた幕で、[ピリオド区切り、青文字2文字が横長]のほうが後で作られた幕だと考えられる。

【10月8日訂正】以前の記事に掲載した古い写真(画像へのリンク)を見たら、「通町 泉道田」が全部正方形の車両も存在した(208号車)から、↑そうでもない。
でも、前に紹介した、比較的初期の大型幕の車両(191、197、198号車)の写真では、揃って後者の幕がセットされているので、そうでもないのかもしれない。


さらに、上のパターンに当てはまらないものもありまして。
商業高校経由割山線
294号車(2002年3月)

249号車(2002年3月)
青文字は違いがあるが、黒文字の区切りはどちらもピリオド。(ただしピリオドの余白の幅は違う)

もう1つ、レア(1日1便)な交通局発県庁・千代田町経由神田旭野団地線。
 269号車(2003年7月)/275号車(2002年8月)
これも同じく。
※269号車も275号車も、どちらも1992年度導入。それなのに違っていることになる。(この年は三菱製中型車が7台=269~275号車と大量導入された。新塗装の車両では、同年度内・同型車導入の最多記録。ただし、複数回に分けて納車されたのでナンバープレートは連番でない)
※「千代田町」が「千代田」になっている。青文字部分に4文字以上入れることはできなかったのだろうか。

これを加味すると、[中黒区切り(一部はピリオド)、青文字2文字も正方形][ピリオド区切り、青文字2文字が横長]となるのだろうか?

側面の行き先表示にも、同じような新旧の違いがありまして、後日また
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする