秋田市中心部・広小路の西寄り、元百貨店(現・衣料品店)、新型コロナウイルス対策で休業中の「木内(きのうち)」前のスクランブル交差点のこと。
※交差点名(主要地点名)表示はないので正式名称ではないが、「木内前交差点」で広く通用するはず。
歩行者・運転者とも、現地を通行する人に注意喚起をしたく、この記事をアップします。
特に高齢者などお知り合いで歩いて通る人がいらした場合は、ぜひとも気をつけて渡るように伝えてあげてください。

最近、木内前の交差点で信号無視する車が多い。
スクランブルで全方向の歩行者用が青になったのを、自車側の車両用信号が青になったと勘違いして、交差点内に入るのだ。青信号で渡っている歩行者が車にひかれる恐れがある。
この1か月ほどの間で、3度も目撃している。いずれも、南(仲小路)からの一方通行の市道から来て、交差点を左折して広小路西交差点へ向かう車だった。
広小路を横断する歩行者がいたこともあるが、その車は、いったん停止して渡らせた後、何のためらいもなしに普通に左折していった。ここがスクランブルであること、歩行者用と車両用で現示が違うことを認識しておらず、普通の方向別に歩車同時に青信号が出ていると思いこんでいたのだろう。
南進車の視点。ちなみに昔は左角に「甘栗太郎」があった
上の写真のように、正面の車両用信号機はよく見えていて問題がないと思う。左向かいの低い位置の歩行者用信号機が青になったのを見て、発進してしまうのか。
※この交差点は完全な歩車分離とも言えない信号サイクル。青になる順番は、
東西歩行者と東西(広小路)車両→全歩行者→南北(市道)車両
つまり、車が信号無視するのは2番目のところ。
特に危険なのが、広小路南側の歩道を、秋田駅・木内側から広小路西方向へ向かって横断する歩行者。交差点南東角が危ない。
青い矢印方向に横断する歩行者は特に要注意
南東角は木内の建物があるため、駅からの歩行者も、南から来る運転者も、双方視界が遮られる。青信号を渡っている歩行者と、信号無視して南から来た車が、出会い頭にぶつかってしまう危険がある。
他の交差点で歩車分離式信号の誤認はままあるものの、同一交差点・同一方向でひと月3度は多すぎる。秋田県警察本部へは伝えた。年度替わりでご多忙だろうが、何らかの対処をしていただけるだろう。差し当たっては、歩行者も運転者も、自分用の信号機を確認し、周囲の安全を確認して、横断・進入しましょう。
具体的対策は県警が考えることだけど、素人目にまず対策するべきなのが、車両用信号機周辺への「歩車分離式」または「スクランブル式(秋田県警では設置例なし?)」表示板の設置だ。
秋田県内の他の歩車分離式交差点には、おそらくすべて設置されているのに、ここにはない。
特に南進車向け信号機は、アームが短く、道路標識もあるため、設置スペースがなさそうだけど、そこは考えてください。
「盲人用信号付」は柱に設置
まあ、付けたところで、それでも誤認する運転者は誤認するから、他にも対策は必要だろうけど。
【16日補足】3つ上の写真の通り、直進の道路がやや右方向に寄っている道路形状なので、車両用信号機が一般的な交差点よりもやや右寄りに設置されていることに加え、左折車にしてみれば広小路が一方通行で右からしか車が来ずそれが赤信号で停まっていることにより、左側に注意が向いてしまうので、歩行者用信号機を意識してしまうのかもしれない。例えば、左側にも車両用信号機あるいは「歩車分離式 信号確認」といった看板を設置するとか、現行の車両用信号機にいわゆるゼブラ板を取り付けるといった対応が、検討に値すると思う。※とは言え、車両は正面の車両用信号機に従うのが鉄則で、歩行者用誤認や見切り発進はいけません。
それにしても、かつては秋田県内随一の繁華街だった広小路。数十年前は、駅から木内へ、さらに協働社へ、あるいは旭川の幸橋を渡って名店街へ、そしてダイエー(秋田ニューシティ)へと向かう歩行者が、途切れなかったことだろう。
そして、ここが秋田県初かつ、その後長らく唯一のスクランブル交差点であったはず。
だから、県警も「歩車分離式」の表示板を設置するタイミングを失ってしまっていたのかも…
いつからスクランブル化されたのかは、調べても分からなかった。
1965年まであった路面電車(秋田市電)が走っている写真では、スクランブルにはなっていない。そもそも日本初のスクランブル交差点が熊本で1969年だから。
ということで昭和40年代後半~50年代初め頃だろうか。
かつて歩行者が行き交っていた頃ならば、それに圧倒されて信号無視できなかったかもしれない。あるいは運転者もここがスクランブルだということが常に頭に入っていたかもしれない。
こんなに寂れた今では、いっそスクランブルや歩車分離を解除して、普通の信号サイクルに戻したほうが、安全で効率的だったりして…
【16日追記・人が激減したのはまぎれもない事実だが、今見れば、サイズがとても小さい交差点に見える。それは子どもと大人の視点の違いだろうか。往時を知らない人には、どうしてこんな交差点がスクランブルなのか理解できないだろう。】
最後に、趣味的に。
この交差点の信号機、現在は茶色のデザイン化されたもの。
信号機自体は部分的に何度か更新され、電球式とLED式が混在している。歩行者用の一部は、2014年に経過時間表示(待ち時間カウントダウン)付きになった。
それ以前は、普通の信号機。
平成元年時点では車両用は横型のいわゆる樹脂製灯器、さらに以前(1980年代後半頃まで?)は、四角い日本信号製だった。歩行者用は、おそらく四角い車両用と同世代のものを長く使っていたか。
そして、盲人用信号=音響式信号も古くから付いていた。しかも特徴的なものだった。
今は全国的にもピヨピヨ/カッコーが主流になり、メロディーによる通りゃんせ/故郷の空を知らない人もいるようだ。一方で、青森県など残っている地域もある。※過去の記事
秋田市内では1994年10月5日に、35か所中7か所が、メロディーからピヨピヨ/カッコーに切り替わったそうで、木内前はその7つには含まれなかった(当時の広報あきたより)。でも、その後10年もしないうちに、全部が更新された(+設置箇所が増えた)のではないだろうか。
鳴き声にしてもメロディーにしても、警察庁の定めた規格の違いや機器のメーカーによって、音色に違いがある。
木内前は通りゃんせのみだったが、それは差の範疇を越えた違う音色だった。
青森など現存するもの、ネット上の動画、そして我々の記憶に残っている信号の通りゃんせは、ブー/ビーというかテレテレというか、そんなブザーあるいは電子音で音階を奏でているような音だった。
ネットに「古い音響式信号」として上がっているのでも、確認している限りではそればかり。【16日補足・動画投稿サイトで「昭和の木ノ内前横断歩道を再現」といった音声をメインとした動画がアップされているが、その音は一般的な音色を使っていて、正確な再現ではない。そもそも「木ノ内」じゃなく「木内」だし。】
昔の木内前は、もっと柔らかな「とー」「ぽー」みたいな音。僕は「♪とーんとんと とんとんとー」と聴きなしていた。スピーカーの形状も違った(ナショナルの砲弾型=ジェットエンジン型ホーンスピーカー CY-51SDとか?)。
今にして思えば、よく知られたのはデジタル音源で、木内前のはアナログ音源だったのかもしれない。
また、山王の県庁前(県庁西)交差点の北側横断歩道(けやき通りの市役所~八橋運動公園間)には、同じ音色の故郷の空版が設置されていた。※他の3方向の横断歩道には設置なし。
盲学校があった自衛隊入口交差点も、音色は分からないがスピーカーは同型だったと思う。
この2か所は1994年に更新されている。
県立図書館のサイトで、秋田魁新報の見出しを検索したら、1977年4月26日に「メロディー変だぞ 盲人用信号機/三年目で音階ずれる/曲にも意見さまざま」があった。これが、木内前などを指すのだとすれば、1974年頃設置?
全国的には、ベルとかオルゴールなどまちまちだったのを、1975年に警察庁が、例の2曲または鳥の鳴き声とすることを決めたようだ。
総合すれば、規格統一前後の時期に試験的に製造・設置された音響装置が、長く使われたのかもしれない。
さらに余談。広小路にはなかったかと思うが、中央通り(日赤病院近くなど)には「触知式信号」あるいは「振動ポール」というらしい物があった。昭和末~平成初めの茶色い信号機への更新時頃に、撤去されたようだ。
要は音響式以前の盲人用信号。歩行者が信号待ちする位置に、腰ぐらいの高さの黄色い傘立てみたいな筒が設置されていた。その天面がフタされていて、青信号の時にバイブレーターで振動する。てのひらなどで触れることで、青信号を伝える方式。
現在も、大阪府では音響式と並行して設置されているらしい。
※交差点名(主要地点名)表示はないので正式名称ではないが、「木内前交差点」で広く通用するはず。
歩行者・運転者とも、現地を通行する人に注意喚起をしたく、この記事をアップします。
特に高齢者などお知り合いで歩いて通る人がいらした場合は、ぜひとも気をつけて渡るように伝えてあげてください。

最近、木内前の交差点で信号無視する車が多い。
スクランブルで全方向の歩行者用が青になったのを、自車側の車両用信号が青になったと勘違いして、交差点内に入るのだ。青信号で渡っている歩行者が車にひかれる恐れがある。
この1か月ほどの間で、3度も目撃している。いずれも、南(仲小路)からの一方通行の市道から来て、交差点を左折して広小路西交差点へ向かう車だった。
広小路を横断する歩行者がいたこともあるが、その車は、いったん停止して渡らせた後、何のためらいもなしに普通に左折していった。ここがスクランブルであること、歩行者用と車両用で現示が違うことを認識しておらず、普通の方向別に歩車同時に青信号が出ていると思いこんでいたのだろう。

上の写真のように、正面の車両用信号機はよく見えていて問題がないと思う。左向かいの低い位置の歩行者用信号機が青になったのを見て、発進してしまうのか。
※この交差点は完全な歩車分離とも言えない信号サイクル。青になる順番は、
東西歩行者と東西(広小路)車両→全歩行者→南北(市道)車両
つまり、車が信号無視するのは2番目のところ。
特に危険なのが、広小路南側の歩道を、秋田駅・木内側から広小路西方向へ向かって横断する歩行者。交差点南東角が危ない。

南東角は木内の建物があるため、駅からの歩行者も、南から来る運転者も、双方視界が遮られる。青信号を渡っている歩行者と、信号無視して南から来た車が、出会い頭にぶつかってしまう危険がある。
他の交差点で歩車分離式信号の誤認はままあるものの、同一交差点・同一方向でひと月3度は多すぎる。秋田県警察本部へは伝えた。年度替わりでご多忙だろうが、何らかの対処をしていただけるだろう。差し当たっては、歩行者も運転者も、自分用の信号機を確認し、周囲の安全を確認して、横断・進入しましょう。
具体的対策は県警が考えることだけど、素人目にまず対策するべきなのが、車両用信号機周辺への「歩車分離式」または「スクランブル式(秋田県警では設置例なし?)」表示板の設置だ。
秋田県内の他の歩車分離式交差点には、おそらくすべて設置されているのに、ここにはない。
特に南進車向け信号機は、アームが短く、道路標識もあるため、設置スペースがなさそうだけど、そこは考えてください。

まあ、付けたところで、それでも誤認する運転者は誤認するから、他にも対策は必要だろうけど。
【16日補足】3つ上の写真の通り、直進の道路がやや右方向に寄っている道路形状なので、車両用信号機が一般的な交差点よりもやや右寄りに設置されていることに加え、左折車にしてみれば広小路が一方通行で右からしか車が来ずそれが赤信号で停まっていることにより、左側に注意が向いてしまうので、歩行者用信号機を意識してしまうのかもしれない。例えば、左側にも車両用信号機あるいは「歩車分離式 信号確認」といった看板を設置するとか、現行の車両用信号機にいわゆるゼブラ板を取り付けるといった対応が、検討に値すると思う。※とは言え、車両は正面の車両用信号機に従うのが鉄則で、歩行者用誤認や見切り発進はいけません。
それにしても、かつては秋田県内随一の繁華街だった広小路。数十年前は、駅から木内へ、さらに協働社へ、あるいは旭川の幸橋を渡って名店街へ、そしてダイエー(秋田ニューシティ)へと向かう歩行者が、途切れなかったことだろう。
そして、ここが秋田県初かつ、その後長らく唯一のスクランブル交差点であったはず。
だから、県警も「歩車分離式」の表示板を設置するタイミングを失ってしまっていたのかも…
いつからスクランブル化されたのかは、調べても分からなかった。
1965年まであった路面電車(秋田市電)が走っている写真では、スクランブルにはなっていない。そもそも日本初のスクランブル交差点が熊本で1969年だから。
ということで昭和40年代後半~50年代初め頃だろうか。
かつて歩行者が行き交っていた頃ならば、それに圧倒されて信号無視できなかったかもしれない。あるいは運転者もここがスクランブルだということが常に頭に入っていたかもしれない。
こんなに寂れた今では、いっそスクランブルや歩車分離を解除して、普通の信号サイクルに戻したほうが、安全で効率的だったりして…
【16日追記・人が激減したのはまぎれもない事実だが、今見れば、サイズがとても小さい交差点に見える。それは子どもと大人の視点の違いだろうか。往時を知らない人には、どうしてこんな交差点がスクランブルなのか理解できないだろう。】
最後に、趣味的に。
この交差点の信号機、現在は茶色のデザイン化されたもの。
信号機自体は部分的に何度か更新され、電球式とLED式が混在している。歩行者用の一部は、2014年に経過時間表示(待ち時間カウントダウン)付きになった。
それ以前は、普通の信号機。
平成元年時点では車両用は横型のいわゆる樹脂製灯器、さらに以前(1980年代後半頃まで?)は、四角い日本信号製だった。歩行者用は、おそらく四角い車両用と同世代のものを長く使っていたか。
そして、盲人用信号=音響式信号も古くから付いていた。しかも特徴的なものだった。
今は全国的にもピヨピヨ/カッコーが主流になり、メロディーによる通りゃんせ/故郷の空を知らない人もいるようだ。一方で、青森県など残っている地域もある。※過去の記事
秋田市内では1994年10月5日に、35か所中7か所が、メロディーからピヨピヨ/カッコーに切り替わったそうで、木内前はその7つには含まれなかった(当時の広報あきたより)。でも、その後10年もしないうちに、全部が更新された(+設置箇所が増えた)のではないだろうか。
鳴き声にしてもメロディーにしても、警察庁の定めた規格の違いや機器のメーカーによって、音色に違いがある。
木内前は通りゃんせのみだったが、それは差の範疇を越えた違う音色だった。
青森など現存するもの、ネット上の動画、そして我々の記憶に残っている信号の通りゃんせは、ブー/ビーというかテレテレというか、そんなブザーあるいは電子音で音階を奏でているような音だった。
ネットに「古い音響式信号」として上がっているのでも、確認している限りではそればかり。【16日補足・動画投稿サイトで「昭和の木ノ内前横断歩道を再現」といった音声をメインとした動画がアップされているが、その音は一般的な音色を使っていて、正確な再現ではない。そもそも「木ノ内」じゃなく「木内」だし。】
昔の木内前は、もっと柔らかな「とー」「ぽー」みたいな音。僕は「♪とーんとんと とんとんとー」と聴きなしていた。スピーカーの形状も違った(ナショナルの砲弾型=ジェットエンジン型ホーンスピーカー CY-51SDとか?)。
今にして思えば、よく知られたのはデジタル音源で、木内前のはアナログ音源だったのかもしれない。
また、山王の県庁前(県庁西)交差点の北側横断歩道(けやき通りの市役所~八橋運動公園間)には、同じ音色の故郷の空版が設置されていた。※他の3方向の横断歩道には設置なし。
盲学校があった自衛隊入口交差点も、音色は分からないがスピーカーは同型だったと思う。
この2か所は1994年に更新されている。
県立図書館のサイトで、秋田魁新報の見出しを検索したら、1977年4月26日に「メロディー変だぞ 盲人用信号機/三年目で音階ずれる/曲にも意見さまざま」があった。これが、木内前などを指すのだとすれば、1974年頃設置?
全国的には、ベルとかオルゴールなどまちまちだったのを、1975年に警察庁が、例の2曲または鳥の鳴き声とすることを決めたようだ。
総合すれば、規格統一前後の時期に試験的に製造・設置された音響装置が、長く使われたのかもしれない。
さらに余談。広小路にはなかったかと思うが、中央通り(日赤病院近くなど)には「触知式信号」あるいは「振動ポール」というらしい物があった。昭和末~平成初めの茶色い信号機への更新時頃に、撤去されたようだ。
要は音響式以前の盲人用信号。歩行者が信号待ちする位置に、腰ぐらいの高さの黄色い傘立てみたいな筒が設置されていた。その天面がフタされていて、青信号の時にバイブレーターで振動する。てのひらなどで触れることで、青信号を伝える方式。
現在も、大阪府では音響式と並行して設置されているらしい。
通り過ぎる車もあり大変危険ですしスクランブル式の利点は朝の30分くらいなんですが。
歩車分離四季は、信号を守れば歩行者事故が起き得ないのと、歩行者がどの方向でも1度に渡りきれるのはメリットですが、歩車とも待ち時間が長くなり、待つのを嫌って黄~赤に変わりかけで強引に進入する車(横断する人も)が多くなりがちな傾向もあります。安易に歩車分離化するのは考えものです。
結局のところ、みんなが信号を守って、周りを確認して、お互いを思いやるのが大事ではあるのですが…