慶喜

心意気
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「難波大助」「皇太子テロ」「事件の波及」

2024年03月10日 | 歴史
🌸難波大助、皇太子を撃ったテロ犯
 
⛳難波大助「虎ノ門事件」判決後2日で死刑
 ☆昭和天皇となる当時の皇太子を乗せた車
 *皇居から赤坂の虎ノ門辺りに差しかかった
 * 一人の男がその車に近づき発砲した
 ☆事件の主役は、24歳の青年、難波大助
 *弾丸は窓ガラスに当たってその破片が侍従の顔をかすめた
 *皇太子は無傷でその日の公務をこなし、暗殺は未遂
 ☆難波大助は、逮捕後も皇室への批判を改めなかった
 *翌年、判決から2日後という異例のスピードで死刑となった
 ☆彼が犯行に至った背景には意外な埋由があった
 
⛳難波大助、アナキストからテロリストに変貌
 ☆難波大助の父は県会議員
 *一家は皇室を重んじて彼自身もその思想を強く受けて育った
 ☆10代後半から多くの書物と出会い思想に変化が芽生える
 ☆明治天皇の暗殺を企んだ社会主義者やアナキスト(無政府主義者)
 *彼らが、処刑された幸徳事件に憤慨していた
 *労働運動や社会主義運動に積極的に参加する
 *父親から教え込まれた彼の思想は大きく揺らいだ
 ☆軍隊による社会主義者たちの虐殺も頻発した
 *難波は市民運動の無力さを痛感した
 *難波は、暴力に訴えるテロリストヘと変貌していった
 ☆テロは未遂に終わったもののその影響は大きかった
 *内閣は総辞職、警視総監や警務部長らも懲戒免職の処分
 
難波の事件の背景にあった劣等感
 ☆難波は、高校受験に失敗している
 *2人の兄は東大と京大に進んだというエリートだった
 ☆父親は倹約家で、難波が上京したときには仕送りも渋った
 *彼は働きながら予備校に通うしかなかった
 *合格した高校も1年で辞めて日雇い労働者になっている
 ☆学業不振や兄への劣等感、父親ヘの恨みから
 *父や兄を貶めたいという短絡的な理由が犯行の裏にあった
 ☆衆議院議員になっていた難波の父、事件を聞くと
 *辞職願を出し、息子の処刑後みずから食を絶って死んだ
 *エリートだった兄たちも辞職を余儀なくされている

 ☆事件は、当時の政界に大きな混乱を招いた
 *首相は事態の大きさにおののき、全閣僚の辞表を集め総辞職
 *警視総監や警視庁の警務部長が懲戒免職になった
 *難波大助が通った小学校の校長や担任教師が辞職
 *郷里山口県の県知事が減俸になるなど大きな波紋を広げた
 ☆難波の父の選挙地盤を継いだのは
 *外務大臣で、日独伊三国同盟や日ソ中立条約を締結した松岡洋右
 *松岡の跡を内閣総理大臣の座に就いた、岸信介、佐藤栄作の兄弟が継いだ
 *難波大助の恐ろしい事件、数々の人物政治家を排出した
                       (敬称略)
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『日本史の黒幕』



「難波大助」「皇太子テロ」「事件の波及」
(『日本史の黒幕』記事より画像引用)

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