🌸織田信長の「天下布武」が意味すること(2)
⛳「天下=京都」の説は誤りである
☆正しいのなら、信長は越前の朝倉氏を攻める必要はなかった
☆朝倉氏が京都に強い影響を及ぼしていたなら
☆朝倉氏が京都に強い影響を及ぼしていたなら
*朝倉を攻める必要があったかもしれないが、朝倉は京都に無関心だった
☆信長が朝倉を攻めたのは
*日本全体を治めようと考えたから
☆越前は美濃に隣接している
*領土を拡大するなら、越前侵攻はリーズナブル
⛳畿内周辺、明智光秀に丸投げだった織田信長
☆「天下=畿内」説への反論の根拠
⛳畿内周辺、明智光秀に丸投げだった織田信長
☆「天下=畿内」説への反論の根拠
*比叡山焼き討ち後に、織田信長が明智光秀に任せた人事
*坂本を統治するために城主とし明智光秀が選ばれた
*坂本を統治するために城主とし明智光秀が選ばれた
*信長は手に入れた比叡山坂本を部下に丸投げしている
☆「天下布武」が京都の統治を意味するなら
*光秀ではなく、信長自身が丹波を支配するはずだった
*信長は光秀に京都周辺を任せきり
☆軍事的な理解の上でも矛盾が生じる
⛳信長は「天下=日本全体」の統一を目指していた
☆軍事的な理解の上でも矛盾が生じる
⛳信長は「天下=日本全体」の統一を目指していた
☆比叡山の焼き討ち、室町幕府を再興等、信長は京都を重視した理由
*政治的な理由ではなく、経済的な理由だった
☆京都は、商業経済の中枢だった
☆京都は、商業経済の中枢だった
*京都の富を吸収することに信長は注力した
☆信長が、畿内に期待していたのは、商業経済
*京都を支配し、富を蓄積したかった
⛳「戦国大名は上洛を目指す」との考え方が生まれた要因
☆幕末の思想家・頼山陽の『日本外史』が原因だ
☆『日本外史』幕末の志士の愛読書でもあった
☆信長の「天下布武」日本全体を意味する
(敬称略)
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⛳出典、『日本史の論点』
織田信長の「天下布武」が意味すること(2)
(ネットより画像引用)
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