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織田信長の「天下布武」が意味すること(2)

2021年11月16日 | 歴史
🌸織田信長の「天下布武」が意味すること(2)

「天下=京都」の説は誤りである
 ☆正しいのなら、信長は越前の朝倉氏を攻める必要はなかった
 ☆朝倉氏が京都に強い影響を及ぼしていたなら
 *朝倉を攻める必要があったかもしれないが、朝倉は京都に無関心だった
 ☆信長が朝倉を攻めたのは
 *日本全体を治めようと考えたから
 ☆越前は美濃に隣接している
 *領土を拡大するなら、越前侵攻はリーズナブル

⛳畿内周辺、明智光秀に丸投げだった織田信長
 ☆「天下=畿内」説への反論の根拠
 *比叡山焼き討ち後に、織田信長が明智光秀に任せた人事
 *坂本を統治するために城主とし明智光秀が選ばれた
 *信長は手に入れた比叡山坂本を部下に丸投げしている
 ☆「天下布武」が京都の統治を意味するなら
 *光秀ではなく、信長自身が丹波を支配するはずだった
 *信長は光秀に京都周辺を任せきり
 ☆軍事的な理解の上でも矛盾が生じる

信長は「天下=日本全体」の統一を目指していた
 ☆比叡山の焼き討ち、室町幕府を再興等、信長は京都を重視した理由
 *政治的な理由ではなく、経済的な理由だった
 ☆京都は、商業経済の中枢だった
 *京都の富を吸収することに信長は注力した
 ☆信長が、畿内に期待していたのは、商業経済
 *京都を支配し、富を蓄積したかった

「戦国大名は上洛を目指す」との考え方が生まれた要因
 ☆幕末の思想家・頼山陽の『日本外史』が原因だ
 ☆『日本外史』幕末の志士の愛読書でもあった
 ☆信長の「天下布武」日本全体を意味する
                        (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『日本史の論点』


織田信長の「天下布武」が意味すること(2)
(ネットより画像引用)

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