山口二矢氏
☆山口二矢による浅沼稲次郎社会党委員長刺殺
*日米安保条約反対運動抜きにしては考えられない
☆新安保条約は、国論を二分して争われた
*最大時には35万人という国会を取り囲んだデモ隊
*主役は学生と労働団体だった
☆「アンポ反対」の声
*右翼から見れば、共産主義者が扇動してるとしか見えない
*右翼には、日本の国体を崩壊させようとする叫び声に聞こえた
☆浅沼稲次郎刺殺事件の犯人は、当時17歳の山口二矢氏
山口氏テロ決行を決意する
☆愛国党を辞め、いくつかの右翼団体に出入りした山口氏
☆家に戻り、その家には刃渡り1尺のヒ首があった
☆テロ決行の機会を待った
*多摩川の河原で木の枝をヒ首に見立てて持ち、テロの練習を重ねた
いくつもの偶然同時に起こった
☆山口氏がテロのターグットとしていた人物
*日本共産党の野坂参三、日教組委員長の小林武、浅沼稲次郎の三人
*山口氏の眼に入ったのが、日比谷公会堂での三党党首演説会の記事
*そこに、浅沼稲次郎の名があった
☆山口氏は、党首会談入場券の切符を持っていなかった
*人り口の係官が入場券を”好意”でくれたので入ることができた
☆偶然浅沼の警備に隙ができていた
*山口氏はヒ首の鞘を払って浅沼の巨体をめがけて突進した
☆山口氏は東京少年鑑別所で自決した
☆部屋の壁には歯磨き粉で「七生報国、天皇陛下万歳Jと書かれていた
三島由紀夫氏
☆陸上自衛隊東部方面総監部は市ヶ谷台の上に置かれていた
☆三島氏は同志らと市谷台訪問し、クーデターの呼びかけた
*失敗するや自害して果てた
☆著名作家の驚天動地の自殺、切腹というショックに世界中が驚愕した
☆自衛隊を舞台に挙行されたクーデター未遂事件
☆誰よりも驚いたのは政府関係者であったろう
すべてが「死」に向かった
☆この時代、日本は高度成長の真っ只中
*政府は左翼過激派対策だけを考えておけばいいと考えていた
*憲法改正、国防など重要課題は、先送りという体たらくであった
☆三島由紀夫氏は孤独な闘いをしていた
*三島氏は「楯の会」会員と自衛隊の体験入隊を繰り返していた
☆自衛隊との窓口になっていた山本舜勝、「楯の会」の事実上の指導官
*山本は、事件後に三島氏が政府に提出したという『建白書』を月刊誌で発表
『建白書』
☆内容は「武士道と軍国主義」と「正規軍と不正規軍」という2本仕立
☆三島氏はこの『建白書』で
*戦後の国際戦略の中心にあるものは核であると規定している
☆核により、世界大戦が回避され、どの国も総力戦態勢をとれないとしている
☆防衛問題の前提として天皇の問題を指摘
*人命よりももっと尊いものがあるという理念
*国家のなかに持たなければならないと主張
☆『建白書』は、現在の安倍内閣の教育や国家防衛の基本方針に近い内容
☆憂国の絶叫が三島氏への評価を変えた
*世界を駆け巡った彼の壮絶な死、日本の右翼陣営にも激震を走らせた
*「新右翼」が三島氏に続けと活動が活発になる
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本の右翼と左翼がわかる本』
右翼の人物と事件6(山口氏・三島氏)
(『日本の右翼と左翼がわかる本』記事より画像引用)
☆山口二矢による浅沼稲次郎社会党委員長刺殺
*日米安保条約反対運動抜きにしては考えられない
☆新安保条約は、国論を二分して争われた
*最大時には35万人という国会を取り囲んだデモ隊
*主役は学生と労働団体だった
☆「アンポ反対」の声
*右翼から見れば、共産主義者が扇動してるとしか見えない
*右翼には、日本の国体を崩壊させようとする叫び声に聞こえた
☆浅沼稲次郎刺殺事件の犯人は、当時17歳の山口二矢氏
山口氏テロ決行を決意する
☆愛国党を辞め、いくつかの右翼団体に出入りした山口氏
☆家に戻り、その家には刃渡り1尺のヒ首があった
☆テロ決行の機会を待った
*多摩川の河原で木の枝をヒ首に見立てて持ち、テロの練習を重ねた
いくつもの偶然同時に起こった
☆山口氏がテロのターグットとしていた人物
*日本共産党の野坂参三、日教組委員長の小林武、浅沼稲次郎の三人
*山口氏の眼に入ったのが、日比谷公会堂での三党党首演説会の記事
*そこに、浅沼稲次郎の名があった
☆山口氏は、党首会談入場券の切符を持っていなかった
*人り口の係官が入場券を”好意”でくれたので入ることができた
☆偶然浅沼の警備に隙ができていた
*山口氏はヒ首の鞘を払って浅沼の巨体をめがけて突進した
☆山口氏は東京少年鑑別所で自決した
☆部屋の壁には歯磨き粉で「七生報国、天皇陛下万歳Jと書かれていた
三島由紀夫氏
☆陸上自衛隊東部方面総監部は市ヶ谷台の上に置かれていた
☆三島氏は同志らと市谷台訪問し、クーデターの呼びかけた
*失敗するや自害して果てた
☆著名作家の驚天動地の自殺、切腹というショックに世界中が驚愕した
☆自衛隊を舞台に挙行されたクーデター未遂事件
☆誰よりも驚いたのは政府関係者であったろう
すべてが「死」に向かった
☆この時代、日本は高度成長の真っ只中
*政府は左翼過激派対策だけを考えておけばいいと考えていた
*憲法改正、国防など重要課題は、先送りという体たらくであった
☆三島由紀夫氏は孤独な闘いをしていた
*三島氏は「楯の会」会員と自衛隊の体験入隊を繰り返していた
☆自衛隊との窓口になっていた山本舜勝、「楯の会」の事実上の指導官
*山本は、事件後に三島氏が政府に提出したという『建白書』を月刊誌で発表
『建白書』
☆内容は「武士道と軍国主義」と「正規軍と不正規軍」という2本仕立
☆三島氏はこの『建白書』で
*戦後の国際戦略の中心にあるものは核であると規定している
☆核により、世界大戦が回避され、どの国も総力戦態勢をとれないとしている
☆防衛問題の前提として天皇の問題を指摘
*人命よりももっと尊いものがあるという理念
*国家のなかに持たなければならないと主張
☆『建白書』は、現在の安倍内閣の教育や国家防衛の基本方針に近い内容
☆憂国の絶叫が三島氏への評価を変えた
*世界を駆け巡った彼の壮絶な死、日本の右翼陣営にも激震を走らせた
*「新右翼」が三島氏に続けと活動が活発になる
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
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私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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出典、『日本の右翼と左翼がわかる本』
右翼の人物と事件6(山口氏・三島氏)
(『日本の右翼と左翼がわかる本』記事より画像引用)
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