🌸出羽三山(5)(聖地とあの世の奇怪な関係)
⛳皇族が開いた霊山
☆古代の山岳地は死者を葬る埋葬地
☆古代の山岳地は死者を葬る埋葬地
*庶民が気軽に訪れる場所ではなかった
*死霊信仰の地となった山形県「出羽三山」
☆山々は崇峻天皇の息子・蜂子皇子により開かれた
*権力闘争に敗れて東北へと落ち延びた蜂子皇子
☆山々は崇峻天皇の息子・蜂子皇子により開かれた
*権力闘争に敗れて東北へと落ち延びた蜂子皇子
*八咫烏の啓示を受けて羽黒山に籠ったことにルーツを持つ
*皇子は、出羽三山を修行として聞いた
☆現在でも修験道の信仰は残っており、それが死霊への信仰
⛳死者があの世へ昇る山
☆死霊信仰とは、山をあの世に見立てた祖霊信仰にある
☆現在でも修験道の信仰は残っており、それが死霊への信仰
⛳死者があの世へ昇る山
☆死霊信仰とは、山をあの世に見立てた祖霊信仰にある
*蜂子皇子の修行場だと伝わる羽黒山の阿久谷(あくや)
*古代において葬場だったので、神聖視されている
*山頂にある鏡池も、神霊の化身としてあがめられてきた
*古代において葬場だったので、神聖視されている
*山頂にある鏡池も、神霊の化身としてあがめられてきた
☆明治時代以前に月山に祀られていた月山大権現
*阿弥陀如来の化身だと信じられた
*山頂を極楽浄土に見立てた信仰もあった
*祖霊は羽黒山に留まったのちに月山に昇って成仏すると説かれる
*日本古来の信仰と仏教が融合した、神仏習合の一例
*日本古来の信仰と仏教が融合した、神仏習合の一例
⛳大量の卒塔婆を安置する祭殿
☆羽黒山の三神合祭殿には、「霊祭殿」という社殿がある
*社殿脇に、地蔵菩薩像と死者鎮魂を祈った風車、無数の卒塔婆
*卒塔婆の大半は親族知人の供養を願ったもの
*又悪霊供養で立てられた卒塔婆も数多くある
☆山形県にも「ミコ(イタコ)」の民間霊媒師がいた
☆山形県にも「ミコ(イタコ)」の民間霊媒師がいた
*東北地方では霊媒師が各地をめぐり、霊視や降霊を行ってきた
*供養するために、ミコが羽黒山に卒塔婆を持ち込んだ
*出羽三山が非業の死を遂げた者たちを浄化する手段として
*出羽三山が非業の死を遂げた者たちを浄化する手段として
*民間の霊媒師たちに尊ばれていた可能性がある
☆死者の魂がこの山に集まるという出羽三山の信仰
*今も生きている証である
(敬称略)
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⛳出典、「本当は怖い日本の聖地」
出羽三山(5)(聖地とあの世の奇怪な関係)
(「本当は怖い日本の聖地」記事より画像引用)
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