台風18号はこの時間は韓国の済州島あたりにあるのでしょうか?
広島は曇っていますが風は吹いていません。
船や飛行機などの運休が出ているようですが、それにならって今日のタカ長は「運休」です。
さて、今日の話題です。
タカ長は前々から趣味をもつことの究極の愉しみは人の輪が広がることだと考えてきました。
いつのころからそのようなことを考えるようになったのか、その記憶はまったくないのですが、とにかくそのように考え、人との出会いを自分なりに大切にしてきました。
もし、タカ長が趣味も何もない人間だったら、同じ団地の中にも友だちがいない、ちょっと寂しい老後を迎えていたかもわかりません。
しかし、鳥を見るという趣味を持ったおかげで、関西に行っても九州へ行っても友だちがいる状態になっています。
いや、関西や九州だけでなく、海の向こうにも多くの友だちがいます。
その友だちの一人、この写真を撮った韓国のキム・ソンヒョン君との交流の一端を紹介して、今日の話題とします。
その前にお断りしておきますが、タカ長は彼のことを「君づけ」で読んでいますが、それは彼の希望であるということです。韓国では年上の人を敬う風習が今も残っており、彼からみたら自分の親のような人から「さんづけ」で呼ばれると居心地が悪い、と本人から言われ、それ以降ずっと「君づけ」で呼んでいるのです。
もう一つお断りすれば、彼のことをこのブログで取り上げることも本人の了解をえています。ということで、安心して彼のことを話題にすることができます。
タカ長が韓国に通い始めたのは定年退職した年からです。鳥の先輩に連れられて行ったのが最初です。
その先輩とはソウルやプサンなどあちらこちらに行きましたが、一番おもしろかった(?)のは彼と二人で環境部の野生動物科に行ったことです。
彼が韓国で渡り調査などしていたことが韓国政府の関係者の目に留まり、コンタクトを求めてこられたのを機に、韓国との共同調査をしたいと乗り込んだのはいいのですが、、、
行ってみたら「ここに来た日本人はあなたたちが初めてだ」と科長さんにいわれ、驚いたり、、、、
言葉の壁もあってと当初の目的を果たした訪問とはいえないような状態でしたが、それでもその訪問で多くの人たちと交流することができるようになりました。
そして、、、、気がつけば上記の写真のような観察。
済州島の最西端の堂山峰から西側の海に向けて飛び立つハチクマを、宿泊した民宿のベランダで観察しているところですが、、
その訪問から始まった韓国との交流は、言葉はできなくても気分だけは国内旅行の感じで、いろいろなところに行けるようになっています。
キム・ソンヒョン君との交流が始まったのは彼がまだ学生だった頃からです。
韓国で行われた水鳥の学会にその先輩と一緒に参加したとき、彼はその学会の手伝い、おそらく下働きだと思われますが、、、そこで一生懸命がんばっていたのを見てからです。
余談ですが、その先輩もタカ長も水鳥に興味があってその学会に参加したのではありません。そのあとのエキスカーションで、私たち外国人が行くのは難しい軍事境界線での探鳥が含まれていたから参加したのです。
そのような不真面目な動機での参加だったので、最初に手違いもあったのですが、大幅に遅れての参加で、その学会でどのようなことが話されていたのか記憶はありません。
しかし、何かのきっかけでソンヒョン君と話すようになり、彼がワシタカにも興味を持っていることを知り、その先輩と費用を分担してワシタカ図鑑などの資料を送りました。
そのようにして始まったソンヒョン君との交流ですが、この写真は後年「韓国国立公園研究院渡り鳥研究センター」で働いているとき、黄海に浮かぶ孤島紅島(ほんど)に彼を訪ねた時ものものです。
奥様と長女のタソルちゃんが写っています。
そのときは研究センターのチェ・ヒヨン所長(前列中央)やパク・ジョンギルさん(前列右端)らから温かいもてなしを受けました。
この「海印山荘」で食べたヒラメの刺身のうまかったことは今でも忘れられません。
所長さんやソンヒョン君の家族との食事だったので一層おいしかったのでしょう。
鳥的にはフクサンドでの調査に同行させてもらった時に見たオガワコマドリがものすごく印象に残っています。
その後彼は確実にキャリアーアップして、韓国の環境部に職を得て、、、、
ソンヒョン君たちはインチョンで暮らすようになり、その彼の家を訪ねたこともあります。
タカカノが抱いているのは次女のタウォンちゃんです。
そして右側は長女のタソルちゃんからもらったラブレターです。スペルに間違いがあるようですが、ちゃんと「愛している」と書かれていますよ。
彼を訪ねたのはその時だけではありません。
彼の出身地である慶尚南道の昌原(チャンウォン)を訪ね、ソンヒョン君のご両親と夕食を共にしたこともあります。
一番前がタソルちゃんで、その後ろがご両親です。
ソンヒョン君とはタカ長たちが何度も行っているプサンの太宗台で渡り観察をしたこともありますが、その時は彼の車で行ったのですが、道の状況などはタカ長のほうが詳しくて(?)タカ長がナビゲイトすることもありました。
ソンヒョン君たちのグループとの交流を通じて共同調査をしたこともありますし、、
彼を通じて先輩や後輩とも交流が始まり、そのひとりであるカン・スングさんに案内され、プサンの蓬莱山に登り、、、、、
プサン港をバックに飛ぶハチクマの背面を撮ったこともあります。
この観察地へはタカ長ひとりではとても行くことができません。現地の人のガイドがあって初めて実現した観察であり、撮影でした。
一人の人と親しくなると、その人を通じて人の輪が広がるのは日本も韓国も同じことです。
この写真はソンヒョン君の後輩といっしょにウポ沼に行って鳥を見ているところですが、このような体験はほかでもしています。
黄海上の孤島オチョンドやウェヨンドに行った時も彼の世話になっていますし、一緒に探鳥したこともあります。また、、、
彼が福岡で行われたクロツラヘラサギのシンポジュームに出席するため来日したときは私たちも福岡に行きました。
日本語は理解できてもそのころは英語が理解できなかったソンヒョン君が質問を受けるときは、日本語や英語、韓国語が入り乱れて面白かったことを覚えています。
私たちのタカの渡り報告会にも来てもらったこともありますし、、、、
その時はちょっと奮発して西長門リゾートに泊まりました。
そこで一緒に露天風呂に入ったらこれが大受け、興奮していたのを覚えています。
彼のことを語ればまだまだ話題はありますが、今日のところはこのあたりで終わることにします。
ソンヒョン君はいま札幌の北海道博物館に半年の予定で来ているのですが、、、、
広島と北海道、ちょっと行くには遠すぎて困っています。
クリスマス休暇を利用して家族とともに広島に来てくれたら、広島名物のお好み焼きくらいごちそうできるのに、、、、、、
と考えているのですが、この思いは実現するでしょうか?
同じ写真をもう一度貼りつけますが、、、
このような友だちは彼一人ではありません。
鳥を見るという趣味を持たなかったら絶対に会うことがなかった人たちと、このような交流を楽しむことができるのですから、、、
趣味を持つことの究極の愉しみは人の輪が広がることというタカ長の思いはご理解いただけると思います。
鳥だけでなく山の仲間も同じ趣味を通じての仲間で、この面でも仲間たちとのつながりを最優先しています。
山歩きは歳をとって脚力が落ちるとできなくなりますが、仲間たちとの交流は死ぬまで継続することができます。
そこのところが究極の目標であり、愉しみでもあるので、いまでは「脚力の低下を理由にした退会」は認めないことにしているのですよ。
、
広島は曇っていますが風は吹いていません。
船や飛行機などの運休が出ているようですが、それにならって今日のタカ長は「運休」です。
さて、今日の話題です。
タカ長は前々から趣味をもつことの究極の愉しみは人の輪が広がることだと考えてきました。
いつのころからそのようなことを考えるようになったのか、その記憶はまったくないのですが、とにかくそのように考え、人との出会いを自分なりに大切にしてきました。
もし、タカ長が趣味も何もない人間だったら、同じ団地の中にも友だちがいない、ちょっと寂しい老後を迎えていたかもわかりません。
しかし、鳥を見るという趣味を持ったおかげで、関西に行っても九州へ行っても友だちがいる状態になっています。
いや、関西や九州だけでなく、海の向こうにも多くの友だちがいます。
その友だちの一人、この写真を撮った韓国のキム・ソンヒョン君との交流の一端を紹介して、今日の話題とします。
その前にお断りしておきますが、タカ長は彼のことを「君づけ」で読んでいますが、それは彼の希望であるということです。韓国では年上の人を敬う風習が今も残っており、彼からみたら自分の親のような人から「さんづけ」で呼ばれると居心地が悪い、と本人から言われ、それ以降ずっと「君づけ」で呼んでいるのです。
もう一つお断りすれば、彼のことをこのブログで取り上げることも本人の了解をえています。ということで、安心して彼のことを話題にすることができます。
タカ長が韓国に通い始めたのは定年退職した年からです。鳥の先輩に連れられて行ったのが最初です。
その先輩とはソウルやプサンなどあちらこちらに行きましたが、一番おもしろかった(?)のは彼と二人で環境部の野生動物科に行ったことです。
彼が韓国で渡り調査などしていたことが韓国政府の関係者の目に留まり、コンタクトを求めてこられたのを機に、韓国との共同調査をしたいと乗り込んだのはいいのですが、、、
行ってみたら「ここに来た日本人はあなたたちが初めてだ」と科長さんにいわれ、驚いたり、、、、
言葉の壁もあってと当初の目的を果たした訪問とはいえないような状態でしたが、それでもその訪問で多くの人たちと交流することができるようになりました。
そして、、、、気がつけば上記の写真のような観察。
済州島の最西端の堂山峰から西側の海に向けて飛び立つハチクマを、宿泊した民宿のベランダで観察しているところですが、、
その訪問から始まった韓国との交流は、言葉はできなくても気分だけは国内旅行の感じで、いろいろなところに行けるようになっています。
キム・ソンヒョン君との交流が始まったのは彼がまだ学生だった頃からです。
韓国で行われた水鳥の学会にその先輩と一緒に参加したとき、彼はその学会の手伝い、おそらく下働きだと思われますが、、、そこで一生懸命がんばっていたのを見てからです。
余談ですが、その先輩もタカ長も水鳥に興味があってその学会に参加したのではありません。そのあとのエキスカーションで、私たち外国人が行くのは難しい軍事境界線での探鳥が含まれていたから参加したのです。
そのような不真面目な動機での参加だったので、最初に手違いもあったのですが、大幅に遅れての参加で、その学会でどのようなことが話されていたのか記憶はありません。
しかし、何かのきっかけでソンヒョン君と話すようになり、彼がワシタカにも興味を持っていることを知り、その先輩と費用を分担してワシタカ図鑑などの資料を送りました。
そのようにして始まったソンヒョン君との交流ですが、この写真は後年「韓国国立公園研究院渡り鳥研究センター」で働いているとき、黄海に浮かぶ孤島紅島(ほんど)に彼を訪ねた時ものものです。
奥様と長女のタソルちゃんが写っています。
そのときは研究センターのチェ・ヒヨン所長(前列中央)やパク・ジョンギルさん(前列右端)らから温かいもてなしを受けました。
この「海印山荘」で食べたヒラメの刺身のうまかったことは今でも忘れられません。
所長さんやソンヒョン君の家族との食事だったので一層おいしかったのでしょう。
鳥的にはフクサンドでの調査に同行させてもらった時に見たオガワコマドリがものすごく印象に残っています。
その後彼は確実にキャリアーアップして、韓国の環境部に職を得て、、、、
ソンヒョン君たちはインチョンで暮らすようになり、その彼の家を訪ねたこともあります。
タカカノが抱いているのは次女のタウォンちゃんです。
そして右側は長女のタソルちゃんからもらったラブレターです。スペルに間違いがあるようですが、ちゃんと「愛している」と書かれていますよ。
彼を訪ねたのはその時だけではありません。
彼の出身地である慶尚南道の昌原(チャンウォン)を訪ね、ソンヒョン君のご両親と夕食を共にしたこともあります。
一番前がタソルちゃんで、その後ろがご両親です。
ソンヒョン君とはタカ長たちが何度も行っているプサンの太宗台で渡り観察をしたこともありますが、その時は彼の車で行ったのですが、道の状況などはタカ長のほうが詳しくて(?)タカ長がナビゲイトすることもありました。
ソンヒョン君たちのグループとの交流を通じて共同調査をしたこともありますし、、
彼を通じて先輩や後輩とも交流が始まり、そのひとりであるカン・スングさんに案内され、プサンの蓬莱山に登り、、、、、
プサン港をバックに飛ぶハチクマの背面を撮ったこともあります。
この観察地へはタカ長ひとりではとても行くことができません。現地の人のガイドがあって初めて実現した観察であり、撮影でした。
一人の人と親しくなると、その人を通じて人の輪が広がるのは日本も韓国も同じことです。
この写真はソンヒョン君の後輩といっしょにウポ沼に行って鳥を見ているところですが、このような体験はほかでもしています。
黄海上の孤島オチョンドやウェヨンドに行った時も彼の世話になっていますし、一緒に探鳥したこともあります。また、、、
彼が福岡で行われたクロツラヘラサギのシンポジュームに出席するため来日したときは私たちも福岡に行きました。
日本語は理解できてもそのころは英語が理解できなかったソンヒョン君が質問を受けるときは、日本語や英語、韓国語が入り乱れて面白かったことを覚えています。
私たちのタカの渡り報告会にも来てもらったこともありますし、、、、
その時はちょっと奮発して西長門リゾートに泊まりました。
そこで一緒に露天風呂に入ったらこれが大受け、興奮していたのを覚えています。
彼のことを語ればまだまだ話題はありますが、今日のところはこのあたりで終わることにします。
ソンヒョン君はいま札幌の北海道博物館に半年の予定で来ているのですが、、、、
広島と北海道、ちょっと行くには遠すぎて困っています。
クリスマス休暇を利用して家族とともに広島に来てくれたら、広島名物のお好み焼きくらいごちそうできるのに、、、、、、
と考えているのですが、この思いは実現するでしょうか?
同じ写真をもう一度貼りつけますが、、、
このような友だちは彼一人ではありません。
鳥を見るという趣味を持たなかったら絶対に会うことがなかった人たちと、このような交流を楽しむことができるのですから、、、
趣味を持つことの究極の愉しみは人の輪が広がることというタカ長の思いはご理解いただけると思います。
鳥だけでなく山の仲間も同じ趣味を通じての仲間で、この面でも仲間たちとのつながりを最優先しています。
山歩きは歳をとって脚力が落ちるとできなくなりますが、仲間たちとの交流は死ぬまで継続することができます。
そこのところが究極の目標であり、愉しみでもあるので、いまでは「脚力の低下を理由にした退会」は認めないことにしているのですよ。
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