タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

親だからこそ

2018年02月07日 | 日々雑感
今朝も冷えました。室温が1℃でした、、、、、と、毎日同じようなことを書いても仕方ありませんが、、、、、、

そろそろ寒さには飽きがきて、光の春を待望しているのはタカ長だけではないはずです。

    

突然ですが、学校でのいじめが原因と思われる子どもの自殺のニュースには心が痛みます。

そのニュースではわが町の学校が全国ニュースになり、、、、

その学校の校長がタカ長の中学時代の恩師の子ども、、、、というような情報もあり、、、、心中複雑なタカ長です。

しかし、ここで高尚な教育論をぶつほどの学はタカ長にはありませんから、何も語りませんが、、

その種のニュースに接する度に、、、、タカ長たちを普通にそだててくれた親のことを思い出す、、、という話題です。

    

タカ長には写真の中だけで知っている兄がいます。

写真の中だけで、一緒に遊んだ記憶などまったくありません。その兄貴は幼少のころ亡くなった、ということです。

幼少の子どもを亡くすると、次に生まれた子に甘くなるのは親の常かも分かりません。

タカ長の両親も例外ではなく、、、、大事に、甘く育てられ、男としては損をしているように感じたこともあります。

しかし、、、、しかし、、、タカ長は道を外すこともなく、普通に成人しました。

タカ長の両親は、いわゆる「学」のある両親ではありません。普通か、、、普通以下か、その程度の親ですが、、、、

しかし、人としても基本的なことは躾けてくれました。

両親が躾けてくれたことは間違いありませんが、それだけではなくて、当時の社会には子どもを教育する力があったようです。

今の子どもたちの状況を外野席から見ていると、、、

社会の教育力は落ちていて、、、親は子どもに甘いばかりで、、、そのうえジジババまでが甘やかせていて、、、

自分たちの子どもを一応育て上げたものから見ると、唖然として声も出ない状況になっているように思えるのです。

    

獅子は子どもを千尋の谷に落とす、、、というたとえ話を聞いた記憶がありますが、、、、

そのようなことが出来るのは「親だからこそ」なのです。

それなのに、その親が真綿にくるんで子どもを育てていては、いいことは何もないように思うのです。

いま問題になっているいじめの根底にそのようなものがあるのかどうか知りませんが、、、、

そのようなニュースに接するにつけ、タカ長を普通に育ててくれた両親に、いまさらながら感謝の気持ちを持つのです。