タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

蔵座高原のこと

2020年11月07日 | 山歩きから
蔵座高原と聞いてピンとくる人はどのくらいいるのでしょうか?

全国的には無名で、地元広島でもその名前を知っているのは少ないのではないでしょうか。

タカ長たちの山グループでは口にしたことはありませんし、広島で山を歩いている人でもご存知ない人のほうが多いのではないでしょうか。

ネット検索するとヒットするので、完全な死語にはなっていないようです。

地図を見ると間違いなくその名前が記載されています。

でも、少なくともタカ長は日常の登山活動の中で蔵座高原という名前を口にしり聞いたことはありません。

    

高岳からの帰りその蔵座高原に立ち寄りました。

深入山の南側、そう、このあたりを蔵座高原と言っていました。その名を口にしていたのは若かりし頃のことです。

    

タカ長の記憶では、その頃の蔵座高原は何もない所でした。

その蔵座高原でテン泊して深入山に登り、深入山から向深入山を通って餅ノ木集落に下り、そこから三段峡を歩き、、、、

三段峡の入り口である柴木まで歩いていました。

三段峡は有名な観光地ですからそこまで帰ればバス便には困りませんでした。

これが深入山登山の定番コースで、何度も歩きました。

    

その蔵座高原のどのあたりにテン泊していたのか、具体的な記憶は無くなっています。

そこに滞在しながらのんびりした生活をしたこともあります。

ある年の早春、キブシの花が咲いているところで広島市内から来た女性二人組と出会い、そのキブシの花をバックに写真を撮ってあげたことがあります。

住所を聞いて郵送しましたが、それから先の記憶はありません。そこからロマンスが始まったとか言うことなど無かった記憶です。

    

その時も蔵座高原でテン泊していました。

その時とは、世の中が安保、安保で騒然としていた頃です。

タカ長たちは世の中の騒がしさをよそに、蔵座高原で仙人のような生活をしていました。

蔵座高原での一番の思い出、と問われれば迷わずその時の、仙人のようなテン泊生活と答えます。

    

ここまで車で来れば山頂まで約1時間の登り。その意味では深入山は小さな山です。

狭い意味の登山として考えれば、今のタカ長でも物足りない小さな山です。

これから歳を重ねて、脚力が落ちてくると、その小さな山が丁度良い山になるのかも分かりません。

広島では間違いなく名山である深入山。

タカ長が最後まで通うのはこのような山かも知れません。

昨日の高岳の写真はタカ長の山ときどきタカ見で公開しています。

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