タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

いざ出陣へ

2019年05月07日 | タカの渡り
10連休が終わりました。今日から忙しく働く人も多いことでしょう。

年金生活者のタカ長には10連休は関係ありませんが、ハチクマの季節がやって来たのでそろそろ出動することになります。

と言っても今日は10連休していたクリニックに行かねばなりません。

通院日が多少づれるのは問題ありませんが、月1回の通院は欠かせません。それが命綱なのですから、、、、、。

    

ハチクマは今年も山の上で迎えます。その山に登るのは遅い時間からでも可能ですが、そのような登山は性に合わないので、明日から出動することにしているのです。

やっと「タカ長の渡りの季節」が到来する、ということです。

    

ハチクマの季節には山に登って、このような写真を撮るチャンスを待つことになります。

そのチャンスがいつ来るか、それは分かりません。でも、いつかあるはずです。

そのチャンスにかける、というような考えもありません。運が良ければ撮れるのでは、というくらいの気持ちです。

    

そのチャンスに遭遇するためには山に登る必要があります。

その山に登るためには、当たり前のことですが脚力が必要で、その脚力がいつまで続くか、それも分かりません。

でも、とりあえず今年は登れそうですから、とにかく、明日から始動します。

    

クリニックから帰って機材の最終チェック、といっても例の3万円のカメラですが、とにかくそのようなものをチェックして、、、、、

このようなチャンスがやって来た時「電池切れ」というようなことにならないようにします。

明日から一週間山に登ればこのようなチャンスはやってくるはずですが、今年は6連チャンとか7連チャンは無理でしょうね。

間で1回「恵みの雨」が降ってくれると有難いのですが、今の予報では期待薄ですね。

今シーズンの渡り観察、どうなることやら自分でも分かりませんが、とにかく、いいめぐり逢いを期待しています。


歳をとったら

2019年05月06日 | 山歩きから
10連休も最終日になりました。

若いころはGWに自宅にいたことはありません。県北の山をふらついたり、信州の高原めぐりをしたりしていました。

遠出したときは夜行鈍行で広島に帰り、その足で職場に直行、というような離れ業をやっていました。

ある年のこと、広島駅の直前、いまのズームズームスタジアムのあたりで列車が止まってしまいました。どこかで事故があったのでしょう。

広島駅のそばまで帰っているのに、列車から下ろしてもらえなくてあえなく遅刻。いまとはずっとのどかだった時代の思い出です。

    

少し前のことですが、「歳をとったらお寺めぐりでもしよう」と話し合っていたことがあります。

歳をとって山に登れなくなったら、一緒にお寺でもめぐりながら、この友だちづきあを死ぬまで続けてゆこう、という意味ですが、、、、

人生の最後にお寺めぐりというのはいくら健康でも不可能なことだと実感するようになりました。

今日の画像は福王寺で撮ったものですが、お寺参りするためには、ほとんどの場合このような階段を登る必要があります。

    

人生百年時代を迎えて、どこお寺でも手すりくらいは設置されているようですが、それだけで長い階段を登れるわけではありません。

どこのお寺も人生百年時代に創建されたものではありませんから、そこでは「バリアフリー」なんて言う言葉は存在しません。

昔の人の身長は今の人より低かったそうですが、そのような人たちがどうしてこのような段差のある階段を作ったのか、理解に苦しむことも多々あります。

    

そのような現実を見ると、「寺に行けなくなったら山は止めよう」というほうが正確ですね。

もちろん、すべての寺が山の上にあるわけではありませんが、平地にあるお寺でも、本堂に上がる数段の階段も高齢者には厳しい段差になっています。

すべての事情を承知しているわけではありませんが、とにかく「歳をとったら寺めぐり」というのは誤った認識であることを実感しています。

    

とか何とか屁理屈を付けながら、未だ行く機会に恵まれていない神社仏閣もたくさんあります。

その代表が高野山です。あそこはテレビで見ただけの世界です。

5月4日に行った福王寺は「西の高野山」と言われているようですが、本家本元はそれより何倍も立派なはずです。

でも、あそこまで行くのなら、高野山より〇〇に行きたい、ということになり、これまでのところ高野山行きは実現できていません。

    

行ったことのないところは分かりませんが、高野山も階段の上り下りが出来るあいだに行かないとダメなのでしょうね。

そのことはさておき、間もなく「タカ長のハチクマの季節」が始まります。

裏山の上を渡り始めたようなので、とりあえず8日に山に登り、ハチクマを出迎えるつもりです。



    

飯炊き男は、、、

2019年05月05日 | 山歩きから
    

今日は団地のファミリー登山でした。

子ども会との共催で、参加者は50名を超えました。大盛況です。

場所は裏山の蛇の池そばのキャンプ場、屋根のある炊事棟を予約していました。10連休後半の子どもの日だったからでしょうか、池のそばではたくさんのグループがBBQを楽しんでいました。

タカ長たち世話役の数名以外は歩いてきます。文字通りのファミリー登山です。

     

タカ長の担当は機材などを運ぶ車の運転手、、、、、だけではなくて、、、、

今日は「飯炊き男」もやりました。大きな羽釜でのご飯炊き、久しぶりの体験です。

昨年のメシはイマイチだったので、今日は性根をいれてやりました。

その結果は、、、、、大成功、美味しいご飯が出来ました。

大きな責任を果たして(?)疲れがドカッ、、、、、、。

    

婦人部隊も大活躍です。今年もご馳走が並びました。

「このようなご馳走があるとは思わなかった」という声も聞こえました。

    

今年は天気にも恵まれ、参加した人も、お世話をした人も全員が楽しむことができました。

皆さん、本当に、本当に有難うございました。

写真を撮ることも忘れて火の管理をしていた飯炊き男も大満足です。



    

今日はお休み

2019年05月04日 | 山歩きから
    

広島市安佐北区の福王寺山に登りました。

いつも少なめな数字が出る、と感じているスマホの記録も10㎞を超えていました。

JRの最寄り駅からの往復は想定以上にきつい山になりました。

    

認めたくありませんが、歳をとったからでしょうか?

それとも3連チャンだから?   それとも急に気温が上がったから?

とにかく、疲れたので、今日の更新はこれで終わりです。

    

でも、山自体は市街地に近い山とは思えない雰囲気あり、良い山でした。

この山も「里山キング」のために登ったのですが、今日も疲れました。

小さなことでも、何かをやり遂げることは大変ですね。


明るい山頂

2019年05月03日 | 山歩きから
広島県の最高峰、恐羅漢山に登りました。

新緑の山、あちらもこちらも新緑で、、、、

そのような風景を見ながら歩いたので、目ん玉まで新緑色になったような気がします。

    

その軌跡です。右中央に何やらマークが見えるところが、スタート・ゴール地点の二軒小屋駐車場です。

そこを起点に時計回りに歩きました。

この画像にもスキー場を示す直線が何本も見えます。そのスキー場がいつできたのか調べていませんが、要するに、すべては38豪雪から始まっています。

38豪雪のあと集落が一気に衰退していったところを見ているタカ長としては、自然破壊の極みともいえるスキー場を見ると複雑な気分になります。

そのようなことを語ると長くなり、今日はその時間がないので、この話題はパスします。

    

このあたりの山は牛の背みたいな地形であることは、当然のことですが、昔も今も変わりません。

しかし、ブナの原生林はどこかへ行ってしまい、風景は全く違うものになりました。

    

恐羅漢山の山頂で撮ったものです。

あの山頂でこのような明るい風景が撮れるなんてウソみたいです。

写真には撮っていませんが、山頂の雰囲気もまったくの別物、小さな子どもたちが何名もいました。

かつては、標高1000メートルの内黒峠を越えてふもとの古屋敷集落まで歩き、そこから登山を開始して山頂を目指していました、、、、、

というような昔語りをしても何の意味もありませんね。

    

水越(軌跡図の一番下)から山頂までの尾根歩きは登山者もほとんどいなくて、それなりに楽しむことが出来ました。

しかし、山頂の雰囲気にはイマイチなじめないものがあり、昼食を終わると早々に下山しました。

    

かつて立山スロープと呼んでいた尾根を下りるとふもとの牛小屋高原が見えてきます。

下りてみるとそこは「遊園地状態」になっていて、タカ長はノンストップで通過しました。

そして仲間たちと話していたスキー場を下りました。

    

スキー場にはワラビがたくさんあったので、採りながら下りましたが、、、、

このあたりは土地がやせているのでしょうか、太くて立派なワラビは目につきませんでした。でも、自家消費には問題ありません。

二人分の土産にするくらい採ってから駐車場に帰りました。

今日の歩数は17,000歩。数字のわりに疲れを感じるのは暑さのためかも分かりません。急に暑くなりました。

でもまあ、言ってみればこれは「快い疲れ」です。その疲れを体感するために明日も山に行くつもりです。


    

令和最初の山登り

2019年05月02日 | 山歩きから
    

10連休の後半は山つづきになるタカ長、今日は広島では有名な白木山に登りました。

若いころはわざわざ重いザックを担いで登ったトレーニングの山ですが、この歳になると登るのが精いっぱいになりました。

スマホの記録では、累計標高差が1,100メートルを超えていましたが、これくらいに数字になると余計なことは出来ません。

ただひたすら登り、山頂の手前でやっと花を何枚か撮っただけです。

    

令和最初の登山ですから、今日は赤で決めました。

でも、モデルがモデルですから絵になりませんね。

    

コースタイムがいくらになっているのか気にもしませんが、タカ長としては一応3時間かけて登るつもりでした。

その結果は、、、、JR白木山駅の近くに置いた車を出発してから2時間40分で山頂につきました。ノロノロ歩きの登山ですが、これで十分満足です。

    

令和最初の山頂ですから、コンビニで買った赤飯のおにぎりでお祝い(?)です。

山頂で少し早めの昼食をとり、、、、下山は別当山コースを下りることにしました。

若いころは何度も登った白木山ですが、当時は尾根を南に縦走してから桐原(とげ)に下りて、そこからバスで帰るのが定番でした。

ひと歳とってからも白木山には登っていますが、山頂から南に縦走した記憶はありません。往復登山をしていました。

しかし、今日は同じ道を下りないで、別当山に向けて出発しました。これが大正解でした。

    

    

昔歩いた記憶など残っていません。その尾根道が思いのほかいい道でした。

下山は荒れた道より、足にやさしい土の道が一番です。その土の道を楽しみながら下りることが出来ました。

    

別当山は森の中でした。展望ナシです。

それでもこのコースはイチ押しです。別当山からの下りは急な道でしたが、それでもわが裏山のジャイアンツコースなみです。

全体的には椿尾根よりは歩きやすい道、という印象でした。もちろん、標高差があるので、裏山登山より足を使うのは言うまでもないことです。

    

山を下りたところにこのようなものがはられていました。何の意味かよく分かりません。

赤い吹き流しの左奥が白木山の山頂です。高いアンテナがかすかに写っているはずです。

      

この軌跡を反時計回りに歩きました。

この地図でも確認できますが、白木山に登るルートは何本かあります。しかし、タカ長が登るのはいつも同じコースです。

本当は色々コースを登ったり下りたりすれば面白いのでしょうが、この山に来るためにはラッシュアワーの市街地を抜けてくる必要があります。

そのため休日を利用して登ったのですが、私たちの活動日である火曜日か金曜日に登るには、ラッシュアワーの渋滞を覚悟しないといけないようです。

    

高度のイメージはこのようなものです。

登りより下りが幾分なだらかで、別当山からの下りに急なところがある、ということです。

天気にも恵まれて、令和最初の登山は最高の登山になりました。

人の悪口蜜の味?

2019年05月01日 | 携帯から投稿
時代は平成から令和にかわりました。

しかし、タカ長の生活は何も変わりません。今日ものんびりします。

この10連休は特に意識したわけではありませんが、前半の5日間は静の時間で、後半の5日間は動の時間になりました。

明日からは山予定が続いています。

    

昨日は青春のころの山友だちの家に行って、ご馳走を頂きながら昔ばなしを楽しみました。

それぞれがそれぞれのズッコケたことを知っている仲なので、表面を飾る必要は何もありません。言いたい放題のことを言って楽しんだ感じです。

そのような時にいつも話題になるのが、登山家高見和成氏のことです。同氏は世に出た高名な登山家なので、このような時には敬称をつけて書きますが、、、、

仲間うちではいつも高見、高見と呼び捨てになっています。

面白い男だったので話題には事欠きません。だった、、、、、そうです。ご存知の人も多いのですが、彼は10年以上前に伯耆大山で遭難死しています。

    

私たちの仲間とログキャビンで1泊したときは天ぷらをふるまってくれました。

凝り性だった彼は油に温度計をさして、正確に温度を測っていました。というような話や、、、、

銀杏を採りに行ったときは、どこのどのイチョウから採ったとか、、、、

果実酒を作ると「Takami Orijinal」と書かれたラベルまで自作してビンに貼りつけ、そのようなものを友だちに配っていました。

愛飲家だった彼は一升瓶を持って山に登っていたようですが、その一升瓶を入れる入れ物は、その道で高名な人に作ってもらっていたとか、、、、

そのような話題はいくらでもあるのですが、そのような話の後いつも口にするのは、、、、、

自称文化人もどきの活動だけしていれば死ななくても済んだのに、ということです。何だかんだと言っても彼は多くの人に愛されていたのです。

    

昨日話題になったのは高見のことだけではありませんが、その話題はズッコケ話のようなものです。

タイトルには「悪口」という言葉を使っていますが、本当のとこは青春時代の思い出話を楽しんだ、というほうが正確です。

10連休後半の山歩きが終わるとハチクマの季節がやって来ます。

どこまで頑張ることが出来るか、やってみないと分かりませんが、今年もこのような写真を撮るつもりで山に登る予定です。

タカ長が山にいるときに大きな群れがやって来ると嬉しいのですが、、、、、、、。