死は人生において重要なテーマである。
死は、肉体の滅びをもたらし、その存在を消去する。
されど、人間は生まれては死に、生まれては死にの繰り返しをおこなってきた。
死のイメージは、怖いもの、陰気なものであり、人はそれを恐れ、重い病においては死の恐怖との戦いが始まる、と思う。
なぜ怖いのだろうか。自分の存在が無くなるから。その後の行き先は誰にも分からない。
前から不思議に思っていたこととして、人は死を考えるが、生まれる前の自らの不存在については、言及しないのが普通である。
それはなぜだろう。人はこの世に生を受けるやいなや死に向かって進んでいく。人間は無から生命を得たのだろうか。
科学的には精子と卵子が合体したからとなるが、無辺の心(魂)も一緒に作られたのだろうか。
死は肉体の終焉である。死ぬことは肉体の滅亡であるから、それと共に心(魂)も滅するのであろうか。
しかし我々は身近なところで生命の輪廻を見ている。
花木が春に芽を出し、花を咲かせ、秋には枯れて、土に還っていく。しかしまた翌春には再生が始まる。桜の花はその象徴であるだろう。
肉体は魂の宇宙服のようなものだろうか。人間の成長のために、染みのついた衣服を脱いで、新しいものが用意されるのだろうか。
死は恐れるものではなく、さなぎから蝶が生まれるように、肉体の死により魂の転成が始まるのだろうか。