武田じゅうめい 愛と誠と正義

色即是空とは、すべての存在は虚無であると知る。
旗印は日本愛、 日本人には日の丸が足りない

カトリック教徒の怒りの散弾銃

2007年12月17日 | 人生の意味
銃は力の象徴だ。
自殺した犯人の車に散弾銃の実弾が2700発残されていたという。
弾を所有できるのは800発までが法規制だから、その異常さが浮かび上がる。
一体、何人殺すつもりだったのだろう。
そして、その法で許された800発という弾数も多すぎる。
長崎・佐世保の散弾銃乱射で8人を殺傷した事件。
こういう危ない凶器を、自己申告で簡単に所有できるとは、恐ろしいことだ。
日本の政治家は口を開けば「国民の安全と安心」と念仏のように言うが、全くの空念仏であることが分かる。
銃器産業から政治献金をもらっているから口をつぐんでいるのだろう。
さて犯人はカトリック教徒だったというが、心の病だ。
大学を中退し、職を転々とし、無職の状態にも関わらず、小型ボートを買い、殺した友人と一緒に海釣りを楽しんでいたという。
その友人とは中学以来の親友だった。
散弾銃3丁について警察・公安委員会から許可を受けていたというが、事件前から複数の近隣住民が恐怖の声を上げていたという。
「あの男が銃を持っているのは危ない」と警察に訴えたが、「お前にはそれを言う権利がない」と、逆に怒られたと近所の男性は憤慨する。
日本で、現在、許可を受けているのは、散弾銃30万丁、ライフル銃4万丁だというが、 
こんな多数の銃が街に氾濫しているとは知らなかった。
今年はすでに発砲事件が54件発生。5月には鹿児島で金融業の男が弟を散弾銃で射殺する事件があったし、最近、父の管理ミスで5歳の子供が小さな弟を射殺する事件もあった。
この際、銃の所持を全面禁止にするか、ガン・コントロールをもっと厳しくするべきだ。
特に散弾銃は殺傷能力が高い。散弾銃とは、弾である樹脂ケースの中に無数の鉛球を詰め込み、発射すると放散するのではなく、相手に命中すると、その中でそれらの鉛球が散らばるから、殺傷力が非常に高い。
仮に死亡しなくても、体内に入った無数の鉛球を手術で取るのは厄介で、二次被害をもたらすことになる。
以前、隣人トラブルで、姉妹が男に襲われたことがあったが、一人は即死し、生き残った一人は、半身不随の重傷を負った。これも散弾銃の威力である。
少なくても、散弾銃は全面禁止にすべきだ。
(ムラマサ、一閃)
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