★東京五輪。
まず、歴代都知事であった石原、猪豚、舛添の面々は、指導者としてまともな仕事をやって来なかったということ。そして都の官僚役人は、それをいいことに、自分勝手なことをやってきたということだな。
五輪施設を作るに当たって、ドンブリ勘定どころか、ザル勘定の予算見積もりと、官製談合が指摘される刑事事件的体質、そしてベラボウな建設費用を批判されるや、あっという間に、100億円、200億円を削って、「ホレ、この通り費用をカットしました」という厚顔無恥ぶり。
役人の経営感覚というのは、もはや犯罪的としか言いようがない。
民間企業で20年も同じ仕事をやって40歳にもなれば、専門知識、経験値、幅広い人脈、精神的な余裕が生まれて、言ってみれば仕事バリバリのトップスピードに入る訳だが、そういう状況にあって、例えば建設発注者の部課長とゼネコンの部課長が、1時間も打ち合わせをすれば、大体のイメージが膨らみ、瞬時に建設費用と建設期間が頭に浮かぶものだ。その後は、何度か詳細な打ち合わせをやって見積もりをまとめ、発注者に見積金額を文書で提示する。そこでは他社との競争もあり、ゼネコンの利益率もあり、担当者は頭を悩ますところだが、それは決してドンブリ勘定ということにはならない。
それが都という役所仕事になると、税金という他人のカネであり、それが年に一度、あるいは特別会計で随時カネが入金されるせいか、100億円単位で上がったり、下がったりするのだから、正月にでもやるハイ&ローの金持ちゲームでもやっているつもりなのか。
★自衛隊と南スーダン
国会の場で、禅問答や神学論争をやっているようでは、国を誤る。
南スーダンの街路では、戦車が押し出して来て、砲銃をぶっ放し、乱射しているというのに、防衛大臣の稲田さんは「それは戦闘ではない、衝突です」と答弁していたのは、見苦しかった。
要は、国益とは何か、安保とは何か、軍事行動を起こすとは何か、それらを分かりやすく国民に説明しなければ、インチキで、自己満足の禅問答にしか過ぎない。
一朝事あれば、三軍の長である総理大臣と防衛大臣の命令に従い、自衛隊員は一身(生命)を賭して戦う訳だから、命令する側は合理的かつ明快な理由と大義を提示しなければならない。
逆説的にいえば、戦前の大本営であってはならないのだ。
退却を転進と言い換え、徒手空拳の全滅を玉砕と美化し、日本軍の不都合な真実を国民に知らせなかった軍参謀らの罪は万死に値する。
禅問答とは、仏教の禅僧が悟りを開くために行う問答で、修行者が疑問を発し、導師がこれに答えるもの。
転じて、意味が分からない会話、つまり、チンプンカンプンな会話のこと。
★靖国。
春と秋の例大祭や8月15日の靖国参拝になると、日本の新聞は、誰が参拝したとか、公人か私人どっちの身分で参拝したとか、バカな報道を繰り返している。
特に共同通信は、靖国神社には東条英機をはじめとしてA級戦犯14人が合祀されていると非難するのだから、共同は反日通信社なんだな。
そして、東北大学で中核派の活動家であった者が、今は共同通信の記者をやっていたり、国会議員(野党)の公設秘書をやっている。
一方、総理や国家議員が靖国に参拝するのは当たり前だが、我が国の総理は何を寝ぼけているやら。
(じゅうめい)