★ハンドボール強豪高校の監督。
全国優勝経験もあるハンドボール強豪校の監督が、県内の新人戦で2位になった選手の前で賞状を破り捨てたという。
理由は、「2位じゃダメニダ。優勝しなけりゃ意味ないニダ」とな。
監督がアホやね、これは戦った選手を侮辱した行為ですね。
いくら強豪校でも毎年優勝はできない。優勝するには実力以上に時の運というものがある。野球でもサッカーでも、どんなスポーツでもそういう不思議な運の巡り合わせがある。もちろん運だけでは勝てない。その運を引き寄せるには毎日の厳しい練習が要求される。
そして第2位の準優勝も立派な栄光への架け橋だ、優勝したチームを讃え、自らの栄誉も誇りに思う。それがスポーツの真髄ではないのか。
賞状を破ったことは、法的には器物損壊に当たるが、本当の意味では、この監督は選手らの心を破ったことになる。
★都民ファの音喜多駿君と上田令子都議。
都ファを辞めるのは勝手だが、都ファの看板で当選した以上、辞めるにしても早過ぎないか?
何か政策の問題で方向性が決定的に違うのであれば納得もするが、離党の理由が「小池さんが国政に関与して二足のわらじをはくのはおかしい」とか「都ファの運営が不透明」とか、まるで小学校の子供だね。(笑)
都ファの前は、3人会派で自由にやって来た二人だったが、都議会の最大会派の一員になったら、「ボクは、ワタチは、大組織では窮屈でやってられんわ、自由気ままにバカ話をやってた方が気楽でええわ」というレベル?(笑)
★民進党はなぜ解体されたか。
前原誠司がその幕引き役をやった訳だが、後世に日本の政治史を転換させた人物として研究対象になるだろう、肯定か否定かは別にして。
さて、前原誠司にとって民進党解体は必然であった。
なぜなら離党ドミノが続いて、衆院解散の翌日以降は集団離党が出ると知った。
もしそうなれば民進党は収拾がつかなくなる。自壊への道を進むしかない。
だから連合会長に仲介を頼み、小池さんとの会談を設定して貰い、小池新党に抱きつくしかなかった。後は、まな板の上の鯉。
それ以外の選択肢はなかった。
一方の立憲民主党、6人の創設メンバー。
そのまま何食わぬ顔で小池新党に入り、当選した暁には希望の党を乗っ取るつもりだった。だから前原誠司は最後の演説でこう述べた、「全員で合流する。新党に行ってもプラットフォーム(基盤)は我々(民進党)が作る。名を捨てて実を取れ」と檄(げき)を飛ばした。
つまり党名は変わっても、民進党の政策とコア(中核)は変わらない、小池新党を乗っ取ると暗に公言した。
しかしそれを黙って見過ごす小池さんではない。
排除と選別が始まった。
残りは民進党の重鎮。
希望からは拒否され、さりとて立憲民主党とは肌が合わず、無所属で立候補せざるを得なかった。敵の軍門に降れば、兵は許されても、大将は切腹と昔から決まっている。
江田憲司
無所属で立候補するという。また初心に返ってやるとな。
みんなの党が四分五裂になったあと、結いの党を結成したまでは良かったが、つまずきの原因はハシシタ維新と合併したこと。
政策云々というより、維新という大阪侍と感性が合わなかった。
大阪都構想の住民投票で江田憲司は走り回ったが、それで疲弊してしまった。
経産省から派遣された橋本総理の側近官僚で東京の水で育った東大法学部出のエリートが、大阪弁を喋らずに大阪で仕事をするのは、絶対に無理。
大阪で東京弁を喋っていいのは観光客と通りすがりだけ、仕事で東京弁を喋ったら大阪人は相手にせえへんで。
そして大阪都の住民投票で負けて、それを口実に突然の代表辞任。
まあ、江田憲司の失敗は、根っこが政治音痴なんだなあ。
政治の本質は欲望渦巻く権力闘争ですからね。見ている分には面白いが、それらのゴロ巻きと仮面の裏の悪徳紳士淑女を統制できる力量が必要になって来る。
★希望の党と立憲民主党。
根っこの理念が違えば排除するのは当たり前。
北朝鮮、中国、韓国に対する防衛力(安保法制)と憲法改正といった根幹部分で一致しなければ、民進党の二の舞になる。
日本の左派は最近、リベラルという呼称を多用するが、その主張の過激さはリベラル(自由主義)からは遠く離れていて、日本より韓国と中国を利することばかり主張しているのを見ていると、反日、反国民的という点では世界にも類例がない。
★小池新党と小沢一郎。
希望が小沢一郎を拒否したことは素晴らしい。
小池さんはかつて小沢一郎の側近であったが、ある問題を境に袂を分かった。
当時、小池さんを含めた自由党国会議員団の結論は、日本の国旗・国歌法案に賛成し、外国人参政権に反対であったが、何と代表の小沢一郎はそれをひっくり返した。
それは保守を標榜した自由党にとって自殺行為であった。
(じゅうめい)