みなさんこんにちはtatuakiです(^-^v
今日は下呂市は晴れていますよ、気持ちいいですね。
昨日は、バローへ行って噂の、液晶のメモを購入できました。今年からは福袋を買わないことにしています。
まあ、メモ代わりには良いですね。
私の過去に、「マイコ〇BASIC〇〇〇〇」と言う忌々しい雑誌の記憶があります。第三者にイタズラの手紙を知らない人に自分の名前で書かれたらしく、私の名前を上げて意味の分からない記号を乗せられた経験があります。そのなりすましのイタズラの手紙を渡された人とは面識も無く勝手に向こう側から反感を買ってしまったのです。
その人が近所に住む人であることに暫く時間がかかりました。その人は若くして亡くなっています。
その他、パソコン通信と言う陰湿な場所で自分の作品を酷評され続けました。
「本当は相手は面白おかしくやってるんじゃないか?」と言う疑問をいだき、もう雑誌の投稿やパソコン通信をやめました。
その後、「マイコ〇BASIC〇〇〇〇」や「M〇XF〇N」などとは縁を切ってしまいました。
今ではその決定が最良であったと確信できます。彼らは公平平等に作品を評価しようとしなかったのです。
その報いは必ず来るのですよ、その証拠にもう雑誌は存在していません。
あえて悪口は書きませんが、私のせいで廃刊になったとは言わせません。貴方たちのまいた種です。
それは良いとして。
未だに未来は決定しているという事を信じている「運命決定論者」がいますが、それがどれだけおかしな話かと言うのを書きます。
昔、Newtonの時代は、「この世の中のすべての法則を見つけたらこの世の全ての事が決定されている」と思われた時代があります。
ここは以前書いたことです。結果は「不確定性原理」や「不確実性定理」などにより覆されています。
もし、世の中の全ての事が決定しているとすると、明日から気象予報士は廃業しますね。
そして一体何時までの時期を予測できるのでしょうか?100年後?1000年後?
そして、経済活動では、今年はこういうものがはやると決まっていますから考えることなく決められたものを作って販売すればいいのです。
少なくとも予報する予報士も占い師も決定しているのですから廃業します。
そんなおかしなことがあり得るでしょうか?
この話には、ニワトリが先か、卵が先かと言う話に似ています。
(ニワトリの場合本当は卵が先です、卵1個が一つの細胞であるからです)
ですから未来は決定されているのではなく少なくとも私たちの行動で作るものです。
そして、必ず「運」や「偶然」と言う不確実性が人生には存在しています。
そこら辺をかんがみて将来の設計をしてみてください。
あからさまに決定できる物もあることを最後に書いておきます。
それでは、私は明日から仕事なので。
成人式のみなさんおめでとうございます。
それではまた来週です(^-^v