歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

葛城市・当麻寺 西塔の創建は飛鳥時代?

2010年06月08日 | Weblog
 奈良県立橿原考古学研究所の調査で7日、葛城市の当麻寺の東西両塔(国宝)のうち、西塔の創建が定説の平安時代より古く、寺の創建と同じ飛鳥時代まで遡る可能性があることが分かった。塔のそばから7世紀後半の瓦が出土したためで、現在の西塔は平安時代に再建されたものである可能性があるという。
 同研究所が西塔の西側と南側計40㎡を発掘したところ、南東部から江戸時代に掘られたとみられる廃棄坑が検出。廃棄坑からは奈良~江戸時代の瓦に紛れ、寺が現在地に創建された、680年代の白鳳年間の軒丸瓦が含まれていた。
 建築様式などから東塔は750年頃の奈良中期、西塔は平安前期に創建されたとされてきた。
 調査地からは9~10世紀の土器が埋められた柱穴約30基も見つかった。西塔を建設した際の足場跡と考えられ、現在の西塔が平安時代に建てられたことを裏付けた。
 西塔は心柱が八角形なのに対し心礎に掘られた臍(ほぞ)は円形で、心柱は心礎の中心から十数cm外れている。
 明治時代の建築史学の研究者、足立康氏(1898-1941)は現在の西塔は再建されたものだとする再建説を唱えていた。
[参考:産経新聞]
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鹿嶋市・塚原館跡 水槽のような水溜遺構が出土

2010年06月08日 | Weblog
 鹿嶋市は7日、戦国時代に活躍した剣の達人、塚原卜伝(1489-1571)の居城跡とみられる「塚原館跡」(塚原城跡、同市沼尾)から粘土張りの大きな水槽のような遺構が発掘されたと発表した。
 遺構は幅約2・2m、奥行き約2・4m、深さ約0・75mの大きさで、土を掘ったところに厚さ約10cmの粘土を張り付けている。生活用水などをためる水溜と考えられるという。
 壊されたかまどのような跡や、燃えた板材なども新たに見つかった。
 市教育委員会は13日午後1時半から、発掘現場を一般公開し調査の成果を報告する説明会を開催する。
[参考:産経新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2009.12.23塚原館跡 12/23一般公開および現地説明会

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