歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

扶余・陵山里寺址 彩色漆器に顔料「石黄」を使用

2010年06月26日 | Weblog
 国立扶余博物館は24日、同博物館で開催中の「百済中興を夢見て-陵山里寺址」(2010.6.8~8.15)に出展された彩色漆器片(注1)が、石黄(As2S3)を顔料として使用したとみられると発表した。百済時代の絵画に広く使われた顔料とみられるとしている。
 この彩色漆器片は、黒色漆生地に黄色と赤色顔料を交互に使って6葉花模様を表現した。
 同博物館がX線蛍光分析器(micro-XRF)を通してこの漆器片を調査した結果、黒漆生地に鉄(Fe)が、赤い花びらの彩色には朱砂(HgS)、黄色の茎と花びらには砒素(As)を含有した石黄が使われたと推定した。
 石黄(석황)は雌黄(자황)、石紫黃(석자황)とも云い、重金属のヒ素を含んで毒性と中毒性が強く、主に黄土とともに黄色顔料としてたくさん使われた。
 中国では4世紀東晋時代末期および敦厚莫高窟で石黄が使われたことが報告されており、日本では正倉院所蔵遺物(注2)および楽浪・石巌里205号墳王旰墓出土漆器(注3)で石黄が検出されている。
[参考:聨合ニュース]

備考:
(注1)1993年に陵山里寺址工房跡から百済金銅大香炉とともに出土したものと思われる。
(注2)香薬に分類されている「雄黄(おおう)」のことと思われる。
(注3)平壌・石巌里(석암리)205号(王旰墓)出土遺物 (東京大学文学部考古学研究室所蔵)
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佐賀市・佐賀城跡 村中城の遺構、防御機能備えた「内堀」が出土?

2010年06月26日 | Weblog
 佐賀市教委は25日、5月に初確認した戦国大名・龍造寺隆信(1529-1584)の居城「村中城」の関連大型建物遺構近くから、同時代の堀跡が出土したことを発表した。堀跡は防御機能を備えた「内堀」とみられ、幅7m、深さ4m程度の深堀と推定される。
 5月に確認された2棟の大型掘立柱建物遺構とともに、村中城の「内郭」を形成した一部とみられる。

過去の関連ニュース・情報
 2010.5.20 佐賀市・佐賀城跡 龍造寺氏の居城・村中城の遺構を初発見
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大阪市・大阪城 秀頼と淀殿が自刃した「山里丸」の遺構見つかる

2010年06月26日 | Weblog
 慶長20年(1615)の大坂夏の陣で、徳川家康に敗れて豊臣秀吉の子・秀頼とその母・淀殿が自刃した場所とされる大阪城天守閣北側の区画「山里丸(やまざとまる)」とみられる遺構の一部が、大阪市博物館協会・大阪文化財研究所の調査で初めて出土したことが25日分かった。
 地表から約4mの深さに埋もれ、落城時の火災を示す焼土層が積もっていることが確認された。
 山里丸は、秀吉が千利休らと茶会を催した茶室などがあったとされる。遺構は、南北に延びる石組み溝(幅35cm)で、長さ6m分を確認。溝の側面には高さ35cm、長さ50cm、幅20cmの石が並び、底には平らな石などが敷いてあった。中から見つかった陶磁器から、年代を特定した。
 焼土層は厚さ50cm。焼けて変形した瓦も大量に出土した。溝は、徳川幕府が1624年に始めた城の再築で埋められたとみられる。
 調査成果は7月28日~9月20日、大阪市中央区の大阪歴史博物館「新発見・なにわの考古2010」で展示される。
[参考:読売新聞、産経新聞]

秀頼と淀殿が自刃、「山里丸」の遺構見つかる(読売新聞) - goo ニュース
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