上方落語の大名跡・大看板のひとつに、桂文枝(かつら・ぶんし)がある。
昨年桂三枝(かつら・さんし)さんが、文枝を襲名。六代桂文枝になった。所属事務所ウェブサイト、『三枝 改メ 六代桂文枝』に、文枝さんの挨拶がある。一部引用する。
この度、吉本興業株式会社をはじめ各方面のお勧めにより、平成二十四年七月十六日をもちまして「六代桂文枝」を襲名させて頂く運びとなりました。
五代目の門をたたきましたのが昭和四十一年、「桂三枝」の名前を頂きましたのが今から四十五年も前のこととなります。「三枝」の名前はテレビ、ラジオをはじめ、さまざまなメディアを通じて皆様のお力で大きくして頂きました。私自身、師匠から頂いた名前を大きくすることが一番の恩返しだと思って今日までまいりました。
まさか、上方落語の大看板「文枝」の名前を継ぐとは思ってもおりませんでしたが、平成十七年三月十二日に師匠の五代目文枝が鬼籍に入りましてから、ゆっくりと特にここ一年ほど前あたりから徐々に「文枝」の名前が近づいてきたように思えます。
先代(師匠)のことは「五代目」「五代目文枝」、当代(自分)を「六代桂文枝」と使い分けている。ちょっと不思議な感じである。存命者は、「目」を付けないのかな。最初に六代文枝という言い方を耳にした時、そう感じた。
よくよく調べてみると、上方落語では「六代目」という言い方は、故笑福亭松鶴さんを指すので、あえて「目」を付けていないようだ。
調べてみると、いろいろなことがわかるものだと思った。
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三枝改メ 六代 桂文枝