<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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「SNSは規制が必要だ。誤った情報、歪んだ情報が溢れていて社会を混乱させる可能性がある」
というのは大手マスメディアの今週月曜日からの論調だ。

一方、市民の側からすると、
「マスメディアは解体再編が必要だ。一部の人たちによる作為的な情報操作の危険が溢れていて、しかも反省する様子が見られない」
という意見になる。

今回の兵庫県知事選挙は既存のマスメディアには想像以上に衝撃的であったらしく、どの放送局も新聞もSNSで溢れた情報を非難している。
「自分たちは正しいがSNSは間違っている」
と言わんばかりに。
要はSNSの情報発信に「失業」の恐怖を感じているのだろう。

時代は一気に変化している。
考えてみれば10数年前に橋下徹が大阪府知事に就任してからマスメディアの報道と実際との違いがあまりに大きいことを市民はネットを通じて学んできた。
ただ単に学んだのではなく、フェイク情報や誤情報をそれなりに見分ける術を身に付けながら学んできたのだ。

橋本徹を知事に選び、新政党が生まれて地方政治がどれだけ変化するのかを大阪府民は身を持って学んだ。
投票率が高いと組織票が機能せず、組織票に頼れない政党が主導権を握ることができる。
畢竟、既存の利権関係や特別待遇は崩壊した。
ここで初めてきちんとした民主政治をスタートすることができるようになる。

今回の斎藤兵庫県知事は大阪が10数年かけてやった改革をたった3年で実施。
10年かかった大阪でも今だ既得権益にしがみつき改革をするグループに難癖つけている人々が少なくない。
万博非難がいい例だ。
ましてや3年でやってしまった兵庫県。
その反発は想像を絶するイジメとなって表面化してしまった。
やったことは市民側からすると喝采もの。
しかし特権を失った側からすると許すまじき悪行でもある。

事実をメディアは伝えなかった。
SNSが事実を伝えた。
その結果多くの兵庫県民は投票所に向かった。
斎藤知事を失わないために投票所に向かったのだ。

テレビと新聞は自分たちが描いたシナリオが破壊された理由がいまだわからずにいる。
関西以外の人たちもメディアの情報を信じているので兵庫県で何が起こったのか理解できずにいる。

兵庫県で起こったことは全国で起こり得る。
「SNSは規制が必要だ」
の意味は自由を失うこと。
言論を規制すること。

既存のマスメディアにその権限はないのだ。


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