おてんとうさんのつぶやき & 月の光の思案 + 入道雲の笑み

〔特定〕行政書士/知的財産管理技能士/国家試験塾講師等が生業の巷の一介の素浪人の日常

それでも一歩一歩

2019-03-02 | ◆ 国家試験受験サポート 〔 全 般 〕

 

(以前にも 載せた内容なのですが

ほぼ 同様の会話が 最近もあったりしたもので

重複の部分もありますが 加筆して載せさせていただきました)

 

 

 

人生100年時代などといわれ

できるだけ長く 収入を得られる生活のために心がける大事なこと

として 次のことあたりが挙げられそうだ

・まず健康であること

・できるだけ多くの場での人脈をもっておくこと

・資格を一つでも多く取得することに 一年でも早期から努めること

 

 

資格取得に関しての話になりますが

先日 30歳代の受験者の方の相談がありました

その時のこと

『・・・あの方は 一発合格ですか スゴイデスネー・・・

 ・・私ときたら いまだに・・・』

という発言に おおいに異議をとなえたくなったのだが

やめておいたのでした

いろいろと差しさわりがあるような状況だったので・・・


一発といっても 何年もの間受験を控えていて 確固たる自信のもとに

満を持して 一回目でという方もいれば

そういう境遇には無く とにかく受験可能な時に何度でも

自信のあるなしなど論外 チャンスを活かすためには回数など

気にする余裕などない という方もいれば

さまざま


資格試験は その資格に適う力を持つものが栄光を

という基準であれば 何年かかろうが 何度目だろうが

本来問うべきものではない? かも

(もっとも そんな悠長なことをいっていられない情況もあるだろうけれど・・・)





教育の機会均等などとは程遠い?我が国のありかたからして

特に 経済的理由での受験環境格差は 資格試験には限らないが

より顕著になってきているようで


なんとも言えぬ虚無感さえ覚えるときがある

 

つまるところ 経済力の差で 人生コースが およそ 決まってしまっている

というような 相変わらずの この世の常を認めざるを得ないような・・

それが 世の仕組みなのだから 財の獲得ももちろん自己責任での大原則の

仕組みを おおよその人が肯定しているのだから・・・いたし方ないことなのかも・・?

 

教育の機会均等 などというスローガンが虚しく思えるときがあるのだが・・・

なんとかそういうものへの抗いのための制度も それなりにあるとしても・・

それでも やはり 勉強をしたくとも それが叶わぬ子が現実にはいる

思うだけで 切なくなります

 



 

 

私自身も 愛と嫌悪とを同時に感じるような試験に囚われたような人生

なので 


さまざまな受験模様を味あわされ 人生模様の悲喜こもごもを体験した身


とてもここには述べることをはばかれるような受験仲間の半生というか

全人生もあったりして・・ 


そう簡単に試験制度のあり方をコロコロ変えるなー という思いが強い

人それぞれの理由で 5年計画 10年計画

あるいは 定年後 離職しての少しでも濃密な学習後の受験再開も止むなし


まずは自分の夢より家族の人生 つらすぎるが 今は我慢 


という仲間だって 多くいたような気がするからだ





 

いろいろと考えさせられる会話であったわけですが

公務員特権(何年かすごせば 一定の国家資格が得られる制度が

広範囲の官庁に存在する制度であり続けていること)もおおいに批判の対象に

なりました


 

その相談者は どうしても行政書士になりたいとのこと

だが 学習環境のこともあってか ? 受験勉強年数が重なり続けている


受験者の資格志向が強く 
年々厳しくなる試験

全くの独習


受験予備塾や専門校に通うなど 時間的にも経済的にも 夢のまた夢

今以上親に頼ってまでのことはしたくない

というより 彼の場合 無理




好きなだけの受験期間を使って大学に入ることができ

親の顔で無試験での就職組?のような知り合いの某官庁退職者が 

登録という行為さえ済ませれば アッサリと行政書士バッチをつけているのを見て

嘆いた とともに なんともいえない虚無感を強く覚えた とのこと



慰める言葉を見つけ得なかった


しかし 嘆いてばかりいても 事は進まない

つらいだろうが


一歩一歩 前に踏み出そう と 声をかけることしかできなかった

 

せめて参考になるならと

自身の長い受験生活から気付かされた 自身の受験生活上の欠点を

挙げて 伝えてみたりした 

 

・取捨選択

・モチベーション

・メリハリ

ということについて

 

 

受験生の為すべきことは
 
「合格すること」
 
 であり

「学習を続けること」

 ではない

好き というだけではこなせないほどの分量のある試験もたくさんある 

 

受験生としての私の欠点は 気障を覚悟で言うと 学習が嫌いでない

 というか 学ぶことが好き というあたりにあった と 集約できそうだ

 

 ・端折る(はしょる) ということも必要なことなのだ

 出題の無いところであっても 全部眼を通さないと気になってという

 気持ちも理解できるが

 必要とする範囲を終えたなら 眼を通していないページがあっても 一応サヨナラする

 ということに躊躇しすぎることは受験生としては ヨクナイ

 学習すべき科目は タクサンあるのだから  

 

・なぜ受験しているのかを 立ち止ってシッカリと意識してみることは 大事なことだ

 

・1時間でも多く学習したほうが 1時間休むより 5倍安心できる

 休むくらいなら ボヤーンと頭がしていても 読み続けたほうが損にはならないだろう

 だから 休憩なしに 学習を続行することにしよう

 という考えも よく考えると 妥当でないことが多い

 メリハリをつけての休息も とても大事だ 

 学習するには体力が必要なのだ

 

 

・取捨選択は合格に必要なこと

・合格するためのモチベーションである必要がある

・メリハリをつけ休息も大事

 

 

繰り返すが

・出題の無いところを学習するのは 合格後にできる

 しっかりと取捨選択することも 受験には大事なことなのだ と 思い切る

 取捨選択情報も大事だ 何年間も出題の無いところは省き まず 出題頻出のところに

 立ち向かう回数をできる限り増やす

 言われるまでもない当然の理論 のようにも思えるのだが これを決行するのは 

 なかなかタイヘン

・好きなことをするためのモチベーションではなく

「合格する」ための モチベーション(動機・意欲)が必要だ

・コセコセとした休息じゃなく 休むときはしっかりと休んで 長期戦学習体力を保存する

 

 

 

 

 

さまざまなところで 卒業式のニュース

 

人生100年時代

巷のこの言葉を 今 卒業生は どのような感覚で受けとめるのだろうか・・・

   

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