マネジメント・・・「組織をして成果をあげさせるための道具・機能・機関」・・・ピーター・ドラッカー博士の定義です。
古くから、マネジャーの研究は続けられており、リーダーシップ、統率、人徳、人間的魅力、専門性、コミュニケーション、影響力などさまざまな研究アプローチが続けられています。
マネジメントの仕事をしていて、いつも心に留めいている人物がいます。
佐久間勉 艇長
明治時代、日本帝国海軍に佐久間勉という海軍大尉がいたことをご存じでしょうか?
佐久間大尉は、福井県出身。
明治34年に海軍兵学校を卒業。
巡洋艦吾妻乗組員、巡洋艦笠置で日露戦争に出陣、水雷母艦韓崎を経て第一潜水艇隊艇長、第四潜水艇長、第一艦隊参謀、駆逐艦春風初代艦長、巡洋艦対馬分隊長。
そして第六潜水艇艇長に着任した、いわば帝国海軍のスーパーエリート。
その佐久間艇長は、悲運に遭遇します。
明治43年4月15日、佐久間大尉率いる第六潜水艇は、ガソリン潜航実験、シュノーケル試験を行うため、山口県岩国を出港、訓練開始後45分立ったころ、浸水により海底に着底。
長時間がたっても浮上しないため、呉海軍鎮守府に連絡、引き上げ作業が行われました。
当時の技術では、潜水艦の事故の救助は難しく、絶望的な状況。
海外の同様な潜水艦事故では、脱出しようとする乗組員が我先にハッチに殺到し、殺し合いが始まることがほとんどだったようです。
たとえハッチを空けたところで、海水が流れ込み、全員の死に確実に至ります。
帝国海軍も引き上げに際し、艇内での醜態をさらしていることを心配していたようです。
沈没した第六潜水艇を引き上げてみたところ、乗組員14名は全員死亡。
しかしながら、
乗組員は全員自分の「持ち場」を離れておらず、航海士や機関士など最後の最後まで復旧のための作業を続けていた様子が飛び込んできたのです。
生還の望みが失われた中で、彼らは何を考え、何を話していたのでしょうか。
わたくし自身、いつも、想像を巡らせています・・・。
おそらく、佐久間艇長は、部下に語りかけたのだと思います。
「家族のことは、オレにまかせろ。心配するな。」
「最後の最後まで、復旧の努力をしよう。」
「帝国海軍の軍人として、誇りをもって任務を遂行しよう。」
「武士道を完遂しよう。」・・・。
それとも、
佐久間艇長は、何も口にせず、背中で部下に語りかけたのではないか・・・。
「率先垂範」という言葉がありますが、もともとは「指揮官先頭、率先垂範」というそうです。
享年31歳・・・。
すごい若者です。

小学生の頃、海上自衛隊のOBの方からヨットの操船を教えていただいたことがありました。
明るく、やさしく、でも厳しい・・・教官。
危険につながることをすると、ゲンコツが飛んできます。
彼が、いつも言っていたのは、次のフレーズ・・・。
シーマンシップ(海の男の精神)を説明したものです。
スマートで、目先が利いて、几帳面、負けじ魂、これぞ、船乗り
海上自衛隊、帝国海軍は、7つの海を制した大英帝国海軍がお手本。
「シーマンシップを身につけろ!それが武士道につながる!」が口癖。
その頃は、よく分からなかったのですが、
今でも覚えているということは、よほどインパクトがあるコトバだったのだと思います。


絶望的な状況におかれた集団を、最後の最後まで規律と使命を守らせた佐久間艇長のリーダーシップ・・・
それは、リーダーの条件、指導者の真髄を昇華したものではないでしょうか?
さらに、佐久間艇長は、分刻み、秒刻みで航海日誌を書き続けます。
ガスが充満してくる中、酸素が希薄になる中、佐久間艇長はメモを書き続けます。
そして、最後に、事故自体の分析を薄れゆく意識の中で冷静に記述し、遺書として次のような文書を残します。
謹んで陛下(明治天皇)に申す
我 部下の遺族をして窮するもの無からしめ給はんことを
我 念頭に懸るもの之れあるのみ
死の直前、明治天皇に対する潜水艦の損失と部下の死を謝罪し、この事故が日本の潜水艦の発展の妨げにならないことを願い、それを記述したのです。
そして、部下の家族が生活で困窮しないよう最後の希望を書きます。
確実な死を直前にした、39ページにわたるメモ・・・。


現在、オーストラリア海軍の潜水艦(12隻)の受注競争が、日本、ドイツ、フランスによって行われていますが、日本の潜水艦技術は、実は、明治時代から培われていたのです。
ステルス技術や浮上しなくとも発電が出来るニッポンの新技術が、Uボート以来の歴史を持つドイツと競り合っています。
佐久間艇長の残した遺書は、日本の潜水艦技術を将来に託しました・・・。
この佐久間メモは、広島県江田島市にある旧海軍兵学校資料館(現海上自衛隊幹部候補生学校・見学可)、呉駅前にある大和ミュージアム(呉市海事歴史資料館・戦艦大和の1/10モデルで有名・佐久間メモはコピー)で見ることができます。



また、広島県呉市にある鯛乃宮神社に「第六潜水艇殉難の碑」があります。
リーダー不在といわれる現在の日本。
今の日本を救うリーダー、そして彼彼女についていくフォロワーが出てこなければなりません。
3.11から、5年をむかえます・・・。
東日本大震災で住民の避難を呼び掛けて津波にのみこまれた24歳の自治体職員の女性・・・
迫りくる大波の中、地域住民に声をかけ続け自らは帰らぬ人となった警察官・・・
放射能の中、原発の冷却作業にあたる電力会社の下請けの社員・・・
中国からの研修生の女性たちを自らの命をかけて守った中小企業の経営者・・・
そして被災現場の最前線に立つ自衛隊員、消防士、警察官、自治体職員、ボランティア、民間企業社員・・・
文字通り身体を張って、日本を地域を守る人々・・・。
本当に目頭が熱くなります。
日本は、まだまだ捨てたものではありません。
直面する危機やクライシスに対して、即座にリーダーとしての行動が出来るのか?
佐久間艇長の残されたシーマンシップを、常に、心に刻んでいきたいと思います。