能率技師のメモ帳 経済産業大臣登録中小企業診断士・特定社会保険労務士の備忘録

マネジメント理論、経営理論を世のため人のために役立てるために

新しい元号は未来志向の「陽」の氣に満ちた漢字2文字になればいいなあと思います 「永」「元」「天」?

2019年01月03日 | 日記・エッセイ・コラム
今年の5月1日、新しい元号による日本の歴史が始まります。

4月1日には政府より発表されるとのこと・・・楽しみです。
菅官房長官が、漢字二文字の書かれたパネルで説明されるんでしょうね。

ちょっと閉塞気味の日本を明るくするような未来志向の「陽」の元号になればなあ、と思います。


元号法という法律に基づき、元号は定められます。
改元は、天皇陛下が代替わりする時の「代始改元」、良いことを祈念するための「祥瑞改元」、そして災い・厄災を回避するための「災異改元」の3つのタイプがあるそうです。
今回は、「代始改元」。
皇太子殿下が平成天皇に代わるに伴っての改元です。

日本で最初の元号は、「大化」。
西暦645年の大化の改新で知られています。


そして、今年、新しい元号が制定されると、248番目の元号になります。

今まで、元号に使用された漢字は、全部で72。
意外に少ない感じです。

そのトップ3の漢字は、次の通りです。
第1位 「」 29回
第2位 「」 27回
第2位 「」 27回

可能性として、 「永」「元」「天」・・・いずれの漢字が使われる可能性もありそうです。
 
今年の皇居の歌会始のお題は、「」。
未来志向の「陽」の氣に満ちた漢字2文字になればいいなあと思います。

そして、新しい時代の新しい元号、より良い世の中、ニッポンにするきっかけになればいいなあと思っています。


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セゾン 堤清二が見た未来 無印良品、西武百貨店、パルコ、ロフト、リブロ、公園通り、I&Sが残したもの

2019年01月03日 | 本と雑誌
今年最初に読んだ本は、80歳を超えた高齢の母親から買ってきてほしいと頼まれた本。
セゾングループの総帥・堤清二さんを取りあげた一冊です。

母は若き日、東京の学校に通っていたので、飛ぶ鳥を落とす勢いで成長を遂げていた堤清二さんの姿、作家辻井喬に興味を持ち続けていたのではないかと思います。

ラーメン百貨店と呼ばれていた池袋のオンボロデパートを一代で、文化の発信地に変えた異色の経営者・・・バブルとともに消えていきました・・・。
個人的には、セゾン、堤さん共に、終わったコンテンツだと思っていました。
ダイエーの中内功さんも同様に終コン。

この本を読み、若き日、セゾン系?の広告代理店で働いていた時のことが走馬灯のようによみがえってきました。


セゾン 堤清二が見た未来
鈴木哲也著  日経BP社刊  1800円+税

著者は、日経ビジネス誌の副編集長を経て、現在、日本経済新聞社企業報道部次長をされている経済マスコミ人。

帯には、糸井重里さんと上野千鶴子さんのコピーが踊っています。

「2020年を前にして、堤清二の考え方を知る。これは、ずいぶんとおもしろいぞ。」糸井重里

「矛盾だらけの多面体のような経営者を、ここまで書き抜いた本は、ほかにない。」上野千鶴子

糸井さんも上野さんも、セゾングループという舞台装置の中で活躍された方です。

目次

1章 無印良品・・・西友と堤からの独立
2章 西武百貨店・・・セゾンが文化を民主化した 挫折の連続の中の先見性
3章 パルコ・・・幻の銀座パルコ アニメ文化に宿るDNA
4章 専門店・・・ロフト リブロの静かな誇り

5章 ホテル・レジャー
6章 チェーンオペレーション・・・吉野家買収の慧眼と矛盾 西友「質販店」の憂鬱
7章 人間・堤清二・・・お坊ちゃんが学んだ大衆視点 避けられなかった裸の王様

堤清二さんは、一大で巨大企業グループを築き上げた経営者。
売上4兆円、200社以上のグループ企業、10万人の従業員・・・。
それが、1990年代のバブル経済の崩壊をきっかけに、大崩壊。
祇園精舎の鐘の声・・・諸行無常の響きあり・・・
まさに、バブルのあだ花。
著者も、当時、そうした論評を加えたと書かれています。
しかしながら、「堤清二」の持つ何かを探求したいということで同書の執筆に至ったとのこと。

「商品を売るのではなくライフスタイルを売る」
「モノからコトの消費へ」
「店をつくるのではなく、街をつくる」

堤さんの提唱する文化は、池袋や渋谷、銀座の街を大きく変貌させました。
 

特に、何もなかった渋谷の区役所通り・・・。
西武百貨店、PARCO・・・公園通りとネーミング・・・流行に敏感な若者たちやクリエイターが集まってきました。

すれちがう人が美しい-渋谷公園通り-

スゴイ切り口のコピーです。
銀座ではなく、渋谷公園通りというのが、良いです。


同書を読むと、堤さんは無印良品にレゾンデートルを感じているという記述があります。
欧州からエルメスなどの高級ブランドの輸入に励んだ西武流通グループが、ブランドから距離をおく・・・そして、それが新たなブランド価値になる・・・。
さらに、量販店ではない「質」販店を目指す、ショップマスター制度を創る・・・。
堤さんの流通、いや働くことを変革していこうというアンビションが垣間見えます。


いっぽうの小職・・・学生時代、どこに就職しようか迷う暇はありませんでした。
広告代理店しかない!
大学を卒業して、最初に就職したのが株式会社第一広告社。
本社は、日本橋三越前。
読売新聞、日テレ、TBS、CX(フジテレビ)、テレ朝が株主の電波媒体の扱いの多い代理店でした。
1959年の皇太子殿下のご成婚パレードのテレビ中継を森永製菓をスポンサーにつけて全国放映したことから大きく業容を拡大した広告代理店。
一時期、テレビ広告の扱いで電通、博報堂に次ぐ第三位に食い込んだこともあり、「テレビの一広(いちこう)」と呼ばれていました。

当時は、花王、ライオン、資生堂、シオノギ製薬、全日空、マツダ、キューピーなどの日本を代表する魅力的なアカウントがありました。

そのマスコミ系の広告代理店は、1986年、堤清二さん率いる西武セゾングループの広告代理店SPNと合併、新社名が株式会社I&S(アイアンドエス)になります。

当時マスコミでは、マスメディアと流通の結婚などと報道されました。
I&Sは、「インテリジェンス&ストラテジー」「一広(いちこう)&セゾン」を意味しており、田中一光さんのデザインロゴが斬新だったことを覚えています。
当時、堤清二さんも取締役として名を連ねていたと記憶しています。

次第に、セゾンの社員たちが第一広告の職場に顔を出すようになり、その仕事の進め方が、いい意味、悪い意味で広告業界のそれとは大きく違うことに驚いた記憶があります。
(このころ人事局にいた小職は、やりたい仕事をするために転職。そのころは、旧両社にとって蜜月の一番良い時季でした)

その後、バブル経済の崩壊とともにセゾングループは解体、脆弱化していきます・・・。
でも、I&Sは生き残ります・・・度重なるリストラを繰り返しながら・・・。
第一広告社に入社した同期や後輩から言われます・・・「一番、良い時に辞めましたね。何か予兆があったんですか?」)
 
そして、現在では規模を縮小しながらも、アメリカの最大級の広告代理店オムニコムグループの一員BBDOの傘下に入り外資系となっています。
I&S BBDO」というのが現在の社名です。
I&Sの「S」の中には、まだ「セゾン」が生きています。


祇園精舎の鐘の声・・・諸行無常の響きあり・・・
いつまでも栄光は続かない・・・そんなことを考えさせられた一冊でした。

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