萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第86話 花残 act.21 side story「陽はまた昇る」

2021-07-28 22:11:15 | 陽はまた昇るside story
君の声、隣で 
英二24歳4月


第86話 花残 act.21 side story「陽はまた昇る」

桜が匂う、風昏くなるくせ甘い。
それから君の声。

「…英二、」

薄暮やわらかな声が呼ぶ、君の声。
すこし固いけれど穏やかで、ただ懐かしく英二は見た。

「なに?周太、」

応えて振りむいた真中、黒目がちの瞳が澄む。
まっすぐ見つめて逸らさない、この眼差しに自分は救われた。
ただ「自分」を見てくれるから。

「どうした、周太?」

呼びかけて唇が熱い、君の名前だ。
あの雪嶺あの現場、雪崩の瞬間ごと君を抱きしめた。
あの時もう一つの手もと掴んだハーケン、そこに古木の命を見た。

―ブナの芽だったな、あの大木は、

立て籠もり犯を狙撃する、その現場は雪崩の巣窟だった。
だから雪崩に流されない楔が欲しくて、古びた切株にハーケン撃ちこんだ。
そうして発射の衝撃に崩壊する雪面、呑まれる瞬間に見た手元の芽。

“ああ生きているんだ”

渾身に掴んだハーケンの手もと、小さな萌黄色は生きていた。
あの切株はまだ生きて根を張って、だから自分も周太も今ここにいる。

「英二、」

ほら君が呼ぶ、生きた声が。
今このとき呼んでくれる、その瞳が英二に告げた。

「英二…けんか、しよう?」

君がそんなこと言うんだ?

「ケンカって、言った?周太?」

つい訊き返してしまう、意外で。
けれど懐かしい言葉ひとつ、君が微笑んだ。

「ん…けんかしよう、英二?」

微笑んでくれる言葉が記憶にふれる。
こんなこと、君は憶えているのだろうか?
あの夜、怒鳴りあってしまった警察学校の夜。

『俺は絶対に警察官にならなきゃいけない理由があるんだ』

君が叫んだ、あれは慟哭だったと今なら解る。
あの夜ぶつかりあった聲、それから生まれた二人の時間、それから。

「ケンカするって周太、本音で話をしようって意味で言ってる?」

笑いかけて懐かしい、喧嘩に生まれた時間たち。
そして本音で話すことを知って、君の隣が心地良いと知って、それから。

「そう、本音で…僕ずっと英二に言いたかったんだ、ちゃんと、けんかしよう?」

見あげてくれる穏やかな静かな声、その黒髪やわらかに花が降る。
あわい紅色そっと音もない、薄墨ひそやかな樹影に微笑んだ。

「ケンカしたいんだ、周太?」
「ん、ちゃんと話して聴きたい、」

肯いて見あげてくれる瞳、黒目がち澄んで自分を映す。
あの夜も見つめてくれた、あの言葉まだ忘れられない。

『望まなくても、俺とお前はパートナ―なんだから』

警察学校の課題のパートナー、それだけの意味。
それでも鼓動そっと敲かれたのは自分。

「聴きたいって、俺のことを?」

ほら?訊き返して鼓動ふるえる、忘れられない。
ケンカして、謝って、勉強の夜を共に過ごしてくれた君。

「ん、英二のこと聴かせて?」

あの夜のまま瞳まっすぐ見つめてくれる。
あの翌朝、ノート広げたまま目覚めたベッドでも見つめた瞳。
この眼差しずっと見たいと願って、隣が心地いいと知って、それから、

「俺も聴きたいよ、周太…これからのこと、」

それから、この初恋。

※校正中
(to be continued)
七機=警視庁第七機動隊・山岳救助レンジャー部隊の所属部隊

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第86話 花残 act.20 side story「陽はまた昇る」

2021-05-20 21:56:04 | 陽はまた昇るside story
たどる涯を、 
英二24歳4月


第86話 花残 act.20 side story「陽はまた昇る」

息が消える、呼吸すら分からない。
今どうしたらいいのだろう?

「…周太、」

声こぼれる名前、それだけ。
それだけしか分からない、それから唇かすむ香ひとつ。
あまい深い、桜だ。

「英二…座る?」

呼ばれて君が見える、桜ふるベンチに閉じられる本。
そのページ厚みに微笑んだ。

「どのくらい周太、ここにいたんだ?」
「…うん」

問いかけに頷いて、黒目がちの瞳そっと伏せる。
その睫こまやかな陰影に桜が舞った。

「あ…花吹雪、」

穏やかな声かすかに笑って、こまやかな睫が上がる。
黒目がちの瞳に映る光、その視線に英二も仰いだ。

ざあっ、

響く梢きらめく、残照まばゆい花が舞う。
ほの暗い木下闇、けれど白く淡く鏤めて光る。
もう散ってしまう、それでも輝く花に微笑んだ。

「きれいだ、」

声すなおに笑った唇が香る、かすかな、けれど深い甘い風。
花ふる香おだやかに優しくて、ほっと一息吐いた。

「隣いいかな、周太?」

閉門まで時間はない、けれど。
ただ願い笑いかけた先、黒目がちの瞳が自分を映した。

「ん…どうぞ」

頷いて、けれど声かすかに硬い。
その耳もと微かに紅くて、懐かしく腰下ろした。

「周太、緊張してる?」

ほら訊いてしまう、昔みたいに。
まだ出逢って二年、それなのに「昔」と思うほど感情ふり積もる。

「…きんちょうしてますけど悪い?」

ほら君が突っぱねる、ぶっきらぼうなクセに紅い頬。
こんな貌も昔みたいだ、懐かしくて嬉しくて笑った。

「すごく良いよ、そういう周太もさ?」

そういう君も好きだ、すごく。

ー好きだ、どうしても俺は、

ほら素直に想ってしまう、願っている。
こんなにも君の隣に座りたかった。

「…なにそんなに笑ってるの英二?」

ほら君が訊いてくる、ぼそり素っ気ないクセに可愛い。
なぜ笑っているのか解らなくて戸惑って、こんなふう昔も訊いてくれた。
こんな瞬間ひとつ一つ嬉しくて笑いかけた。

「俺そんなに笑ってる?周太、」
「…すごい笑ってますにやにやです、」

ぶっきらぼう応えてくれる、この口調に慕わしい。
いつも隣で笑っていた時間、そのままに笑った。

「そっか、俺そんなに笑ってるんだ?」

笑ってる、ただ嬉しくて。
ただ今この瞬間が嬉しい、このベンチで君がいる。
ほら君が見上げてくれる、笑ってしまう。

「あのね周太、これでも俺ずっと考えてたんだけど、なんだろな?」

笑って言いかけて、ほら君が見上げてくれる。
まっすぐな瞳は澄んで、きっと昔より深い。

「ずっと考えてたの?英二、」
「うん、考えてたよ?」

訊いてくれるトーン素っ気ない、けれど穏やかな声。
この声ただ聴きたかった、すなおな想い微笑んだ。

「きれいになったな周太、かっこいいよ、」

きれいになった、前よりずっと。
見上げてくれる瞳ほら、ずっと澄んで強い。
こんな眼だからだ?ただ想うまま微笑んだ。

「なんか周太、視線がかっこよくなったな?」
「…そう?」

笑いかけた隣、小柄な顔すこし傾げさす。
それでも見つめてくれる瞳まっすぐで、きれいで、想い声になる。

「こうやって見つめると周太、前はなんか逃げるみたいな、迷うような眼をしたんだよ。でも今は違うんだな?」

いつも遠慮がち、そんな眼をしていた。
けれど今の君は違う、その理由に桜と笑った。

「周太、あのお…彼女と、良い恋してるんだな?」

ほら、鼓動が止まる。

―言うなんて馬鹿だ、俺は、

馬鹿だ、解っている。
それでも言ってしまった、君が綺麗で。
こんなに真直ぐな瞳、勁いくせ明るい澄んだ視線、それが似ているから。

でも言えない、悔しいから。

「いいこいなんて…」

君の首筋ほら赤い、この貌よく昔も見た。
こんなとき面映ゆくさ照れている、それは君が幸せだからだ。

―俺だけのために赤くなってくれてたな、昔は、

心裡そっと呟いて、鼓動が軋む。
軋みあげて苦くなる、痛い、こんな痛覚も君が教えてくれた。
こんなにも俺にとって君は初めてで、特別で、そして唯ひとりだ。

でも、君にとって俺は唯ひとりじゃない。
だからこそ英二は笑った。

「まっすぐで明るい目線、小嶌さんもそういう眼するだろ?一緒にいて周太がどれだけ楽しいのかわかるよ、」

楽しい、だけじゃない「幸せ」だからだ。
そんなこと解っている、でも言いたくない、悔しいから。
それでも解ってしまう、だって自分はこんな貌させてあげられたろうか?

『美代さんが怒ったのはね、ファントムを選ばない歌姫なんだ、』

そんなふうに言う女、だから揺すられる。
そんなこと言った意味、心、とっくに今もう解っている。
そんな女だと知っていて知らなかった、だからこそ今こんなふうに見ているしかできない。

“Le Fantome de l'Opera”

あの小説あの言葉、自分を今に惹きこんだページ。
オペラ座に棲む男は“Fantome”と畏れられ、けれど歌姫は天使と呼んだ。
そうしてファントムは彼女に恋をして、でも美しい貴族の青年を選んだ歌姫。
あの歌姫とは違う女、あの青年貴族とも違う、そしてファントムとも違う実直な瞳の存在。

「周太も大学院ここから目指すんだよな、彼女と同じ大学だろ?」

笑いかけて、けれど鼓動が絞められていく。
だって君の頬きっと赤い、もう夕闇が染める今この時も。

「ん、一緒だよ、」
「そっか、」

肯かれて頷いて、鼓動しずかに刺されていく。
こんなにも痛いなんて知らない、どんなことよりずっと。
ほら?あの長野の傷すら分からなくなる、どの傷より今が苦しい。

―こんなに苦しいんだ俺、周太が他の誰かを見るだけで…知らなかったな、

知らなかった、こんな痛みがあるなんて?
こんな傷どうしてあるのだろう、こんなに深く抉られる。
それだけ自分は深く、深く君を抱きしめてしまったのだと思い知らされる。

―苦しい、な?

心裡こぼれる、でも言えない。
だって言ったら自分も同じになる、あの男と。

『イイかい?周太を束縛しちまったらね、観﨑がつくった鎖の後継者にオマエがなるってコトだ、』

あの男、観﨑が綯わせた「五十年の連鎖」それを担いたくない。
けれど自分は知らず踏みこんでいたとザイルパートナーは言った、その言葉に反論なんが出来ない。
だって自分が一番知っている、そして、あの実直な瞳の女はその対極だ。

『宮田くんが私のこと嫌いでも、私は宮田くんに笑ってほしいの。周太くんにも笑ってほしいの、私はそれだけ、』

なぜ、あんなこと言えるのだろう?
あんなに明るい瞳、あんなに真直ぐ澄んで自分を見た。
あんなふう自分も見つめられたなら、君は今も自分だけ見つめてくれたろうか?

※加筆校正中
(to be continued)
七機=警視庁第七機動隊・山岳救助レンジャー部隊の所属部隊

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第86話 花残 act.19 side story「陽はまた昇る」

2021-04-14 23:23:19 | 陽はまた昇るside story
唯ひとつの場所へ 
英二24歳4月


第86話 花残 act.19 side story「陽はまた昇る」

ざわめく花、風におう宵。

「あと40分ほどで閉園ですが、よろしいですか?」
「はい、」

頷いて微笑んで、チケットがちゃりゲートを通る。
踏みこんだ都会の森ざわめいて、桜そっと英二にふれた。

―懐かしいな、桜

額ふれる風に花が舞う、ほら懐かしい。
だって記憶が囁く、唯ひとつの声。

『きれい…』

髪なびいて梳かれて香る、あまい深い気配。
もう黄昏ふくんで湿る風、踏みこんだ森は薄暮にそまる。
やわらかな馥郁かすかな温もり、こんな空気は切ない、なつかしくて。

『おとうさんが眠っている枕元に、花びらおりて…泣いているおかあさんの肩にも、花が、』

花香る月の下、君は泣いた。
その理由はこの花園にある、もう近くなる日の去年が軋みだす。

『桜、今日、満開になったんだ…ね、英二?やっぱり今日だから咲いてくれたかな、』

去年あの日、桜が満開になる意味。
この意味に自分も君へ肯いた。

「…お父さんの亡くなった日だからだって、俺も思うよ?」

ほら記憶が唇なぞる、あの日が近くて。
あの日もこうして桜を歩いた、こんな夕暮より日が高い時間、君は制服姿だった。

『英二がそう言ってくれると、嬉しいな?』

黒目がちの瞳は微笑んで、その制帽ふわり風が攫った。
あの瞬間と同じ桜が舞う、けれど逢えるかなんてわからない。
それでも今日この街に君がいるのなら、今ここで逢えると思ってしまう、願って、ただ記憶の足跡たどらせる。

『…あまね、だったの?俺の名前、』
『出生届を出す直前になって、あのひとが『太』を付けたい、って言いだしたのよ、』

そう告げて君の母親は微笑んだ、この桜から待ち合わせた場所で。
君の父親が眠る墓前、君の名前の意味を教えてくれた。

『心の器が大きい人になるように。そんな意味を籠めてね、あのひとは『太』を付けてくれたの、』

あの意味を文字でも知っている、自分は。
君が知らないアルバムを見たから。

“ひろく晉くを歩む佳き人生を祈って”
“佳き馨のように周くを歓ばせる人生を祈って”

隠されていたアルバムの詞書、記された君の祖父と父親の命名由来。
その二つ「晉く・周く」どちらも「あまね」という意味は共通していた。

―だから馨さんは周太ってつけたんだ、一文字くわえて、50年の連鎖を超えることを祈って、

たどる想いに胸もと握りしめる、ワイシャツ透かして鍵ふれる。
輪郭ふれる右掌かすかに温かい、この合鍵が自分を今に連れてきた。

「…馨さん、50年の連鎖を終わらせましょう、」

唇ひそやかな声、かすかな風にとけていく。
やわらかな馥郁しずかに花が散る、進む小径に呼吸そっと呑んだ。

ーあの角の先だ、

あの角、常緑の梢おおらかな木下闇。
あの大木のもとベンチひとつ知っている。

君は、そこにいるだろうか?

「花を見せたいんだ…周太、」

ほら声になる、願って願って、唯ひとつ。
君だから願っていると告げたい、もし赦されるのなら。

…ざりっ、ざっ、

レザーソール道を踏む、都会の真中なのに土が底ふれる。
この道を馨も歩いたろう、そして今この時を君は歩いたろうか?

―逢いたいよ周太、俺はただ、

心裡もう軋みだす、ただ逢いたい。
あいたくて会いたくて、逢いたくて、それだけの願い鼓動を敲く。

―俺はただ隣にいたいんだ、だから、

敲く鼓動に想い奔る、右掌ふれる合鍵が熱い。
歩くレザーソールふれる土、かすかな風やわらかな香、薄暮しずかな梢が白い。
暮れてゆく空おおう花あわく光る、こんなに桜は光り香るものだったろうか?

とくん、かたっ、

ほら鼓動が敲く、レザーソール急きたてる。
昏い白い道もう誰もいない、それでも常緑の蔭へ道を曲がった。

「っ、」

呼吸ひとつ、あのベンチ。

「…、」

見つめる真中ベンチひとつ、薄暮やわらかに包んで沈む。
常緑樹の蔭もう昏い、それでもベンチ佇む輪郭が。

「…っ、」

声呑みこんで踏みだす、駆けだす。
レザーソール敲く鼓動にじんで桜が白い、やわらかな闇あわくなる。
まっすぐ見つめて駆けて翳かすかに薄れて、描かれた輪郭ふわり振りむいた。

「…えいじ?」

呼んでくれた、君の声だ。

※校正中
(to be continued)
七機=警視庁第七機動隊・山岳救助レンジャー部隊の所属部隊

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第86話 花残 act.18 side story「陽はまた昇る」

2021-03-02 22:01:00 | 陽はまた昇るside story
離れない衝動、 
英二24歳4月


第86話 花残 act.18 side story「陽はまた昇る」

人の記憶は、どのくらい保存が効くのだろう?

すこし冷たい花の風、傾く陽ざしビルに朱い。
まだ日は長くなくて、それでも一昨日の雪山が遠くなる。

―まだ奥多摩は雪あるだろうな、おとといの雪はまだ

ほら、もう雪山が恋しい。
今はコンクリート連なる視界、だからこそ思いだす。
銀嶺ながれる雪の世界、足もと埋める冷厳、それから一昨日の声。

『英二って叫んだんだよ周太くん、私じゃない、』

真直ぐな明るい瞳どこまでも澄んでいた、彼女の声そのままに。
だからこそ嫉妬する、あんなふう自分も君を見つめられたなら?

「どうして俺を…周太?」

ほら呼んでしまう、君のこと。
だから探している新宿の街角、懐かしい香そっと頬ふれる。
かすかな馥郁あまく深い、この香たどられるままレザーソール響く。

『私が手を握ってるのに、英二って叫んだんだよ周太くん…そういうのずっと見てるの私、つらいよ?』

レザーソールに記憶が響く、雪の記憶に声が透る。
桃色あざやかだった彼女の頬、ゆれる真白な吐息にソプラノ微笑んだ。

『だって叫ぶ気持ち私もわかるの、私も周太くんの背中に叫んだから…あの事件のとき新宿で…追いかけたかった私、』

あの事件、長野山中の雪に起きたこと。
あの日この新宿で君と彼女は共にいて、それでも君は駆け出した。
そんな君の背中どんなふうだったろう?君の背中に叫んだ想いは、どんなだろう?

『一緒にいたのに走って行っちゃったの、うんときれいな笑顔で…追いかけたかったの私、だから周太くんが叫んだのなんでか解る、』

おととい話してくれた声は真直ぐ澄んでいた。
肚なにもない実直な声、そのままに瞳まっすぐ明るく眩しかった。
だから気になってしまう。

―なぜ、あの女の進学に周太が条件だされるんだ?

なぜ?が多すぎる、こんなこと。
でも本当はずっと気づいていた、それが「普通」だから。
そして祝福されることだ、だから光一も知っていた、大学のこと彼女と周太のことも。

『御岳じゃチョットした騒動だよ?テレビ映っちまったなんて美代もドジだね、』

あのニュースは自分も見た、合格発表の掲示板に笑う二人。
笑って泣いて、取材に戸惑って、そして二人走りだした初々しい背中。
そんな映像に寄せる言葉は祝福だけだった。

『都会とは違うからねえ、美代も俺らと同じで二十四だろ?ここいらじゃイイカゲン嫁いけって齢なワケ、ソンナ齢からガッコ入ったらってコト、』

あの底抜けに明るい瞳は笑っていた、あのザイルパートナーらしい明朗な声。
その言葉たちは自分が知らない世界だった。

『名前で呼ぶ話だけさせて?私、この春から大学に行くの。そうしたら父が周太くんに条件だして』

彼女は言おうとしてくれた、けれど話しかけて途切れた言葉。
それは「事情」なのだろう、そんな推定にザイルパートナーは笑った。

『ソコラヘン本人から聴きなね?』

あの男も昨日、24歳の受験生になった。
そんな男の遠縁だという彼女と、君との間に何があるのだろう?

―もし結婚相手がいるなら事情は変わるから呼ばせてる?周太、

声なく問いかけて、歩くアスファルトに面影たどってしまう。
この街は君の記憶ばかり見える、だから今朝も叫んでしまった。

―スーツ姿で新宿になぜいたんだ周太?

それとも似ている誰かだろうか?けれど叫んでしまった。
きっと君だと鼓動が叫んだ、逢いたい。

『またちゃんと話すね、大学のことも…聴いてくれる?』

全て君は話してくれるだろうか、こんな自分にも。
ただ信じたくて逢いたくて歩いてしまう、約束もないのに。
本当は約束なんてなにも出来ない自分、それでも唯一つ理由に君に逢いたい。

―北岳草のこと憶えてる?周太

世界で唯一つの場所、わずかな期間だけ咲く花。
それを君に見せたいのは多分、似ているからだ。

『僕もう自分で歩けるよ、』

おととい君が言ったこと、それが事実だ。
雪の森から下りる道、怪我まだ治りきらない君を背負った。
あの温もりまだ背を滲む、憶えている肌の記憶がこの足を止めさせない。

それでも本当は解っている、君はもう自分で歩ける。

「だから見せたいんだよ…周太、」

唇こぼれて風が香る、もう近い。
横断歩道も青いまま歩いて、樹々ざわめく門に立った。

ほら桜かすめる頬、君を探して。

※校正中
(to be continued)
七機=警視庁第七機動隊・山岳救助レンジャー部隊の所属部隊

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第86話 花残 act.17 side story「陽はまた昇る」

2021-01-06 23:03:03 | 陽はまた昇るside story
足跡の先へ、 
英二24歳4月


第86話 花残 act.17 side story「陽はまた昇る」

かすかに甘い、深い香は知っている。

「お?」

見あげた香に空が青い、けれど狭い。
コンクリート連なるガラスの反射、タイヤの音たち喧噪の声。
歩いてゆく雑踏えぐい埃っぽい匂い、それでも懐かしい香に英二は足を止めた。

―なつかしいな、

立ち止まった道、ショーウィンドウの店名は懐かしい。
もうどれくらい来ていないだろう?ただ懐かしさに扉をくぐった。

「いらっしゃいませ、あら?」

ダークブラウン落ち着いた店、カウンターの女性が顔上げる。
何か月ぶりだろう?記憶にある面差しに笑いかけた。

「こんにちは、見せてもらいますね、」
「お久しぶりですね、ゆっくりご覧になってください。春の新作も出ていますよ?」

カウンターのニット畳んで、ベスト姿が微笑んでくれる。
きちんと距離を保ってくれる、そんな店員に会釈して階段を上がった。

とん、とん、とん、

レザーソールやわらかに絨毯を敲く。
この靴も感触も日常と違う、今は登山靴が「あたりまえ」だから。
こんな自分になるなんて2年前の今、すこしも思ってはいなかった。
だからこそ今、この階段に記憶の声が響きだす。

『…慣れてないから、』

ぼそり、ぶっきらぼうだった君の声。
あんな話し方も「鎧」だったのだと今は解る、それだけ想い続けた涯だから。

―俺も未練だな、こんなに周太のこと、

とん、とん、たどる階段に追いかけている。
だって一年前は君と歩いていた、この一段一段どれだけ弾んだろう?

『悪いよ…こんなに買ってもらうなんて』

声がよみがえる、眼差し見えてしまう。
黒目がちの瞳ゆるやかに瞬いた、耳もと薄紅そめる声。
どうしても恥ずかしがりやで遠慮がち、そんな君を幸せにしたかった。

「…周太、」

唇こぼれて呼んでしまう、今いないのに?
今もう隣にいない、もう逢えないのかもしれない。
それでも声あふれた名前は温かい、唯一つだけの自分の温もり。

―周太のことばかり考えてるな、俺…朝のせいかな?

今朝、新宿駅で君を見た。
道はるか向こう、ダークスーツ着た横顔は君だった。
追いかけて呼びかけて、けれど振り向かなかった横顔の君。

『しゅうたっ!』

ただ似ている人かもしれない?
けれど君だと叫んでしまったのは、この自分の心。

「は…、」

吐息ひとつ、階段さいご辿りつく。
落ち着いたダークブラウン静かな空間、ならんだマフラーの色に留まった。

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第86話 花残act.16← →第86話 花残act.18
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第86話 花残 act.16 side story「陽はまた昇る」

2020-12-10 00:09:00 | 陽はまた昇るside story
風の行方に、 
英二24歳4月


第86話 花残 act.16 side story「陽はまた昇る」

書架つらなる香、かすかに渋く甘く懐かしい。
この空気どこか、君の家。

「いらっしゃいませ、」

書店員にこやかな声に会釈ほほ笑んで、薄化粧の瞳かすかに羞む。
こんな視線も前は愉しんでいた、そんな過去に英二はエスカレーター進んだ。

―ちやほやされるゲームだったな、2年前の俺にとって、

心裡ひとりごと、まだ近い過去に懐かしい。
全てが「ゲーム」ただ遊んだ、いつも誰も通りすがりだった。

”きれいな人形。虚栄心を満たす道具、都合よく使える便利な存在、”

それが自分、そんなふう見られていれば楽だと思いこんだ。
だって本音で生きることは自分には難しかった、直情的すぎて、率直にしか言えない自分だから。

“そんなの、どうでもいいよ?”

どうでもいい、そんな言葉ひとつ拒絶される。
いつも人は自分の外見だけで近づいて、そしてギャップに失望させる。
こんな自分を誰も受けとめない、その孤独が苦しくて、だから仮面をつくった。

―ずっと要領よく生きようって思ってたな、俺はそれで良いって、

ことん、ことん、昇るエスカレーターに時がたどる。
こんなふう書店に通う自分で、けれど「要領よく」周りには見せなかった。

―あの大学で読書好きなんて言えなかったな、小難しいヤツってめんどくさがられそうでさ?

ただ綺麗、それ相応に優しくてお洒落で、なんでも都合よく合わせてくれる男。
難しいことなんか言わない、ただ楽しいことしか言わない、気楽で、ただ綺麗な男。
そんなふうにしていれば誰かにいつも囲まれて、ただ何も考えず、ただ愉しめばよかった。
けれど底にあるのは「全てが他人事だから関係ない」そんな無感覚の無責任で、気づいたときには冷酷な自分がいた。

―俺には勉強するための場所じゃなかったな、ただ嫌なヤツになっただけ…司法試験は受かっても、

嫌なヤツになった、でも割り切ってしまえば楽だった。
だって何も感じなければ良い、無感覚なら痛みも無い、それも当り前だと今なら解る。
だって母に「強制」された大学だった、そして「きれいな人形」であることを望んだのも母だ。

『人に迷惑さえ掛けなければ良いの、』

そんなふう母はよく言った。
それは息子を否定しない言葉に見えて、けれど本当は違う。

「…母さんが“正しい”基準なんだもんな?」

ひとりごと零れた唇ほろ苦い、あの母の「基準」どれだけ自分を歪めたろう?
そんなふうに思ってしまうほど「迷惑さえ」の意味は強制的で「きれいな人形」でしかなかった。
そうじゃなかったらなぜ、どうして、自分の意志は無視されて、あの大学へ内部進学が決まってしまったのだろう?

―お祖父さんが亡くなってから余計に酷くなったんだよな、母さんの人形計画はさ?

父方の祖父はいつも、母の自己中心的な考えを諫めてくれた。
だから祖父と同じ道を選びたくて同じ大学を選んで、けれど高校2年の冬に祖父は亡くなった。

―もし、お祖父さんが生きていたら京大に行けたろうな。実家から離れて、自由で、

本当は祖父と父の母校に進みたかった、けれど母に受験自体を潰された。
そんな扱いは「子ども」じゃない、ただ「きれいな人形」道具でしかない、そして自分は仮面をつくった。

―でも本屋だけは来てたんだよな、ひとりでいつも、

ことん、エスカレーター降りて本が香る。
かすかな渋い甘い懐かしい匂い、この空気にひとり素のまま寛いだ。
それ以外はただ「きれいな人形」だった自分、そしてまだ「山」を知らなかった自分。

けれど君に出逢った。

『気が済むまで、ここに居ていいから…いいから、泣けよ、』

騙されて裏切られた、その痛みごと抱きしめてくれた。
自分より小さな体で、けれど深く温かだった君のふところ。

―オレンジの匂いがしたな…本の匂いと、

あまい爽やかな香、あれは「はちみつオレンジのど飴」いつも君が含んでいた。
それから懐かしい温かな香、かすかな本の匂い、たぶんきっと君の家の書斎の香。

―昨日付で警察を辞めたんだよな、周太…いまごろ書斎にいる?

ほら君をたどりだす、思いだす、想いだす。
この書店の香に君が映る、クセっ毛やわらかな黒髪と真摯な眼ざし。
あの黒目がちの瞳に本が映る、まっすぐ澄んで逸らさない君の視線。

「…あいたいな、」

唇こぼれる、逢いたい。

『無言でいても居心地の良い、そういう相手なんだ、』

ほら記憶たどりだす、あの朝、母に告げた言葉。
あの夜に君へ想いを告げた、その翌朝に自分が意志こめた聲。

『あいつの笑顔のために何かしたい、生きていてよかったと思えたんだ、』

母に敲かれた頬のまま、自分は笑って言った。
あんなふうに本音を母へ告げたのは、初めてだった。

『初めて、誰かのために、何かしたいと、出来るかもしれないって思えたんだ、』

初めてだった、あの想いは。
誰にも何にも強制されたんじゃない、ただ自分の底から迸った。
この鼓動ふくらんで熱はらんで、響いて、奔りだす願い迷わなかった。

「お客様?どうされましたか、」

かけられた声に振りむいて、制服のエプロン姿が自分を見あげる。
まだ30歳くらい、けれど肩書ある名札した女性に尋ねた。

「いえ、なんでしょうか?」

なぜ声かけられたのだろう?
不思議で見つめた真中、書店員はまとめ髪すこし傾げた。

「あの、泣いてらっしゃるので…おかげんお悪いのかと、」

困ったような戸惑うような眼で教えてくれる。
その言葉に目元ふれて、指さき一滴に微笑んだ。

「コンタクトがずれたんです、ご心配かけてすみません、」

嘘だ、コンタクトレンズなどしていない。
それでも綺麗に笑いかけた先、彼女は一息ほっと微笑んだ。

「そうでしたか、よろしかったらお手洗いでコンタクト洗われてくださいね?あちらの角の向こうです、」
「ありがとうございます、」

礼と笑いかけて、書店員も微笑んで踵を返す。
遠ざかる足音に背を向けて、また見つめた書架へ手を伸ばした。

※校正中
(to be continued)
七機=警視庁第七機動隊・山岳救助レンジャー部隊の所属部隊

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斗貴子の手紙
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第86話 花残 act.15 side story「陽はまた昇る」

2020-07-28 23:55:09 | 陽はまた昇るside story
約束の場所へ、
英二24歳3月末


第86話 花残 act.15 side story「陽はまた昇る」

届かない、

「周太っ!」

叫んだのは自分の声、呼んだ名前は君へ。
けれど横顔ふりむかないで、そのまま消えた。



戻って、最初に見た門どこか懐かしい。
ただ「学校」という共通点だろうか?

「問い合わせ先は受験要綱のこちらです、また見学いつでもどうぞ?」
「ありがとうございます、」

きれいに笑いかけた先、職員も笑ってくれる。
まだ30歳くらいだろうか?髪ひとつに束ねた彼女は微笑んだ。

「お仕事との両立は大変でしょうけど、受験がんばってください。お待ちしています、」

たしかに「大変」だろうな?
そんな現実と微笑んで、英二は専門学校の門を出た。

「11時半過ぎか、」

仰いだ太陽の角度つぶやいて、左腕に眼を落とす。
手首の文字盤は11:33、時間感覚に微笑んで封筒を抱え直した。

―予定より時間かかったな、

歩きだした道は人が流れる、飲食店へ入ってゆく。
ちょうど昼時、あの職員には休憩時間すこし削らせてしまった。
それでも楽しげだった女性の顔はある意味よく知っていて、そんな過去が街角に遠い。

―ああいうの面白かったな、2年前の俺なら、

女性から好意を示される、注目され、褒められ、持て囃される。
そんな日常すこし昔まで楽しんで、当然で、けれど今は面影ひとつ探している。

―外泊日はいつも一緒だったな、土曜の午前と、日曜の午後はこの街で、

新宿、この駅がおたがい実家に帰る分岐点だった。
だから警察学校の外泊日は新宿駅まで一緒に帰る、そして翌日は待ち合せた。
それが当たり前のようになった最初は、あの道の向こうにあるラーメン屋だ。

―あの暖簾、なつかしいな、

温かな空気ゆらぐ、そう感じさせる暖簾はためく。
すこし前に出したばかりだろう、そんな時刻に君の声が懐かしい。

『…らーめん、』

ぼそり、そんな口調だった2年前。
まだ2年、それでも全て変わってしまった。
あのころ自分はただ家から離れたくて、だから全寮制の警察学校を選んだ。
そうして君に出逢って今、こんなところに立っている。

ことん、

レザーソール鳴って歩きだす、暖簾の先を期待する。
あの布一枚くぐった向こう、君がいたら?

―さっきのスーツ姿は周太だった、新宿にいるなら今もしかしたら、

この店がいちばん好きだと君は言った、だから期待する。
だって見間違えるなんてない、君のこと。
それでも、いないかもしれない?

期待と不安と、ただ暖簾くぐる。

「へいっ、いらっしゃーい、」

低い渋い、けれど明るい声かけられる。
その声が顔こちら向けて、にっこり笑ってくれた。

「おっ、ひさしぶりだねえ、兄さん?今日は一人かい、」

温かい声、でも言葉は無情に響く。
期待ひそやかに消しながら英二は穏やかに笑った。

「おひさしぶりです、」
「本当にひさしぶりだねえ、さあさあ座ってくれ、」

温かな声が笑って、いつものカウンターにおしぼり置いてくれる。
けれど並んで座る人はいない、ただ微笑んで席に座った。

「今日は何にしますかい?」

訊いてくれる声の向こう、出汁と胡麻油が香りたつ。
ひさしぶりの匂いだな?ふわり寛いだ腹から笑いかけた。

「チャーシュー麺の大盛と五目丼ください、」
「いつものだねえ、ちょいとお待ちくださいよ、」

気さくな笑顔くしゃくしゃ笑って、厨房むこう踵を返す。
後姿が引きずる左脚に、ワイシャツの胸もと触れた。
指先ふれて硬い、ちいさな合鍵の輪郭。

―このひとは馨さんの殺人犯にされたままなんだ…発砲だけでも罪だとしても、冤罪の被害者だ、

15年前、この店の主は警察官に銃口を向けた。
そのまま殺人犯として裁かれ、服役し、それでも今ここで温かに人を迎えている。
けれど馨を殺害したのは彼じゃない。

―警官が警官を殺したんだ、警察が罪を公表するわけない、けれど、

馨を殺害したのは狙撃手、馨のパートナーを務めていた男。
そうして馨の息子まで追いつめて、けれど今もう警察を去る。

―あの岩田も裁かれる、でも本当の主犯は…観碕は裁かれないままだ、

観碕征治、あの男が馨を、その父親と祖父も殺害した。
自ら手を汚していない、けれど殺害は観碕の意志。

―馨さんも解ってはいたんだ、でも殉職を選んだのは、

なぜ馨が「殉職」という自殺を選んだのか?
その選択の傷つづられた日記が心に映る。
……
なぜ、命を生かす為に命を殺さなくてはいけないのか?

他に方法は無いのか?
罪を罪で制することしか出来ないのだろうか?
それならば、この世から罪が消えることなどできない、だからこそ私の罪は裁かれるべきだ。
父、祖父、そして曾祖父。この家に連綿と続く人殺しの遺伝子、そして殺せば殺される運命、それも拳銃で狙撃されて。
父が、私が射撃を始めたことを止めてくれた、あの時に父の言葉に従っていたのなら、この罪の連鎖は消えていた。

この愚かな私こそが裁かれるべきだろう。だから、いつか私は拳銃に殺されて命を終える。
もう私の代で終わらせなくてはいけない、この殺人を殺人で止めていく哀しい運命の歯車は。
だから密やかに願う、この私が裁きを受ける瞬間は、誰かの尊厳を守るために射殺され、すこしでもこの罪の贖罪が叶うことを。

与えられた『任務』に惑わされ堕ちていく、今の自分は『化物』と変わらない。
こんな今の自分には、美しい英文学の心を伝える資格があるのだろうか?きっと、無いだろう。
この罪に穢れた掌は、あの美しい言葉の記された本を開くには、相応しくないのだから。

私はただの幽霊、虚しい夢の残骸に過ぎない。
殺し殺されていく罪の連鎖の虜囚、これが私の現実。
けれど、この罪の贖罪が少しでも叶うなら、この忌まわしい運命への抗いになるだろうか?

そして私の英文学者の夢は、美しい幻想のままに掴めない。それが20年の答え。
……
裁かれない「銃殺」の罪、そのままに馨は自身を裁くことで運命に抗おうとした。
それでも家族に「自裁の自殺」と知られないため、馨は狙撃される殉職を選んだ。
だから14年前の春の夜あの瞬間、馨には待ち望んだ瞬間だった。

―だから馨さんは銃口を向けられた瞬間、笑ったんだ…その笑顔に今も、このひとは自分を責めながら厨房に立ってる、

馨の自殺、その瀬戸際に立ち会った男は温かな食事を生業にする。
食べることは「生きる」ことだから。

『あの警察官はね、本当は俺を先に撃てたんです、けれど撃たなかった…警察官の目が一瞬だけ合いました。彼の目は、生きて償ってほしい、そう言っていると感じました…あのひとの目を、俺は一生忘れられません』

馨を殺害した男が教えてくれた、馨の最期の瞳。
だから今この目の前で男は厨房に立ち、その背中ふり向いて笑った。

「さあ、できましたよ?いっぱい食べてくださいねえ、」

丼ふたつ、ごとりカウンターに置いてくれる。
湯気くゆらす温もり芳ばしい、その大盛に英二は笑った。

「ありがとうございます、本当にいっぱいですね?」
「そりゃいっぱいにしますよ、ウンと食ってさ、元気いっぱいでいてもらわなくちゃあねえ、」

皺きざんだ笑顔くしゃり明るい、ほころんだ眼ほがらかに笑ってくれる。
こんなふうに今このひとは生きている、馨が遺してくれた温もりに英二は微笑んだ。

「はい、元気でいます。いただきます、」

食べることは生きること、そんな現実に胸もとの合鍵ひとつ温かい。
だから今、君に逢いたい。

※校正中
(to be continued)
七機=警視庁第七機動隊・山岳救助レンジャー部隊の所属部隊

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第86話 花残 act.14 side story「陽はまた昇る」

2020-07-07 21:06:00 | 陽はまた昇るside story
君、追いたくて、
英二24歳3月末


第86話 花残 act.14 side story「陽はまた昇る」

いつ、どこで逢えるだろう?

「宮田、もう出掛けるのか?」

低い声にふりむいて、トレーニングウェア姿と視線が合う。
少し笑っているような先輩に英二は微笑んだ。

「はい、」
「非番なのに忙しいな、学校は新宿だったな?」

尋ねながら長身が歩み寄って来る。
その生真面目なシャープな眼に笑いかけた。

「新宿駅の近くです、黒木さんも行きますか?保護者同伴も歓迎だそうですよ、」

この人も今日は非番、それにある意味「保護者」だ?
そんな冗談半分に上司は苦笑いした。

「宮田の保護者って怖い役だな、俺が保護してほしいくらいだ、」
「何からの保護ですか?」
「うーん?いろいろあるだろ、」

話ながら歩く廊下、窓の外は点呼の声が響く。
この半年で慣れた空気に微笑んだ。

「いろいろは、昇任試験ですか?」

この上司の「いろいろ」は今、これだろう?
問いかけに先輩は溜息ついた。

「ぁあ…付きものだと解っちゃいるんだがな、俺は正直あまり座学は得意じゃない、」

溜息にすこし驚かされる、この男でも弱気になるんだ?
そんな苦笑いの口元たゆたう横顔に、どんな言葉をかければいいだろう?

―なんて悩んだりしなかったよな、前の俺だったらさ?

心裡に自分でも可笑しい、こんな自分だったろうか?
つい可笑しくて笑った隣、生真面目が舌打ちした。

「なに笑ってんだよ宮田、勉強好きなヤツの嫌味か?」
「いえ、俺自身の問題です、」

どういう意味だよ?そんな眼で先輩が苦笑いしてくれる。
その視線ふっと細め笑った。

「だが宮田、試験よりガッコの方がエライかもしれんぞ?」
「えらい?どうしてですか?」

すこし気になる言葉だな?
訊き返しながらジャケットの腕を撫でた隣、先輩が言った。

「専門学校も大変だろうがな、昇任研修はガッコウの寮生活だぞ?ノンキャリアが宮田の年齢で警部補は珍しがられる分、疲れるかもしれん、」

苦笑い、そんなトーンに肩かるく敲かれる。
なるほど「えらい」は疲れるの意味らしい?納得しながら微笑んだ。

「珍しがられるより、山に関われないほうが俺は辛いですよ?」

研修期間、山のトレーニングは出来るのだろうか?
不安すこし首傾げた英二をシャープな眼が眺めて笑った。

「そういうセリフは宮田らしいけどな、こういうカッコほんと似合うな?」

ワイシャツにスラックス、革靴、ジャケット。
ごく普通のコーディネート、けれど今この場所では「珍しい」かもしれない?
けれど自分なり考えた姿で微笑んだ。

「警察官の名前で入学予定ですから、見学でもカジュアル過ぎない方が良いかと思いました、」

警視庁の警察官として、専門学校に入学する。
そのために行くなら服装も気をつける方が良い、そんな判断に上司は肯いた。

「なるほどな。堅苦しすぎるても警戒させるから、ネクタイは無しか?」
「はい、敷居が高い印象も良くないかと、」

自分なり判断を述べながら今日のトレースを脳に描く。
行先は「敷居が高い」とダメだろう?その予定に先輩が言った。

「宮田は何着ても目立つしな、専門学校でも騒がれそうだ。買物も行くんだったな?」
「はい、本屋に寄ります、」
「ほんと勉強好きだな、気をつけて行ってこいよ?」

シャープな眼が笑って手を挙げてくれる。
大きな手だな?あらためての感想に先輩はちょっと笑った。

「マジメもいいが息詰まらせるなよ、たまにはデートでもしてこいよ?」

この男も、こんなこと言うんだな?
意外でつい笑ってしまった。

「言うからには黒木さん、たまにはデートしてるんですか?」

この堅物男がデートする?
ありそうにもない想像と親しみの真中、シャープな眼もと微かに笑んだ。

「まあ…気をつけて行ってこい、」

意外な反応だ?



新宿駅の改札ぬけて、なつかしい。
流れる雑踏にレザーソール踏んで、角には花屋。
あの花屋で初めて花束をつくった、あの初めては君のためだ。

『…ありがとう…英二、』

呼ばれた名前は、優しかった。
あの声に逢いたい、でも、いまさらだろうか?

―奥多摩まで追いかけてくれた周太は…でも俺はまだ迷っている、

雪ふる山まで君は来た、この自分を捕まえてくれた。
ほんとうは嬉しくて嬉しくて、けれど抱きしめられない。

“愛しているなら、彼の自由も愛せる”

一昨日、海辺で聴いた祖母の声。
あの言葉は本当だろうか、一昨日あの雪山に何度も考えた言葉。
この言葉を答えとける時など来るのだろうか、こんな自分でも?

―俺は周太を本当に大切にできるのかな…周太の自由を、

天使みたい、だと言われたことがある。
あの言葉そのまま「優しい人間」だと君は信じてくれていた、でも今はどうだろう?

『またちゃんと話すね、…聴いてくれる?』

雪の森この背中で君が言った、あの言葉は嘘じゃない。
だから君は「ちゃんと話す」だろう、この自分に聴かせてくれる。
その瞬間、君の瞳は君をどんなふうに映すだろう?

―今はもう前のままじゃない…周太のなかの俺は、

今朝、自分が隣室の同僚にやったこと。
たいしたことじゃない、でも「優しい人間」がすることじゃないだろう?

―服装で決めるのもどうかと思うけどな、って俺の言訳かな?

心裡ひとり呟きながら、雑踏アスファルトを踏んでゆく。
賑わう人混み、埃が匂う緩い風、この空気があたりまえだった。
その感覚もう今は遠くて、それくらい自分は山に生きていたい。
そのくせ今この服装ごと街並になじんで、だから新しい隣人も自分も苛立つ?

―でも生まれは変えられない、佐伯の芦峅寺も、俺が世田谷なのも、

芦峅寺出身、それは自分にとって憧れ。
けれど憧れから来た男は自分を嫌っている、その感情を理解できてしまう。
だって今この自分もこの都心の雑踏、こんなふうに遠く傍観しながら歩いている。

―奥多摩に生きたからだ、俺も、

たった1年間、それが青梅警察署で過ごした時間。
たった1年だ、それでも遭難事故と自殺者どれだけ自分は見てきたろう?

―今すれ違う人かもしれない、奥多摩で…死ぬかもしれないんだ、

新宿、その先の東京からも、電車ひとつで繋がる場所。
ふらり電車に乗れば行きついてしまう、それが奥多摩の現実を生んでいく。
こうして歩く雑踏のなか疲れきったまま乗りこんで、降りたホームすぐの登山口へ呑まれてしまう。
または雑踏の街と同じまま山へ入りこんで、迷い、凍え、方角も時間も解らずに体ごと命を落とす。

―俺だって警察学校に入るまでは同じだった、でも佐伯は、生まれた時から山で生きている…光一と同じように、

佐伯啓次郎、あの男は自分のザイルパートナーとある意味で同類。
だからこそ佐伯も自分を嫌うのだろう、あの「山っ子」のザイル繋がりたいと願うから。

―俺が佐伯だったら許せないだろな、あのザイルを知ったらなおさら、

ほら、納得してしまう。
それだけ山っ子のザイルは惹きつけられる、あの底抜けに明るい眼と笑いたい。
どれだけ厳しい山にも真直ぐ立っている、あの背中に、駆けぬける爽快に、どうか共に立ちたい。
あの感覚を感情を、もし佐伯が知ったなら、この自分をなおさら許せないだろう?

―でも光一は警察を辞めたんだ、佐伯とザイルを組む可能性はあまりない、か、

レザーソール鳴る足もと、思考に街が流れる。
流れこむ街角、街路樹、ひとつの店が記憶そっと敲きだす。

―時計を買った店だ、周太と一緒に、

最初のクライマーウォッチは、あの店。
山岳救助隊を目指す、そう決めてクライマーウォッチを買いに来た。
まだ警察学校にいた週末、外泊日どうしても一緒に「最初」をしてほしかった。

記憶の君にふれてゆく。
排気ガスくすんだ苦い、ぬるい風かすかに頬ふれる。
3月末の雑踏はアスファルト冷たい、そのくせ生ぬるい風に一点、色が見えた。

「っ、」

薄紅やわらかな頬、ちいさな横顔。

「…周太?」

くせっ毛やわらかな黒い髪、ダークスーツくるむ肩。
それから真直ぐ先を見つめる、あの黒目がちの瞳。

「っ…しゅうたっ!」

声になる、ずっと呼びたかった名前。
走りだすレザーソールの足、雑踏すべて音が消える。

あの横顔、ただ花びらひとつ、春。

※校正中
(to be continued)
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第86話 花残 act.13 side story「陽はまた昇る」

2020-06-08 23:13:00 | 陽はまた昇るside story
ある朝から、
英二24歳3月末


第86話 花残 act.13 side story「陽はまた昇る」

水かぶる習慣ついたのは、君のため。

「っは…」

呼吸ひとつ飛沫かすめる、額あげて髪が滴る。
かきあげる指きらきら冷たい、頬つたう肩はじく、目覚める。

「…ふ、」

息吐いて見ひらいて、光いくつも瞳孔を敲く。
無数の水滴くるむ視界ほほえんで、英二は蛇口を閉じた。

―すっきりしたな、酒も、頭も、

つたう雫に醒めた頬、かるく振って天井あおぐ。
寮の浴室ひろい蛍光灯の壁、夕闇の壁が映りこむ。

『佐伯くんは山ヤのサラブレッドだよ、だからこそ許せないのかな?尊敬と軽蔑は紙一重だし、』

あの壁で「ザイルが」たわんだ、その理由。
あの理由は軽くない、それを告げた声も軽い男ではないだろう?

―浦部を好きになったわけじゃない、でも信頼はできるか…

思案めぐらす扉ひらいて、脱衣場に肌を拭う。
タオル擦るごと言葉ひとつ、記憶ひとつ、描かれていく。

『僕に営業しても無意味だ、そんなやつザイルの信頼できないだろ?』

奥多摩の雪嶺、遭難現場で告げられた言葉、視線。
あの眼が昨夕も自分を見た、訓練場の壁ふきぬける夕闇、まっすぐな瞳ただ静かだった。

『宮田さん、このあいだの続きしよう?』

まっすぐな瞳は酒席でも同じだった。
静かに逸らさない視線、哂うような笑っているような眼。
初対面の夜も同じだった、雪焼さわやかな明朗な笑顔で、けれど静かな眼。

―笑っても底が見えない眼なんだよな…光一だけには違ってたけど?

佐伯啓次郎、あの静かな眼が唯一ほころぶ相手。
そのザイルパートナが自分だった現実に「許せない」のだろうか?

『崇拝までイッたのは、あの大会のあの言葉らしいよ。その前から佐伯くんは憧れてたから尚更だろうな、』

佐伯が憧れた男、その男がザイルを組んだのは自分。
そして退職させてしまったのも自分だ。

「…恨まれてあたりまえ、だろうけど?」

ひとりごと微笑んで、シャツのボタン留める。
締めるベルトなめらかなコードバンの光沢、つい笑った。

『宮田くんは東京だなあって感じだよ、それが佐伯くんをイラつかせるのかもな、』

こんなシャツ、こんなベルト、きっと「イラつかせる」だろう?
予想つい笑いながら自覚する、自分も大概に大人げない。

ー我ながら東京って感じだよな?

ふりむいた鏡、紫あわいシャツに白皙が映える。
濡れた髪はダークブラウン深い、髪色にベルトが映える。
脚のびやかなスラックスはネイビーブルー落着く、どれもが「安くない」だけ大人げない。

『ああいう意見は都会出身のエリートに多いんだ、だから佐伯くんは宮田くんもあっち側と思ってる』

先輩の指摘は多分、正解だろう?
そして自分の本性だと自覚している、だから誤魔化すよりも。

「これが俺だな?」

鏡に微笑んで髪かきあげて、衿元に革紐たぐる。
黒い紐さき結わえた金属、ひとつの鍵に微笑んだ。

「こんな俺でも…かえられるか?」

鍵ひとつ、にぶく光が燈る。
あの家の扉をひらく鍵、そして秘密も開いた。
それから過去を。

『友人になってくれたらと思ったのは事実だ、あんな孤独は哀しすぎる、』

昨日、ひとりの警察幹部が言ったこと。
警察官ではなく、ひとりの男の言葉だった。

―蒔田さんは馨さんのことを本気で哀しんでいる、周太のことも、

友人になってくれたら、それは蒔田の真心の願いだろう。
けれど「自分」を選んだことは、それだけが意図だろうか?

『鷲田君が警視庁を受験したとき、宮田次長検事のお孫さんだと話題になったよ。司法試験を首席合格している君が何故だろうとね?』

昨日、蒔田は「鷲田君」と自分を呼んだ。
まだ公にしていない姓、その意味を知った今この自分に何を願う?

―普通に考えたら検察とのパイプだ、それを蒔田さんが利用したい理由は…何だ?

めぐらす考えに鍵あわく光る。
この鍵めぐる過去と今と、この先は何があるのだろう?

がたん、

めぐる考えと扉を開けて、まだ廊下ほの暗い。
けれど間もなく明けるだろう?時間感覚きざみゆく無音の回廊、ガラス窓の夜が明ける。



デスクライト照らすページ、朱色あざやかに染めていく。
朝陽やわらかなテキストの隅、ペン先こつり顔を上げた。

―6時半か、

夜明から1時間、3月終わりの今ならそれくらい。
時間感覚と見た左手首、文字盤の針にテキストを閉じた。

たん、

軽い紙音に閉じられたページ、表紙いくらか古ぼけた。
もう何度このページ繰ったろう?
重ねた時間に微笑んで、英二は立ちあがった。

「晴れかな、」

ひとりごと寮室の窓、太陽がガラスを透る。
雨の心配はないだろう、予想と空を仰いだ。

「っん…」

腕つきあげ伸びをする、背骨から肩甲骨ひろがらす。
絡めた指先しなやかに伸びて、けれど小指ひとつ感覚がない。

―右の小指だけ変だ…あれからずっと、

右手左手、左右の小指からめている。
けれど右だけ触れる感覚がない、長野の現場から後は。

―普段は気にならない、でも山では…冷えたら動きづらいかもしれない、

小指の感覚ひとつ、日常生活で困ることは少ない。
それでもクライミングには影響がある。

―やっぱり吉村先生に診てもらうか、

腕ゆっくり伸ばしながら指ひとつ、ひとつ確かめていく。
肺ひろやかに息吐いた背、かすかな気配に口もと笑った。

『都会のぼっちゃんが、ファッション登山でカッコつけに来たかあってさ、』

昨夜の声は、発言者だけの感情じゃない。
その気配が壁むこう動いて、英二は踵返して扉ひらいた。

かたん、

同時ほら?隣の扉も開く。
そして現れたジャージ姿に英二は微笑んだ。

「おはようございます。佐伯さん、二日酔いですか?」

笑いかけた先、見返してくる眼すこし赤い。
昨夜の酔い微かに残っている、そんな眼が瞠かれてすぐ顰めた。

「おはようございます」

抑揚ない言葉どこも「愛想」かけらもない。
そのまま隣の扉がたん閉まって、予想どおりな反応に口もと笑った。

こんな自分でも君、笑ってくれるだろうか?

※校正中
(to be continued)
七機=警視庁第七機動隊・山岳救助レンジャー部隊の所属部隊

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第86話 花残 act.12side story「陽はまた昇る」

2020-03-19 21:38:00 | 陽はまた昇るside story
現場と感情のはざま、
英二24歳3月末


第86話 花残 act.12side story「陽はまた昇る」

自分=東京、それが佐伯をイラつかせる。

―へえ…俺が東京って感じだから佐伯をイラつかせる、か?

今、言われた言葉たどらせて、雲ゆるく月を解く。
藍色の底は街の灯はらんで昏い、そんな夜に英二は笑った。

「浦部さん、警視庁は東京の警察ですよね?」

警視庁第七機動隊、そこにいながら「東京」が「イラつかせる」原因になる。
その感情はありきたりかもしれない、けれどある意味かなり皮肉だ?

―俺は場違いだって言いたいんだろうけど、ある意味で卑下だろ?あいつ、

警視庁第七機動隊、そこに自分たち山岳レンジャーは所属する。
この現実と言われた言葉の相克に先輩が口ひらいた。

「宮田くんさ、警視庁拳銃射撃競技大会での国村さんのこと、知ってるだろ?」

懐かしいこと言われたな?
まだ数か月前、それでも遠い時間に微笑んだ。

「あのとき、俺も会場にいました、」
「そうだったんだ、あのとき湯原くんも出てたよな、」

切長い眼なつかしそうに細めてくれる、その眼差しが夜闇にほの明るい。
けれど名前に肚ちょっと妬けて、唇さらり笑った。

「浦部さんは湯原のこと、よく構ってくれますよね?」

ほんと構うよな、悪気ないんだろうけれど?
そんな心裡すこし見せた隣、あわい月光に青年が笑った。

「弟みたいに可愛いってあるだろ?あの感じだよ、」

くったくないトーンが闇を明るむ。
裏などない、そう解るけれど嫉妬かすかに微笑んだ。

「浦部さんは兄さんって感じですね、」

だから周太も浦部と親しんだのだろう。
ひとりっ子の周太は兄弟に憧れもある、それが解るから責められなかった。

「それ、よく言われるよ。宮田くんは兄弟は?」
「姉が一人います、」

答える先、笑い返してくる眼は朗らかに明るい。
この明るさは家庭環境から肚底まで「いいやつ」だと納得させられる。
だからこそ自分は肚立つのだろうか?そっと溜息ついた隣、穏やかな声が言った。

「あの大会、湯原くんと国村さんが揃って優勝したけどさ。あの開会式で国村さんが言った言葉、宮田くんはどう思った?」

問いかけに、あの瞬間あざやかに立つ。

『山岳救助隊員にとって隊服こそ制服であり活動服だからです。』

あざやかなオレンジとカーキ色の山岳救助隊服、あの背中が言い放った声。
あの背中ただ眩しくて、今、なおさら眩しい想い唇が動いた。

「…山岳救助隊服は正式な制服として認められないのでしょうか?山岳地域の警察官と山岳警察の任務を、警視庁では『正式』と認めていないですか、」

記憶つづけて言葉なぞる唇、夜の空気かすめてゆく。
月ひるがえす風かすかな甘い、ほろ苦い冷たさに先輩が微笑んだ。

「そう、その言葉だよ。隊服で大会に出たことを咎められて、国村さんは言ったんだろ?」

問いかけが記憶たどらせる、硝煙の匂いたつ。
薄青い煙くゆらす会場、あの場所に隠される扉は今も弾痕あざやかだろうか?

「かっこよかったですよ?」

応え笑いかけて時間が蘇る、想いが感情が鼓動を灼く。
なぜ光一が隊服で出場したのか?
あの弾痕を刻んだのか?

“人間の尊厳を守るため命を懸け任務に就く、これは全ての警察官に同じ誇りです。その誇りに私も任務に就いています”

高らかに響いた声、あのとき光一はどんな貌していたのだろう?
たどらす想いと今に笑いかけた。

「浦部さん、あの大会から佐伯さんは国村さんを崇拝しているんですか?」

この話が出た理由の一つだろう?
推測に白皙の顔は頷いた。

「崇拝までイッたのは、あの大会のあの言葉らしいよ。その前から佐伯くんは憧れてたから尚更だろうな、」

崇拝、憧れていた。
そんな感情たちに「東京」が絡まって、佐伯の言葉になっている?

「もしかして佐伯さんは、国村さんのザイルパートナーの候補でした?」

推測を言葉にしながら記憶たどる。
これまで佐伯が向けてきた言動たち、その回答を先輩が言った。

「最有力候補だったらしいよ、」

納得できる、ようするに嫉妬だ?

「芦峅寺出身の佐伯さんからしたら、都会育ちで山の経験も浅い俺では納得できませんね?」

声にしながら納得してしまう。
もし自分が佐伯の立場なら何を思い、どうするのか?

―きっと蹴落とすだろうな、俺ならさ?

仮定に相手が見えてくる、もし自分が芦峅寺出身なら何思うだろう?
そんな解りきった答えに浦部は口ひらいた。

「山のことは技術とセンスで納得できるとこあるだろ、佐伯くんがこだわるのは都会出身の警視庁なんじゃないかな?」

穏やかな落ち着いた声に月ひるがえる。
雲ゆるやかに動く屋上の夜、穏やかな声は続けた。

「あの大会で解ったと思うけど、警視庁には山岳救助隊を低く見る意見もあるだろ?山と死人の相手なら警察官の能力は不要で楽だとか言ってね、」
「そういう意見を見返したくて青梅署は、国村さんの出場を推したと聴いています、」

肯きながら記憶がふれる。
あの大会に光一が宣言した声、スコア、そして撃った「扉」と視線。
あの日すら遠くなったコンクリートの屋上で、山ヤは困ったよう微笑んだ。

「ああいう意見は都会出身のエリートに多いんだ、だから佐伯くんは宮田くんもあっち側と思ってるとこあるかな、」

都会出身、エリート、そんな言葉たちに自分こそ嫉妬する。
その本音に英二は笑った。

「俺からしたら、芦峅寺の生まれながらに山ヤってほうが羨ましくて、悔しいですよ?」

羨ましいより嫉ましい、悔しいより潰したい勝ちたい。
ただ本音に笑った隣、長野出身の山ヤが微笑んだ。

「宮田くんはそうだろうってこと、今は俺にも解るよ?」
「今は、ってことは浦部さんも、前は俺をあっち側だと思ってました?」

訊き返しながら、立ち位置あらためて見える。
こういうことは疎ましい、それでも現実ありのまま言われた。

「思ってたよ?都会のぼっちゃんが、ファッション登山でカッコつけに来たかあってさ、」
「ファッション登山ですか、」

相槌うちながら笑いたくなる。
こんな評価も仕方なかったろう?納得に可笑しくて、つい笑った。

「言われても仕方ないです、自分でも坊ちゃん育ちな自覚あります。山のことも警察学校に入るまで知りませんでした、」

何不自由ない、そんな形容詞そのままな自分の生い立ち。
何かを手に入れる苦労、何かを求める想いの熱、知るということ自体を知らなかった。
それでも自分は山を知った、そうして佇む屋上の夜に山ヤが微笑んだ。

「ぼっちゃん育ちが国村さんのザイルパートナーを務めるってさ、努力なんて言葉じゃ言えないモノがあったろ?」
「努力?」

問いの言葉くりかえして時間がふりむく。
あの山っ子を追って駈けぬけた、あの瞬間たち微笑んだ。

「ただ楽しかったです、俺は。ひどい筋肉痛も成長できるって楽観してました、」

最初は体が辛かった、それでも身体能力が育つ感覚に喜んだ。
あの痛みもう遠くなった屋上の夜、山の先輩が笑ってくれた。

「そういう楽観がザイルパートナーとして認められたんだろな、国村さんは面白いけど厳しいヒトだから、」

朗らかに穏やかな声が肯定してくれる。
ただ微笑んで返した真中、先輩は言った。

「国村さんが宮田くんとザイルを組んだのは事実なんだ、でも認めたくないから佐伯くんは、宮田くんをあっち側の人間と思いたいのかもな?」

認めたくない、そういう感情は当然かもしれない。
たとえば立場が逆だったら?仮定ありのまま微笑んだ。

「俺も佐伯さんと同じだと思いますよ?もし逆だったら嫉妬しています、」

嫉妬深い負けず嫌い、そして思ったことしか言えない、それが自分の本性だと知っている。
だからこそ今も嫉妬するまま笑いかけた。

「本音を言えば今も俺、嫉妬をだせる佐伯さんを嫉妬していますよ?正直に生きられていいなって、」

正直に生きていたい、そうずっと願っている。
けれど叶わない現実の屋上の夜、月あかり山ヤが笑った。

「山ヤなら正直にならざるをえないだろ?山で誤魔化してたら死ぬだけだ、」

山で誤魔化していたら死ぬ。
本当にそうだな?言葉あらためて肯けて、ため息ひとつ微笑んだ。

「浦部さんも良いこと言うんですね?」

こんな言い方、警察世界では先輩に失礼だろう。
けれど自分たちは先ず山ヤだ、その信頼に山の男さわやかに笑った。

「経験からの実感だよ、正直な感想ってヤツ?」
「俺も同じ感想です、」

笑い返しながら月の屋上、夜はるかな雲が駈けてゆく。
朧ふる光あらわれる銀盤の位置、明朝あと数時間。

※校正中
(to be continued)
七機=警視庁第七機動隊・山岳救助レンジャー部隊の所属部隊

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